龍岡城は、稜堡式築城法 によって築かれた城で、星形の形をしている。函館の五稜郭とともに、日本で二つしかない星形要塞である。この城は、もう明治になろうかという1867年に竣工した。江戸時代の終わりに完成した城である。突き出た稜堡からは十字砲火が浴びせられるように設計されている。
築城したのは、最後の田野口藩主の松平乗謨 (のりかた)という殿様で、この人は、幕府の陸軍奉行、若年寄を歴任し、維新後は、大給恒(おぎゅうゆずる)と名乗り、佐野常民とともに、今の赤十字の前身にあたる博愛社の設立に奔走したらしい。田野口藩は城主格ではないので、正式には田野口陣屋である。
明治の初めに、城の一部は破却され、今は堀と土塁の一部、そしてお台所と呼ばれる建物が残るのみである。跡地は小学校の敷地になっている。大手前には五稜郭であいの館という案内施設がある。何年か前に城跡を訪ねたが、高いところから星形の全景を見たいものだと思いながら、時間がなくて城跡を後にした。機会を得て、この5月に再び再訪した。
五稜郭を望む、北側の尾根には展望台から、龍岡城五稜郭の全景を眺めることができ、遠く八ヶ岳まで望むことができる。龍岡城からも、徒歩で登るルートがあるらしいが、今回は北側から車で登った。軽トラが似合う狭い山道であるが、登り切れば駐車場もある。実はこの山も、戦国時代の山城の跡らしい。
この日は天気に恵まれ、龍岡城の全景を写真に収め、満足して温泉へ向かったのである。