那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

宗教随感

2012年11月26日 | 宗教
この数日いつも以上にあわただしく過ごしているので、ごく簡単に。

私が「微笑禅の会」も「正蓮花寺」もともに宗教ではないと注意書きしているのは理由がある。

信仰は心の問題で、多分信仰がない文化圏はないと思うが、人数が増え巨大化し組織になると宗教で生計を立てる「プロ信者」が増え、純粋な信仰心が消えていくことが一つ。

それから、いかなる宗教でも他人への思いやり、愛、慈悲が当然のはずだが、実際には敵対する宗教への嫌がらせ、殺人、戦争まで起こっている現実を嫌というほど見てきた事実がある。特に原理主義の宗教は他の宗派を絶対に許さない。

次いで、現在の憲法にある宗教=性善説は、相対的に神道=天皇制を弱めようとするGHQの政策から生まれたもので、戦時中の反日戦意高揚映画を見ても、日本軍の強さは神道の最高の祭司である天皇の赤子として日本人は平気で死を選ぶ、と考えられた。つまり大和魂を骨抜きにするための戦略として、宗教は良いものであり、優遇税制を受ける、という憲法が作られ、その結果怪しげな宗教が乱立した。

また明治維新の志士たちの多くは、武士道、禅、陽明学を身につけ他国の植民地にならずに革命を果たした。これは士族自らが士族の特権を壊して四民平等になる、という非常に稀な革命だった(言わば公務員が自分たちで公務員制度を解体して民営化したようなもの)。だから、心の保ち方が最重要であり、その訓練が出来ていれば敢えて宗教である必要はない。

何と言えばいいのか、戦前の右翼の大物たちは、極左アナキストと個人的には友情関係を持っていたように、大切なのは人徳的な部分であり、それを鍛える手段、稽古の違いが信仰や道徳、思想等々だと思っている。

最後に明治天皇御製から(明治天皇の短歌10万首弱には全く駄作がないように思えます。天才ですね。これはア行から3首拾ったものです)。

おのが身は かへりみずして ともすれば 人のうへのみ いふ世なりけり
(注:人のうへ=人の悪口、中傷)
あやまちを 諌めかはして 親しむが まことの友の こゝろなるらむ

鬼神も なかするものは 世の中の 人のこゝろの まことなりけり



宗教に絡んだ雑談です

2012年11月19日 | 宗教

私の使っているGOOブログがこの1週間アクセス解析の無料キャンペーンをやっているので使ってみた。
 面白いことにこのブログを入れているHPから入る人が一番多い。HPのアクセスカウンターは時々0になったり、20から40の間を行き来しているので壊れているのは間違いないと思ってはいたが、同じブログの中で見ている人が一番多いのかと思ったが、意外だった。

アクセスカウンターはフリーソフトが普通で、気に入ったものはHPに取り込めないなどの不安定さがあるから面倒なのでそのままにしているが、今度時間があるときに別のものに取り替えようと思う。

ところで昨日のブログに難病に禅の呼吸法が効果があると書いたので、今日は暫く座禅を組んでみたが、確かに心地よい。数呼吸で鳥肌立つ歓喜が訪れてきた。

禅が面白いのは、ただ何も考えずに姿勢、呼吸、心を整えて数息観や隋息観を行うことで、微笑禅の会の方法では途中で体を動かしていいことになっている。

それで思ったのだが、禅は一切祈らない。ところが人間はどうしても自分の力では解決できないことが多いから、祈祷系の信仰が尊ばれる。私の場合は法華経の一節を目覚めの一時に唱えたりして使い分けているし、微笑禅の会は「宗教ではないので他の宗派でも入会可能」と謳っている。

そこで自力と他力、祈りの効果などの問題が出てくる。
禅の場合は、自力のようだが、実は宇宙と一枚続きになり自他の差別感を無くすので、普通の自力ではなくなっている。つまり自他というのが二項対立にならず調和している。だったら根性の腐った敵対者に対しても敵対という観念が消えるかというと、そうでもない。山本玄峰師は「悪党の2~3人は睨み殺す」と言って、要人テロのハシリだった血盟団事件を擁護している。「国家のためにならないものは、たとえ善人でも殺していい、と仏は言っている」と断言している(そんなこと釈迦は言っていないと思うが、これが山本玄峰師の気合いというものだろう)。

