長崎めぐみ教会 tearoom 2

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聖徒は一夜で造られず

2018-10-15 15:21:26 | ひつじかい日記(2)

 

2018年10月14日(日)

 

夕方、

本当は立山修道院の「黙想の家」に駆け込みたかったが、

めぐみの家でもそれはできると判断して、

聖書と聖書日課と携帯だけを持ち込んで、

一人、黙想と祈りの時をもつことにした。

 

まず、祈りは、

「一人になること」と、オズワルド・チェンバーズ先生の日課に書かれていたからだ。

 

初めての、

祈りの家での黙想体験。

大きな声を出しても大丈夫そうな2階の北側の個室を陣取り、

一人、聖書と聖書日課を開いて、主を待ち望んだ。

めぐみの家が与えられて三年ほどになるが、

初めての、2F個室で静まりの時だった。

 

6時過ぎに移動、入室。

一晩中、静かな深い神様との交わりを頂く予定だったが、

そのうち、

ドアの破れた部分や壁の汚なさが目につきはじめ、

二年前の夏に、この部屋にホームスティされた、フランス人大学生のテディのことが気になり始めた。

彼は、一ケ月近くも、あの暑さで、何も言わずに良くこの部屋で寝起きされたのものだ、

と、今更のように、気の毒に思えてきたりで、

何となく居心地が悪くなり、

結局、私は、11時前に、おずおずと退散して、自室に帰ってきてしまった。

徹夜で、しっかりと静まりの時をもつ予定だっただが。

 

立山「黙想の家」では、一晩、聖書だけで、心地良くゆったりと(寝?)静まれるし、

神様との親密な一夜を過ごせるが、

めぐみの家の2Fの個室は、何が違うのか、魂の落ち着きが感じられず、

これでは、むしろ礼拝堂の方が、「一人主の御前」のひと時をもてるとも思った。

 

聖徒は一夜ではつくられず、

それだけでなく、環境も大きく作用しているような気がした。

今夜の霊の山頂登山へのチャレンジは、もろくも、

山麓付近をウロウロと彷徨うだけで、全敗し、

「環境」という大壁にブチアタッタだけのような気がした。