私は吾亦紅以前からお付き合いがあったが、歌は苦手であった。でも一旦カウンターに座ると、
座った順番に歌を歌わないと次に回っていかない掟になっていて随分鍛えられた。
そう、店の名前は“侘助”ここで数々のドラマが生まれた。
侘助を愛するひとの集いが何回も開かれ、最後は全員で知らない者同士が肩を組み合っての「故郷」の大合唱。稀な集いであった。
或る時、店も閉店の時間に近く稜さんと、客は私と稜さんと同郷の女性の三人だけになった。突然稜さんが涙をぼろぼろこぼされた。
はじめてだった。“故郷に帰って、子供たちの面倒をみる仕事をしたいの”唐突であった。
“泣いたりしてごめんね、さ、飲み直し、しましょ”三人で乾杯。
夜は静かに更けゆく。
私は後日、九州日豊本線行橋にある“藍の花”を訪れた。大変喜んで下さった。