一方祈祷や呪術の効果については、以前「多元宇宙論」で解決するしかない、と書いた記憶がある。そんなものが通じるか、と思う人には通じないだろうし、祈りとして適わざるなし、という信念で祈れば適う、という考え方だ。それにプラスして医師を含めて色んな識者に聞いたところ、送り手の力と受け手の感受性に拠るところも大きいらしい。ラジオの感度みたいなものだろうか。ちなみに釈迦本人は祈祷はしなかった。この辺りは全くのグレーゾーンで、何というか、もし1万の謎があるとすれば、化学的に証明可能なものはまだ10ぐらいではないかと思う。

言葉とイメージは非常に便利な道具だが、こんな不完全なものはなく、むしろ人間はこの道具を使っているために真理から遠ざかっているとも言える。あるモヤモヤっとした感情を言葉やイメージで表現するとどこかが欠けてしまう。意識の流れ、ではないが、一日の間に感じたこと、起こったことなどをより正確に緻密に書いていったら、大長編小説のようになり何年もかかるに違いない。

夏芽漱石は「菫程な小さき人に生れたし」と詠んだが、本当に子供はいいなぁ、動物はいいなぁ、植物はいいなぁ、と思う。

疲れてきました。さて、もう一座組んでみます。



日蓮遺文をよむ(大分前に書いたエッセーです)

2011年02月28日 | 宗教
                           日蓮遺文を読む


このところ種々の理由が重なり、日蓮の究極の教義とはなにか、つまり一念三千とはなにか、という問題に対して、日蓮遺文はもとより、唯識論、心理学、脳科学、量子力学の文献を片っ端から読み漁って一月を越えた。
 その理論面に関しては時を変えて記したいが、その合間合間に日蓮が信者に当てた書簡を読むと、実に心が洗われた。恐らく「書簡文学」という分野では日蓮はその質も量も、圧倒的に日本一の業績を残していると思う。
 私は、時系列を逆に遡り、晩年の書簡から読んでみたが、特にこの二つの文章は、その美文といい、心根の優しさといい、非常に感動したので、まず原文を写し、そのあとに私なりに現代語に訳し、私なりの感想を書きたいと思う。古典は高校時代は好きだったとはいえ、この数十年読んでいない。もし間違いがあれば指摘していただきたい。

{原文}

◆ 上野殿母尼御前御返事 〔弘安四年一二月八日・南条時光母尼〕/ 
乃米一だ・聖人一つつ〈二十ひさげか〉、かんかう(乾薑)ひとかうぶくろ(一紙袋)おくり給び候ひ了んぬ。/ このところのやうせんぜんに申しふり候ひぬ。さては去ぬる文永十一年六月十七日この山に入り候ひて今年十二月八日にいたるまで、この山出づる事一歩も候はず。ただし八年が間やせやまいと申し、とし(齢)と申し、としどしに身ゆわく、心をぼれ候ひつるほどに、今年は春よりこのやまいをこりて、秋すぎ冬にいたるまで、日々にをとろへ、夜々にまさり候ひつるが、この十余日はすでに食もほとをどとどまりて候上、ゆき(雪)はかさなり、かん(寒)はせめ候。身のひゆる事石のごとし、胸のつめたき事氷のごとし。しかるにこのさけ(酒)はたたかにさしわかして、かんかうをはたとくい切りて、一度のみて候へば、火を胸にたくがごとし、ゆに入るににたり。あせ (汗)にあかあらい、しづくに足をすすぐ。此の御志ざしはいかんがせんとうれしくをもひ候ところに、両眼よりひとつのなんだをうかべて候。/ まことやまことや、去年の九月五日こ五郎殿のかくれにしはいかになりけると、胸うちさわぎて、ゆびををりかずへ候へば、すでに二ケ年十六月四百余日にすぎ候か。それには母なれば御をとづれや候らむ。いかにきかせ給はぬやらむ。ふりし雪も又ふれり。ちりし花も又さきて候ひき。無常ばかりまたもかへりきこへ候はざりけるか。あらうらめし、あらうらめし。余所にてもよきくわんざ(冠者)かな、よきくわんざかな、玉のやうなる男かな男かな。いくせをやのうれしくをぼすらむとみ候ひしに、満月に雲のかかれるがはれずして山へ入り、さかんなる花のあやなくかぜのちらかせるがごとしと、あさましくこそをぼへ候へ。/ 日蓮は所らうのゆへに人々の御文の御返事も申さず候ひつるが、この事はあまりになげかしく候へば、ふでをとりて候ぞ。これもよもひさしくもこのよに候はじ。一定五郎殿にいきあいぬとをぼへ候。母よりさきにげざんし候わば、母のなげき申しつたへ候はん。事々又々申すべし。恐々謹言。/ 十二月八日  日蓮(花押)/ 上野殿母御前御返事

