那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

第七回目の見性体験を発表します。

2021年05月31日 | 宗教
が微笑禅の会(非宗教)を作ったのは日本に10人の見性者が生まれ、10人が協力し合えば世直しが出来ると思ったからです。(ちょうど日本に10人の坂本龍馬が居たら世直しが出来るように)今後、微笑禅の会(非宗教)のネット会報は中止し、年に5千円の護持会費と数度の紙媒体での会報を出すことにします(メールで済ますこともあります)。私がロックフェラーほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html
入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp (クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)なお、微笑禅の会の口座番号に変更があります。入会手続き入会金なし。会費は年に5千円とし、ゆうちょの以下の振替口座 00130-7-447671 名称「微笑禅の会」に振り込んでください。その際は住所氏名他連絡先、男女の区別を明記してください。退会は自由ですので、私にメールか電話をください。
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玄侑宗久さま

遂に6.9回目から7回目の見性体験をしたので、点検をお願いします。

昨日深夜まで懸賞小説を書いて、真夜中に寝てから、不思議な見性体験をしました。
いつものように見性体験をすると眠れなくなるので今日は寝ていません。
また、この状態が続くと危険なので、今日は坐禅を組んでいません。

実に不思議な夢でした。夢の中で見性体験をしたのも初めてです。

夢の中で吉永小百合が出てきます。小説の材料で詳しく調べたことと、私が書こうとしている論文集は
戦前から現在までの小型映画と実験映画の歴史(「戦前と戦後のはざまのシュプリーム」) これはかつて誰も書いたことがない
映画史の処女地を踏み分ける貴重なものですが、買う人が学者だけになるので、早稲田大学出版に迷惑をかけるでしょう。
そこで、書けば絶対にヒットする研究として「吉永小百ー人と作品」を提案しておきました。
また、玄侑宗久さまも同世代なので同じだと思いますが、私も母校の先輩でもあり、典型的なサユリストです。

これから夢の内容を語ります。抽象的に言えば「アニマとアニムスが絡み合って全体がセルフに取り囲まれています」
色で言えば、中がピング色の白い雲の中にいる夢です。
具体的に言えば、私は提案した通り、吉永小百合の家に行って本を執筆する提案をします。すると彼女は驚いて
目が虚ろになります。理由を聞くと、彼女は映画もテレビドラマも充分に取ってお金も充分にあり、もうやることがないので
死ぬことばかり考えている様子です。そして一番熱い恋をした渡哲也の写真だけを見ています。
 そこへ私が現れたので渡哲也が蘇ったと思い驚いているとのことです。私はああいうチンピラ風で優しい一面があるので人相を観てもらうと必ず「けんかっ早い」「男の色気がある」と言われます。
 そこで私が来訪の理由を述べ、貴女は未だ代表作と言えるような映画がない、もっと政治発言をした方がいい、まだやることが一杯あるので元気を出して欲しい、そのために私がきました。そう云うと
 元気を取り戻します。また私もサユリストなので、彼女が不安になった時は家にも帰らず、吉永小百合再出発計画を熱心に進めて行きます。
こちらもサユリストなので、お互い年は高めですが、連理の枝、比翼の鳥の付き合いを始めます。これがアニマとアニムスが絡み合ってセルフに取り巻かれている具体的イメージです。
 家に帰ると、13年もの間会っていなかった長女と長男が帰っています。
 その時に、「これが本当の姿、何も怖がることは無い」そう気付くとともに、怖がらず神仏を叱れ、これまでは他の人が出来ないことをやって来たのだから、
 そう気づいて安心します。

ここから説明が長くなりますが、微笑禅の会の考え方は、「神仏は存在しない。自分が神仏になって行動せよ」でしたが、
玄侑宗久さまから教えてもらった「刹那滅心相続」の理論を知って、ある行動かドミノ倒しになって積み重なって行くのだとすれば、
また、日蓮が起こした奇跡=龍ノ口の法難、を見ても、類代の先祖を含め、私が行ってきた行動を万法に伝え、万法進みて自己を修証するのなら、
1.先祖類代から私の行動を全て通信簿のように書き溜めている記録係、と2.それを万法に伝える伝達係が必要になると考え始めました。
この二者を私は神仏と名付けることにしました。(宇宙に偏在する採点係と伝達者のイメージです、これが無いと万法が動いてくれません)
 そこで不安になる必要は全くない。思い通りにならないなら神仏叱れ(きちんと採点して伝達しなさい)、という解決の糸口を見つけました。
(まずここまでを点検してください。寝てないので途中省略した部分があります)



集団ストーかーを被告にした第一回目の法廷内容

2020年10月20日 | 宗教

集団ストーカーの被害者の方は次のurlを押してください。http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531


http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html に最新の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日にの8時から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。手前のテーブルの場合もあります。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたので(現実には飲めても飲めなくても3千円になっています)。春名先生の講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。医療だけでなく歴史や芸術についても講義できるようになりました。私は八王子五行歌会の代表です。賛同される方は私まで電話を下さい。042-634-9230。出ないときは留守電にメッセージを残して下さい。生死とは何か、善悪とは何か、魂や神仏は存在するか、等々本来は宗教者や科学者が総出で考えるべきことを、飲み食いしながら3千円で話し合えるのは「春名先生を囲む会」だけです。このブログ方も是非賛同者になって下さい。先月のテーマは「キューバと社会主義」でした。もしあるとすれば次のテーマは「死後の魂です」このブログをご覧の皆様も是非賛同者になって下さい。
私が微笑禅の会(非宗教)を作ったのは日本に10人の見性者が生まれ、10人が協力し合えば世直しが出来ると思ったからです。(ちょうど日本に10人の坂本龍馬が居たら世直しが出来るように)
今後、微笑禅の会(非宗教)のネット会報は中止し、年に5千円の護持会費と数度の紙媒体での会報を出すことにします(メールで済ますこともあります)。私がロックフェラーほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。
 http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html  入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp (クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)なお、微笑禅の会の口座番号に変更があります。入会手続き入会金なし。会費は年に5千円とし、ゆうちょの以下の振替口座 00130-7-447671 名称「微笑禅の会」に振り込んでください。その際は住所氏名他連絡先、男女の区別を明記してください。退会は自由ですので、私にメールか電話をください。

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創価学会に魂を売った
東京地裁八王子支部裁判官・飯塚宏らを糾弾する
同時進行裁判実況報告
織田氏の犯罪
   以下、織田氏の犯罪事実を証拠に基づき証明する。
{織田氏が平成20年1月12日に東京地裁八王子支部に提出した「答弁書」(甲第3号証)には、12か所の名誉毀損と2か所の偽証がある} 
以下それを示す織田氏の記述を「 」内に示す。
名誉毀損1「那田氏の経歴を読むと20歳になっても勤労精神を全く持たず親の送金で乱れた学生生活を送り」
 20歳は大学生の時代であり勤労すべき時ではない。地方出身者が親から送金を受けるのはごく一般的なことである。乱れた学生生活の事実証明とその記述の公益性がない。よってこの文章は名誉毀損である。
名誉毀損2「他人の力を借りて普通人の2倍の年月をかけて大学を卒業しています」
 私は大学卒業に関係して一切他人の力を借りておらず、また2倍の年月をかけて卒業してもいない。私のホームページ(http://www.geocities.jp/nada123jp/)の「私の略歴」に明記しているとおり「対人恐怖症に伴うパニック障害」のために語学の授業に出ることができなくなり2年間留年したのが真実である。織田氏の記述は虚偽に基づく名誉毀損である。
名誉毀損3「修士論文は友人の助けを受けて作成しています」
これも虚偽に基づく名誉毀損である。「私の略歴」および『超絶全面批評』のエッセー「牧野さんの家のほうへ」に明記している通り、修士論文提出日に先輩の奥村賢氏が論文の「印刷」を手伝ってくれただけである。
名誉毀損4「学生時代から女遊びが激しく現在もキャバクラに遊び」
 私は若い頃女性に好かれたので一般人よりは多くの恋愛体験があるが、それを「女遊びが激しく」と表現することは名誉毀損である。また、織田氏はキャバクラを性風俗と勘違いしているようだが、少なくとも東京のキャバクラの大半は「時間制のクラブ」として一流企業も接待に使う健全な社交場である。私が贔屓にしている店など、酔客がホステスの手を握っただけでも男子店員が注意し、言うことを聞かないと出入り禁止にする。織田氏は無知なのか、あるいは関西に多いと聞く「お触りキャバクラ」を想像しているのだろう。
 なお私がキャバクラに通い出したきっかけはホームページに掲載しているエッセー「さらばキャバクラ」に書いているとおり、私の鬱病治療の主治医が「一人で飲むよりはキャバクラなどでお喋りをして飲んだ方がストレス発散になりますよ」とアドバイスをしてくれたからである。
名誉毀損5「些細なことで妻を殴り顔にあざを作るなど正常な大学講師とは思えない生活をしています」
 これは私自身が自分のホームページの掲示板に妻を殴った事実を投稿したことを捉えて絡んでいるのだが、夫婦喧嘩をしない夫婦など世の中に存在せず、まして自分で公表しているのだから「いかにその喧嘩が深刻でないか」の証しである。夫婦喧嘩をしたから「正常な大学講師とは思えない」というのは名誉毀損であり、大学講師を神様だとでも思っているのか、相当に異常な決め付けである。
名誉毀損6「原告満留は過去に、尚史氏は最近、精神的不安定な状態にありました。私は原告二人が現在、正常な精神状態かと疑問をもちます」
 これなど名誉毀損の典型的な文章である。母は30代に更年期障害と料亭経営の忙しさのためにノイローゼ状態になり、それを機にある宗教に入信したが、それ以後は全く健康そのものである。私は鬱病(抑鬱性神経症)治療を15年以上続けているが、鬱病は別名「英雄病」とも言われ、知的レベルの高い完全主義性格の人間が強く自己呵責するために罹る病理である。また統計では3人に1人が鬱病予備軍と言われ、「心の風邪」とも呼ばれる。
名誉毀損で提訴された被告が、原告を精神異常者扱いするなど、織田氏の人格の下劣さを雄弁に示す一文である。
名誉毀損7「訴状には那田氏の社会的地位として多くの資料が添付されていますがこの内容を精査してください。私は現在の日本の映画制作技術水準に照らしてこの資料から価値を見つけることが出来ません」
 特に看過できないのがこの一文である。
織田氏は私の論文批評をただの一本も読んでいないのに、価値がないと断定している。偽証の上に名誉毀損を立証する文章である。
 私の論文批評は、日本映像学会会員しか購読できない「映像学」、および「映像学国際版(ICONICS)」、10数年前に廃刊になった「月刊イメージフォーラム」誌、またこの10年以上休刊している実験映像誌「Fs」に掲載したものが全体の99%を占めており、織田氏には絶対に入手できないものばかりである。
 さらにまた、私は前衛映像、実験映像のスペシャリストであり、アカデミックな教育を受けた映画研究者ですら理解不可能な特殊な領域を専門としており、元々街の写真屋さんである織田氏には、たとえ私の論文等を読んでも評価する能力はない。
 さらに織田氏は自分が写真やビデオ制作に携わっている関係から「現在の日本の映像制作水準に照らしてこの資料から価値をみつけることが出来ません」と述べているが、私の論文批評等を少しでも読んだものなら、このような的外れなことは書かない。なぜなら大学における映像教育は「研究者」と「制作者」が明確に分離されており、私は研究者だから「制作」には一切タッチしていないのである。従って私の論文批評等は全て理論と歴史の研究に限られている。
 織田氏は私の研究を全く読んでいないにも関わらず、価値がない、と決めつけている。良識ある人間にはとても書けない異常な文章である。
名誉毀損8・9「また那田氏は現在、早稲田大学で講義をしていません。東京工芸大学でも今年度の講義はなくなっています。その実態を彼の掲示板から推察できると私は考えます」
 文脈から現在私が早稲田大学で教えていない理由は、私に落ち度があったからだ、と受け取れる名誉毀損の文章である。
 これも織田氏の無知ゆえの記述であり、「非常勤講師は低賃金労働者なので基本的に3年以上連続して雇用してはならない」という規則を早稲田大学は守っているだけのことである。このことは私に講師依頼があった段階で伝えられており、私は早稲田大学第一文学部で3年、同第二文学部で3年、同理工学部で4年教え、最初の契約の通りに現在同大学での教職を離れているにすぎない。
 また「東京工芸大学でも今年の授業は無くなっています」との記述も偽証に基づく名誉毀損である。東京工芸大学芸術学部は経費節約のために本年度から大幅に教師の数を減らしたが、私の場合は昨年末の段階でいち早く口頭で講義依頼を受け、今年に入って正式文書で改めて講義依頼が届き私は承諾の書類を送っている(必要ならば証拠を提出する)。
 「名誉毀損7」といい、この記述と言い、織田氏は平然と嘘をつき、その嘘を根拠として私の名誉を毀損することを繰り返している。私はこれほど悪質な人間に出会ったことがない。
名誉毀損10「那田氏はなんども自分の講義が学生に好評であり名物講義だと自分の掲示板に掲示してきましたがこの掲示は那田氏の授業が学生に不評でありよい授業が出来ていないことを如実に証明しています」
 これは東京工芸大学で私の授業の学年末レポート提出者の中の一人を、私が掲示板で批判した文章を捉えて絡んでいるものである。昨年私は悪性の風邪で2度休講し、車で通勤中事故渋滞のため30分ほど遅刻した。それに対してある学生が「こっちは金を払っているのだから休むな。渋滞などいいわけにもならない」と書いたので、私は「病人に這って出ろというのか。事故渋滞で車が動かないのにどうやって大学に行けばいいのだ。相手の事情を理解せず自分の都合ばかり主張する人間は、表現者以前に人間として失格だ」との旨を書いた。これは当たり前の理屈を言ったまでで、教育者として当然の発言である。
 織田氏は私の授業が不評だと書いているが、明らかにこれは虚偽に基づく名誉毀損である。私の授業は東京工芸大厚木校舎では人気NO1であり、先輩から後輩へ「那田先生の授業だけは受けろ」と言い伝えられてきた名物授業である。(必要なら証拠を提出する)
名誉毀損11「また東京工芸大学では那田氏の講義を受講した留学生が受講後のレポートを一人も提出していないとも掲示しています。賢明な留学生が一人もレポートを提出しないのはどうしてでしょうか。彼らはこの講義を授業と認めていないのではないでしょうか」
 これもまた虚偽に基づく名誉毀損である。
私は「留学生の優れたレボートを見たことがない」と投稿したが、留学生が一人もレポートを提出しないとは書いていないし、またそのような事実もない。
 「賢明な留学生」というのは織田氏の無知に基づく思い込みにすぎない。留学生の99%は中国人か韓国人だが、アジアでは日本以外の国は「前衛映像」「アヴァンギャルド映像」を受容した歴史がないため(前衛芸術は文化爛熟期に生まれる)、留学生にとって私の授業は高度すぎて理解できない、というのが実態である。
 そういう事情も知らず、私の講義を「授業と認めていない」と記すのは、悪意以外の何物でもなく、明らかな名誉毀損である。
名誉毀損12「こらから日本の映像文化に大きく寄与するであろう学生が退廃した生活を送る那田氏の映画制作技能の伴わない講義を受けることを私は強く危惧するものであります」
 これも悪意に基づく名誉毀損であり、私の生活が退廃している事実の証明と、それを答弁書に書き記すことの公益性を証明していただきたい。
 また織田氏は自分が写真・ビデオの制作を手掛けているために「映画制作の技能を伴わない講義」と批判しているが、前述の通りこれは大学の授業システムを理解していない織田氏の無知と、異常なまでに自己中心的人格に由来する妄言である。
 
 本来「女郎屋投稿」の公益性と事実の真実性を証明すべき答弁書において、それらを無視し、このようにひたすら私の名誉を棄損し、平気で嘘をつく織田氏の「特異な人格」を裁判官殿はご確認頂きたい。
 さらに異常なことに、これほどに研究者・教育者としての私の名誉を棄損しながら、答弁書の終わりに「私は過去に那田氏の授業および研究を一度も批判したことが無いことを重ねて申しそえます」と書いているのである。この文章は常人の理解を超えている。
 同じ答弁書の冒頭部分でも、「女郎屋投稿」を詫びるどころか我が家が女郎屋であった旨を証拠も示さず重ねて主張した後に、「掲示目的(那田尚史注:女郎屋投稿をした目的)は専ら原告二人を中傷する目的ではありません」と記している。
 通常の人間には理解できない論理の破たんであり、織田氏は「嘘をつくことに対する良心の呵責」が完璧に欠如している。
(中略) 

名誉毀損13「大学講師の名誉はそれなりの行動が条件で保障されるものです。告訴直前に不利になる掲示を削除してもいたるところに破綻した生活が見えてきます。ふしだらな掲示をやめないと那田氏の将来は無いと私は心配しました」
 これも虚偽の上に虚偽を重ねた名誉毀損である。「破綻した生活」「ふしだらな掲示」というのは、前後の文脈から私がキャバクラで飲んだりコンパニオンを口説いたりしたことを示すと思われるが、私立大学非常勤講師は「私人」であり、私人である大学講師が違法行為でない限り何をしても自由のはずである。織田氏の指摘する理由で講師が大学を首になれば、当然不当解雇として大学側が敗訴だろう。織田氏は常識そのものが欠如している。
 「ふしだらな掲示をやめないと那田氏の将来は無いと心配しました」と、まるで織田氏は私に対して親心で注意をしたかのように書いているが、親心で「女郎屋の息子には大学講師の資格はない」と罵る人間がいるだろうか。これも完全に論理が破綻した言い訳、虚偽にすぎない。
名誉毀損14「那田氏を知る人が那田氏をどのように認識しているか彼の大学(那田尚史注:大学院の間違い)の学友の掲示を参考に添付いたします。(添付証拠乙4)」
 特にこの記述は悪質で、到底許すことが出来ない。
織田氏が添付しているのは私が早稲田大学大学院芸術学部演劇映画専修に所属していた時代の年下の友人・熊手敏之氏(テレビラジオ制作会社社長)が、ユーモラスに私を「ギャンブラー、女たらし、行動右翼」等々と私の管理する掲示板に投稿したものである。しかし、熊手氏は同時に「那田さんの立派なところは決して自分の能力を誇らないことです」「大学院時代の那田さんのようなディレクターがいてくれれば鬼に金棒なのですが」等々の投稿をしており、織田氏以外の常連投稿者および読者は、当該投稿は熊手氏が冗談と愛嬌で書いていることを充分に理解している(常連投稿者・居田伊佐雄氏の証言甲第13号証の3頁を参照のこと)。織田氏はその前後の文脈を無視して、私をからかった部分のみを取り出し私の名誉を棄損するために裁判所に提出したわけである。
 尚、この事実を知った熊手氏は激怒し、平成20年4月22日裁判官あてに陳述書(甲第5証)を提出し、私に「証言が必要なら福岡から八王子までいつでも出かけます(熊手氏は福岡市在住)」と私に電話をくれた。
 織田氏の意図がどれだけ卑劣なものか、熊手氏の陳述書の一部を引用する。
「熊手の掲示板投稿文が悪意をもって引用され、当該裁判被告によって犯罪行為に悪用された事実を知り、非常な悲しさと憤りを感じました。他人の文章の一部のみを曲解し、那田氏を誹謗中傷したばかりでなく、那田氏の母上を脅迫している事実を知りました。(略)ここに那田氏の名誉と、那田・熊手の友情により、真実の究明を強く願い陳述書を作成いたしました」
 
