被災地を訪問するのは、震災後2週間で岩手沿岸部に入ってから、2回目でした。
震災後1年が過ぎ、被災地はどんな状況におかれているか、今後の支援をすすめるにあたって何を考え準備しないといけないか、ニートやひきこもり、精神障害者の支援を行っている事業所のお話しをお聞きするなかで考えていきたい、そういう思いをもっての訪問でした。センターに協力していただいている研究者の方2名と院生、合わせて4人で行きました。
仮設住宅に入り、子ども・若者支援をしている事業所で、活動を通じて浮かび上がってきた実態について聞かせていただきました。地域・家族の中での分断、一人の人間の中でも分断がおこっている話は胸が痛みました。今は、仮設に入っていても今後どうなるか見通しが持てず、「これからを考えたい」と多くの人が思っているが、仕事もなく、そこに行きつけないことが多い現実があります。そんな大人の状況は、子どもたちにも深く影響を与えている。原発事故の影響で、子どもや妊婦さんがいなくなった地域も多数あり、街に活気がなくなったところが多数あるそうです。
「1年が過ぎましたが、まだこれからです」「これ以上何を頑張ればいいのか、いつまでそうしたらいいのか」という言葉が、胸に突き刺さりました。
宿泊したホテルで、選抜甲子園、石巻工業の試合を観ました。選手の奮闘に多くの人が感動し、「励まされた」と被災地の方自身がテレビのインタビューに応えていました。本当にそう思っているのだと思います。そう答えた人たちの奥にも、「いつまで…」との気持ちがあるのではないか、そのことを思いやることが必要だと強く感じました。「がんばれ」というスローガンは、誰にがんばれと言うのでしょうか?この言葉はやめたほうがいいと思います。
被災地にある作業所を訪問しました。震災以降、定員が1.5倍となり、過密状態です。「様々な状態がわからずに受けとめるしかない中で、どんな援助したらいいか…」、職員も不足し、休みもほとんど取れずに支援が続いています。一方で、地域ではまだ取り残された多くの障害者がいて、相談・生活支援等、出かけていっての支援を行わなければならないという厳しさがあります。障害者にとって欠かすことのできない医療機関が、十分に回復されていない現状の中での苦しさと、何とかしていく取り組みも始まっているとの話を聞きました。
津波の被害にあった地域を案内していただきました。何もありませんでした。1年前とは随分違います。内陸深くまで入り込んできた漁船や家は、片づけられていました。でも、地中にはまだ多く様々なものが残っているそうです。海水が入り込んだ農地は、何もつくることができません。
案内をしてくれた職員の方も親戚をなくされました。何日も海岸を歩き、遺体安置所も歩いたそうです。「私はまだ見つかったからよかった。見つかっていない人もいるんです…」の言葉、淡々と話す言葉、何も言うことができませんでした。助手席には、同じように知り合いを亡くし、自宅を津波で流された障害当事者がいました。恥ずかしそうにしながら、ここに家があったことを伝えてくれました。今も地域で暮らしています。
泊めていただいたGHの世話人さんも親戚が亡くなったと聞きました。後、数十メートル津波が来ていたら助からなかったかもというお話も…。そして、風評被害のすさまじさもお聞きしました。いただいたご飯は、とても美味しかったです(^。^)。
GHでは、晩ご飯をいただいた後、クローズアップ東北をみました。南相馬で、地域医療のために踏張っている大町病院の特集。看護師不足が深刻です。「頑張ろうと思うけど、いつまで続く?か…」。この叫び、何故全国ネットで放送しないのだろうと思いました。
郡山市のJDFふくしま支援センターにもお邪魔して、今の支援活動の現状をお聞きしました。様々な相談に丁寧にこたえる活動を続けておられます。
いろいろと感じることの多かった訪問でした。行ってよかったと思います。これからのこと、今回訪問したメンバーや大阪のみなさんと相談してすすめていきたいと思います。
福島市は、餃子が有名なんだそうです。美味しかったですよ。
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