{現代語}

お米とお酒、ショウガの乾燥したものを一袋、お贈りいただきました。
 最近の病状は前にも申しました。文永11年6月17日に身延山に入り、今年の12月8日まで、この山を一歩も出ませんでした。その8年の間、痩せ病(下痢を伴う病気・癌とも言われる)といい、加齢といい、年々に身体が弱くなり、心ももろくなっていた上に、今年は春から痩せ病がひどくなって、秋から冬になるまでの間、日々に衰弱し、一夜寝るごとに症状が悪化し、この十数日は食も喉を通らず、その上雪は降り積もり、寒さはこれでもかと厳しくなるばかりです。体は石のように冷たく、胸は氷のように寒くてたまりません。
 そのような時に頂いたお酒を熱燗にして、乾燥ショウガをガリっと食切ってひと飲みしたところ、胸は火をつけたように暖かく、まるで風呂に入っているかのようです。汗が流れて体を洗い、汗の滴に足まですっきりしました。あなたのお志に思いを馳せると、嬉しさのあまり両目から涙がこぼれました。
 実に実に、去年の9月5日には、お子様の五郎殿が亡くなられたことを思い出し、心乱れながらも指を折って年を数えれは、もう二年以上も前のことになりますね。母親のあなたにはあの世からの何かの知らせが何かあったことでしょう。どのような知らせがありましたか。
 雪は降って解けてもまた降ります。花は散ってもまた咲きます。ただ人の死のみ、消えたかぎり二度と帰ってはきません。なんと悲しいことでしょう。なんと悲しいことでしょう。
 傍目でみていても、優れた若者よ、優れた若者よ、玉のように美しい男の子よ、さぞかし親はこのような子供をもって嬉しいだろう、と思っていましたのに、まるで満月に雲がかかってそのまま山の端に消え入ったかのように、満開の桜が風に散ってしまったかのように、寂しさに耐えません。
 私は病気のためにいろんな人の書状にも返事を書かずにおりましたが、このことが余りに悲しくてこの度は筆を執りました。私も余生は長くないでしょう。きっとあの世では五郎殿に会うでしょう。あなたより先に会った時には、母の悲しみをお伝えいたしましょう。


{鑑賞}

日蓮の死の前年60歳のときに南条時光の母(尼)へ当てた返事である。
なんと人間味に溢れた文章だろう。国家を諌め、神仏を諌め、伊東へ佐渡へと流罪になりながらも、我こそは上行菩薩の生まれ変わりと確信し、題目を唱えればこの身は仏と断言した、獅子王のような日蓮の姿はここには全く見受けられない。
 ただ年を取り、病にかかり、心も弱くなったままの、人としての人間日蓮がそのまま放りっぱなしで晒されている。
 時光の母は息子を亡くした。その息子にあの世で会って、あなたの悲しさをお伝えしましょう、とあるのだから、ここに日蓮の浄土観がよく現れている。
 また酒好きにとっては、この一文は有難い免罪符になる。日蓮はお酒が大好きだったようだ。
乾燥ショウガというものを私は食べたことはないが、恐らく口の中が熱くなり、体がポカポカするのだろう。それを熱燗で一杯やると、汗がタラタラと流れ、心地いい気持ちになったことだろう。しかも日蓮は有難さの余り泣いている。泣いた、などと男は言うものではないが、日蓮は隠さずその事実を伝えている。
 これらの言葉を「死を目の前に迎えた老僧の気弱さ」と取るべきではないだろう。一念三千の根底に空・化・中の三諦を置いて悟った日蓮のことだ。悲しいときは悲しみ、泣きたいときは泣き、従容として自分の死を迎えようとしているのである。
 記憶力のいい人は、この一文、丸覚えしていただきたいものだ。
 

{原文)
  
◆ 伯耆公御房御消息 〔弘安五年二月二五日・日興〕/
 御布施御馬一疋鹿毛御見参に入らしめ候ひ了んぬ。/ 兼ねて又此の経文は二十八字、法華経の七の巻薬王品の文にて候。然るに聖人の御乳母の、ひととせ (一年)御所労御大事にならせ給い候ひて、やがて死なせ給いて候ひし時、此の経文をあそばし候ひて、浄水をもってまいらせさせ給いて候ひしかば、時をかへずいきかへらせ給いて候経文なり。なんでうの七郎次郎時光は身はちいさきものなれども、日蓮に御こころざしふかきものなり。たとい定業なりとも今度ばかりえんまわう(閻魔王)たすけさせ給へと御せいぐわん候。明日寅卯辰の刻にしやうじがは(精進河)の水とりよせさせ給い候ひて、このきやうもんをはい(灰) にやきて、水一合に入れまいらせ候ひてまいらせさせ給ふべく候。恐々謹言。/ 二月二十五日  日朗花押/ 謹上 はわき公御房

