何年振りなのか思い出すこともできない。
今回読んでみようと思ったのは、加藤典洋『敗戦後論』所収の『戦後後論』において、太宰とサリンジャーが重要なテクストとして取り上げられていたのがきっかけだ。中でも第二次世界大戦中に発表された『最後の休暇の最後の日』が、ひとつの鍵として提示されており、これは再読するしかないと本書を棚から抜き取った。
正直、もう読むことはないかもしれないが、手放すには忍びない、そういう種類の蔵書だった。サリンジャー自身が「気に入らない」といって再販を拒否していたというくらいだ。初めて読んだのは二十歳くらいだったと思うが、サリンジャーに傾倒していた当時の私にも、良い印象は持てなかった。習作っぽさは拭えないし、たぶん翻訳も良くないんだろうという気がした。
この度、再読してみて、玉石混淆という読後感を持った。『ライ麦畑でつかまえて』や『ナインストーリーズ』に繋がる原石がそこかしこに散らばっているし、サリンジャーが実体験した軍隊が描かれており、その筆遣いは興味深かった。一方でコントのような軽いショートショートもあるし、素描に過ぎない小品もある。
また、翻訳のまずさも否定できない。原書と比較していなくてもわかるのは、その古めかしさだ。“体育館に通う”というのは、ジム通いのことだろうし、ホットドックに“薬味を”つけたというのはマスタードのことか。こういう古びた表現は氷山の一角に過ぎず、この短編集をさまざまな場面で貶めているのかもしれない、と残念な気持ちになった。
『戦後後論』で加藤典洋が取り上げた『最後の休暇の最後の日』作中の一節は、以下である。
「パパ。生意気なようだけど。ときどきパパが戦争のはなしをするとき、――パパの年代のひとたちはみんなそうなんだけど、――まるで戦争って、何か、むごたらしくて汚らしいゲームみたいなもので、そのおかげで青年たちが一人前になったみたいに聞こえるんだな。ぼく厭味をいうつもりじゃないんだけど、でも第一次大戦に行った人たちって、みんな、戦争は地獄だなんて口ではいうけれど、だけどなんだか、――みんな、戦争に行ったことをちょっと自慢にしてるみたいに思うんだ。きっとドイツでも第一次大戦に行ったひとたちが、おんなじようなことを考えたり、いったりしたんだろうと思うんだ。だからヒットラーがこんどの戦争をはじめたとき、ドイツの青年たちは父親に負けないとか、それ以上だとかいうことを証明したくなったんじゃないのかな?」ベーブは気はずかしそうに ちょっとことばを切った。「ぼくはこんどの戦争は正しいと思うよ。そうでなかったら、良心的参戦拒否者の収容所に行って、戦争が終わるまで斧でも振ってるよ。ぼくはナチスやファシストや日本人を殺すことが正しいと思ってるんだ。だって、ほかにどう考えたらいいんだろう? ただね、この前の戦争にせよ、こんどの戦争にせよ、そこで戦った男たちはいったん戦争がすんだら、もう口を閉ざして、どんなことがあっても二度とそんな話をするべきじゃない――それはみんなの義務だってことを、ぼくはこればかりは心から信じているんだ。もう死者をして死者を葬らせるべき時だと思うのさ。その逆からは何も生まれなかったってことは周知のとおりじゃないか」
『戦後後論』では、この後こう付け加えられている。
この、戦場から帰った者は何も語るな、というセリフの最後の個所は、原文では、こうである。
It`s time we let the dead die vain.
わたしの読んだある研究書の著者はこれを、「戦死者は無駄死にさせなければならない」と訳している。
こうして、わたし達は最後の言葉にたどりつく。
「戦死者は無駄死にさせなければならない」。
しかし文学の言葉として、これは死者への、心からの呼びかけの声ではないだろうか。
文学とはつながりよりも深い、切断の力なのである。
これをもって、私はこのサリンジャーの習作集を再評価すべきとは思わない。ただひとつ言えるのは、文学には、政治や社会学または心理学などによってはカバーできないものを、変革する/すくいとる力があるのだろう、ということだ。
麻疹のように政治にかぶれかかったころ、私は"文学的"という言葉を悪い意味で振り回したものだが、また今、十代のころのように、私は文学に回帰しつつあるような気がする。
