葉織る。

言葉の中にそれを紡ぎ織った人が見えても、それは虚像かもしれない。

未経験の動きに。

2009-10-12 21:40:48 | 雑感
 10月12日の朝にNHKのニュースで、体育の日ということで、子供の運動能力についての特集をやっていました。
 東大の偉い先生を招いての、その内容は、

 ●運動能力の良し悪しは、遺伝とはそれほど関係ない。
 ●運動能力は、後天的な環境や訓練によって決まる。
 ●運動能力の訓練は、幼児期から小学校低学年ぐらいまでに始めると、効率がいい。
 ●運動能力の訓練は、(小さな子供の場合)専門的な動きに特化したものより、鬼ごっこ、縄跳び、缶蹴りなどの、遊びの中で自然に身につける方がよい。

 ・・・と。
 で、訓練で、なるべく多くの動きのパターンをプログラムし、状況に応じて適切な動きを、プログラムから選び出したり、パターンを組み合わせることで作り出したりする。
 その能力に長けていることが、いわゆる運動神経がよい、ということだ・・・
 と、大体こんな内容でした。

 書店のスポーツコーナーに行けば、こういう考え方の本が結構あるので、それほど目新しさは感じませんでしたが・・・「運動神経は訓練で伸ばせる」のは、その通りだと思います。
 でも・・・ん~、学問としてやっちゃうと、どうしてもこうなるんですかね。
 分析と分類。

 ただ、私にとっては、運動神経のよさというのは、「未経験の動きに、どれだけ早く順応できるようになるか」なんですね。
 ・・・と、言うと、おそらく学者さんは
 「未経験の動きでも、今まで経験して、修得した動きの中から、似た動きを選ぶとか、幾つかを組み合わせて近い動きにすればいいのだから、結局は蓄積された動きのパターンの数が物を言うのです」
 ・・・とか返してきそうな気がしますが・・・

 どうも、違うような気がするんですよ。
 「近い動き」ってのは、どこまでいっても「近似値」なんですよね。
 
 プログラムされてない動きを、すんなり再現できるような適応力?
 いや、動きのプログラムとか、パターンいう発想自体に、実は違和感があります。
 でも、動きをパターン化・・・分類、分析をしないと、学問として成立しないんですよね。

 例えば、それこそ幼児に顕著なんですが、同じ動きを練習させても、すぐ出来る子と、そうでない子がいるわけです。
 私は、ああいうのが運動神経の本質に近いと思うのです。

 そしてこれもまた、訓練で伸ばせるのではないかと思うのです。  

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