{母を脅迫した事実証明}
今年の3月15日(第3回目の審理の10日前)、織田氏は88歳の高齢で一人暮らしをしている私の母のもとに何の前触れもなく突然乗り込み、脅迫したうえに提訴を取り下げようとした。
 この犯罪に対する精緻な解説は織田氏が私を提訴した訴状(甲第6号証)に対する私の答弁書(平成20年(ワ)第455号)(甲第7号証)で行っているのでそちらを参照して頂きたい。ここではその要点部分のみを引用する。なお、( )内の数字は、織田氏が証拠として松山地裁に提出したその会話の秘密録音(甲第8号証)の冒頭からの経過時刻である。例えば(00:11:40)は、録音開始後11分40秒後の発言という意味である。
�@織田氏の母への脅迫発言
(00:8:00) 「温泉でノーマルコンパニオンを口説いた」と私自身が自分の掲示板に書いた部分のコピーを織田氏が読み上げ、「こんなことは大学教師がするべきではない」という不思議な理屈を述べた後、
(00:11:40)「週刊誌が書きますよ」と発言。
(00:13:40)「週刊誌が書いたら思春期の娘もいるのに家庭が崩壊するでしょ」と発言。
(00:22:35)「私が(息子さんを)陥れるつもりなら、週刊誌に売りますよ。(そんなことになったら)奥さんと子供二人が困るでしょう」と発言。
(00:25:22)「大学や掲示板で創価学会を批判するのをやめろ」と発言。(織田氏は同趣旨の発言を繰り返しているが、これは思想信条表現の自由という憲法の精神に反する異常な見解である)
(00:27:16)「そんなことをしていると学会から妨害が入ります」と発言。(創価学会・公明党が政治権力を握っている現在、この発言も脅迫である)
(00:50:08)「大学で池田大作を批判してはいけない」と重ねて発言。
(00:51:55)「それを大学が知れば首になる」と発言。
  (中略)
以下には訴状に書いた八木一仁の犯罪行為の部分をコピーします。

{八木氏が母に発言した重大な名誉毀損の事実証明}
 そもそも織田氏が「女郎屋投稿」をして私たち親子に訴えられ慰謝料を支払うよう命じられた「平成19年(ワ)第2898号」の発端は、八木氏が私にも母にも断りなく、わざわざ静岡から愛媛の私の母のもとを訪れてインタビュービデオ(甲第16号証)を撮影したのがきっかけである(その際、八木氏は松山在住の織田氏に先ず会い、その後母のもとを訪れている。なんらかの共謀があったと考えるのが自然である)。
 八木氏がいつ母にインタビューしたかは記録媒体に日時が明記されていないため不正確だが8月下旬から9月上旬の間であることは間違いない。そのインタビューの中で母が「芸は売っても体は売らない高級料亭だった」と証言しているにもかかわらず、そのDVDを見た織田氏は「女郎屋」と投稿したために裁判になったわけだが、八木氏も自らインタビューして我が家が高級料亭であったことを確認しながら「女郎屋と言ってどこが悪いのか。それなりの根拠がある」と私にメールしているのである。
 しかもこの時八木氏は撮影後、母に向かって「あなたは満州で慰安婦をしていただろう」との暴言を吐いている。これは悪質な名誉毀損であり、到底許すことが出来ない。以下その証拠を示す。
1、母が「平成19年(ワ)第2898号」の最終審理前に提出した「陳述書」(平成20年4月22日作成)(甲第17号証)には以下のように書かれている。
(以下引用開始)
 平成19年の夏ごろ、突然、八木さんと言う男性が「私は那田君と知り合いですが、お母さんとの会話を見せたら喜びますよ」と言って、家を訪ねてきました。
 私は、「息子と知り合い」という言葉を信用して、八木さんを家に上がらせ、ビデオの前に座りました。
 最初は、満州の戦後の状況などを聞きますので、私は、記憶を辿りながら、見たとおり感じたとおりのことを素直に答えていました。この人は歴史関係者かな、ぐらいに思っておりました。
 ところが、話が進んでしばらくした後、八木さんは、急に血相まで変わって、私に対して「満州で慰安婦をしていただろう?」と質問をしてきました。私が「看護婦見習いをしていた」と答えると、嘘をつくな、という顔をして、「堅い仕事をしていたのなら、何故水商売を始めたのか?」と詰問してきました。
 私は八木さんは、なぜ因縁をつけてくるのだろうと不快な気持で、帰るのをじっとまっていました。 
(以上引用終わり)(なお、母が直筆で当時の事実をメモした文書を(甲第18号証)として提出する) 
 以上の通り、子供にでもわかる丁寧な文章で犯罪の事実を書いているのにもかかわらず、この訴状を読んだ飯塚宏裁判官は次のような質問状を寄こした。
 以下に示すのはその質問状をスキャンしてOCR認識させたものである。
平成20年(ワ)第2201号損害賠償請求事件
原告那田尚史ほか1名
被告織田高敏ほか1名
連絡書
平成20年9月18日
那田尚史殿
 
東京地方裁判所八王子支部民事第1部2A係
裁判所書記官森田育生
電話042(642)5195(内線254)
FAXO42(644)1499
 
(中略)
 
(以下は,担当裁判官からです。)
7被告らの不法行為の内容の特定
(1)原告那田尚史さんの被告両名に対する請求
ア 原告が主張する被告織田の名誉殿損行為は,前訴で被告織田が裁判所に提出した答弁書(甲3)及び答弁書(追加1)(甲4)における,本件訴状請求原因記載の名誉毅損行為1ないし14に限るということでよろしいですか。
イ 上記アと関連し,本件訴状中,「名誉殿損」と「偽証」とを区別する法的意味は何でしょうか。
ウ 「名誉駿損8・9」(訴状9頁19行目)は,どのような理由で分けているのか(名誉殿損行為が二つあるということでしょうか。)
エ 各名誉殿損行為において,被告織田が摘示した,原告那田尚史さんの社会的評価を低下させる「事実」とは何ですか。
オ 上記名誉殿損行為の関係で被告八木を共同不法行為の相手方とする根拠は何ですか。
 
(2)
原告那田満留さんは,被告八木が「慰安婦をしていたでしょう。」と軍属のプライドを引き裂く暴言を吐き名誉を殴損した旨,主張するが,被告八木の同発言が原告那田満留に対してのみされたとすると,被告八木の行為が名誉殿損に当たるとするのはいかなる理由ですか
  トウキョウチサイハチオウジ'シフ"ミンジ1
 読者の皆さん、どう思われますか?
(1)のエとオ、そして(2)はチンピラの言いがかりです。
 それで私は以下のような回答文を書きました。
飯塚宏裁判官の質問に対する回答
 
(1)アの質問:「原告が主張する被告織田の名誉棄損行為は、前訴で被告織田が裁判所に提出した答弁書(甲3)及び答弁書(甲4)における、本件訴状請求原因記載の名誉毀損行為1ないし14に限るということでよろしいですか。
 
回答:質問の後半部分の意味が分かりませんが、訴状に明記しているとおり、答弁書における名誉毀損が14か所、および23頁に{判決後すら全く反省心がなく現在でも名誉毀損と挑発を繰り返していること}の項に明記しているとおり、青字で示したメール内容も当然名誉毀損です。判決直後のメールに「あなたの家が女郎屋だったことは掲示板投稿者が誰でも知っており、あなたは陰で笑われている」と書いているのですから、何のために裁判をしたのか意味がありません。慰謝料を払うようとの判決の出た名誉毀損投稿を再度繰り返しています。(また判決後5カ月も経つのに未だに慰謝料を払っておらず、支払い計画書も提出しておりません。実に悪質です)
 
イの質問:上記アと関連し、本件訴状中、「名誉毀損」と「偽証」を区別する法的意味は何でしょうか?
 
回答:当たり前のことですが、名誉毀損は私たち親子への名誉毀損であり、偽証は明記しているとおり裁判官に対して虚偽の事実を述べた行為です。被告織田の悪質性を証明し、織田氏の発言が信用できないことの補強資料です。
 
ウの質問:「「名誉毀損8・9」(訴状9頁 19行目)は、どのような理由で分けているのか(名誉棄損行為が二つあるということでしょうか)
 
回答:訴状の9〜10頁に明記してあります。よくお読みください。当然名誉毀損行為が二つあります。
 
エの質問:各名誉毀損行為において、被告織田が摘示しした。原告那田尚史さんへの社会的評価を低下させる「事実」とは何ですか。
 
回答:各名誉毀損行為の事実を示した部分ごとに、子供にでもわかるように易しく書いてあります。読みなおしてください。
 
オの質問:上記名誉毀損行為の関係で被告八木を共同不法行為の相手方とする根拠は何ですか。
 
回答:訴状28頁「(2)八木氏の犯罪行為」以下の文章に、子供にでもわかるように明記しています。飯塚裁判官はまともにこの訴状を読んだのですか?貴殿のリテラシー(文章読解能力)を疑います。
 
(2)原告那田満留さんは、被告八木が「慰安婦をしていたでしょう。」と軍属のプライドを引き裂く暴言を吐き名誉を棄損した旨、主張するが、被告八木の同発言が原告那田満留に対してのみされたとすると、被告八木の行為が名誉棄損に当たるとするのはいかなる理由ですか。
 
回答:飯塚裁判官の質問は、普通に読めばトートロジー(同語反復)で、意味値がゼロです。例えば「あなたはカラスが黒い旨証明していますが、なぜカラスは黒いのですか?」と聞くのと同じぐらい馬鹿げた質問です。
飯塚裁判官がなぜこのような意味のない質問をするのか考えてみましたが、もしかすると「名誉毀損における公然性の定義」を念頭に置いているのではないかと推察します。
私は当初、織田・八木両被告のために、「答弁書、メール、対面での名誉毀損など、密室の場での名誉毀損行為でもそれが犯罪として成立する理由」を当該訴状に書こうと思いましたが、ただでさえ長い訴状がさらに長くなるのと、裁判官には「釈迦に説法」で、言うまでもないことなので敢えて省略したという経緯があります。
飯塚裁判官の質問の行間を推察すると、あたかも「一対一の面談の場における名誉毀損発言は、第三者が聞いておらず、よって公然性がないので、名誉毀損の罪に当たらない」との判断があるとしか思えません。または、公然性の定義を本当は知っていながら、「私に絡んでいる」か、いずれかでしょう。
私は芸術研究者であり法律に関しては門外漢ですが、訴状を提出するに当たって法律書の数冊は当然読んでおり、「民事事件における名誉毀損の公然性の定義」ぐらいのことは当然知っております。司法試験に合格した裁判官がこの程度のことを知らないということは考えられないので、飯塚裁判官は私に絡んでいると思えますが、念のために次ページに法的根拠を引用しておきましょう。
結論から言えば、第三者がいない一対一の場面においてAがBを名誉棄損したとしても、名誉毀損の罪は成立するのであり、これを「伝播可能性の理論」といいます。少なくとも司法試験に受かっているなら、これぐらいのことは誰でも知っているはずです。
以下、資料を二つ示します(下線部をお読みなさい

 
 以上の通りです。
 以上、飯塚裁判官、理解できましたか?
 
 なお、私はまさか飯塚裁判官のような愚かな質問をぶつけてくる裁判官に当たるとは想像しなかったので、あえて証拠として提出しませんでしたが、八木被告が私の母に対して「慰安婦だっただろう」と侮辱したことは、私の管理するHPの掲示板ですでに公表済みです。
  従って私は飯塚君に次の二点を要求します。
 1、立証した通り、貴殿にはこの訴訟を裁く資格はない。よってこの訴訟の担当裁判官から離れよ。
 2、同時に、このような悪意に満ちた質問状を私に送ったことの真意を説明せよ。
  微笑禅の会代表として、飯塚君にアドバイスしましょう。
これからは「自分ほど愚かな人間はいない。自分はゾウリムシ以下のくだらない人間だ」と自己を否定し、歩くときには土踏まずの下に「飯塚宏」という名前を置いて、それを踏み付けて歩く癖をつけなさい。私が見性(悟り)を得たのも、同じ修行を数年続けたからです。ひょっとすると君も悟るかも知れませんよ。

 飯塚君、本当に怖い人間とはどういう人間か分かりますか?
私はヤクザも右翼も少しも怖くありません。本当に怖いのは「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ、ただ菩薩として世のため人のために行動する」人間です。まさしく君と正反対の人間です。
 私もまた自分の命はとっくに天地に預けているので、いつ死んでもいい、創価学会でも何でもいいから誰か私を殺しに来い、と常に思っています。正義のために殺されたとすれば、これぞ男子の本懐であり、死んで霊山浄土に行けば、釈迦と日蓮が私を上座に座らせて祝福の酒をついでくれることでしょう。
 幕末にはそういう志を持った志士が輩出し、彼らのおかげで日本は欧米の植民地になることなく維新に成功することが出来ました。京都の護国神社に行くと、土佐、長州、戸津川村の郷士らを中心とした1356柱の志士達の魂が眠っています。彼らの死体の上に現在の日本が存在しているのです。
 志士とは自分の命を捨てて国家のために行動する人間のことであり、今でもそういう人間がいる、という事実を飯塚君は心に強く留めておきなさい。
 これだけ話せば、君でも少しは私が言わんとすることがわかるでしょう。
本当は我が家に君を呼び付け、土下座させようと思いましたが、武士の情けで文書での謝罪で済ませてあげます。 繰り返しますが、私が君に要求するのは
 1、立証した通り、貴殿にはこの訴訟を裁く資格はない。よってこの訴訟の担当裁判官から離れよ。
2、同時に、このような悪意に満ちた質問状を私に送ったことの真意を説明せよ。

の二点です。
なお、君の質問状は公的文書なのですから、その質問状と私の回答は私の管理するHPに掲載し公表します。君に後ろめたい点がなければなんら困ることはない筈ですね。
もし君に誠実な態度が見えない時は、私は命を捨てて行動します。
もちろん暴力などは振るいません。君を裁判官弾劾裁判にかけます。
私は口先だけの人間ではありません。以下に私の活動例を一つ示します。よく読んで、最良の行動をお取り下さい。
 私の呼びかけに賛同して「訴追請求状」を出した人間は軽く100人を超えているでしょう。維新政党新風・副代表の瀬戸弘幸氏のブログ「日本よ何処へ」への一日のアクセス数は約一万人、私のHPへのアクセスが一日に二百から三百人です。これらのサイトにアクセスしてくるのは日本の将来を憂う「日本精神」を抱く人々ばかりです。
 飯塚君が一刻も早く真人間となり、名裁判官と言われるような人物になることを祈ってこれにて筆を置きます。
 
                     平成20年9月21日 那田尚史


 そして以下にはno.88 創価学会に魂を売った裁判官を罷免すると同時に、故朝木明代さん謀殺事件を解明するためのとっておきの秘策を公開する(2008.9.13)を貼り付けておきました。
皆さん、どう思われますか?この裁判官は何の目的であのような質問状を私に送ったのでしょう。
ご感想は当HPの掲示板、あるいは私へのメールでお聞かせください。
一応東京地裁八王子支部への連絡先を下に記しておきます。飯塚裁判官に言いたいことがある人は参考にして下さい。

fax:042−644−1499
〒192−8516 東京都八王子市明神町4-21-1 東京地裁八王子支部 
2008年10月24日午後2時、東京地裁八王子支部において上記訴訟の第一回目の口頭弁論が開かれた。
 
民事裁判の慣習ととして、第一回目は顔合わせ程度である。もちろん織田も八木も出廷ていない。
 それで裁判に関しては1分足らずで終わった。
但し、25分間私は飯塚宏裁判官を睨みつけて説教した。
結論から言えば飯塚氏が「特定の組織に肩を持つようなことはありません」、「伝播可能性の法理を否定するものではありません」と釈明したので、「なら、なぜあのようなチンピラの言いがかりのような質問状を送ったのか」と詰問すると、飯塚は「申し訳ありませんでした」と頭を下げたので、それ以上は追及しないでおいた。
途中、「お前は何歳か」と聞くと飯塚は「なぜその質問に答えねばならないのですか」と言い返してきたので、「裁判官が年を答えなくてもいいという法的根拠を示せ」というと「ありません」というから、「だったら年を言え、俺は52歳だ」というと「昭和34年生まれです」と答える場面もあった。
私は25分の間、様々な説教をしたが、それはまあ省略しよう。
飯島の顔を見て、私の他心通が本物だったことを確信した。上に書いているとおり、
と思い、あのようなふざけた質問状を書いたのは間違いない。そういう人相をしていた。
ちなみに法廷には二人の傍聴人がいた。司法研修生だと思うが、多分「こんな怖い思いをするなら裁判官になるのはやめよう」と思っただろう。

第二回目の口頭弁論は11月21日午前11時30分から始まる。面白いお芝居が見られるので、暇な人は傍聴しに来て下さい。

引用自由



集団ストーカーを本人訴訟したその後の結末

2020年10月20日 | 宗教

集団ストーカーの被害者の方は次のurlを押してください。http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531


http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html に最新の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日にの8時から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。手前のテーブルの場合もあります。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたので(現実には飲めても飲めなくても3千円になっています)。春名先生の講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。医療だけでなく歴史や芸術についても講義できるようになりました。私は八王子五行歌会の代表です。賛同される方は私まで電話を下さい。042-634-9230。出ないときは留守電にメッセージを残して下さい。生死とは何か、善悪とは何か、魂や神仏は存在するか、等々本来は宗教者や科学者が総出で考えるべきことを、飲み食いしながら3千円で話し合えるのは「春名先生を囲む会」だけです。このブログ方も是非賛同者になって下さい。先月のテーマは「キューバと社会主義」でした。もしあるとすれば次のテーマは「死後の魂です」このブログをご覧の皆様も是非賛同者になって下さい。
私が微笑禅の会(非宗教)を作ったのは日本に10人の見性者が生まれ、10人が協力し合えば世直しが出来ると思ったからです。(ちょうど日本に10人の坂本龍馬が居たら世直しが出来るように)
今後、微笑禅の会(非宗教)のネット会報は中止し、年に5千円の護持会費と数度の紙媒体での会報を出すことにします(メールで済ますこともあります)。私がロックフェラーほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。
 http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html  入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp (クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)なお、微笑禅の会の口座番号に変更があります。入会手続き入会金なし。会費は年に5千円とし、ゆうちょの以下の振替口座 00130-7-447671 名称「微笑禅の会」に振り込んでください。その際は住所氏名他連絡先、男女の区別を明記してください。退会は自由ですので、私にメールか電話をください。

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この裁判の経緯は全てに番号が残っているので、私が本人訴訟で集団ストーカーを最高裁まで追い詰めた結果、僅か3行判決がでた不当さについて調べたい志のある弁護士や法律学者は全てを調べることが出来る。

一回目の法廷について述べたことは分かりにくいので解説する。
集団ストーカーの言いがかりが酔っ払いのようにくだらない揚げ足取りと中傷なら、一審の飯塚宏裁判官の質問状も同じく酔っ払いの言いがかりだった。

普通、明らかな名誉棄損を被った原告に対して質問状などでない。これは1には飯塚宏が創価シンパだったか、2には素人が書いた本人訴訟にケチを付けたい心情の表れかのどちらかに間違いない。

面白いことがあったので解説しよう。
私が原告に対しこのような愚かな質問状を浴びせると、悪党を訴えることが出来なくなる。飯塚宏がまともな裁判官なら母親に対して謝罪しなさい、と言うと、(私は横を向いてみていなかったが)、母親が後で言うには、テーブルに頭をこすりつけるようにして謝罪したらしい。「まるで歌舞伎か映画を見ているようだった」と言われた。
 織田が母の店を女郎屋と言ったり、八木が「助役の娘にして軍属証明を持っている母親を、従軍慰安婦だったのでしょう」と言ったのは、あからさまな名誉棄損だが、織田は頭がおかしいので秘密録音したテープにその証拠を残しているものの、八木が母を従軍慰安婦と罵った行為は証拠が残っていない。
 だから私は飯塚裁判官に向かい「貴方は伝播可能性の法理を否定しますか?」と聞いた。
 これは法律解釈学という分野に当たり、法律学者の間では種々の説がある。
 が、これを認めないとどういうことになるか想像すれば分かる。

例えばある女性に対し、誰も聞いていない場所で通りすがりに毎回、「お前を殺す」「お前をレイプする」「お前は売春婦だったのだろう」と罵倒し、名誉を傷つけ、脅迫しても無罪という結果に終わる。

それを救済するために、その女性が親しくしている友達に涙を浮かべてこれこれこれこういうことを言われた、と事実を伝播すると、それが他の状況証拠を照らし合わせて、第三者がその場で聞いていなくて「有罪」が決定できるという法理である。

