「永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、
あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです。」
ヨハネの福音書17章3節
イエスを見上げることは、人の救いのはじめです。
聖霊が人の内面に働きかけて、真にキリストを知るようになるまでは、
真に霊的に目覚めているというわけではありません。
人の心(魂)に神様が働きかけられると、罪が意識され、今までの自分が、
いかに冷淡で、エゴスティックだったか、気づきはじめます。
それまでは、気軽な罪人でしたが、自分の内面に絶望した罪人になります。
そして、この絶望中で、みことば(聖書のことば)によってキリストを見、
神と自分とを隔てていたおおいが取り除かれ、
おそれからも解放され、
内側に真の自由と平安をもつキリスト者とされます。
・
・
私たちは苦しみの世に生きています。
人は誰もどこかに何がしかの苦しみを抱きながら生きています。
訪れようとしている苦難を避けようと苦慮します。
けれど、神の子らは、その苦しみの中で喜ぶ秘訣を体得します。
それだけでなく、苦しむことをも神に感謝し、患難をも喜びます。
苦難の中で、あの十字架の救い主を仰ぐことを知っているからです。
唯一のまことの神を知り、神の送られたイエス・キリストを知ることは、
永遠のいのちそのものです。
主に感謝しようではありませんか。
O・ハレスビー著「みことばの糧」から
あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです。」
ヨハネの福音書17章3節
イエスを見上げることは、人の救いのはじめです。
聖霊が人の内面に働きかけて、真にキリストを知るようになるまでは、
真に霊的に目覚めているというわけではありません。
人の心(魂)に神様が働きかけられると、罪が意識され、今までの自分が、
いかに冷淡で、エゴスティックだったか、気づきはじめます。
それまでは、気軽な罪人でしたが、自分の内面に絶望した罪人になります。
そして、この絶望中で、みことば(聖書のことば)によってキリストを見、
神と自分とを隔てていたおおいが取り除かれ、
おそれからも解放され、
内側に真の自由と平安をもつキリスト者とされます。
・
・
私たちは苦しみの世に生きています。
人は誰もどこかに何がしかの苦しみを抱きながら生きています。
訪れようとしている苦難を避けようと苦慮します。
けれど、神の子らは、その苦しみの中で喜ぶ秘訣を体得します。
それだけでなく、苦しむことをも神に感謝し、患難をも喜びます。
苦難の中で、あの十字架の救い主を仰ぐことを知っているからです。
唯一のまことの神を知り、神の送られたイエス・キリストを知ることは、
永遠のいのちそのものです。
主に感謝しようではありませんか。
O・ハレスビー著「みことばの糧」から
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます