ついに
『ドグラ・マグラ』を読んだ。
作者・夢野久作(1920ー1936)が
構想・執筆に10年以上をかけた代表作。
九州地方の方言では、「夢想家」「夢ばかり見る変人」を
「夢の久作」と言うらしい。(作者は福岡県福岡市出身)
読んだ今としては、
この小説を言い表すのに適切な表現が出てこないけれど、
言ってしまえば「怪奇で幻想的なSF推理小説」。
その異常な内容から
“読んだ者は、一度は精神に異常をきたす”
という売り文句がついている。
この小説を読み終えた時、
果たして自分はどのような気持ちになるのか。
それが、楽しみで、怖いもの見たさの要領で、
今年の年始に、杏美に借りて読み始めた。
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表紙をめくると、まず配置されているのが、
【巻頭歌】と呼ばれる文章。
なんとも気味悪く、鳥肌がたった。
これから始まる長い長い
「ドグラ・マグラ(≒堂廻り・目くらみ)」の旅へ
大きな期待と少しの不安、
そして心地よい憂鬱を 盛り上げてくれる。
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巻頭歌
胎児よ
胎児よ
何故躍る
母親の心がわかって
おそろしいのか
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主人公は、九州帝国大学医学部精神病科
「7号室」に入室している少年。
今朝、病室で目覚めたところから物語は始まるが、
彼の記憶は、いくら遡っても、起きたその瞬間からのみで
自分がどこの誰なのか。
昨日、何をしていたのかも思い出せない。
ただし、自己意識は、はっきりしている。
彼は後に、呉 一郎(20)らしいことが判明するが、
実際のところは分からない。
隣の病室「6号室」には、
一郎の従妹であり許嫁とされる天性の美少女、
呉 モヨ子が入室しているらしい。
同じく精神病患者として隔離され、
しきりに一郎の部屋側の壁を殴りながら
「お兄さま~」と呼びかけている。
そして、正木・若林という二人の教授の存在。
前者は精神病、後者は法医学を専門とし、
少年の記憶を必死になって取り戻そうと、
物語を通じて試行錯誤する。
正木教授は、当初 呉 一郎のことを
「アンポンタンポタンくん」と呼んでいた。
そんなキャラクター紹介的な内容から、
ドグラ・マグラは、始まる。
・・・・・・
“精神に異常をきたす”と言われている割には、
比較的、内容も文体も普通なのでは?と読み進める。
ただし、上・下巻あるうち、上巻の半ばくらいから
「脳髄(のうずい)」という単語がしきりに出てきて面食らう。
と同時に、「書簡体形式」という手法が、延~々と続く。
「書簡体形式」というのは、
“書簡をそのまま地の文として羅列し、作品とするもの”らしい。
初めて名称を知ったけれど、
これまでに読んだ小説でも度々見かける手法であり、
今までは特に、気にとめることもなかった。
ただし今回は、諄く気味悪く、気になって仕方なかった。
なぜならその内容が、尋常ではなかったから。
上巻で主に出て来る「書簡体形式」には、
以下のような内容のものがある。
そしてこの3つは最初から最後まで、
物語全体の重要な役割を果たしている。
(1)【脳髄論】 ※正木教授の学樹論文
人間がモノを考えたり、感じたりするのは、
脳髄ではなく全身の細胞一つひとつであって、
その細胞の意識や感覚を反射し、交感する仲介役こそ、脳髄だ。
つまり、「脳髄は物を考える処に非(あら)ず」という内容を
ものすごい文量と専門知識で説き伏せる。
(2)【胎児の夢】 ※正木教授の卒業論文
胎内にいる胎児の成長は、
現在地球上にいる生物の進化の工程と比例している。
そして、これまでの各時代における全生物の記憶の蓄積を、
胎児は胎内で潜在的に自分の精神に組み込み
生まれた瞬間から生涯背負う云々・・というもの。
(3)【キチガイ地獄外道祭文】
私的にとてもインパクトが高かった。