飯塚はその法理を認めます、と言った。私は、親族だと信憑性が薄くなるので、お得意さんの他人に証言書を書いてもらうようにアドバイスしていた。
しかし、その証言書もみず、私が掲示板でその事実を周知したことを持って「伝播可能性を認めることはできない」との判断を下した。まさに結論が先に出来ている八百長裁判だった。

また、母の住む隣町の創価学会青年部を名乗る男3人が母の経営するブティックに来て「創価学会を奪回させている張本人はお前か」と3度にわたり脅迫したことは、家の前に住む、元警察官が現認書(証言書)を提出していた。しかも一人の名前は山本と言った。その事実審理も一切なかった。
事実審理は一審でなされるので、これらを見ると八百長裁判だと言っていい。

更に、一審二審を通して、母は郷里愛媛から店を閉めて全て出廷しているのに、静岡に住む八木も松山に住む織田も、最後まで出廷せず、電話裁判で済ませた。この事実を書記官に聞くと「普通は、原告の言い分を認めたことになるので原告に有利な判決が出ます」とのことだったが、結果は逆だった。

私が舌鋒鋭く飯塚裁判官を責めたので、二度目の公判は怖くなったのだろう、裁判官が4人に増えた。しかも、一か月後の法廷だったはずが、勝手に2か月後に延期されていた。私と母親が二人同時に聞き間違えるわけがない。その2か月間にどのような密室談義がされたのかは想像がつく。

ちなみに、確か東村山市議だった朝木さん殺人疑惑問題に絡めて、私が瀬戸弘幸さんの名前を出すと、飯塚があからさまに恐怖に満ちた顔に変わったことをよく覚えている。(瀬戸さんは逢えば紳士で国会記者倶楽部の肩書を持っているが、ヤクザと日本刀で決闘になりヤクザに重傷を負わせ、公務員を辞任したことは司法関係者の間でも知られているのだろう)

ちなみに私はここで暴力を肯定するつもりはないが、心の師である山本玄峰が、血盟団事件の特別参考人になり、「たとえ善人と言われても、国家に悪事をなす人間を殺していいと仏は説く」と啖呵を切った事実を尊敬している。また、いつもブログに書き、高知の親友松岡には注意されるが、「大化の改心と赤穂浪士の討ち入りと、桜田門外の変は、全て要人テロであり、それを暴力だからと言って批判する歴史学者は一人もいない」

間を飛ばし、高裁に移ると明らかに創価シンパと思われる裁判官が壇上からガンを飛ばし、事実審理は全て終わったので後は最高裁の判決を待ちなさい」と言った。

ふざけたことに私は最高裁に甚平で出かけ、開廷の直前まで缶ビールを飲んでいた。知り合いの(後日戒告処分になる弁護士が)、その恰好が裁判官の心象を悪くしたのではないですか、と言ったが、裁判官の心象は服装や態度のことではなく、証拠の信憑性を示すのが常識である。

事実審理は終わっているので(実際は何の審理もなかったが)、最高裁は憲法と判例だけで決着する。その文書を造ろうとすると、激しい(電磁波攻撃)頭の痛みと、パソコンの誤作動がが続いたので、私は母を連れてタクシーに乗り、途中で法律専門書を扱う本屋で判例集を買い、八王子の南口にあるホテルで母と一緒に酒を飲み、寝る前に必要な場所に付箋を貼り、翌日、数時間で最高裁に提出する文書を書き終え、愛車を飛ばして締め切り直前に提出した。

結果は僅か3行判決で敗訴となった。これで勝ったと思い損害賠償金を取ろうとしたのだろう。全く同じ内容で、織田が松山地裁に原告として私を相手に行った損害賠償訴訟では簡単に返り討ちにした。

それも法理解釈学が散りばめられ、松山地裁の裁判官が何も調べなくても、噛んで言い含めるような準備書面だった。それを裁判同時進行中継で公開したところ、居田伊佐雄さんが、「筒井康隆の前衛小説に似た内容なので、小説にするといいですよ」と言ったのを覚えている。

松山地裁でも織田は、私が酒を飲んだとか、キャバクラで遊んだとか、石和でコンパニオンと遊んだとか、人妻と付き合っているとか、損害賠償と関係の話ばかり出して絡んでくるので、私は松山地裁に電話を掛けて、事情を説明しましょうか?と聞いたところ、地裁のほうが「ああいう男の絡みにイチイチ答える必要はありません。損害賠償裁判と何の関係も在りませんから。今回はとんでもない男に絡まれて大変でしたね」と松山地裁では、織田の態度の呆れて相手にするのも嫌になっていることが判った。

集団ストーカーを本人訴訟で訴え、東京では納得のいかない経緯に満ちた敗訴だったが、全く同じ内容で松山では勝訴した。これだけ見ても、裁判がいかに法律に則らず、公平性を書き、ただ操体革命の元での判決と、その影響を受けていない地域での判決との間では正反対の結論が出ることがよくわかる。

途中、省略した話が数多くあるが、とりあえず、本人訴訟で集団ストーカーを追い詰めるという前代未聞の行動を実践した話はここで筆をおくことにする。(全てのやり取りは私の部屋に残っているので、心ある法律学者には喜んで資料をお見せする)

何時もの通り、この文章も引用自由。




「創価学会批判の要諦」再録

2020年10月18日 | 宗教

集団ストーカーの被害者の方は次のurlを押してください。http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531


http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html に最新の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日にの8時から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。手前のテーブルの場合もあります。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたので(現実には飲めても飲めなくても3千円になっています)。春名先生の講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。医療だけでなく歴史や芸術についても講義できるようになりました。私は八王子五行歌会の代表です。賛同される方は私まで電話を下さい。042-634-9230。出ないときは留守電にメッセージを残して下さい。生死とは何か、善悪とは何か、魂や神仏は存在するか、等々本来は宗教者や科学者が総出で考えるべきことを、飲み食いしながら3千円で話し合えるのは「春名先生を囲む会」だけです。このブログ方も是非賛同者になって下さい。先月のテーマは「キューバと社会主義」でした。もしあるとすれば次のテーマは「死後の魂です」このブログをご覧の皆様も是非賛同者になって下さい。
私が微笑禅の会(非宗教)を作ったのは日本に10人の見性者が生まれ、10人が協力し合えば世直しが出来ると思ったからです。(ちょうど日本に10人の坂本龍馬が居たら世直しが出来るように)
今後、微笑禅の会(非宗教)のネット会報は中止し、年に5千円の護持会費と数度の紙媒体での会報を出すことにします(メールで済ますこともあります)。私がロックフェラーほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。
 http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html  入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp (クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)なお、微笑禅の会の口座番号に変更があります。入会手続き入会金なし。会費は年に5千円とし、ゆうちょの以下の振替口座 00130-7-447671 名称「微笑禅の会」に振り込んでください。その際は住所氏名他連絡先、男女の区別を明記してください。退会は自由ですので、私にメールか電話をください。

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創価学会批判の要諦

1、宗教法人としての資格

創価学会は本来、鎌倉時代から続く宗教法人日蓮正宗の信徒団体であったにもかかわらず、別途に宗教法人として独立していった。この奇妙な形態が生まれたのは先代の会長戸田城聖が、「これからドンドン折伏活動を進めていきます。そうすると国家からの弾圧などが起きるでしょう。そのときに宗門外護の役割を創価学会がになうために、防波堤として創価学会を宗教法人にさせてください」と宗門にお願いしたからである。
 当然宗門からは反対意見が噴出したが、時の法主・日達師が次の条件を挙げて許可を下した。

(1)折伏した人は信徒として末寺に所属させること。
(2)当山(日蓮正宗総本山)の教義を守ること
(3)三宝(さんぼう=仏法僧)を守ること。

 この条件を守るという前提で、宗教法人創価学会が生まれたのである。
ところが、池田大作はいわゆる52年路線によって、日蓮正宗を創価学会の下部組織に置こうとし、日顕師によって破門を受けた。
 もとより、創価学会には日蓮正宗を離れた教義も本尊も無い上に、上記の約束の上で許可を得た宗教法人である。従って、創価学会は、一度宗教法人として解散し、新たに教義と本尊を立てて宗教法人化するのが本来の筋である。
 現在の宗教法人創価学会は、成立時の事情に照らして見れば、インチキ宗教法人といわざるをえない。


2、本尊問題

創価学会が公称1000万人、実際は400万人の日本最大級の信者を獲得したのは、日蓮正宗の本尊=弘安二年の大曼荼羅(板曼荼羅)こそが、日蓮出世の本懐であり、これに祈れば癌も治り、貧乏人も大金持ちになる、まさしく「幸福製造機である」(戸田城聖)と宣伝してまわったからだ。
 創価学会員の信仰生活の基盤とは、この板曼荼羅を元にして代々の法主が書写した個人授与の曼荼羅に向かい、題目を唱えながら自分の願望を祈念して実現する、という点にかかっている。徹底的な現世利益の追求と、祈祷にその本質があり、かなり密教的な性格を持つ宗教である。無宗教者や他宗派の人間には想像しがたいかもしれないが、この曼荼羅を粗末にすると罰が当たると教えられ、自分の命よりも大事にする、というのが信者の心得である。
 ところが、現在宗門から破門を受けた創価学会にはこの板曼荼羅のコピー本尊がもらえない。そこで現在どうしているかというと、池田大作は、「火事にあえば燃えてしまう本尊などただのモノです」と発言した上で、(創価学会は日蓮正宗の代々の法主を罵倒しているにも関わらず)、江戸時代の日蓮正宗の法主・日寛師の書写した本尊を一部改竄した上で、ビニールに印刷して会員に配っているのである。
 本来本尊書写は時の法主にしか許されない行為であり、ただ紙に文字を書くのと違い、一つ一つの本尊には魂を入れる入魂の祈祷がされる。それを省略したビニールを拝んでも何の功徳もないことぐらいは誰にでも分かるはずだ。まともな信仰をしていた学会員の多くは、この偽本尊の配布の時点で脱会している。現在残っているのは、教義も本尊観も理解できない、かなり程度の低い人々ばかりである。

ところで、弘安二年の板曼荼羅だが、これは日蓮研究者の間では「偽物」と評価が定まっている。この本尊について言及された文献が最初に登場するのは江戸時代。また筆跡鑑定の上からも偽者と断定されている。
 従って、現在創価学会員が拝んでいる本尊というのは「偽物を元にコピーした本尊をさらに偽造した上に、入魂式も済ませないで機械印刷したただのビニール」ということになる。
 こんなものを拝んで功徳があるのなら、漫画家が描いた日蓮の似顔絵を拝んでも功徳があることになるだろう。馬鹿げた行為である。創価学会の教義上の最大の弱点は、このビニール本尊の無意味さに集約されているといってよい。


3、職業信者の存在

52年路線というのは、本来日蓮正宗の信徒団体であった創価学会が、日蓮正宗の僧侶が邪魔になり、この僧侶集団を自分達の下部組織にとりこもうとした陰謀であった。
 結局、池田大作の野望から生まれたものであり、池田がどんなにお金を集め、信者を増やし、カリスマになっても、宗門が存在する限り、彼は所詮「一信徒」の地位にとどまり、教義上の問題は法主に指導を受けざるをえず、また折角儲けたお金も布施という形で宗門に一部を渡さざるを得ないことへの反発だった。
 そこで池田大作は徐々に僧侶批判を進め、聖教新聞などを使って、「坊主は折伏もせずに贅沢三昧の生活をしている」とか「坊主は夜になるとカツラを被って酒を飲みに出ている」といった陰湿な噂を流し、創価学会員の心を僧侶から離反させるという陰謀を企てた。
 そして結局、日顕師から創価学会丸ごと破門、という形になり、現在創価学会には目の上のタンコブであった僧侶はいなくなった。
 その結果なにが残った方というと、皮肉なことに「お布施を出す貧乏信者」と「お布施で暮らす職業信者」に分裂したのである。なんのことはない、僧侶を追い出した代わりに、俗世の埃にまみれた在家のプロ信者が生まれただけである。
 このプロ信者は、学会職員、学会外郭企業の社員などで構成されている(本部職員三千人を始め公明党議員四千人弱、 聖教新聞店主、 大学・学園、 潮出版、 日本図書輸送、 信濃施設管理、 東西哲学書院、 富士白蓮社、 報恩社、 シナノ企画 など)。400万人の創価学会員のお布施で飯を食っている数万人のプロの信者がいるわけだ。400万人の創価学会員は、愚かは愚かなりに、一応の信仰心は持っているが、プロの信者は性質が悪い。あるいは池田大作を軽蔑し、また板曼荼羅が偽物であることも知りながら、自分の生活のために400万人の信者を騙し続けているといってよい。
 こんなことになるなら、少なくとも「出家」という形態をとった僧侶を、在家がお布施で支えるというノーマルな関係のままであったほうが、どれだけ良かったか分からない。
 同じ信者でありながら、宗教で飯を食う、という変態的な存在の誕生。これは信仰の本義に照らしても邪義邪道の存在と断定して良い。


4、暴力団との癒着と犯罪行為

創価学会が広域暴力団山口組系後藤組と連携関係にあるのは周知の事実である。
 事の発端は、創価学会が富士宮市に霊園を造ろうとしたとき、住民の間で反対運動が起こり、また市議会もこれを問題として百条委員会を設置した。それを打ち破るために創価学会は後藤組に依頼して、建設反対派のリーダーの腕を日本刀で切り落とし(被害者は後に死亡)、百条委員会も市議を恫喝することで潰してしまった。この経緯は、後藤組組長本人が創価学会と当時の公明党委員長竹入氏あてに出した「内容証明」(脅迫状)が残っているから、全ては事実である。

 さらに、有名な東村山市市議の朝木明代謀殺事件がある。
これは創価学会の牙城として知られ、公明党が強い東村山市で、創価・公明党批判を続ける朝木市議が突然マンションから転落して死亡した事件で、マスコミも大々的に報道した。
 創価学会は「万引きを苦にしての自殺」と盛んに報道したが、万引きをしたと主張する洋服店の経営者は創価学会員であった。
 さらに、朝木市議の遺族は、これを殺人事件として捜査を依頼したが、それに協力した検察の二名がまたもや創価学会員であり、遺族は敵に応援を依頼する、というやり切れない陰謀に巻き込まれてしまったのである。
 この検察の陰謀で死体の司法解剖所見は昨年まで未公開だったが、今は明らかになっている。それによると、「両方の二の腕に強く掴まれたときに出来る青あざがあった」ことが示され、これにより、自殺説は完全に否定され、殺人説が確定したのだが、驚くべきことに、この事実を日本のマスコミは全く取り上げないばかりか、東村山警察署が殺人対策本部を置いているという話も聞かない。まさに闇から闇に葬り去られようとしている事件である。

さらに、故伊丹十三映画監督の自殺も創価学会による暗殺ではなかったかという噂も根強い。
 伊丹監督は「ミンボーの女」で組織暴力団を批判したが、その伊丹監督の顔をカッターナイフで切りつけたのが、創価学会と癒着関係にある後藤組の組員であった。
 伊丹監督は「愛人がいた」というスクープ記事が出るのを恐れ、「ワープロ」に、死んで身の潔白を証明する、と書いて、ビルの屋上から自殺した、とされている。
 ところが、信頼できる筋からの情報によると、伊丹監督の次回作は創価学会の不正を暴く作品だったという。ウィキペディア百科事典すら次のように書いているほどだ。

 1997年12月20日、写真週刊誌「フラッシュ」により不倫疑惑が取り沙汰されたことに対して「死を以って潔白を証明する」との遺書を残し、伊丹プロダクションのある東京麻布のマンションから投身自殺を遂げた。しかしながら、他殺とされる見解も非常に多い。それは不倫疑惑について週刊誌の記者からインタビューを受けた際に「妻に聞いてみればいいよ」と笑いながら、全く意にも関せず「いつものことだから」のように軽口を叩いていた伊丹が突然それを「死を以って証明する」と自殺するのはあまりにも不自然すぎるからであった。さらに、次回作の題材となる宗教団体の信徒に殺されたという陰謀論もある。その信徒が深夜、件のマンションに乗り込み、伊丹の手足を縛った上アルコールを無理やり飲ませ(静脈注射との説もある)、泥酔したところを屋上から突き落としたというものだ。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E4%B8%B9%E5%8D%81%E4%B8%89)

 朝木市議もビルからの転落死、伊丹監督もビルからの転落死。ついでに言えば、日蓮正宗を街宣車などで攻撃していた右翼団体の代表も後日、ビルからの転落で怪死している。

 この法治国家日本で、しかも政権与党・公明党の支持基盤=創価学会が犯罪に関わったと推理される殺人事件が幾つもあり、しかもマスコミが報道しない。我々は、このような隠れたテロリズムの闇の中に暮らしているのである。


5、ヌエのような政党・公明党

創価学会は最初は政党は作らない、と発言していた。ところが、公明党を作って参議院に議員を送った。そもそも公明党という名前は当時よく使われていた用語「公明選挙」(金のやり取りをしない公明正大な選挙)からのパクリであった。参議院に議員を送った後もしばらくは池田は「衆議院には出馬させない」と明言していた。しかし、その舌の根の乾かないうちに衆議院にも出馬した。
 公明党の党是の中心は当初は「王仏冥合」であり、その中心には日蓮正宗の国教化という意図が隠れていた。しかし、国民政党になり、その思想が政教分離の精神に反することから、国教化(国立戒壇の設立)を党是から消してしまった。(このことを批判しているのが「顕正会」である)。日蓮は天皇を折伏することで法華経を国教化しようと願っていたが、創価学会は「現在は民主主義の世の中なので、日本の人口の3割を折伏した時点で広宣流布は達成する」、という解釈をしている。
 最初、公明党は「反自民」を標榜する庶民政党で、平和主義を掲げて自衛隊にも反対していた。
ところが、故・藤原弘達の著書「創価学会を斬る」の出版妨害問題を起こしたときにマスコミから集中砲火的バッシングを受ける。このとき、創価学会がこの本の出版もみ消しのキーマンとして接触したのが田中角栄である。これを境に、公明党は自民党に擦り寄るようになる。
 現在公明党は、反自民どころか、自公連立政権を作っている。反自衛隊どころか、イラク出兵には先頭を切って賛成した。党是が180度転換している、ヌエのような政党である。
 公明党の議員、役員の人事権は全て池田大作が握っているとされている。公明党が初めて大臣を出したとき、マスコミに情報が漏れる前に、池田大作が講演で「公明党からも、もうすぐデエジンが生まれます。皆さんの子分です」といった発言をしたことからもそれが分かる。
 創価学会が公明党を応援するに際しては、集団での住民票移動や、F作戦と呼ばれる(Fとはフレンドの意)しつこい友人勧誘、戸別訪問など、よく知られているが、意外に創価学会で公明党批判をする、という人は多い。
 これは、池田大作の権謀術数の一つであり、池田は時々公明党の大幹部を呼びつけて、「誰のお陰で議員になっているのか。この恩知らず」などと罵倒し、一方創価学会の会員に向かっては「議員は学会員の下僕ですから、自由にこきつかいなさい」といった指導をしているのである。それを真似て会員もしばしば公明党批判を繰り返している。公明党がどんなに権力を持っても、創価学会には頭が上がらないようにする戦略の一つなのである。
 公明党は当初は庶民政党ということで弱者に配慮する政策を掲げていたが、現在は自民党の政策にほとんど逆らうことなく、増税や、今年成立した障害者自立支援法の改悪などに手を染めている。また詳細は下に書くが、在日外国人への地方参政権付与(実質的には在日朝鮮人への優遇処置)や、愛国心教育への反対など、「反国家的」な政策に根強く執着していることでも知られる。


