先ずは「主権回復を目指す会」からのメルマガ紹介です。
西村慎吾(参院議員)の「原発安全カルト」
http://nipponism.net/wordpress/?p=25137
最近の西村修平さんの文章はユーモラスになり、読んでいて笑うときがあります。元々文学的才能のある人なのでレトリックが冴え渡り、非常に面白いです。ぜひご覧下さい。
以上、世間ではこれらの大事故を安全と吹聴する輩を「バカ」の一言で表現する。
など、一刀両断でスッキリしますね。
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そろそろ「微笑禅の会ネット会報」を書かねば、と思いながら、激務続きで頭が冴えないため話題を変えました。
私が禅に打ち込んだ理由は鬱病をどうにか治したい、というのが大きなきっかけでした。心療内科から出されている薬(SNRI)が全く効かず、この程度のものが画期的な新薬なのかと失望しました。可愛いくて利発な子供たちが側にいても、曇天の日には胸が苦しくなり5時には仕事を止めて飲みに行く毎日でした。長女には幼い頃から癒しのパワーが溢れていたので、抱っこしたり、膝に頭を置くと(娘への膝枕で横になるわけです)、スウッと胸の圧迫感が取れたものですが、成長して中高校生になるとそうすることも出来なくなります。
元妻は心配して「顔の色が黒くなっているから飲みに行ったほうがいい」と最初は言っていました。やがて「家にいて小言を言われるより飲みに出てくれたほうがいい」と変化しましたがwww。綺麗好きで几帳面な私と、注意欠陥障害(俗にいう片付けられない症候群)の妻とが上手く暮せるはずはありません。
それで偶々体質的に禅が向いていたらしく見性体験一発で鬱病が治りました。もっとも、西洋医学にどっぷり浸かった医師から見れば、見性体験そのものが理解できていないので、一時的に躁病になったと思うかもしれません。細かく調べれば「観念放逸」「衝動買い」もなければ、決定的に違うのは躁病の特徴の一つ「集中力が無くなる」の逆で、異常に集中力が強くなるのですから、そうでないと分かります。しかし医師も人間ですから、自分にとって理解し易い類型に入れて簡単に処理してしまうのでしょう。そのあたりのことは「見性体験記」に書いてあります。
以下は、私のマイミクさんが紹介していたサイトです。いいことが書いてあるので皆様にも紹介します。鬱病は別名「英雄病」とも言われます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%86%E3%81%A4%E7%97%85%E3%82%92%E6%82%A3%E3%81%A3%E3%81%9F%E4%BA%BA%E7%89%A9%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7 には鬱病に罹った有名人の名前が列記してあります。
西村修平さんの真似をすれば「バカは鬱病にならない」といえるでしょう。
鬱病性格の人間に必要なことは、少し自惚れること、手抜きすること、我慢しないこと、その場でストレスを発散させること、等々でしょう。普通の教育の逆ですね。私は今でもタマに喧嘩屋になる時があります。勘違いだったらすぐに誤りますが、確信犯に対しては容赦ありません。
こういう世相だから鬱で悩んでいる人も多いと思います。ぜひ以下の引用文を参考にして下さい。
http://page.freett.com/710mami/utu2.htm
鬱病にかかりやすい人のタイプ そんな人々の精神構造 注:アミンとかシナプス以外のお話っす
鬱病そのもの、と思われるような、内向的で、社交的ゼロな人はかかりにくく、自閉的な性格と鬱病は無関係に思える。実際には表面的な性格と隠れた本質的な正確との間には差異があるもので、表面の性格だけで判断していけないだろう。 鬱病になる患者は例外なく頭の良い人。(専門家の税所弘さんいわくです)自分の状況を正確に理解し、先に起こる事態を予測することを簡単にやってのける。だから、鬱病にかかった人の大半は、これまで書いたような知識など先刻承知しているだろう。それどころか、もっと詳しいデータを持っていたり、専門知識を持っているかも。ただ、その人たちに共通して言えることは、頭が良い故に考えが先に進みすぎるということだ。 仕事は自分が生きるためにし、学校へは自分を高めるためにいくもので、生活も自分が暮らしやすいように作っていくもの。すべては自分が中心になって自分のために行動しているに過ぎない。 確かに社会生活を営む上で、そのようなことは必要なときがある。そして、他人の為に自己犠牲を払える人間に対して、多くの人は、好い人だ、立派な人だと賞賛するかもしれない。しかし、それもすべては自分のために行っているという意識の元での行動なら問題あないが、自分があっての人生なのに、自分を犠牲にするほうに人生があると思うから問題になる。 他人が迷惑に思うようなことは極力やらない、自分が気がめいっていても他人のために笑い明るく振舞う、自分が他人とのかかわりの中でいつも好い人でいたい、という思いがいつしか主客転倒し、自覚せずに自己を犠牲にしてしまう。