{現代語訳}

お布施として頂いた栗毛の馬一頭、確かにこの目で見ました。
 それから、(お送りする)この経文28文字は法華経の第7巻の「薬王品」の文章です。
実は私の母が一年の間病気を患い、危篤になり、息を引き取った時に、この経文を燃やして清らかな水に溶かして飲ませたところ、たちどころに生き返ったといういわくのある経文です。
 南条時光殿は、体は小さいけれど、日蓮への信心は実に深いお方です。たとえこの病が死病であるとしても、今度だけは閻魔大王よ、助けてやってください、と誓願しています。
 明日の寅卯辰の刻に精進河の水を汲んで、この28文字の経文を燃やして灰にし、一合の水に溶かして、南条殿に飲ませてあげてください。

{鑑賞}

この文章は、日蓮の死より8ヶ月前、61歳のときの手紙。前出の手紙の相手であった尼母の子供である南条時光の病気治癒の方法を伝えるために、日蓮の弟子・日興に出した手紙である。
 またよほど日蓮は病が重かったのだろう。この手紙は弟子・日朗が口述筆記をしたものであり、そのために「私の母」というべきところを日朗の立場で「聖人の母」と、遠慮して書いてある。
 私は日蓮宗の祈祷主義がどうも気になっていた。現代科学の合理主義に染まった立場から見れば、祈祷など迷信と一緒で古臭い非科学的なものだ、と感じてしまうのだ。
 しかしこの文章を読むと、日蓮が明らかに密教的な祈祷をしていた事実が分かる。
薬王品の中の28文字とは「この経は全世界の人々の良薬である。もしこの経を聞けばたちどころに病は治り、不老不死を得る」と書いてある部分であり、これを燃やして灰にし、清らかな水とともに飲ませれば病は治る、というのである。事実、日蓮の母は、一度死んだのに生き返った、と書いてある。
 実に不思議な話であるが、書いてある以上、またこれが日朗の真筆として残っている以上は、それを信じるしかない。(大石寺所蔵)
 閻魔大王といえば地獄の裁判官、とイメージしがちだが、法華経の守護神でもある。だから閻魔に今度だけは助けてくれ、と誓願しているのである。
 このような文章や「祈祷抄」といった文書も残しているので、現在の日蓮宗は祈祷主義を信奉しているわけだ。
「日蓮密教」と言われるように、日蓮は様々な奇跡を体験している。例えば日蓮が初学の折に、智恵の神様といわれる虚空蔵菩薩を信仰し、「日本第一の智者にしてください」と祈っていたところ、智恵の宝珠が現れ飛んできて日蓮の袖に入った、と伝えられる。そのほか星が降ってきて庭の木にぶら下がった逸話など、日蓮に纏わる神秘は数多い。
 保守的科学はこれらを無視するだろうが、ユング派やトランスパーソナル心理学はこういった神秘を認めている。また素粒子論の世界にはいると、マッハの原理や、非局所論、不確定性原理など、「因果律」を超えた現象が存在することがいくらでも出てくる。
 結論だけを言えば、個と全体が統一しているのが「存在」というものであり、例えば私がこの場で誰かを思ったとすれば、その想いは相手に伝わる。石ころの気持ちも私に伝わるのだ。仏教ではそれを同時と呼び、ユングはシンクロニシティと呼ぶ。


いずれにせよ、ここに日蓮の手紙二つを残した。一つは人情に溢れる日蓮像であり、もう一つは祈祷者としての日蓮像である。「徒然草」が読める人なら、日蓮の遺文は簡単に読める(仏教用語以外)ので、ぜひ原文にあたってほしい。


 
 


愛国キリスト者

2010年01月10日 | 宗教
家の近くをぶらついていると、祝日には必ず国旗を立てるキリスト教会(普通の民家)がある。

面白い、と思ってその家の前に「自由にお持ち帰りください」と書いてあるのでチラシと冊子を取って来て、昨日読んだら感動した。

今度、酒を持って遊びに行こう。悟ったらこうならねばならない。

反日的な覚醒者がいるわけがない。ま、雅子はどうにかしたいけどね。

gooのフォーマットにあわせると画像の文字が小さいので、青いバーを動かしてよく読んでください。