6、池田大作の人物像

池田大作は東京都大田区の朝鮮人に生まれた。ネット新聞の「国民新聞」によれば、池田の両親は日本に帰化した朝鮮人とされ、あれほど訴訟が大好きで「訴訟テロリズム」と呼ばれる創価学会がこの問題については沈黙を守っていることを見ても、池田大作は朝鮮人、と断定していいだろう。これほど日本社会に影響力を持つ公人が朝鮮人であるということは大問題である。
 事実、聖教新聞は「日韓」と表記せず、「韓日」と記している。また、日本は中国や韓国に永久に謝罪すべきだ、といった極端な被虐史観を主張している。公明党がしきりに在日朝鮮人の地方参政権付与を主張しているのも、朝鮮人池田大作へのオベッカといえよう。創価学会副会長は数百人いるが、その3分の2が在日朝鮮人だという統計もある。こうしてみると、創価学会は統一教会と同様、朝鮮系新興宗教の枠に入れることが出来る。(ちなみにオウム真理教の教祖麻原も父親は朝鮮人である)
 池田の次のような歴史的事実を無視した朝鮮絶賛=日本罵倒を見ても彼が朝鮮人というのは動かない事実であろう。
「韓国の「情」は厚く、深い。5千年の間、苦難の歴史を耐えて乗りこえ、しかも情け深さをなくさなかった人達である。 憎しみを人に向けるよりも、悲しみを雪のように胸の奥に積もらせながら、明日を信じて微笑んできた人々である。 愛の国、美の国、文の国。 その平和の人々が、「何十世代の後までも忘れぬ」と、怒りを骨に刻んだ相手が、日本の残虐な国家主義者であった。行く先々での略奪。暴行。殺戮。「禽獣にも劣る」、文化なき「悪鬼」と呼ばれた。」
 言うまでもなく朝鮮の歴史が5千年というのは史実の裏づけのない朝鮮人特有の妄想であるし、日韓併合は国際法に基づき、朝鮮政府の要請に基づいて結ばれてものであって、併合に際して日本は一人の朝鮮人も殺していない。池田の歴史観は、朝鮮政府の洗脳歴史観と全く同じレベルである。

 池田は前創価学会会長の戸田城聖の元で、高利貸し会社「大蔵商事」の営業部長として辣腕を振るった。病気で寝ている人間を叩き起こして布団まで持って帰ったというエピソードが残っている。
 戸田会長の後継者は、理論家で学究肌の石田次男であった、というのが定説だが、戸田亡き後、池田はさまざまな謀略を使って第三代会長となった。それをまるで生前から戸田氏が池田氏を特別視していたかのように嘘八百を並べて作ったフィクションが「人間革命」である。ちなみにこの小説は池田大作著、となっているがゴーストライターが他におり、「池田代作」と揶揄されることがしばしばある。

池田の仏教理解はきわめて低く、その哲学は証券会社の営業マンの処世術の域を出ない。聖教新聞を読むと、「仏法は勝負だ」「勝って勝って勝ちまくれ」といった勝負論が中心だが、これは「我執を取り去れ」(釈迦の基本思想)、「自分のことより先に、他人を幸せにせよ」(大乗仏教における菩薩道の基本思想)という仏教の理念からは程遠い。というか、真逆である。

池田は昭和50年前後、自分の弟子・福島源次郎を使って「池田大作本仏論」を流行らせた。これは日蓮の生まれ変わりが池田大作である、という思想であり、この当時、愚かな創価学会員たちは、仏壇の曼荼羅の横に池田大作の写真を立て、池田大作に向かって祈っていたものだ。
 当時口コミで「池田先生が車に乗ると赤信号で止まることが無い」という幼稚なものから、日蓮ゆかりの場所に池田が訪れたときに巨大な杉の老木を撫ぜながら、「あれから大きく育ったのう」と呟かれた、などとというエピソードが全国に伝わったものだ。ちなみにその杉の木は樹齢600年だったというから、日蓮在世の時期に生えたものではない。傑作な話である。

池田の品性を顕著に物語るものに「キンマンコ」発言というのがある。これは沖縄の糸満市に創価学会の会館が出来たときに、以下のように池田がスピーチしたことに由来する。
「んもー、イトマン平和会館なんて、名前変えた方がいいんじゃないか、うまく、ダメか、ウーマンぽい、ウーマンぽい、イトマンなんてウーマンぽい、ダメか、ダメか、もっといいねー、もっといいその、キンマン、イトマン、キンマンコだよ」

この程度の人物なのである。その知性のレベルは押して知るべしだろう。
 かれの学歴は短期大学の中でも最底辺のレベルにある富士短期大学中退である。創価学会会長になってから、どういう裏の手を使ったのか「卒業」の形式をとった。よほどこだわりがあったことが分かる。彼は松下幸之助やらトインビーやらの有名人と対談集を多数出しているが、実際の会談内容は「茶飲み話」程度で、本の内容の大半は側近のインテリが勝手に「創作」したものだと言われている。

インチキ宗教の教祖がしばしば女性問題を起こしているように、池田にもその類の醜聞は多い。よく知られているのは「月刊ペン事件」と「信平レイプ訴訟」である。
 「月刊ペン事件」は「月刊ペン」の編集長が、池田が婦人部の複数の大幹部と性的不倫関係にあることを暴いたものだった。創価学会は名誉毀損で告訴したが、告訴するその裏で笹川良一氏、腸平氏父子に頼んで、「月刊ペ ン」社とその弁護人の懐柔工作を行い、二千万円を相手側に支払ってもみ消そうとした。結局この裁判は月刊ペン側が30万の形式的な罰金を払っただけで終わり(編集長はそれも不服として控訴したが死亡のために審議が打ち切られた)、池田の淫らな女性関係の真実性を証明する結果に終わった。
 「信平レイプ訴訟」とは池田が側近の女性幹部の信平信子さんを数回にわたって強姦したとして、信平夫婦が起こした裁判である。この裁判は全く異例なこととに、事実審理もなく、池田の証人出廷もなく、「時効」と「訴権の乱用」という信じられない解釈で信平さん側が敗訴した。創価学会は「総体革命」を旗印に、司法、行政、立法、、経済界などに会員を送り込んで裏のネットワークを構築している。この「信平訴訟」はレイプ事件としては異例中の異例の判決であり、司法が創価学会に取り込まれていることを如実に示すものであろう。

ここ数年の聖教新聞の一面は、池田が世界中から名誉市民や名誉博士などの栄誉を受けた記事で占められている。おそらく数百から千を超える名誉○○をもらっていることだろう。言うまでもなくこれらは金で買った名誉であり、そのことは韓国の忠清大学のチョン・ジョンテク学長が「私は(創価大学から)名誉博士号を受けたし、わが校を助けてくれたんだ。図書資金を5000(万ウォン=約500万円)出してくれて、発展基金に2億出してくれて、また文化祭で3億ウォン出してくれて、だから、、、、、」 と証言したことでも明らかである。
 日蓮は「名聞名利にとらわれること無かれ」(世間的な名誉を欲しがってならない)と述べている。池田の行動は日蓮の弟子とはいえない、実に愚かな俗世権力への擦りよりである。
 彼がもらう栄誉の大半は南米やアジアなど発展途上国のものばかりで、また大学も無名大学ばかりである。一方、日本の大学で池田に名誉博士などを与えたところは一校も無い。このことがよほど悔しいらしく、聖教新聞には「島国日本」「嫉妬日本」といった売国奴的記述が多く見られる。また、そういう池田の心情を推し量って、会員は国からの勲章をもらってはならない、という不文律ができているという。それに反して竹入公明党元委員長が勲一等旭日大綬章をもらったことに嫉妬し、聖教新聞では、再三にわたって竹入氏の個人攻撃(罵詈雑言と言える下劣なもの)を行っている。

尚、創価学会は病気になったり事故にあったりした人に「それは信心が足りないためだ」と言い、特に他宗の関係者が癌などで死亡すると「罰が当たった」と罵り喜ぶのが習性になっている。この「罰論」に照らして池田大作自身の家族を見るとどうなるだろう。次期創価学会会長になると見られていた次男は29歳という若さで胃に穴が開いて死亡した。さらに長男の子供(池田にとっての孫)は身体障害者で、世間にそれが知られるのを恐れ妻の実家で隠して育てられているという(「日蓮宗新聞」)。この事実を創価学会員はどう思うだろうか。「仏罰」やら「現証」を信じるのであれば、仏は池田大作にこそ罰を与えていることになる。本人に直接罰が当たらず、周囲からじわじわと真綿で首を絞めるように現れる罰を「冥罰」というが、まさに池田自身は冥罰に当ったっていることになる。他宗の不幸に対する罵倒が、まさに自分に跳ね帰っているのである。罰論に従えば、池田大作こそ信心が足りない、ということになるのだが、創価学会員はこの「現証」をどう解釈するのだろうか?

田中角栄は池田を評して「法華経を唱えるヒトラー」といい、石原慎太郎は「俗物中の俗物」と喝破した。
 最後になぜこのような品性下劣な人間が巨大宗教のトップに立っているのかを検証したい。テリー伊藤は「お笑い創価学会」の中で池田大作ホスト説を述べている。家庭に不満のあるオバサン信者達にとって池田はフェロモンを発するホストだというのだ。この説は、池田が割合ハンサムだった青年時代には通じるが現在のブタのように肥え太った池田には当てはまらないと私は思う。
 私は、この程度の人物にカリスマ性を感じる日本人がいるのは、日本人の中に「父親の不在」があり、理想の父親像を池田に見出しているのだろうと思う。
 父親が人格者であった場合や、逆に父親がダメ人間で父に対する批判力が培われている人間には、自分の心の中に理想の体現者として、また道徳的亀鑑としての父親のイメージが定着する。この場合は、一瞬にして池田の俗物性を見破るので騙されることは無い。心の中に父親のイメージを持たない人間にとっては、この世は不安だらけで、行動の規範がもてない。そういうところに、世界中から名誉勲章を受けている池田大作という人物が現れると、批判力が無いだけに、簡単に尊敬してしまうのだろう。
 また、創価学会の宗教観は、上に書いたように、徹底的な現世利欲で、また祈祷宗教であることも大いに関係している。金が欲しい、元気になりたい、名誉がほしい、という人間にとって、祈れば適う「幸福製造機」という存在は実にありがたいものだろう。但し、前にも述べたようにこれは釈迦の思想とも、大乗仏教の思想とも何の関係もないものである。

今日は朝早く起きたので、私の創価学会批判を書いてみた。この文を読んで一人でも多くの人が創価学会について正しい認識を持ち、一人でも多くの学会員が事実に気づいて脱会して欲しいものだ。
  (現在、フランス、オーストリア、ベルギー、チリの4カ国が、創価学会をカルト指定している)

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「創価学会批判の要諦」再録

2020年10月18日 | 宗教

集団ストーカーの被害者の方は次のurlを押してください。http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531


http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html に最新の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日にの8時から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。手前のテーブルの場合もあります。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたので(現実には飲めても飲めなくても3千円になっています)。春名先生の講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。医療だけでなく歴史や芸術についても講義できるようになりました。私は八王子五行歌会の代表です。賛同される方は私まで電話を下さい。042-634-9230。出ないときは留守電にメッセージを残して下さい。生死とは何か、善悪とは何か、魂や神仏は存在するか、等々本来は宗教者や科学者が総出で考えるべきことを、飲み食いしながら3千円で話し合えるのは「春名先生を囲む会」だけです。このブログ方も是非賛同者になって下さい。先月のテーマは「キューバと社会主義」でした。もしあるとすれば次のテーマは「死後の魂です」このブログをご覧の皆様も是非賛同者になって下さい。
私が微笑禅の会(非宗教)を作ったのは日本に10人の見性者が生まれ、10人が協力し合えば世直しが出来ると思ったからです。(ちょうど日本に10人の坂本龍馬が居たら世直しが出来るように)
今後、微笑禅の会(非宗教)のネット会報は中止し、年に5千円の護持会費と数度の紙媒体での会報を出すことにします(メールで済ますこともあります)。私がロックフェラーほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。
 http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html  入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp (クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)なお、微笑禅の会の口座番号に変更があります。入会手続き入会金なし。会費は年に5千円とし、ゆうちょの以下の振替口座 00130-7-447671 名称「微笑禅の会」に振り込んでください。その際は住所氏名他連絡先、男女の区別を明記してください。退会は自由ですので、私にメールか電話をください。

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創価学会批判の要諦

1、宗教法人としての資格

創価学会は本来、鎌倉時代から続く宗教法人日蓮正宗の信徒団体であったにもかかわらず、別途に宗教法人として独立していった。この奇妙な形態が生まれたのは先代の会長戸田城聖が、「これからドンドン折伏活動を進めていきます。そうすると国家からの弾圧などが起きるでしょう。そのときに宗門外護の役割を創価学会がになうために、防波堤として創価学会を宗教法人にさせてください」と宗門にお願いしたからである。
 当然宗門からは反対意見が噴出したが、時の法主・日達師が次の条件を挙げて許可を下した。

(1)折伏した人は信徒として末寺に所属させること。
(2)当山(日蓮正宗総本山)の教義を守ること
(3)三宝(さんぼう=仏法僧)を守ること。

 この条件を守るという前提で、宗教法人創価学会が生まれたのである。
ところが、池田大作はいわゆる52年路線によって、日蓮正宗を創価学会の下部組織に置こうとし、日顕師によって破門を受けた。
 もとより、創価学会には日蓮正宗を離れた教義も本尊も無い上に、上記の約束の上で許可を得た宗教法人である。従って、創価学会は、一度宗教法人として解散し、新たに教義と本尊を立てて宗教法人化するのが本来の筋である。
 現在の宗教法人創価学会は、成立時の事情に照らして見れば、インチキ宗教法人といわざるをえない。


2、本尊問題

創価学会が公称1000万人、実際は400万人の日本最大級の信者を獲得したのは、日蓮正宗の本尊=弘安二年の大曼荼羅(板曼荼羅)こそが、日蓮出世の本懐であり、これに祈れば癌も治り、貧乏人も大金持ちになる、まさしく「幸福製造機である」(戸田城聖)と宣伝してまわったからだ。
 創価学会員の信仰生活の基盤とは、この板曼荼羅を元にして代々の法主が書写した個人授与の曼荼羅に向かい、題目を唱えながら自分の願望を祈念して実現する、という点にかかっている。徹底的な現世利益の追求と、祈祷にその本質があり、かなり密教的な性格を持つ宗教である。無宗教者や他宗派の人間には想像しがたいかもしれないが、この曼荼羅を粗末にすると罰が当たると教えられ、自分の命よりも大事にする、というのが信者の心得である。
 ところが、現在宗門から破門を受けた創価学会にはこの板曼荼羅のコピー本尊がもらえない。そこで現在どうしているかというと、池田大作は、「火事にあえば燃えてしまう本尊などただのモノです」と発言した上で、(創価学会は日蓮正宗の代々の法主を罵倒しているにも関わらず)、江戸時代の日蓮正宗の法主・日寛師の書写した本尊を一部改竄した上で、ビニールに印刷して会員に配っているのである。
 本来本尊書写は時の法主にしか許されない行為であり、ただ紙に文字を書くのと違い、一つ一つの本尊には魂を入れる入魂の祈祷がされる。それを省略したビニールを拝んでも何の功徳もないことぐらいは誰にでも分かるはずだ。まともな信仰をしていた学会員の多くは、この偽本尊の配布の時点で脱会している。現在残っているのは、教義も本尊観も理解できない、かなり程度の低い人々ばかりである。

ところで、弘安二年の板曼荼羅だが、これは日蓮研究者の間では「偽物」と評価が定まっている。この本尊について言及された文献が最初に登場するのは江戸時代。また筆跡鑑定の上からも偽者と断定されている。
 従って、現在創価学会員が拝んでいる本尊というのは「偽物を元にコピーした本尊をさらに偽造した上に、入魂式も済ませないで機械印刷したただのビニール」ということになる。
 こんなものを拝んで功徳があるのなら、漫画家が描いた日蓮の似顔絵を拝んでも功徳があることになるだろう。馬鹿げた行為である。創価学会の教義上の最大の弱点は、このビニール本尊の無意味さに集約されているといってよい。


3、職業信者の存在

52年路線というのは、本来日蓮正宗の信徒団体であった創価学会が、日蓮正宗の僧侶が邪魔になり、この僧侶集団を自分達の下部組織にとりこもうとした陰謀であった。
 結局、池田大作の野望から生まれたものであり、池田がどんなにお金を集め、信者を増やし、カリスマになっても、宗門が存在する限り、彼は所詮「一信徒」の地位にとどまり、教義上の問題は法主に指導を受けざるをえず、また折角儲けたお金も布施という形で宗門に一部を渡さざるを得ないことへの反発だった。
 そこで池田大作は徐々に僧侶批判を進め、聖教新聞などを使って、「坊主は折伏もせずに贅沢三昧の生活をしている」とか「坊主は夜になるとカツラを被って酒を飲みに出ている」といった陰湿な噂を流し、創価学会員の心を僧侶から離反させるという陰謀を企てた。
 そして結局、日顕師から創価学会丸ごと破門、という形になり、現在創価学会には目の上のタンコブであった僧侶はいなくなった。
 その結果なにが残った方というと、皮肉なことに「お布施を出す貧乏信者」と「お布施で暮らす職業信者」に分裂したのである。なんのことはない、僧侶を追い出した代わりに、俗世の埃にまみれた在家のプロ信者が生まれただけである。
 このプロ信者は、学会職員、学会外郭企業の社員などで構成されている(本部職員三千人を始め公明党議員四千人弱、 聖教新聞店主、 大学・学園、 潮出版、 日本図書輸送、 信濃施設管理、 東西哲学書院、 富士白蓮社、 報恩社、 シナノ企画 など)。400万人の創価学会員のお布施で飯を食っている数万人のプロの信者がいるわけだ。400万人の創価学会員は、愚かは愚かなりに、一応の信仰心は持っているが、プロの信者は性質が悪い。あるいは池田大作を軽蔑し、また板曼荼羅が偽物であることも知りながら、自分の生活のために400万人の信者を騙し続けているといってよい。
 こんなことになるなら、少なくとも「出家」という形態をとった僧侶を、在家がお布施で支えるというノーマルな関係のままであったほうが、どれだけ良かったか分からない。
 同じ信者でありながら、宗教で飯を食う、という変態的な存在の誕生。これは信仰の本義に照らしても邪義邪道の存在と断定して良い。


4、暴力団との癒着と犯罪行為

創価学会が広域暴力団山口組系後藤組と連携関係にあるのは周知の事実である。
 事の発端は、創価学会が富士宮市に霊園を造ろうとしたとき、住民の間で反対運動が起こり、また市議会もこれを問題として百条委員会を設置した。それを打ち破るために創価学会は後藤組に依頼して、建設反対派のリーダーの腕を日本刀で切り落とし(被害者は後に死亡)、百条委員会も市議を恫喝することで潰してしまった。この経緯は、後藤組組長本人が創価学会と当時の公明党委員長竹入氏あてに出した「内容証明」(脅迫状)が残っているから、全ては事実である。

 さらに、有名な東村山市市議の朝木明代謀殺事件がある。
これは創価学会の牙城として知られ、公明党が強い東村山市で、創価・公明党批判を続ける朝木市議が突然マンションから転落して死亡した事件で、マスコミも大々的に報道した。
 創価学会は「万引きを苦にしての自殺」と盛んに報道したが、万引きをしたと主張する洋服店の経営者は創価学会員であった。
 さらに、朝木市議の遺族は、これを殺人事件として捜査を依頼したが、それに協力した検察の二名がまたもや創価学会員であり、遺族は敵に応援を依頼する、というやり切れない陰謀に巻き込まれてしまったのである。
 この検察の陰謀で死体の司法解剖所見は昨年まで未公開だったが、今は明らかになっている。それによると、「両方の二の腕に強く掴まれたときに出来る青あざがあった」ことが示され、これにより、自殺説は完全に否定され、殺人説が確定したのだが、驚くべきことに、この事実を日本のマスコミは全く取り上げないばかりか、東村山警察署が殺人対策本部を置いているという話も聞かない。まさに闇から闇に葬り去られようとしている事件である。

さらに、故伊丹十三映画監督の自殺も創価学会による暗殺ではなかったかという噂も根強い。
 伊丹監督は「ミンボーの女」で組織暴力団を批判したが、その伊丹監督の顔をカッターナイフで切りつけたのが、創価学会と癒着関係にある後藤組の組員であった。
 伊丹監督は「愛人がいた」というスクープ記事が出るのを恐れ、「ワープロ」に、死んで身の潔白を証明する、と書いて、ビルの屋上から自殺した、とされている。
 ところが、信頼できる筋からの情報によると、伊丹監督の次回作は創価学会の不正を暴く作品だったという。ウィキペディア百科事典すら次のように書いているほどだ。