普通多くの人は他人のために自分を犠牲にすることは出来ない。鬱病にかかりやすいといわれる典型的な人でも、いつも自己犠牲で暮らしているか、というと答えはノーだ。 「ではどうするか」、となったときに、自分は我慢してでも他人の意向に沿うようにする。多くの人は、本当に嫌なら、自分を曲げてまで他人に追従しようとはしない。 鬱病にかかりやすい人は、かかりにくい人に比べて数倍先を見とおしている。(専門家がそういっているのであって、私がそう思っているわけではない)
そこで、いいですよ、と、こともなげに引き受けることにする。確かにそのことによって頼んだ人も助かるし他の犠牲者もださずにすむから、先読みは間違っていない。ここでは自分の感情の経緯を表現することなく、結論に対しての行動だけを合理的に行うことで解決することが出来る。 しかし、「嫌だと思った」ことは事実。それが行動に現れなかったというだけのことで、嫌だと思ったことは断っても断らなくても同じことなのだ。 しかしもっとも問題なのは、こうした物事の分析が習性になっているために、瞬間的に判断し、自分の感情の変遷にも気がついていない。瞬時に無意識のうちの結論的合理性行動をとってしまうこと。 自殺者の中には明らかに原因がはっきりしている場合もあるが、多くの場合は、その関係者が「あんなに明るい人が、信じられない」といい、家族までが「悩んでいる様子はなかったので原因は全く想像つかない」ということが多いのだ。
学生のうちは入学、卒業によって学校も変われば、新学期にはクラスも変わる。学生を卒業すれば就職もすれば、転勤もあるかもしれない。結婚すれば親から離れて独立することになるし、子供も生れて引っ越すことも有るだろう。こうした環境や状況の変化が鬱病を引き起こす引き金になることが非常に多い。 どうしてそんなに順応できないか考えると、鬱病にかかりやすい人は非常に人間関係を重要視することが多いために、変化した状況への順応ということより、変化した人間関係への順応のほうが重要なのである。慣れた環境の中で作り上げた環境の中で作り上げた人間関係を新しい環境の中で作り上げようとすれば時間がかかるのは当然。そしてそれがなかなか出来ないために、そのギャップがウツ状態を引き起こすのだ。 身体的不調・親や家族の死・事故・転勤・転職・定年・結婚・出産・子供の結婚・引越し・離婚などの変化。身体的不調のなかに、女性の場合、生理・更年期障害・妊娠など、ホルモンにかかわる不調時に発生することが多くなる。
鬱病にかかりやすい人は、他人に対して非常に弱い人といえよう。ある意味、自己表現が全く下手ともいえる。ということになれば、もともと、社交性がない、協調性がない、といわれる人間のほうが十分な自己表現をしているということだ。 しかし、価値観が多用になり、教育方針も多様化すると、今までの人の痛みを理解し、自分を抑えるといった日本人的価値観がまかり通る世の中ではなくなったのかもしれない。そうした現実をしっかり見据えて子供の教育にあたらないと駄目ですね。現代を雄雄しく生き残るために、良い子に育てると逆に社会でその子を苦しめることにもなりかねないということだ。
鬱病の発生原因に最もかかわっているのが家庭の問題である。鬱病にかかった独身者ばかりを調査すると、家族に救いを求めるタイプと、逆に家族から離れようとするタイプとに分かれる。そして、家族に救いを求めた場合には、自殺を企てる率は低くなるのだ。 家族が会っても、友人がいても、誰もが孤独であり、その孤独に耐えながら生きるものだが、それは健康な場合に言えることであって、鬱病にかかっている場合には、孤独は耐えられないものなのだ。 鬱病に特有な自殺は発作的な自殺。未遂に終わった人に聞くと、どうしてそんなことを下のかわからない、という場合も多い。 出来ることなら家族がその緊急避難の場でありたいが、様々な事情でそれが出来ないのなら、友人知人、或いは信頼できる医師や先生など、人間関係を密にし、自分から場をつくる努力が必要になる。
酒は精神のショックアブゾーバーにもなる。アルコールによって神経を麻痺させることで現実逃避をくわだてるのだ。安定剤や睡眠薬のように用いられているといえる。 酒に限らず薬も同じだが、酔い方は心を投影した形であらわれる。哀しいときに飲めば、哀しさは倍化し、ハッピーなときに飲めば、心はもっとハイになる。 さらなる酒の危険性は、依存性があるということだ。酒がないとイライラが収まらない、眠れない、といったことがおこる。酒の強い人だと、少々ではきかないから量も増えていく。 とくに、鬱病の人は、アルコールが効きにくく、深酒をする傾向があり、その結果悪酔いすることが多くなる。それでもアルコールをやめようとはしない。まさに自暴自棄の飲み方になり、依存症になることも多い。 近頃主婦のアルコール依存症が増えている。主婦は社会的条件によって飲酒できる時間帯に制約があるわけでもなく、自由に飲める。よほど自己規制力がないと、やめることができなくなるのだ。
非情で不真面目でいつも責任転嫁をするタイプは躁鬱病にはならない
共通していえる性格⇒まじめで責任感が強く、仕事(勉強)熱心で人情深い人 といえる |