内容もそうだけど、このような型式を見たことがなかった。
何せ、お経(?)のような律動的な文体で
精神病棟の歴史や、精神病患者に対する治療の恐ろしさを、
ページを めくっても めくっても、唱い続ける。
最初は、なんだこれ?!とにかく読みにくい!と感じるけれど、
内容には変に説得力があり、取り憑かれた様に読み続ける。
これらは、どれも一つの論文や論説、祭文集として
立派に成立するようなモノばかり。
あくまで仮設。しかしながら
今まで考えたことがなかった考えや意識を、
まことしやかに論じ続けられると、
衝撃 というか、納得 というか
世界の見方が変わるような不思議な感覚になる。
そのため、気が狂うというよりも、興味深く、
作者の知識の豊富さと、それを実現する
人間の精神への独自の観念、そして類希な幻想力に、
ただただ感心した。
Wikipediaで調べると、
夢野久作は、さまざまな肩書きを持っている。
禅僧/陸軍少尉/郵便局長/小説家/
詩人/SF作家/探偵小説家/幻想文学作家
禅僧でもあり、詩経・易経・四書五経を
教え込まれたという事実を知り、祭文にも納得。
ただ、精神病関連の職には全く就いておらず、
後にそれらの知識は、百科全集か何かによる独学と知り、
驚いた。執着心が半端でない。
下巻に入る頃には、なんとなく物語の核である
2つの怪奇殺人事件の大枠がつかめてくる。
それらは、記憶が正常な頃の、
呉 一郎に深く関係しているらしい。
このことから、
2人の教授が彼の記憶を取り戻そうとしている理由は、
事件の真相を、それぞれの専門学術分野の立場から
明らかにしたいためだろうということが解る。
ただし、一人の日本人の少年の記憶を探るために、
教授らが調べ尽くすのは、
古来の、そして日本ではなく唐の時代の出来事や言い伝え等。
またまた「書簡体形式」で延々と解説される。
これらを読み進めるうちに判るのは、
怪奇な殺人事件に大きく関わっているのは、
呉一族に代々伝わる一本の【絵巻物】だということ。
発端は、呉 一郎の遠い先祖にあたる
画家・呉 青秀(ご せいしゅう)に生じたある出来事だった。
呉 青秀は、当時の時代背景と凄まじい忠君愛国の思想、
そして歪んだ自尊心などを満たすために、
憎しみ・悲しみ、あらゆる感情が隠った一本の【絵巻物】を残した。
それは、若くて美しい妻の魂を国に捧げると共に、
その死骸が、腐乱していく様を描くという、
常軌を逸するものだった。
そしてそのような先祖の心理的な経験は、
遠い末裔に当たる呉 一郎の精神に潜在的に遺伝した。
呉家の血をひく男子は
この【絵巻物】を決して見てはならない。
見れば発狂するという言い伝えがあったにも関わらず
呉 一郎は【絵巻物】を見る。
見たことで、瞬間的・必然的に
眠っていた精神の記憶が呼び覚まされてしまう。
結果、呉 一郎精神を狂わされてしまい、殺人事件を犯す。
・・・なぞという(作者の文体がうつった笑)突飛さ。
そこで、呉 一郎に【絵巻物】を見せた犯人探しに向けて
読者はまた、永遠と正木教授の論文や切論に沿って、
事件の背景をたどる。
残酷なのは、
精神病患者の物語なのだけれど、
人間の「精神」に翻弄された二人の教授の精神の方が
よっぽど異常だということ。
筋書きを振り返れば、
根本は、とてもまとまった内容で
シンプルな推理探偵小説、推理小説の部類。
SF的な要素も混ざっている感覚。
それらごちゃまぜの中に、
通常の人間の現実感覚や判断能力を惑わし、
狂わせる奇妙なチカラがある。
扱うのが、「夢」「心理」「精神」という
抽象的なテーマだからではない。
それが、作者の空想でも幻想でもなく、
私はすべて、知られていない事実の予知のような気がする。
・・・・・
このまとまりのない文章が
『ドグラ・マグラ』を理解できていないことを物語っている。
まんまとドグラ・マグラの渦の中で
戸惑い・面食らい・堂廻り・目くらみ
させられている。
少なくとももう一度読む必要がある。
けれど、しばらくは読めそうにない。
本の一言。
「出合ったことのない物語。経験したことのない感覚。」