 1997年12月20日、写真週刊誌「フラッシュ」により不倫疑惑が取り沙汰されたことに対して「死を以って潔白を証明する」との遺書を残し、伊丹プロダクションのある東京麻布のマンションから投身自殺を遂げた。しかしながら、他殺とされる見解も非常に多い。それは不倫疑惑について週刊誌の記者からインタビューを受けた際に「妻に聞いてみればいいよ」と笑いながら、全く意にも関せず「いつものことだから」のように軽口を叩いていた伊丹が突然それを「死を以って証明する」と自殺するのはあまりにも不自然すぎるからであった。さらに、次回作の題材となる宗教団体の信徒に殺されたという陰謀論もある。その信徒が深夜、件のマンションに乗り込み、伊丹の手足を縛った上アルコールを無理やり飲ませ(静脈注射との説もある)、泥酔したところを屋上から突き落としたというものだ。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E4%B8%B9%E5%8D%81%E4%B8%89)

 朝木市議もビルからの転落死、伊丹監督もビルからの転落死。ついでに言えば、日蓮正宗を街宣車などで攻撃していた右翼団体の代表も後日、ビルからの転落で怪死している。

 この法治国家日本で、しかも政権与党・公明党の支持基盤=創価学会が犯罪に関わったと推理される殺人事件が幾つもあり、しかもマスコミが報道しない。我々は、このような隠れたテロリズムの闇の中に暮らしているのである。


5、ヌエのような政党・公明党

創価学会は最初は政党は作らない、と発言していた。ところが、公明党を作って参議院に議員を送った。そもそも公明党という名前は当時よく使われていた用語「公明選挙」(金のやり取りをしない公明正大な選挙)からのパクリであった。参議院に議員を送った後もしばらくは池田は「衆議院には出馬させない」と明言していた。しかし、その舌の根の乾かないうちに衆議院にも出馬した。
 公明党の党是の中心は当初は「王仏冥合」であり、その中心には日蓮正宗の国教化という意図が隠れていた。しかし、国民政党になり、その思想が政教分離の精神に反することから、国教化(国立戒壇の設立)を党是から消してしまった。(このことを批判しているのが「顕正会」である)。日蓮は天皇を折伏することで法華経を国教化しようと願っていたが、創価学会は「現在は民主主義の世の中なので、日本の人口の3割を折伏した時点で広宣流布は達成する」、という解釈をしている。
 最初、公明党は「反自民」を標榜する庶民政党で、平和主義を掲げて自衛隊にも反対していた。
ところが、故・藤原弘達の著書「創価学会を斬る」の出版妨害問題を起こしたときにマスコミから集中砲火的バッシングを受ける。このとき、創価学会がこの本の出版もみ消しのキーマンとして接触したのが田中角栄である。これを境に、公明党は自民党に擦り寄るようになる。
 現在公明党は、反自民どころか、自公連立政権を作っている。反自衛隊どころか、イラク出兵には先頭を切って賛成した。党是が180度転換している、ヌエのような政党である。
 公明党の議員、役員の人事権は全て池田大作が握っているとされている。公明党が初めて大臣を出したとき、マスコミに情報が漏れる前に、池田大作が講演で「公明党からも、もうすぐデエジンが生まれます。皆さんの子分です」といった発言をしたことからもそれが分かる。
 創価学会が公明党を応援するに際しては、集団での住民票移動や、F作戦と呼ばれる(Fとはフレンドの意)しつこい友人勧誘、戸別訪問など、よく知られているが、意外に創価学会で公明党批判をする、という人は多い。
 これは、池田大作の権謀術数の一つであり、池田は時々公明党の大幹部を呼びつけて、「誰のお陰で議員になっているのか。この恩知らず」などと罵倒し、一方創価学会の会員に向かっては「議員は学会員の下僕ですから、自由にこきつかいなさい」といった指導をしているのである。それを真似て会員もしばしば公明党批判を繰り返している。公明党がどんなに権力を持っても、創価学会には頭が上がらないようにする戦略の一つなのである。
 公明党は当初は庶民政党ということで弱者に配慮する政策を掲げていたが、現在は自民党の政策にほとんど逆らうことなく、増税や、今年成立した障害者自立支援法の改悪などに手を染めている。また詳細は下に書くが、在日外国人への地方参政権付与(実質的には在日朝鮮人への優遇処置)や、愛国心教育への反対など、「反国家的」な政策に根強く執着していることでも知られる。


6、池田大作の人物像

池田大作は東京都大田区の朝鮮人に生まれた。ネット新聞の「国民新聞」によれば、池田の両親は日本に帰化した朝鮮人とされ、あれほど訴訟が大好きで「訴訟テロリズム」と呼ばれる創価学会がこの問題については沈黙を守っていることを見ても、池田大作は朝鮮人、と断定していいだろう。これほど日本社会に影響力を持つ公人が朝鮮人であるということは大問題である。
 事実、聖教新聞は「日韓」と表記せず、「韓日」と記している。また、日本は中国や韓国に永久に謝罪すべきだ、といった極端な被虐史観を主張している。公明党がしきりに在日朝鮮人の地方参政権付与を主張しているのも、朝鮮人池田大作へのオベッカといえよう。創価学会副会長は数百人いるが、その3分の2が在日朝鮮人だという統計もある。こうしてみると、創価学会は統一教会と同様、朝鮮系新興宗教の枠に入れることが出来る。(ちなみにオウム真理教の教祖麻原も父親は朝鮮人である)
 池田の次のような歴史的事実を無視した朝鮮絶賛=日本罵倒を見ても彼が朝鮮人というのは動かない事実であろう。
「韓国の「情」は厚く、深い。5千年の間、苦難の歴史を耐えて乗りこえ、しかも情け深さをなくさなかった人達である。 憎しみを人に向けるよりも、悲しみを雪のように胸の奥に積もらせながら、明日を信じて微笑んできた人々である。 愛の国、美の国、文の国。 その平和の人々が、「何十世代の後までも忘れぬ」と、怒りを骨に刻んだ相手が、日本の残虐な国家主義者であった。行く先々での略奪。暴行。殺戮。「禽獣にも劣る」、文化なき「悪鬼」と呼ばれた。」
 言うまでもなく朝鮮の歴史が5千年というのは史実の裏づけのない朝鮮人特有の妄想であるし、日韓併合は国際法に基づき、朝鮮政府の要請に基づいて結ばれてものであって、併合に際して日本は一人の朝鮮人も殺していない。池田の歴史観は、朝鮮政府の洗脳歴史観と全く同じレベルである。

 池田は前創価学会会長の戸田城聖の元で、高利貸し会社「大蔵商事」の営業部長として辣腕を振るった。病気で寝ている人間を叩き起こして布団まで持って帰ったというエピソードが残っている。
 戸田会長の後継者は、理論家で学究肌の石田次男であった、というのが定説だが、戸田亡き後、池田はさまざまな謀略を使って第三代会長となった。それをまるで生前から戸田氏が池田氏を特別視していたかのように嘘八百を並べて作ったフィクションが「人間革命」である。ちなみにこの小説は池田大作著、となっているがゴーストライターが他におり、「池田代作」と揶揄されることがしばしばある。

池田の仏教理解はきわめて低く、その哲学は証券会社の営業マンの処世術の域を出ない。聖教新聞を読むと、「仏法は勝負だ」「勝って勝って勝ちまくれ」といった勝負論が中心だが、これは「我執を取り去れ」(釈迦の基本思想)、「自分のことより先に、他人を幸せにせよ」(大乗仏教における菩薩道の基本思想)という仏教の理念からは程遠い。というか、真逆である。

池田は昭和50年前後、自分の弟子・福島源次郎を使って「池田大作本仏論」を流行らせた。これは日蓮の生まれ変わりが池田大作である、という思想であり、この当時、愚かな創価学会員たちは、仏壇の曼荼羅の横に池田大作の写真を立て、池田大作に向かって祈っていたものだ。
 当時口コミで「池田先生が車に乗ると赤信号で止まることが無い」という幼稚なものから、日蓮ゆかりの場所に池田が訪れたときに巨大な杉の老木を撫ぜながら、「あれから大きく育ったのう」と呟かれた、などとというエピソードが全国に伝わったものだ。ちなみにその杉の木は樹齢600年だったというから、日蓮在世の時期に生えたものではない。傑作な話である。

池田の品性を顕著に物語るものに「キンマンコ」発言というのがある。これは沖縄の糸満市に創価学会の会館が出来たときに、以下のように池田がスピーチしたことに由来する。
「んもー、イトマン平和会館なんて、名前変えた方がいいんじゃないか、うまく、ダメか、ウーマンぽい、ウーマンぽい、イトマンなんてウーマンぽい、ダメか、ダメか、もっといいねー、もっといいその、キンマン、イトマン、キンマンコだよ」

この程度の人物なのである。その知性のレベルは押して知るべしだろう。
 かれの学歴は短期大学の中でも最底辺のレベルにある富士短期大学中退である。創価学会会長になってから、どういう裏の手を使ったのか「卒業」の形式をとった。よほどこだわりがあったことが分かる。彼は松下幸之助やらトインビーやらの有名人と対談集を多数出しているが、実際の会談内容は「茶飲み話」程度で、本の内容の大半は側近のインテリが勝手に「創作」したものだと言われている。

インチキ宗教の教祖がしばしば女性問題を起こしているように、池田にもその類の醜聞は多い。よく知られているのは「月刊ペン事件」と「信平レイプ訴訟」である。
 「月刊ペン事件」は「月刊ペン」の編集長が、池田が婦人部の複数の大幹部と性的不倫関係にあることを暴いたものだった。創価学会は名誉毀損で告訴したが、告訴するその裏で笹川良一氏、腸平氏父子に頼んで、「月刊ペ ン」社とその弁護人の懐柔工作を行い、二千万円を相手側に支払ってもみ消そうとした。結局この裁判は月刊ペン側が30万の形式的な罰金を払っただけで終わり(編集長はそれも不服として控訴したが死亡のために審議が打ち切られた)、池田の淫らな女性関係の真実性を証明する結果に終わった。
 「信平レイプ訴訟」とは池田が側近の女性幹部の信平信子さんを数回にわたって強姦したとして、信平夫婦が起こした裁判である。この裁判は全く異例なこととに、事実審理もなく、池田の証人出廷もなく、「時効」と「訴権の乱用」という信じられない解釈で信平さん側が敗訴した。創価学会は「総体革命」を旗印に、司法、行政、立法、、経済界などに会員を送り込んで裏のネットワークを構築している。この「信平訴訟」はレイプ事件としては異例中の異例の判決であり、司法が創価学会に取り込まれていることを如実に示すものであろう。

ここ数年の聖教新聞の一面は、池田が世界中から名誉市民や名誉博士などの栄誉を受けた記事で占められている。おそらく数百から千を超える名誉○○をもらっていることだろう。言うまでもなくこれらは金で買った名誉であり、そのことは韓国の忠清大学のチョン・ジョンテク学長が「私は(創価大学から)名誉博士号を受けたし、わが校を助けてくれたんだ。図書資金を5000(万ウォン=約500万円)出してくれて、発展基金に2億出してくれて、また文化祭で3億ウォン出してくれて、だから、、、、、」 と証言したことでも明らかである。
 日蓮は「名聞名利にとらわれること無かれ」(世間的な名誉を欲しがってならない)と述べている。池田の行動は日蓮の弟子とはいえない、実に愚かな俗世権力への擦りよりである。
 彼がもらう栄誉の大半は南米やアジアなど発展途上国のものばかりで、また大学も無名大学ばかりである。一方、日本の大学で池田に名誉博士などを与えたところは一校も無い。このことがよほど悔しいらしく、聖教新聞には「島国日本」「嫉妬日本」といった売国奴的記述が多く見られる。また、そういう池田の心情を推し量って、会員は国からの勲章をもらってはならない、という不文律ができているという。それに反して竹入公明党元委員長が勲一等旭日大綬章をもらったことに嫉妬し、聖教新聞では、再三にわたって竹入氏の個人攻撃(罵詈雑言と言える下劣なもの)を行っている。

尚、創価学会は病気になったり事故にあったりした人に「それは信心が足りないためだ」と言い、特に他宗の関係者が癌などで死亡すると「罰が当たった」と罵り喜ぶのが習性になっている。この「罰論」に照らして池田大作自身の家族を見るとどうなるだろう。次期創価学会会長になると見られていた次男は29歳という若さで胃に穴が開いて死亡した。さらに長男の子供(池田にとっての孫)は身体障害者で、世間にそれが知られるのを恐れ妻の実家で隠して育てられているという(「日蓮宗新聞」)。この事実を創価学会員はどう思うだろうか。「仏罰」やら「現証」を信じるのであれば、仏は池田大作にこそ罰を与えていることになる。本人に直接罰が当たらず、周囲からじわじわと真綿で首を絞めるように現れる罰を「冥罰」というが、まさに池田自身は冥罰に当ったっていることになる。他宗の不幸に対する罵倒が、まさに自分に跳ね帰っているのである。罰論に従えば、池田大作こそ信心が足りない、ということになるのだが、創価学会員はこの「現証」をどう解釈するのだろうか?

田中角栄は池田を評して「法華経を唱えるヒトラー」といい、石原慎太郎は「俗物中の俗物」と喝破した。
 最後になぜこのような品性下劣な人間が巨大宗教のトップに立っているのかを検証したい。テリー伊藤は「お笑い創価学会」の中で池田大作ホスト説を述べている。家庭に不満のあるオバサン信者達にとって池田はフェロモンを発するホストだというのだ。この説は、池田が割合ハンサムだった青年時代には通じるが現在のブタのように肥え太った池田には当てはまらないと私は思う。
 私は、この程度の人物にカリスマ性を感じる日本人がいるのは、日本人の中に「父親の不在」があり、理想の父親像を池田に見出しているのだろうと思う。
 父親が人格者であった場合や、逆に父親がダメ人間で父に対する批判力が培われている人間には、自分の心の中に理想の体現者として、また道徳的亀鑑としての父親のイメージが定着する。この場合は、一瞬にして池田の俗物性を見破るので騙されることは無い。心の中に父親のイメージを持たない人間にとっては、この世は不安だらけで、行動の規範がもてない。そういうところに、世界中から名誉勲章を受けている池田大作という人物が現れると、批判力が無いだけに、簡単に尊敬してしまうのだろう。
 また、創価学会の宗教観は、上に書いたように、徹底的な現世利欲で、また祈祷宗教であることも大いに関係している。金が欲しい、元気になりたい、名誉がほしい、という人間にとって、祈れば適う「幸福製造機」という存在は実にありがたいものだろう。但し、前にも述べたようにこれは釈迦の思想とも、大乗仏教の思想とも何の関係もないものである。

今日は朝早く起きたので、私の創価学会批判を書いてみた。この文を読んで一人でも多くの人が創価学会について正しい認識を持ち、一人でも多くの学会員が事実に気づいて脱会して欲しいものだ。
  (現在、フランス、オーストリア、ベルギー、チリの4カ国が、創価学会をカルト指定している)

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この一文を書いたのは私が早稲田大学や東京工芸大学の非常勤講師の時だった。創価学会批判のバイブルとして数多くの人が引用してくれた。今でも4つほどのサイトに残っている。

以前、このHPに掲示板を置き、微笑禅の会の会員が20人ほど、実験映画の作家が10人ほど、中に集団ストーカーのスパイが2人いた。その時、金井勝と共に私が天才的能力を持っていると認めている居田伊佐雄さんが、素人が読んでも分かりやすい創価批判の文章を書いてはどうかと言われたので一日で書いた。

当時大っぴらに創価批判をしていたのは高知の故・田辺浩三が主宰する「ヤイロチョウ」とこの掲示板だけだった。乙骨や、リチャード・コシミズが登場する前の時代である。

個々の信者の人柄は別にして、私が創価学会が宗教法人の資格が書けていると断定するのは、「本尊」と「修業」が決定的に欠けているからだ。

二代目の戸田会長が「これに祈れば貧乏人は金持ちになり、病人は健康になる=幸福製造機」と呼び、日蓮出生の本懐=弘安二年の板曼荼羅を、本山憎さの挙句の果てとして「燃えれば消えるものなど本尊ではない」と発言するだけでなく、出版社は創価系ではなくハイブローな学術系本の出版社にしているが、弘安二年の板曼荼羅を科学的かつ論理的に偽物と断定している。(本山には日蓮直筆の曼荼羅が多くあるのでそちらに変えればいい、というのが私の持論だが)、これは宝石商に例えれば「これが世界で唯一の最大で最も純粋なダイヤモンドです」と宣伝して、顧客を増やし、後から、「実はあれは偽物でした」と言うのと同じ「詐欺罪」当たる。

例えば禅宗は本尊が無いが、日蓮宗の場合、本尊に向かい本尊の描いている世界観と境智冥合して同じ仏性を自らのものにする、のが日蓮宗の修行法だからだ。私は学生時代、上野の確か松坂屋で公開された国宝日蓮曼荼羅展に行ったことがあるが、畳で言えば2畳以上はする真筆曼陀羅の前に立つと味わったことがない不思議なパワーを感じ鳥肌が立った。歴史を紐どけば分かるが、龍ノ口の法難で日蓮が見せた奇跡的な力は、霊能力者として日蓮の力は間違いなく正解一だった。日蓮はエスパーとしても学問僧としても、行動力にしても例外的な世界一の力を持っていた。

また修行についても同様、以前は創価学会員の家の前を通ると、線香の匂いと共に勤行(経文と題目を唱えること)の声が聞こえてきたが、今はさっぱり聞こえない。これは池田が勤行は無理にしなくてもかまいません。題目3回でいいんです。などと言い始めた時から勤行の必要はなくなり、創価学会員の修行は、選挙の時の集票マシンとなって、F票取りや、住民票移動だけになり、(僧侶がいなくなったので名前はお布施から財務に変わったが)、財務を積めば積むほど功徳がある、に修行法が変わった。

改めて日蓮の行動を見ると、全ての仏典に目を通し、法華経こそが釈迦の出生の本懐と確信し、(但し、当時はテキストクリティックが現在ほど厳しくなかったので、大乗非仏論は欠落していたが)、大乗仏教の考え方そのものに、法報応の三身説があるので、歴史上の釈迦ではなくても(中村博士によれば釈迦そのものが伝説の人物)、その後の僧が作った経典でも優れていてば仏典として認める、という思想があるので、日蓮の法華経至上主義は間違いではない。痩せ病になっても酒の力を借りながら勤行に努め、さらに大切なことは法華経の行者として、国家諌暁を行い、伊豆や佐渡に流されたり、殺されそうになったり、また龍ノ口の法難で奇跡を示すなどして、命がけで時の政権に法華経の思想を取り入れるよう進言したことだ。ところが、今の創価公明は「どこまでもついて行きます下駄の雪」と言われるように、自民党に右顧左眄して、99%は自民党の言いなりになり、残りの1%セントで、中学生の学校給食の義務付けや、私立高校の無償化、特別給付金や買い物券などのバラマキ行政で、見かけの上では大衆政党の振りをしているに過ぎない。

その一方で以前私が「春名先生を囲む会」で「総体革命と集団ストーカー」と題して発表した通り、種々の暴力組織を作り、その一方、司法官憲に創価学会員を送り、池田が言った通り「最後は総合商社になって決戦」という徹底的なマキャベリズムと権力志向の虜になり、日蓮の国家諌暁の思想から離れてしまった。

実はこの一文を書いてHPビルダーからブログにダウンロードしようとしたとき、HPビルダーがこれを行うと様々な弾圧が起こりますよとばかり、6度ダウンロードに失敗し、7回目にやっとダウンロードができたことをはっきり覚えている。

