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昔々の想い出・スキー紀行 6)

2011-09-30 08:20:07 | スキー紀行
6)

昭和34年 高天ヶ原スキー場 長野電鉄、湯田中→発哺温泉→山荘

Gさんに誘われた。行くことにすると何とK子さんも一緒だった。

長野より長野電鉄長野線に乗ると終点が湯田中である。そこからバスに乗った様な気もするが定かでない。

発哺温泉の少し北に高天ヶ原スキー場がある。

高天ヶ原山荘に泊まった。それ程混んでいないし良いスキー場であった。


昭和35年 高天ヶ原スキー場

同じメンバー(Gさん、K子さん)で翌年も行き、同じ山荘に泊まった。k子さんはかなり上達した。

昔々の想い出・スキー紀行 5)

2011-09-29 07:56:33 | スキー紀行


昭和34年 石打 第二銀嶺

初めて女性二人と行っている。私が声を掛ける訳はないから、多分“連れて行って”と頼まれたのだと思う。

一人は仲間のK子さん、もう一人はK子さんのお友達でスキーはじめてという方だった。

座って行ったと思うが、往復とも記憶にない。

雪の降る中、ゲレンデの低い所で練習した。写真が残っている。

初めての彼女にとっては忘れ得ぬ日になったことだろう。

夜は座敷で三本川になって寝た。




昔々の想い出・スキー紀行 4)

2011-09-28 08:21:10 | スキー紀行


昭和33年 石打 第三銀嶺

大晦日の上越線はさすがに超満員、発車時刻の表示の所を追いかけて地下道にまで並び、時間が来ると動き出す。

どの車両も一杯、乗れるだろうか。

やっとデッキに乗り、スキーは立てたまま持ち、立ったままで石打まで行ったことがある。

そんなにまでして行く魅力は何なんだろう。

雪山の夕映え

村の夕暮れ

冬の夜の星





石打 第一銀嶺

遠くに見える橋も雪に覆われ、近くにある“石堂”と刻まれた大きな石塔も雪を被っている。

雪の冬山は祈りにも似ている。

色の白い若い 嫁さんがせっせと働いている。遠くのゲレンデで若者が滑っている。

私は凍える手で、スケッチしている。(今でも大事にとってある)


昔々の想い出・スキー紀行 3)

2011-09-27 09:23:25 | スキー紀行
1)
菅平に行ってから4年が経っていた。N君と近間にスキーに行こうかとなって、石打に決めた。

宿泊しなくても日帰りも出来る所である。

スキー板は横浜伊勢佐木町のスポーツ店で身長に合わせて購入した。

上野駅は列車の出発時間に合わせて地下道まで並んでいて、長い列が出来ている。

出発が近づくと、改札前の構内に並ぶ。やっと乗車、スキーを網棚や通路に置く。

座れたかどうか記憶にない。

翌朝暗い中に石打駅に着く。改札前は降りる客と迎えの灯の入った提灯を翳した人達でごったがえしている。

初めて見る光景であった。どの道休憩しなくてはならない。

若いお兄さんの所にお世話になることにし、ついて行くと20分位雪道を歩いたろうか、道沿いに2階建ての民家があった。

ここが林良孝さんの民宿であった。若いお兄さんはここの次男さんで、指導員1級の資格を持っていた。

出会いとは不思議なものである。

それから毎年殆ど正月に行く様になる。ひとり或いは行きたいという女の子がいれば一緒に。

次男さんにかなり基本的な技術を教えて貰った。大きな神棚があり、正月の飾り付けがされていた。

紅白の団子を木に飾ったものとか。

良孝さんは親父さんで、ドイツの高級カメラ(ライカ Leica)が自慢であった。

お母さんやお嫁さん、それに赤ん坊がいた。赤ん坊ももう50歳位であろう。皆さん健在だろうか。











昔々の想い出・スキー紀行 2)

2011-09-26 08:23:05 | スキー紀行


昭和27.1. 初めてのスキー、Sさんがスキー板など準備してくれた。

上野→信越本線で上田へ→上田交通のバスで、バスの背中にスキー板を積んで雪の144号線を真田→菅平口→菅平へ。

→根子(猫)岳→菅平→真田→上田→上野

米5合持参、宿は民家の様な作りであったがよく覚えていない。

ロープウエイやリフトはどこにもない。

先ず緩斜面の所で両足をV字にして登っては下るを繰り返し初日は終わる。

翌日大胆にも根子岳に登る。スキー板には本物のアザラシの皮の滑り止めをしっかりと着けて。

雪の高原は素晴らしい。二人だけの世界である。

滑り止めを外すと今度は方向転換に難儀する。

何とか転びながら滑り下りた。雪のたまりにスキー板を突っ込むのは極めて危険である。

危ないと思ったら初心者はすぐに転ぶことである。


その後塩田平、信州の鎌倉にはスキー以外で、何回も行っている。