今日は義姉(夫さんのお兄さんの奥さん)の
一周忌法要だった。
乳ガンで、享年53歳。
定期検診での早期発見が大事と
よく言われるのだけれど
そんな身近で亡くなっているにも関わらず
日々の生活の中で、他人事のようになってしまう。
どこかで、自分は大丈夫。
と思ってしまってるからなんだろう。
夫さんの家は禅宗なんだが
お寺に行くたび目にする、生活信条の一つ
『一日一度は静かに座って、身と呼吸と心を調えましょう』
もちろん今日の法要中にも配られた
お経の本にも書いてあって
長く続く
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(バチ当たりなアタシですみません
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アタシゃ、一日一度どころか
一日中静かに座って、身と呼吸と心を
調えまくっておりますよー
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と、さらにバチ当たりなことを
ぼや~んと考えていた
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この『静かに座って…』は
ま、坐禅のことであろうかと思う。
ソファーとカラダの間に
わずかなすき間もないくらい
貼り付いたようになっている体勢で
カラダも心も力を抜きまくって
ワカメのようになっていることとは
月とすっぽんくらい、違うのだ。
日本語の解釈とは難しいものである
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ブログを書いてる今、
こんな無理くりな首の角度で
私にくっついて寝ている小春。
おまえさんたちのおかげで、いつも心休まるよ
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こんな無理くりな首の角度で
私にくっついて寝ている小春。
おまえさんたちのおかげで、いつも心休まるよ
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会食の始めに、義兄が挨拶したのだが
1年経って生活は落ち着きましたかと
周りからよく聞かれますけれども
やっぱり、居た人が、居ない、生活には
なかなか慣れません。
と言っていた。
それは、私が義兄に尋ねたかったことでもあった。
1年では短すぎる。
では、どれくらいの時間をかければいいのだろう。
人によっても違うだろうし
男女でも違うのだろう。
義兄は遅い結婚で、義姉のほうは再婚だった。
自分たちの間には子どもはできなくて
結婚生活も長くはなかった。
いつも恋人どうしのようだった。
私がもし若くして(?)先立ったとしたら
夫さんはどんな挨拶をするんだろうかと
ふと、思った、よく晴れた秋の1日でありました。