その通り、私は2度の親子分離に会い、また矢野元公明党委員長が外国人記者クラブで発表した以上の集団ストーカー被害に合い(本当のことを述べるとキチガイと思われるので矢野さんも全ては語っていないだろう)、その仕返しに集団ストーカーを本人訴訟で最高裁まで追い詰め、(一審で事実審理をするべきところ一度もせず、しかも被告は一度も出廷せず電話裁判ですましながら=普通は原告の言い分を認めたことになり敗訴する、さらに一か月後に家裁の2度目の出廷が、突然2か月後に変わり、さらに、一審二審とも創価学会員か創価シンパの裁判官が出てきて、高裁では裁判官席から原告を睨みつけ、最高裁では出来試合の敗訴をしたが、全く同じ内容で、松山地裁で集団ストーカーが私を被告として訴えた時には、一審だけで私が勝訴した。操体革命の波が松山にはいなかったからだろう。さらに、原告の織田が、私がキャバクラに行ったとか、人妻と付き合っているとか、繰り返し準備書面を提出するので、私が松山地裁に電話をして私も準備書面に答えましょうか?と言うと、書記官が「那田さん、今回は飛んでもない男に絡まれましたね。それらは損害賠償事件と全く関係のないただの嫌がらせ発言ですので、松山地裁も無視しています。あなたも一切無視して構いません」との同情の言葉を貰った。母が郷里愛媛に織田が脅迫に来たとき「あのような下品で貧相な顔の男は見たことがない」と言っていたので、まともな日本人ではなかったことは確かである。

記憶で言えば、最初の討幕運動(天誅組の変から5年後、桜田門外の変から3年目に明治維新が起こり、徳川幕府は終結した。今度の不可解な安倍首相の辞任を桜田門外の変ととらえれば、ネットの発達した現代はあと1~2年のうちに「令和維新」が起きると私は直感する。

折を見て、この創価批判シリーズは続けていきます。(引用自由)



浄土の種類

2017年11月14日 | 宗教

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。 http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

 また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html に最新の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。今後は二回目から講演者に5千円は差し上げます。医療だけでなく歴史や芸術についても講義できるようになりました。私は八王子五行歌会の代表です。賛同される方は私まで電話を下さい。042-634-9230。

私が微笑禅の会(非宗教)を作ったのは日本に10人の見性者が生まれ、10人が協力し合えば世直しが出来ると思ったからです。(ちょうど日本に10人の坂本龍馬が居たら世直しが出来るように)

今後、微笑禅の会(非宗教)のネット会報は中止し、年に5千円の護持会費と数度の紙媒体での会報を出すことにします(メールで済ますこともあります)。私がロックフェラーほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。 http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html             入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp (クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

なお、微笑禅の会の口座番号に変更があります。入会手続き入会金なし。会費は年に5千円とし、ゆうちょの以下の振替口座 00130-7-447671 名称「微笑禅の会」に振り込んでください。その際は住所氏名他連絡先、男女の区別を明記して下さい。以上、会員になりたい方はこの口座に会費を振り込りこんで下さい。

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浄土(じょうど)とは、仏教において、一切の煩悩やけがれを離れ、五濁地獄餓鬼畜生三悪趣が無く、菩薩が住む清浄な国土のこと[1][2]清浄仏土仏国仏刹(ぶっせつ)[2]浄刹(じょうせつ)、浄国浄界などとも言われる[要出典]。煩悩に汚染されている衆生が住む穢土(えど)と対比される語である[1][2]阿弥陀如来の西方極楽浄土薬師如来の東方浄瑠璃浄土などの種々の浄土があるとされる[1][2]。浄土の語は大乗仏教における宗教的理想郷を指す言葉としても広く用いられたが、平安後期以降に浄土教が広まるにつれて、浄土は主として阿弥陀如来の西方極楽浄土を指すようになった[1]

別世界に浄土の建立を説くのではなく、この世界をそのまま浄土に変現するという考え方がある。すなわち、心浄なれば土も浄とする『維摩経』の趣旨によれば、この世界にありながらこの世界がそのまま清浄の土でありうる。たとえば、『法華経』に、この娑婆世界を変じて瑠璃地の清浄世界と変ずと説くものである(娑婆即寂光)。この考え方に立つのが、釈迦の霊山(りょうぜん)浄土、毘盧舎那仏の蓮華蔵世界である。

 

浄土の種類[編集]

 

『岩波 仏教辞典』によれば、浄土には来世浄土浄仏国土常寂光土の3種類があるとされる[2]

 

来世浄土[編集]

 

来世浄土は、死後に赴く浄土として来世に立てられた浄土である[2]。「この世に仏はいないが、死後の来世に他の世界へ行けば仏に会える」という来世他土思想に由来している[2]。阿弥陀仏の西方極楽浄土、阿閦仏東方妙喜世界などが有名である[2]

 

浄仏国土[編集]

 

浄仏国土(じょうぶっこくど)とは、現実世界の浄土化を意味する語であり、現実の中で仏道実践に励む菩薩菩薩行として立てられたものである[2]維摩経の仏国品などに説かれる[2]

 

常寂光土[編集]

 

常寂光土(じょうじゃっこうど)とは、一切の限定を超えた絶対浄土[2]。仏の悟りである真理そのものが具現している世界[3]天台宗で説く四土のうちの最高のものであり[1]、智顗が『維摩経文疏』1で説いた[2]

 

三浄土説の対立[編集]

 

来世浄土、浄仏国土、常寂光土の3種の浄土説は、ときには矛盾・対立することもあった[2]。例えば、来世浄土は最も機根の低い者のための方便説であるとされて、来世浄土に基づく浄土念仏が批判され、真実説は絶対浄土としての常寂光土であるとされることがあった[2]。また、本覚思想などの現実肯定の立場からは常寂光土が歓迎されたが、智顗のように来世浄土を低く評価した者であっても、実際のに際しては浄土への往生を願うことがあった[2]

 

浄土の例[編集]

 

下記のような浄土がある[1][2]

 

以上、wikipedia より。


池田大作の今

2016年12月25日 | 宗教

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(決定版が出て既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げました) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531 電子出版される可能性もあることをお知らせします。

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html に最新の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。

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  今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私がロックフェラーほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp (クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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東村山市議暗殺疑惑事件を行動する保守に呼びかけて街宣などの活動をしていた時の話です。瀬戸弘幸さんが、維新政党新風から立候補した時に、朝鮮総連や民団の連中とは話し合えば分かり合えるが、創価学会の信者は洗脳されているのでどうしようもない、例えば池田先生もいつかは死ぬんだよ、と言うと、女性は泣き叫んで「池田先生は死にません」と答える、と聞いたことがあります。また池田大作の出自については、大森のに住み着いた朝鮮人と日本人の妻(本妻ではなく妾)の間に出来た子供のようです。facebookのグループに確か「創価学会と日蓮正宗を批判する」というものがありその主宰者は池田大作の兄が戦死しているので池田大作は日本人だ、と断言していましたが、戦前は日韓併合だったので、朝鮮人には日本兵がいるのは当たり前のことです。パククネの父親などはその典型です。このようなことも知らない男(にわか坊主)がfacebookで幼稚な論理を振りかざしているとは笑止千万です。

ところで池田大作は死んでいるのか、生きているのかしばしば論争になるのでネットで出来る限り調べて見ることにします。

http://blog.goo.ne.jp/izuookawa/e/26997837f7087f6d8835877172baca6d によれば既にミイラになって学会本部に安置されているようです。

伏見顕正の「時を斬るブログ」には次のような投稿があります。

伏見顕正 様

いつも楽しくブログを拝見しています。また、連日連夜の疾風迅雷を思わせるブログに感謝申し上げます。お久しぶりです。ダヤンです。標題につき、佐伯徳仁君の来年の運命・宿命は、貴殿の推察通りなることに同意します。

一方、以下の内容は、世界最強の情報機関ことモサド(モサッドの方がヘブライ語の発音に近い)が、既に把握している情報。従って、彼らはそのダブル(代役・成り済まし・そっくりの人)として、未だ生存・活動しています。但し、皆一様に「耳」「ヒタイ」「首」の形がビフォー・アフターで完全

相違。これは、前後の写真で識別可能。

★なお、池田大作のダブルは存在しなく、北朝鮮製の特殊ガラスケースの中でミイラとして保管・熟成・整形中とのこと。その保管場所は、【信濃町の聖教新聞社内地下室】が今のところ有力説。

著名人名                          死去日
① ヘンリー・キッシンジャー(Henry Kissinger)         2010年12月7日
② ヒラリー・ローダム・クリントン(Hillary Rodham Clinton) 2011年5月18日
③ 池田大作(ソン・テジャク)               2012年2月20日
④ ジョージ・ソロス(George Soros) 2013年7月25日
⑤ パパ・ジョージ・ブッシ(Papa George Bush)        2014年1月14日
⑥ エリザベス女王(Elizabeth II) 2015年6月11日

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http://saijosigokuuchudaiichi.hatenablog.com/entry/2016/05/03/125149  には次のような記事があります。

 なぜ、熱心な学会員でもあったAさんが池田氏の病状を明らかにすることを決意したのか。
「私は池田先生をお慕いして創価学会へ入りました。今も、その尊敬の思いは変わっていません。
 私が先生の看護スタッフを始めた頃は、まだ先生もお元気で、〝神様〟だと思っていました。しかし、先生のお世話をするうちに、先生も寿命のある人間なんだ、と痛感したのです。
 幹部の方々は、心配する我々学会員に対して『先生は元気です』とアピールするばかりです。しかし、それは学会員を欺き、池田先生を冒漬(ぽうとく)しているのと同じではないでしょうか。
 末端の学会員にも先生の現状をお知らせして、先生のために大勤行会を開いたほうがいいと思うのです。それが、今回、私がお話しした理由です」
 話を池田氏の病室に戻そう。
 Aさんは、衰弱してゆく池田氏の看護をしながら心を痛める日々が続いた、と振り返る。「以前は病室の隣に大理石のお風呂があってよく入られていたのですが、その浴室は使われなくなりました。大理石の浴槽のそばに車椅子ごと入れる介護用の浴槽があって、そちらを利用するようになったのです。入浴は四、五人がかりの作業でした。回数も、私が勤務していた当時は週二回ほどになっていました。
 看護師がオムツを交換し、婦長など地位の高い方が、病衣を着た先生のお顔などを拭いでいました」
 池田氏専用のフロアにいる看護師は、日勤三名、夜勤二名の計五名。二十四時間体制で勤務していたという。そのほかにも警備員が警備室に三名、土レベーター前に一名、病室の前に一名配置されている。病室には秘書とともに、監視カメラが設置され、ナースステーションでチエックできるようになっていた。
 階段には防火扉が設置され、普段は鍵がかけられていた。そのため、昇り降りできるのはエレベーターのみ。そこで警備員が出入すの人間を見張っていた。
「まず驚いたのは、最上階の物々しい雰囲気です。警備員は第一警備の方々でした。どの人も体格がよくて、何か格闘技でもやってらっしゃるような人だと思います。目つきが鋭くて、通常の業務をしている私たちも常に監視下に置かれているような感じでした。四階以下は金城会の方が警備をしています」
 第一警備や金城会とはどんな部署なのか。学会に詳しい人物によれば、「第一警備は」池田名誉会長直属のエリート警備部隊。また、金城会は全国各地域から集められた一般の会員で柔道や合気道の有段者が多いことでも有名です。こちらも池田会長の警護が主な業務といわれていてます」
 警護体制だけでなく、病室の作りにも秘密が隠されていた、とAさんは話す。
「先生の病室は縦が約七メートル、横が約五メートルの広さです。白っぽい壁は鉄製で、『マシンガンで撃たれてもびくともしない』と説明を受けました。病室の窓ガラスも防弾ガラスだと聞きました」
 まるで軍事施設のような堅牢さだが、一歩病室へ入ると、そこには瀟洒(しょうしゃ)な洋間が広がっているという。
「先生の病室にはキングサイズのベッドがあり、シーツ、掛布団カバー、枕は全て金色のペーズリー柄でした。ベッドの側には、小さなテーブルと椅子が置いてあり、お元気なときには、そこでよく筆ペンを手にとって和歌を詠んでいらっしゃいました。
 他に来客用の応接セットもあります。テーブル、ソファーと椅子が二つ。
 また病室には絨毯が敷かれているのですが、『バッキンガム宮殿に使われている絨毯と同様のもの』と言われました。一般の病室とは全く違い、外国の洋館みたいなお部屋なのです」
 備え付けの棚には、大きなテレビ、先述した著作や写真などが並ぶ。花瓶には様々な種類の生花が飾られていた。

「香峯子(かねこ)夫人が週に何度か病室にいらっしゃって花を取り換えていました。エレベーターで五階へ上がるときは、警備員や看護師などのスタッフは整列してお迎えするのです。夫人は長居することもなくて、一時間くらいでご自宅に戻られることが多かった」 また、池田氏の病室では重要なルールがあった。
「一番初めに注意されたことは『病室の電気は切ってはいけない』ということでした。先生は明かりが消えるとよく眠れないそうなんです。昼夜逆転されることも少なくなく、昼間に眠ってらっしゃることも多かったですね。病室の天井は折上天井になっていて、蛍光灯が何十本も取りつけられていました」
 実際、南元センターの周囲から池田氏の病室とされる場所を見上げると、記者が確認を行った夜には、いつもブラインドの隙間からかすかに明かりが漏れていた。
 厳重に警護された池田氏の病室。そこに足を踏み入れるのは夫人など池田氏の家族と医療スタッフ、ごく限られた学会の幹部だけだったという。
「池田先生の側近の方はいらしています。幹部の中でも本当に重職の方がいらしていました。先生が話ができたときには、病室の隣にある会議室でいろいろ話をされていたようです。
 髪の毛やお顔は来客があるので、二日に一度くらい手入れしていました。髪型も皆さんがご存知のオールバックです。先生はいつも身ぎれいにしていらっしゃいました。髭は電気カミソリなどで丁寧に剃らせていただいています。夫人からも見た目には気を遣うように指示が出ていて、きちんとさせていただきました」
 先述したように、池田氏は一年以上も公の場に姿を見せていないが、
「学会系の新聞や雑誌には、池田先生のメッセージや対談の様子が描かれています。先生はそんなことが出来るようなお体ではないのに……」(Aさん)
 確かに、学会の機関紙『聖教新聞』によれば、地震発生後の三月二十一日、池田名誉会長は東京・新宿区の創価学会第二別館で勤行を行ったと報じた。また、五月三日付の同紙には夫人とのツーショット写真が掲載されており」キャプションには〈4月19日、東京・新宿区で〉と記している。

 南元センター取材は「拒否」 

一方、生きているという説には

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2014年12月7日の午前中、池田SGI会長は横浜市中区の神奈川文化会館を訪問しています。
新宿区信濃町の学会本部、慶應義塾大学病院など周辺しか移動できない病状だったのですが、横浜市中区の神奈川文化会館まで移動できるようになったのは、回復していると察します。

また、池田SGI会長の病状は幹部は知っています。しかし、一千二百万人の会員に心配を御掛けしない為に、詳しい病状を公開しない配慮であり、秘密とか死去を隠している訳ではありません。

現に昨年12月7日に横浜の一部の会員には池田SGI会長の姿を拝見しており、激励の言葉やメッセージを池田SGI会長が送っています。
上層部の幹部は、言葉を発する事は可能との事です。ですから、メッセージを送る事も可能なのです。

池田SGI会長が会合に姿を見せないのは、60年以上も長い広宣流布の闘争で大変疲れた体に負担をかける事は控えたいとの思いから、出席をしないだけです。

その事は、幹部のほとんども御存知であり、会員も納得しています。

ですから、池田SGI会長が亡くなっているとか、植物人間のような危篤状況ではないと断言しておきます。

植物人間の状態で、新宿区信濃町から横浜の神奈川文化会館まで移動して、勤行・唱題ができるでしょうか?
移動できる程、病が回復していると慶應義塾大学病院の主治医が、外出許可を出した訳ですから、それだけ回復していると言えます。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12140965307

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がありますが、このベストアンサーへの質問者からは

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あなたは、どこまでスットコドッコイなんですか?

>現に昨年12月7日に横浜の一部の会員には
>池田SGI会長の姿を拝見しており


俺が小学生の頃「ツチノコを見た」と言う目撃証言が
たくさんあったな~^^

病気だったけど、今は回復して元気なら
本部幹部会に出席して
元気になった姿を
全国の創価学会員に中継するはずでしょ^^v

ドットの荒い新聞の写真と
「じつは元気なんです」と言う伝聞しか
出て来ない時点で、真実に気付こうよ!

創価学会は盲信だ!池田大作は、もう死んだ!
そこんとこヨロシク

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と馬鹿にされています。

私の見解は池田大作はとっくに死んでいるというものです。というのは聖教新聞に出た池田大作の写真をご覧ください。

 

わざとこういう死体のような写真を見せて会員がXデーを迎えた時に動揺しないように配慮していると思われるからです。

もちろん池田大作の死が公表されたら創価学会はバラバラになるでしょうが、本流は香峰子夫人が次の会長になり、そこでワンクッション置いた後で長男が跡を継ぐと見ています。というのは創価学会は世襲制にはしないと何度も繰り返し池田大作が述べているからです。もっとも創価学会のことですからそのような正論などは無視する可能性もあります。


日蓮の「祈祷抄」を読む

2016年07月17日 | 宗教

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(遂に決定版が出ました。既に増補改訂版を購入された方  には無料で差し上げました) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531 決定版は出版される可能性もあることをお知らせします(あまり期待しないでください)。

_____________________________

また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 最新の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp (クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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大地は ささば はづるる とも 虚空を つなぐ 者は ありとも
潮の みちひぬ 事は あり とも 日は 西より 出づる とも
法華経の 行者の 祈りの かなはぬ 事は ある べからず

続いて現代語訳を読んでみましょう。

 

たとえ、大地をさして外れることがあっても、大空をつなぎ合わせるものがあっても、潮の満ち干がなくなることがあっても、太陽が西から昇るようなことがあっても、法華経の行者の祈りが叶わないことは絶対にないのである。

つまり、どのように不可能なことが起きても法華経の行者の祈りに不可能は無い、と言っているわけですね。日蓮は日蓮密教という言葉があるぐらいですから祈祷を盛んに行っています。浄土系の有名な高僧と祈雨(要するに雨乞いです)の競争をして勝ったり(といっても一週間の間に雨が降ればいいのですが)、一旦は死んだ母親を祈りによって3年寿命を延ばしたという言い伝えもあります。

私の知っているチャイナパブのホステスさんに占いの出来る人がいました。その人と同伴した時に、あなたは絶対に結婚しない、とか、私が子供たちと会えるのは私が入院した時だ、と言われました。また感応性が高いのでしょう。私は硬い椅子に座ると坐骨神経痛が痛むので痛さを我慢しながら彼女の話を聞いていたわけですが、彼女も私の痛さを感じて顔をしかめていました。そして、私の希望を叶えるためには彼女の師匠に当たる人に3万円を支払うように言われました。聞くところによれば線香でお札を燃やして祈祷するとのことでした。私は相場が高すぎると思い(当時の中国の公務員の月給が8千円程度でしたから)、日中友好協会に電話して3万円をどう思うか尋ねたところ、「私たちは日中の友好を目指している組織だからその人の悪口は言えないけれど、余りにも高すぎるから無視した方がいい」と教えてくれました。それで私がホステスさんにそのことを教えると、怒ってしまい、メールのやり取りが出来なかった思い出があります。

またある有名な占い師二人に占ってもらったところ、一人は今年中に100%家族と和解すると言い、一人は復縁は難しい、と答えました。全く逆の占いの結果が出たわけです。

ですから人生を変えるためには祈祷をする必要があります。禅宗では大般若祈祷を除いては祈祷をしません。しかし、道元の次の言葉を読めば最も密教から遠く合理的な宗教と思われている禅宗でも実質的には祈祷をしていることが分かるでしょう。

「自己を運びて万法を修証するを迷いとす。万法進みて自己を修証するはさとりなり」

これを私なりに現代語に訳してみます。(本当は無いはずの)自分が一生懸命あらゆる存在の真理をきわめて悟ろうと思っているうちはまだ迷っている証拠である。全ての存在が自分の思い通りに真理を示し始めたときに本当の悟りと言えるのだよ、という意味です。これは考えてみると物凄い奇跡が起こることを意味しています。

ですから、占いだけでは何の意味もなく祈祷してこそ人生は変わるわけです。深夜を過ぎたので今日のブログはこれで終わることにします。


拡散文書(どこまで本当かは責任を持ちません)

2016年07月14日 | 宗教

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(遂に決定版が出ました。既に増補改訂版を購入された方  には無料で差し上げました) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531 決定版は出版される可能性もあることをお知らせします(あまり期待しないでください)。

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 最新の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp (クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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拡散文書

公明党(創価)が、一般人や学会員を病気にしたり、事故に合わせたりする、危険な組織だって事が世間に知られてないので、拡散させてます

犯罪組織を特定して、拡散していく事で、この犯罪は減って行きますから、メクラ滅法にバラまいて、世間に浸透させてます

この犯罪の主犯各は、アメリカ諜報機関(スパイ組織) のNSA(アメリカ国家安全保障局)です

創価が、アメリカ諜報機関CIA (アメリカ中央情報局)の下部組織ってのもあって、これは『NSA』っていうスパイ組織が、創価を利用してやってる犯罪です

公明党が与党になってから、精神科、心療内科が急増、障害者手帳を持つ人が急増、向精神薬の売り上げ急増、教師の長期休暇急増、精神障害になって労災請求する人が急増してます。何十年にも渡って、人知れず多くの人に災いを与えて来た政党が、公明党です。逆に言うと、公明党が野党に転落、もしくは政界から退けば、この卑劣な犯罪は激減するって事です

この犯罪は、人工衛星を使ってやるので、地球上のどの地点にいようと、どんな建物の中に入ろうと、継続的に、監視追跡出来ますし、どこに居てもピンポイントで、痛みやカユミや病気を作れます

NSAは、生き物を意のままに操る技術も持ってますし、あらゆる痛み、あらゆるカユミ、あらゆる病気を作り出す技術も持ってます

NSAは、気象を操作して、大雨を降らす事も出来ますし、地震すらも人工的に作り出せます。元NSA職員が、東日本大震災は人工地震だったって、内部告発してるくらいですし。熊本地震もこいつらの仕業です。この世の災いは、ほぼ全てこいつらが作り出してます

NSAは、世界中に通信傍受(盗聴)施設を配備してるので、地球上のどの地点にいても、盗聴出来ます。青森県三沢基地には、 NSAの電波傍受施設がありますし

NSAは、遠隔神経監視(リモートニューラルモニタリン
グ)技術を使って、世界中の人間を24時間体制で、監視してます

世の中のほぼ全ての人を、24時間体制で監視盗聴して、その家庭の家族構成、生活スタイル、家庭環境等の情報を取り込んで管理し、創価の用途に応じて、それに適した人間を瞬時に選び出して、功徳や仏罰や嫌がらせに利用します

創価公明の嫌がらせの手法のひとつに、ノイズキャンペーン(騒音の嫌がらせ)てのがあるんですけど、救急車のサイレンで嫌がらせする為だけに、わざわざ重篤な患者を作り出しますし、パトカーが付きまといをする集団ストーカー(ギャングストーカー、ガスライティング、コインテルプロ、自殺強要ストーキング)は、警察に通報させないように、警官を操って、いかにも警察が嫌がらせしてるように、工作します。警官は、自分が操られてる事に気付いてません。これらは全国でやってますから、警察関係者は知らぬ間に、多くの人に恨みをかってるって事です。警察の内部事情は全て筒抜けで、パトロールに行く時間も全て把握してますから、それに便乗する形で警官を操り、定規で測ったかのような、神懸かった抜群のタイミングで集ストします

行く所行く所で周りの人が咳払いしたり、くしゃみをしたりする集団ストーカーは、被害者の周りの人に波動を当てて、咳払いやくしゃみをさせてるだけです。いかにも集団でストーカーしてると思わせて、心理的負担をかけてるだけです

くしゃみをした時の周波数と、同じ周波の波動当てると、人為的にくしゃみを出させる事が出来ます。アメリカがこれで特許取ってるんですけど、例えば、TBSラジオは90.5MHz(メガヘルツ)、ニッポン放送93.0MHzに周波数を合わせると、これらのラジオを聴けます。これと同じように、食欲が湧かない時の周波数、眠れない時の周波数、パニック障害に陥ってる時の周波数って具合に、それぞれの周波数と同じ周波を当てると、ラジオが切り替わるように、その状態に切り替わって、意識操作や精神疾患を作り出せます

生態の周波数コードを読み取って、脳波パルス信号に、同じ周波数を送ると、波動が共鳴して、その状態に切り替わります。例えば、人が右に曲がる時の周波数コードを読み取って、その周波数と同じ周波数を送ると、いとも簡単に右に行かせる事が出来ます。これを利用すれば、警官を操って、パトカーに集ストさせる事も、たわいないです。好き嫌いの感情、食欲等を操る事なんか、造作もないです

例えば、蛍光灯に虫が集まるのは、ある決まった周波数の紫外線に、吸い寄せられてるからです。逆にいうと虫ですら、周波数で操作が可能って事です。虫は、波長340~350nmの紫外線に引き寄せられやすいです。昆虫類は、それぞれが違った周波数の光に誘引される性質があるんで、どんな虫でも周波数を変えると、自在に操作が可能って事です

創価が仏敵によくヤる、家の中に害虫を呼び込んだり、カラスを屋根の上に集めて暴れさせたり鳴かせたり、犬を吠えさせる嫌がらせも、波動(周波数)を用いてヤってます

ちなみに、27~38Hzで不眠に、48~55Hzで喘息に、50Hzで生理痛、52Hzでてんかん、60Hzで痙攣、88Hzで片頭痛が引き起こされます。それぞれの病気が、それぞれ決まった周波数を持ってます。これらの周波数と同じ周波を当てれば、どんな病気でも作り出せるって事です

この、遠隔から痛みや病気を生み出す技術力を使って、主に公明の支持母体、公明の栄養源である、創価の活動家が病気にされます。病気になると信者は仏にすがって、学会活動や選挙活動に精を出すようになります。その為、活動家は定期的に病気にされます。モチベーションを上げさせる為の、起爆剤みたいなもんです

信者は、NSAの科学技術で病気にされてる事に、気付いてません。皆、魔(仏罰、現証、非科学的な原始的発想)にヤられてると思ってます。病気だけじゃなく、事故に合わせたり、怒りの感情を高めさせて、家庭不和にしたりして、不幸を作りあげます。毎日が平和だと、仏にすがる必要がないので、皆ヤメちゃいますから、定期的に不幸を与える必要があるわけです

多くの人を病気にして来てるのに、この犯罪が、世間に全く漏れ出してない理由は、私生活を監視盗聴して、生活に沿った病気や痛みを与えて来たからです。重い物を持ったら腕に痛みを与えたり、ツラい事があったら鬱にしたり等。つまり私生活に便乗して、不自然にならず、違和感を持たせず、痛みを与えたり病気にして来たから、今までバレずにきたわけです

創価は、創価に入って題目(南無妙法蓮華経)を唱えれば、どんな病気も治るって事を売りにしてます。医者が見放した不治の病も、題目を唱えれば治るっていう触れ込みで、信者を募ってます。あれは、波動で病気を作り出し、題目あげたら波動を弱め、題目で治ったように見せかけてるだけです

創価の本尊を焼いた人は、家が火事になったり、灯油を自分にかけて焼身自殺したりします。あれも遠隔操作でやってます。火に鍋をかけてるのを忘れさせたりして、違和感を持たせずに火事にします



昔、ビートたけし氏が、顔の原形を留めないくらいの、バイク事故を起こした事がありましたけど、あれもNSAの仕業です。たけし氏は事故に合う前に、創価の本尊にへのへのもへじを書いてます

創価は恐怖政治、恐怖支配の一枚岩で成り立ってるので、恐怖心を植え付ける為に、こういう事をします

この犯罪を取り締まる法整備が成されてませんから、法整備をせざる得ない状態にする効果、拡散する事での犯罪の抑止効果、何も知らずに創価に入信する情報弱者を減らす効果等を狙って、バラマキしてます


勝劣派とは

2016年06月15日 | 宗教

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(遂に決定版が出ました。既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げました) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

決定版は出版される可能性もあることをお知らせします(あまり期待しないでください)。

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。(写真を一部入れ替えています)http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp(クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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 所依の法華経を構成する二十八品(28章)を前半の「迹門」、後半の「本門」に二分し、本門に法華経の極意があるとする[2]

分派[編集]

勝劣派は、本仏の位置づけ[注釈 1]によって、思想面で大別して二つの分派がある。

 

 

  • 釈尊を本仏とする勝劣派:日什門流、日隆門流、日真門流、日陣門流、上記及び日蓮宗寺院を除く日興門流(富士門流)[3]日奥門流不受不施派[4][注釈 4]

日興門流(富士門流)以外は、いずれも一致派の諸門流から分岐して成立したものである[注釈 5]

勝劣派内には室町時代から宗祖本仏論争(富士門流(日蓮正宗大石寺)の日蓮本仏論、八品派の宗祖本仏繰り越し本仏論[要出典]など)がある。

歴史[編集]

明治[編集]

 不受不施派を除く日蓮門下の全門流は1872年(明治5年)に日蓮宗の名称で教団を形成するも、1874年(明治7年)に教義の違いから日蓮宗一致派と日蓮宗勝劣派に二分した[5]。その日蓮宗勝劣派も、1876年(明治9年)には門流ごとに下記の勝劣五派に分立し、解散した。

 1900年(明治33年)にいたり、本門宗に属する大石寺とその末寺は、本門宗から独立して日蓮宗富士派を組織[15][16][8]1912年(明治45年)には日蓮正宗と改称し[17][8]、勝劣派の宗派は6教団となった[18][注釈 6]

大正[編集]

 日蓮門下では、明治・大正期から昭和初期にかけて勝劣派・日什門流の本多日生が主導する、日蓮門下の諸宗派の統合をめざす運動があった[19][20]

本多日生は、日蓮宗妙満寺派(什門流)の僧侶、顕本法華宗の管長(位1905-1926)。『仏教各宗綱要』編纂時の、いわゆる「四箇格言削除問題」[注釈 7][注釈 8] に端を発する、 他宗僧徒との対決のなかで1896年 (明治29年)に統一団を結成する[注釈 9]。しかし妙満寺派の統一団ということに限界を感じ[注釈 10]、民間人とともに1909年 (明治42年)天晴会[注釈 11]を創立した。 [21]

設立当初の顔触れは、各界多岐にわたり、全国規模の講演会も催されたが、天晴会会員であった山田三良 (東京帝国大教授) らによって、在家主導による日蓮主義を目指した法華会[注釈 12]1914年 (大正3年) に設立されると、知識人の多くは法華会に移行し、本多日生は1918年(大正7年)3月に自慶会を組織して再生を試みているが、1920年(大正9年) 以降の 天晴会の活動は全く鈍化した。[22]

在家・社会に対する活動は大きく後退した一方で、宗教界に対しては本多日生の主導で、1914年(大正3年)、日蓮門下7宗派[注釈 13]の管長が池上本門寺に集って、「各教団統合大会議」を開催、同年12月、「日蓮門下統合後援会」が組織された。翌1915年(大正4年)6月、一致派の日蓮宗が離脱したのを除く、勝劣派の6宗派[注釈 14]の統合が成立した。また、1917年(大正6年)、門下合同講習会が開催され、同年11月には統合修学林を開校するにいたった[23]

その他、日生は門下の9宗派[注釈 15]とともに、日蓮に対する「大師」号の授与運動を展開した結果、1914年(大正3年)11月、宮内省より日蓮にたいする「立正大師」の謚号宣下が行われた[24]

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究極の矛盾&kについて

2016年05月14日 | 宗教

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(遂に決定版が出ました。既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げます) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

決定版は出版される可能性もあることをお知らせします。

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp(クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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私はしばしば宗教と政治の問題について考えることがある。例えばアメリカ人のほとんどはキリスト教徒の筈であり、福音書には「汝の敵を愛せ」とか「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」と書かれているのに、アメリカ政府は戦時国際法を破って日本に都市大空襲や原爆投下など実に惨い行為をしている。イラクへの無差別攻撃などを見てもキリストの教えと全く矛盾した行為をしているのである。アメリカが軍産複合体と言われる所以である。

一方日本でも創価学会の名誉会長の池田大作は(既に死んでいるそうですが)、「この人生 勝って 勝って 勝ちまくれ」という交通標語のような歌を詠んでいるが、日蓮は勝つことを教義にしているだろうか?

よく映画などで蒙古襲来の時は日蓮が懸命に祈祷をして神風をふかせたシーンが現れるがこれは全くの誤りである。日蓮は国家諌暁をして受け入れられなかったために身延山に籠ったわけだが、その時の御書(日蓮遺文集のことです)を読むと、日蓮のいうことを聞かなかったために諸天善神は日本から去り、また蒙古の神のほうが日本の神よりも位が高いので日本は蒙古の侵略されるだろう、と書いている。元寇が神風により撃退されたと聞いても断じてそれが本当だとは思わなかった。今で言えば日本は中国の植民地になった方がマシだと言ったわけである。

つまり日蓮の生涯を見る限り、そこには「勝つ」という意識はない。つまり日蓮は勝ったのではなく去ったのである。

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全く関係の無い話をしますが、このところ2度にわたりkからプロバイダー責任制限法を使って、私のブログからKの記事を削除するように求めてきました。私はこれから八王子市と母親を保護措置と称して監禁した事件について0からやり直すことになったので、大事の前の小事と思い、ブログからkの具体的な名前を削除してきましたが、 仏の顔も三度までという言葉があるように、今後は一切そのようなことはしません。

名誉棄損の3要件は、真実性、公共性、公益性、の三つです。私の記事はその3要件を満たしているので名誉棄損には当たりません。kも弁護士に相談すれば分かるでしょう。

kの「ベオグラード1999」は新左翼のkが右翼の一水会の会長木村三浩を茶化す映画である。私はセルフドキュメンタリーを「不幸自慢の映画」と造語で表現したが、この映画の中でkは自分の恋人が鬱病になり自殺する様子を撮っている。これは「他人を不幸にする映画」と言われても仕方ないだろう。この映画に対する批評を以下に引用する。

加瀬修一(プランナー/ライター)

 初めて『ベオグラード1999』を観た時、これはナショナリズムへの拒絶反応や権力志向への嫌悪、右翼思想に対する批評的なドキュメンタリーというよりも、私小説というか映像詩というか、金子遊という1人の青年の10年間の魂の放浪と総括だと思った。自分史をかつて存在した国家と亡くなった元交際相手を対比して描こうとしながら、上手く噛み合わずギクシャクした感じ、決して器用ではない監督の人柄をよく表していると思う。上映後打ち上げの席で、感想を伝えつつ気になっていたことを聞いた。「ご遺族に許可は取っているんですか?」と。それに対して監督は「まだなんですよ」と答え、僕は「公開を考えているなら、出来るだけ早くきちんとお話をした方がいいですよ。一番大事なことなので」といった。その後宣伝協力として何度もお誘いを頂いたが、僕は性根を据えてやるといえなかった。それは本作が右翼を扱っている作品だからではない。監督がこの作品を通して何を感じ、考え、何を伝えたいのか。ご遺族への対応も含め、その為に具体的に何をしなければならないと思うのか。そこが最後まで聞けなかったからだ。僕は宣伝協力を降りることを選んだ。それから時間も経ち、『ベオグラード1999』は劇場公開されることになった。自主配給・宣伝で公開にこぎつけることがどれだけ大変だったか想像に難くない。そのことは素直に嬉しく思う。今回レビューを書くにあたって久しぶりに観たのだけれど、以前とは編集が随分と変わっていた。このバージョンに落ち着くまでの経緯は色々と聞いている。しかしそれは考え方なので良いとか悪いとかいう問題ではない。選択があるのみだ。彼女の死が大きなきっかけとなって始まった10年の記憶の旅と映画作り。語るべきは大きなことではなく小さなこと。その答えに辿りついたなら、「東京地方裁判所民事第9部にて、「上映禁止」仮処分の取り下げを勝ちとりました」はないんじゃないだろうか。何故争わなければならなかったのか。もちろん手を尽くしてもそうなってしまうこともあるだろう。ただ未だ悲しみの底に沈んでいるご遺族に、監督の意思と制作の意図を説明しきれなかったのだろうか。もっと時間を掛けるという選択肢もあったのではないだろうか。裁判になってしまったことが残念でならない。「東京地方裁判所の検閲により、一部の音声がカットされています」という大仰な文言も、個の問題を公の問題に拡大解釈しているような違和感があった。「彼女は世に出たい人だった。だから彼女は喜んでくれているはずだ。ご遺族もいつかわかってくれると思う」監督はそういった。確かにそうかも知れない。でもね、こうも思う。いまわかってもらうことが大事なんじゃないかって。わかってもらおうとすることが大事なんじゃないかって。音声(彼女の名前と亡くなった理由)が削除され、ピーっと音が入る度になんともいえない気持ちになった。監督に覚悟がないなんて間違ってもいえない。思ってもいない。ただ、僕とは考え方が違う。ご遺族に一日も早く監督の真意が伝わることを切に願う。
http://eigageijutsu.com/article/169458798.html

これを読めば「ベオグラード1999」がいかに非人道的な映画か分かるだろう。私がいつも言うように日本の実験映画には理論的支柱には松本俊夫という存在があったが、倫理的支柱が無かったことが最大の失敗だったという典型例である。

私は木村会長とは新宿ロフトワンで名刺交換をしたことがあり、また呉竹会の廣瀬事務局長と会談した際に直接木村会長に電話を掛けて「ベオグラード1999」に出演した感想を聞いたところ「一言で言えば腋が甘かった」と言われた。私が直接聞いたのだから間違いありません。

またkはこの映画を撮った後に私を主人公にして映画を撮りたいのでOKを出し、何度か撮影をしたが、妻子の失踪が創価学会の裏舞台と関わっていることが分かり始めたとたんに撮影を中止した。最初kは創価の裏舞台の真相を知って悲憤慷慨するかのような仕草をして自分から微笑禅の会へ入会するといったが、会費を払わないので電話を掛けたところ、軽い調子で「お金がないんですよぉ~」と答えたが、その一方で個人映画作家たちに『フィルムメーカーズ』を書かせていることを知った。また高名な実験映画作家たちにもインタビューを通して接近しているが、もちろん私の貢献は触れていない。このようにkの変節振りが分かったので私は微笑禅の会からkを除名処分にしたのである。

またkが編集した松本俊夫の『逸脱の映像 拡張・変容・実験精神』については私の研究本を編集していた早稲田大学大学院の後輩・佐藤洋君から聞いたところでは、月に一度松本先生を囲む勉強会があり、松本先生からこの本をkが編集したと聞いて顔を曇らせた教授がいた、とのことである。

私がkについてブログで書いて来たことは、個人映像、実験映像の研究と批評の先輩としての忠告である。彼のような人間がオピニオンリーダーになっている現在の個人映像の世界に私は全く興味を失っている。

kから山崎幹夫のメルアドを教えて欲しいと言われたので山崎幹夫のHPから入ることを教えたが、山崎にも本の執筆を依頼しようとしたようだ。しかし山崎幹夫は直観的にうさん臭さを感じて無視したと聞く。さすが微笑禅の会の名誉会員だけのことはある、と思ったものだ。

もう一度繰り返す。私は今後の個人映像、実験映像の発展を願ってkの言動をブログで紹介したのであるから、これは公益性と共に公共性を満たしている。kは「みなし公人」なのだから今後は個人映像、実験映像のために身を粉にして努力してもらいたい。私もみなし公人であり、例の中傷ブログは公益性も公共性も全く関係のない単なる嫌がらせとストーカー行為だが、公訴時効を考えて顧問弁護士と打ち合わせをしている最中であることを中傷ブログの常連たちに伝えておく。

 


総体革命とは

2016年03月12日 | 宗教

ブログを読む前に集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(近々決定版が出ます)http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

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 また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。

今月の春名先生を囲む会では私が講師となって「合気道の歴史と簡単な実技」を行います。

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嬉しいお知らせがあります。柴原さんと出会ったところ「ムササビヒーリングの家」を経営されアンチエイジングから遠隔ヒーリングまでされていました。今月から「春名先生を囲む会」に参加されます。

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今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。

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■「総体革命」  (ネットより抜粋)
①総体革命(そうたいかくめい)とは、創価学会で使われる用語であり池田大作が第3代会長に就任した1960年代以降強力に推し進められた政界、官界、言論界、教育界、法曹界、医療界など各界、社会全般への敬虔な信仰を持った多数の創価学会員の人材育成でそれらを横断した社会の改善の実践力を確保し仏道修行や広宣流布運動に用いられた総称である。

②仮にその最終的な決定権が絶大な威力を発揮する警察界や検察界の大多数が創価学会員によって捜査機関を占められ
あるいは許認可権の権利を有する官僚界が大多数が創価学会員によって占められ同じ創価学会員だけを極度に優遇する職権乱用が起きたならば創価学会員だけ逮捕・起訴されない創価学会企業に有利な規制が引かれる事になりそれら各界の影響力を用いた創価学会による日本国家の乗っ取り計画だと批判されています

③政界、官僚、企業、マスコミ、検察、裁判官などに学会員を送り込み、日本の要所を掌握し池田大作(創価学会)
を日本の最高権力者にし、支配してしまおうという大変危険な思想である。既に学会員は各所に送り込まれており、長い年月をかけて着々と遂行されている。


【多々類似点のある大事件_共通事項】

①綾瀬コンクリート事件
被害者:若い女性
残酷さ:最悪
警察:警察・裁判所・メディアともに連携して組織を隠蔽。総体革命のなせる業
http://www.asyura2.com/11/nihon30/msg/632.html

②島根女子大生殺人事件
被害者:若い女性
残酷さ:最悪
警察:当初すぐに解決すると言われていたが、いまだ犯人特定できず
http://news.livedoor.com/article/detail/5124452/

③尼崎連続殺人事件
被害者:若い女性、他多数
残酷さ:最悪
警察:角田美代子の自殺(他殺?)により、一人の責任にされて収束させられた
http://matome.naver.jp/odai/2135060627426014201

④ペッパーランチ監禁強姦事件
被害者:若い女性
残酷さ:被害者が監禁途中に自力で脱出。2名以外に犯人がいたと主張するも聞き入れられず
警察:実行犯2名(信者)の単独犯行だと認定。外部で組織犯行を指摘されるも打ち消すように収束
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1296366657

⑤神戸市女児遺棄事件
被害者:若い女性(児童)
残酷さ:最悪
警察:ポリ袋に切断された遺体と一緒に容疑者の診察券が入っていて、君野容疑者を捕まえ事態を収束
*この容疑者への繋がり方は、逆におかしいと警察も感じるのでは?
http://etc8.blog83.fc2.com/blog-entry-2362.html


以上のように、
創価学会に関係する裏組織では、捜査が十分にできない現状をなんとかする必要があります。
各所で横断して総体革命を実行している現状であれば、各所で横断して総体革命を阻止する方法もあるのではないでしょうか?
ここの阿修羅掲示板では、たくさんの工作員がいるとされて実際にいることが良く分かりますが、この工作員の方々の言動でも、創価学会裏組織の実情が分かります。警察の方々へは適切な捜査が行われるように切にお願い申し上げたいです。何卒よろしくお願い致します。


ブッダとその言葉を原理主義から見れば

2013年08月16日 | 宗教

深夜を過ぎてしまった。

微笑禅の会ネット会報を書こうと思いながら、余りに多くのことが頭をよぎり、とりわけ「原理主義」「教条主義」がいかに人間の柔軟な思考と行動の邪魔になるか、この頃気づくことがあったため、それを説明しようとした。そこで、原理主義的な思考に基づけば、我々が思っているブッダの人物像やブッダの言葉ですら非常に曖昧なものであり、「釈迦は仏教を説かなかった」という逆説を証明するために、その第一人者だった故・中村元氏の研究の一部を紹介する。

中村元氏によれば釈迦の言葉に最も近いと思われるのは『スッタ・ニパータ』の第4章、第5章であり、その中にすら後世の解説が混じっている。私がかなり前に読んだ記憶では、釈迦の教えは結局諦観主義に落ち着くのかと失望したことがある。(漢訳で日本に伝わった仏典の中には『スッタ・ニパータ』はなく、仏教伝来以来、中村氏が生前に翻訳するまで仏教徒はこの事実を全く知らなかったのである)

これは別に釈迦を貶めるものではない。要するに原理主義に拘ると日本の伝統仏教は全て釈迦の言葉を誤解していたことになるが、大乗非仏説が出てもほとんど揺らがなかった事実が示すように、様々な思想の中でより優れたものを理解し実践していくことのほうが大切だ、といういいサンプルになるだろう。思想体系は固定すると死んでしまう。常に「遊び」の部分があり、そこで試行錯誤し、学び、実験する、という運動の繰り返しが必要だと私は思っている。中村元氏の業績もそこにある。清流が常に流れているように、自説も常に吟味し改良を加えるのが生きた思想だと思う。

http://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486/folder/1838140.html

仏教最古の経典『スッタ・ニパータ』よりもさらに古い資料を含むと言われているジャイナ教の聖典『イシバーシャーイム』(聖仙のことば)の中には、サーリプッタとマハーカッサバなどがブッダとして紹介され、サーリプッタが仏教の代表者であるとされている。そこには、なぜかゴータマ・ブッダの名前が全く登場してこない。これは一体どういうことなのか?
 
 
 このことに関して、中村元博士の解説を分かりやすくまとめた安部慈園先生の言葉を引用してみようと思う。(以下『中村元の世界』(青土社)P.142~145より引用)
 
 
 近年刊行されたジャイナ教の古い典籍『イシバーシャーイム』(聖仙のことば)は、四十五人の聖仙の思想を伝えている。仏教者としては、サーリプッタ(本文中ではサーティプッタ)とマハーカッサバ(アハーカーサヴァ)などが言及されている。彼らは、みな「ブッダ」と呼ばれているが、サーリプッタは特に「ブッダであり、阿羅漢(尊敬されるべき人)であり、仙人である」と呼ばれており、「慈悲の徳」を強調していた、という。
 
 
 奇妙に思えることであるが、仏教の開祖である釈尊が、本書中のどこにも言及されていない。むしろ、ブッダとなる教えが、サーリプッタ(など)の教えとして紹介されていることである。すなわち、初期のジャイナ教徒からは、仏教は釈尊の教えとしてではなく、サーリプッタの教えとして伝えられていたこと、つまり、サーリプッタが最初期の仏教の指導者と、彼らから見なされていたという事実である。博士は、そこから、次の如く推理される。
 
 
  【釈尊は臨終時にもアーナンダその他の多くの極く僅かの人々につきそわれていただけの微々たる存在であったが、それを大きな社会的勢力に発展させたのは、サーリプッタその他の仏弟子のはたらきではなかったか?】(⑫390項)
 
 と。さらに、
 
 【『聖仙のことば』に伝えられている・・・・・教えが歴史的に古い。もとのものを伝えていて、現在のわれわれが<仏教>と考えている内容が実は後代の成立のものであるかもしれないという可能性も考えられる。】(前同)
 
 と提起される。かくの如く、サーリプッタの一側面を論じられたのち、博士は、さらに、「ブッダ」という観念すなわち仏陀観の変遷を次のようにたどられる。以下は取意して述べる。
 
(1)最初期のジャイナ教においては、『聖仙のことば』を見るかぎり、聖仙はすべて宗教の区別を問わず<ブッダ>であった。
 
(2)ところが、サーリプッタだけが特にブッダであることが強調されているのは、彼がブッダになることを強調したからではなかろうか。
 
(3)『スッタニパータ』の古い詩句には、ブッダということばがでてこないのは、この時代の仏弟子たちは、釈尊を特にブッダとも思わなかったし、また特別にブッダと称せられるものになろうともしなかったからである。
 
(4)次の段階として、尊敬されるべき人を、一般にブッダとか仙人とかバラモン仙人とかバラモンと呼んだ。
 
(5)このうち、ブッダは特別にすぐれた人と考えられ、その呼称として用いられるようになった。
 
(6)ついに、ブッダとは釈尊(あるいは釈尊に匹敵し得る人)のことであると考えられるようになった。(⑫391-393項)
 
  サーリプッタが、「ブッダ」と呼ばれているのは、これらの発展の初期の段階を示している、と述べられ、さらに、博士は、
 
 【なおこの原典から見ると、当時<仏教>というものは認められていなかったし、開祖釈尊なるものも、後代になって現われ出たのであろうと考えられる。】(⑫393-394項)
 
 (引用 終わり)
 
 
 余談ではあるが、「中村元選集⑫」の中で、中村氏は次のように解説している。(以下 引用)
 
 【修行者をサマナ(沙門)と呼ぶことは仏教でもジャイナ教でもかなり古くから行われていたが、仏教でも理想の修行者を「バラモン」とよんだ段階のほうが以前であり、最古のものである。】P.207
 
 【ジャイナ教の最古の原典である『アーヤーランガ』のガーターの中ではどこにもサマナという語が出て来ないで、理想の修行者は「バラモン」と呼ばれている。また仏教最古の経典『スッタニパータ』のうちの最古の部分である「パーラーヤナ編」では理想の修行者はつねに「バラモン」と呼ばれていて、「サマナ」とは呼ばれていない。】P.208
 
 【仏の弟子という表現が最初期の仏教には見当たらない。〔この点はジャイナ教の場合も同じである。〕】P.228
 
  【マウリヤ王朝以前には、仏教徒たることを示す(インド一般に認められた)定まった呼称がなかったらしい。】P.234
 
 【仏教の最初期には、戒律の体系もなかったのみならず、戒律に関する一定した呼称さえもなかったのである。】P.283
 
 【最初期においては仏教特有の戒律なるものは存在しなかった。・・・・・そうして仏教の本質なるものは、戒律規定のうちにあったのではなくて、それによって実現される智慧、すなわち、実践認識の実現のうちに求められねばならぬのであろう。】P.297 
 
 【普通には釈尊はいつも多勢のビクを連れて歩いていたように考えられ、仏典にもそのように記されているが、それは後世の仏教徒の空想であり、最古のことばによってみると、釈尊は森の中でただ一人修行していた。『ゴータマはひとり森の中にあって楽しみを見出す。』(SN.Ⅰ,p.4 G.)悪魔がゴータマに呼びかけた語のうちにも、『汝は森の中にあって沈思』(SN.Ⅰ,p.123 G.)という。】P.335
 
 【釈尊が千二百五十人の修行僧をつれて歩いていたなどというのは、全くののちの空想の産物なのである。(千二百五十人もつれて練り歩くなどということは、今日のインドでもヴィノーバやシャンカラ法王のような崇敬されている人でも不可能である。食糧の手配だけでも大変である。シャンカラ法王が巡歴する場合でも、ついて行く人は数十人にすぎないし、それもバスや自転車によって食糧を運ぶからこそ可能なのである。)】P.336

 【最初期の仏教ではひとりでいることを讃えていた。】P.336
 
 【最初期の仏教修行者は寺院や僧房はおろか、住む小屋さえももたず、村人にもつき合わなかった。】P.337
 
 【『スッタニパータ』のパーラーヤナ編やアッタカ編を見ても慈悲の教えは殆ど説かれることなく、専ら「執着するな、こだわることなかれ」ということが教えられている。慈悲の教えは『スッタニパータ』の新層になって現われる。仏典とジャイナ教聖典との所伝が一致するところから見ると、慈悲の徳を特に強調したのはサーリプッタであり、それ以降仏教が急激にひろまったのだと考えられないだろうか。『聖仙のことば』に記されているサーリプッタの実践は、『スッタニパータ』に述べられているものに大体対応する。】P.395

中村元氏は、「中道」や「八正道」、「四諦」、「十二支縁起説」の成立時期について興味深いことを言っている。(以下 引用)
 
 『パーリ文「アリヤ・パリエーサエ経」がつくられたときには、中道も八正道もまだまとめられていなかったか、少なくとも重要視されていなかった。相当漢訳の原本がつくられたときに、漸く中道と八正道とがベナレス・サルナートの説法と結びつけて考えられていたが、しかし四種の真理の説は編纂者の念頭にはなかった。サルナートの説法と四種の真理とが結びつけられて考えられたのは、かなり後世のことだと言わなければならない。詩句(ガーター)の中にもサルナートの説法と四種の真理・八正道・中道と結びつけたものは一つも存在しない。』(『中村元選集・第11巻・p239)
 

ひろさちや 名僧のひと言より

2013年03月06日 | 宗教
http://shuchi.php.co.jp/article/1032(PHPのweb版から引用)

ひろさちや(宗教評論家)

[最澄のひと言]愚直に歩めば道は開ける

道を求める心があれば衣食のことは自然とついてくる。
だが衣食のことばかり追い求めていたら道を求める心は起きない。

 【原文】
 「道心の中に衣食あり 衣食の中に道心なし」(伝述一心戒文)

 唐から帰国した最澄は、日本の仏教界を再編すべく、文字通り東奔西走する毎日を送るようになります。

 まずは中国で学んだ教えを広めるために日本天台宗を開き、1つの宗派として正式に認めてもらえるよう朝廷に働きかけます。そして、教育制度を整え、後進の育成に道筋をつけ、比叡山の施設を充実させていきました。さらには自ら関東や九州にまで出向き、土地の人々に数えを伝えて歩いたのです。

 国から官費を受けられる立場とはいえ、いくらお金があっても足りない状況だったことは想像に難くありません。

 ですから、「道を求める心があれば、経済的なことは自然とどうにかなる」というのは、最澄の心の底から出た言葉だったのでしょう。

 実は、これと同じような言葉を、「さよなら、さよなら、さよなら」でおなじみの映画評論家、淀川長治氏も残しています。

 「自分の好きなことを何年も何年も一生懸命やっていれば、絶対に金で苦労しない。これは私の持論です」

 淀川氏は、少年時代から映画が好きで好きで仕方がなく、大人になってからも映画以外のことは考えられなかったそうです。

 もちろん、生活するためにはお金が必要です。

 それでも、淀川氏はお金を稼ぐために映画を見るということは決してしませんでした。ただがむしゃらに映画のことだけを考えて、映画のすべてを愛し続けたことが、いつのまにか映画評論家という肩書きに結びついていたのです。

 そんな淀川氏でも、テレビで映画番組を担当したときには、ちょっとした迷いが生じました。映画をテレビで放映する場合、放送時間の関係で監督の意向を無視した再編集をすることがありますが、映画評論家たるものがそんな冒涜に与(くみ)していいのか、と批判を受けることがわかっていたからです。

 しかし、淀川氏は、映画館に足を運べない人もいる、テレビがきっかけで映画のすばらしさに目覚める人もいる、そんな人たちのためにテレビ放映は必要だと結論。結果として番組は高視聴率を得て、淀川氏もお茶の間の顔になりました。

 一本気な情熱が、ここでも道を切り開いたのです。

 時代も、情熱を注ぐ対象も全く違う2人が、同じ結論に達したというところに、むしろ真実が感じられませんか。

 「道心の中に衣食あり、衣食の中に道心なし」――多少は苦しい道でも、愚直に歩み続ければ道は開ける。若い人にこそ覚えていてほしい言葉です。
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ひろさちやの本は2冊ほど読んだ記憶がある。あまりに平易な文章なので馬鹿にしてしまいがちだが、かなり的確なことを書かれていたと思う。

最澄が言おうとしたことと淀長さんの成功例は「道心」という一点において比較対象にならない。が、要するに自分の損得は抜きにして一つの道を究めていけば食うには困らない、という大雑把な括り方をいえば、両者に繋がりはある。

私には色んなジャンルに、しかも極端に違う分野に様々なアドバイザー的な人物がいる。確かにひろさちや氏の言うとおりそれぞれの分野で名を成しておられる。

一方、私の場合はしばしば書いているように器用貧乏の典型なので、一生をこの道に賭ける、という発想がない。何人かの人から「君は自分を他人ごとのように見ているところがある」と言われた。実際、ある時にはAに熱中し、あるときにはBに熱中し、という風に次々に興味の対象が変化していく。とにかく稽古や修行が好きで、それが趣味道楽に変化してコツが分かったらた別のものにチャレンジしてしまう。自分の職業を規定するのが嫌いでその時の縁に触れて自分の別の面の能力が開いていく。それを見ているのが面白い。
 
自分の中ではそれなりに大きな統一性があり、生きていく上で自然と乗りかかった船なのだが、花開くとき風雨多しの言葉通り、思いもよらぬ出来事が重なり、危篤からどうにか生還して、元のような体に戻るかどうか分からないが、人生を逆算しながら余生の使命をどういう順番でどう克服するか思案中といった所である。
 
道心の中に衣食あり 衣食の中に道心なし

この言葉を噛み締めると、非常に厳しい訓示だと感じる。今の日本に最澄から頭を撫でてもらえる生き方をしている人が何人いるか、疑問に思う。




三毒について一言

2013年01月28日 | 宗教
今日も簡単に、いつもの様にwikiから抜粋引用一部編集。
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三毒(さんどく)とは、仏教において克服すべきものとされる最も根本的な三つの煩悩、すなわち貪・瞋・癡(とん・じん・ち)を指し、煩悩を毒に例えたものである。

人間の諸悪・苦しみの根源とされている。 ブッダの説いた根本仏教、大乗仏教を通じて広く知られている概念である。 例えば、最古の経典と推定される南伝パーリ語のスッタニパータに、貪・瞋・癡を克服すべきことが述べられている。更に中部経典(マッジマニカーヤ)においては「三不善根」として記され、3つがまとめて論じられている。三毒(三不善根)は悪の根源であり、それが展開されて十悪となる。

大乗仏教でも妙法蓮華経譬喩品第三の、いわゆる「三車火宅のたとえ」に「ブッダは、衆生の生老病死、憂い、悲しみ、苦悩、無知、混乱や三毒から開放する為に三界に姿を現したのだ」と説かれ、三毒などの煩悩を家についた火に喩えている他、般若経・華厳経にも記載がある。

貪:貪欲(とんよく)。むさぼり(必要以上に)求める心。和文では「欲」・「おしい」・           「むさぼり」と表現する。
瞋:瞋恚(しんに)。怒りの心。「いかり」・「にくい」と表現する。
癡(痴):愚癡(ぐち)。真理に対する無知の心。「おろか」と表現する。
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これは仏教の基本的な戒めで、物凄くポップに例えると「金のことしか頭にない欲望と虚栄心」「憎悪と嫉妬心」「比較検討せず思い込む愚かさ、盲信」と言えるだろう。

我執に囚われた人間の根本的な愚かさのことで、放っておけば誰にでも3毒は隠れている。
 
ところで、この三毒を無くすためには以下の様な懺悔文(さんげもん)を唱えるのが仏教のルールになっている。

我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貪瞋癡(かいゆうむしとんじんち)
従身語意之所生(じゅうしんごいししょしょう)
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)

和訳

我れ昔(むかし)より造る所のもろもろの悪業(あくごう)は
皆無始(むし)の貪瞋癡(とんじんち)に由(よ)る、
身語意(しんごい)より生ずる所なり、
一切我今(いっさいわれいま)、みな懺悔(さんげ)したてまつる

このように懺悔した上で、大切なのは智慧の光に包まれて慈悲の心を持つ菩薩行を実践するだろう。

但し、である。汝の敵を愛せ、とか、慈悲や愛語で敵の良心を浮かび上がらせることが出来る、というのは、時と場合により、間違っている。

簡単な話、赤穂義士が主君の敵である吉良上野介に慈悲の心を持ち討ち入りを止めたらどうなるのか。井伊直弼に対する桜田門外の変がなかったらどうなっていたか、と考える、時により怒りの心は必要である。

この話題を続けているとまたブログが長くなるのでこの辺で止めるが、慈悲と怒りの使い分けは非常に難しい。
また暇なときに触れることにします。