葉織る。

言葉の中にそれを紡ぎ織った人が見えても、それは虚像かもしれない。

そういえば文ストのアニメも始まるか。

2019-03-31 13:35:00 | 雑感
 昨晩と今晩にわたって、新解釈の明智小五郎がテレビドラマでオンエアされている。
 それをカミさんが録画しているのだが、昨晩は冒頭の一時間ほどをリアルタイムで観た。

 で、この記事は、そのテレビドラマというよりも、その時にゴロゴロしながら一緒に観ていたチーコさんの発言がテーマだ。

 ドラマの明智小五郎は、コンピューターに詳しく、サイバー犯罪を鮮やかに解決する人物として描かれていた。
 だからコンピューターに関わる専門用語や表現が多く、チーコさんは「コンピューターのことはよく分からない(だからついていけない)」とコメントしていた。

 実はチーコさんは大変な読書家で、私よりもずっと多くの本を読んでいる。
 その中には推理小説も含まれているし、江戸川乱歩は彼女の趣味に合う作家(文ストの乱歩は更に趣味に合うようだ)だと思う。
 多分チーコさんは明智小五郎と聞いて、その乱歩的なテイストを期待したのだろう。

 だが実際にドラマを観てみると、乱歩のイメージは感じられなかった。
 まあ明智小五郎の設定自体はアリかと思うが、演出の端々に違和感(カミさん曰く「思ってたんと違う」)があるのだ。

 特に、あの小林君はないだろう。文代夫人を演ずるのが石田ゆり子さんという英断を下しておきながら、これは一体どういうことか。
 小林君は道化ではないのだし、神木隆之介君辺りを起用できなかったのか。
 …まあそれは置いといて。

 チーコさんの「コンピューターのことはよく分からない」というのはつまり、このドラマの評価が低いという意味だ。
 チーコさんとしては、面白くないと感じた理由を具体的に述べたつもりなのだろう。
 だが、それが如何にも「とってつけたような理由」なために、ドラマ以上に違和感を感じてしまったのだ。

 何かのコンテンツを作る時に、多くの人が興味を持っていたり、知っていることを素材にするのは王道だ。
 だから例えばスポーツものであれば、マイナースポーツよりも野球やサッカーが扱われることが多くなる。

 だが、どんなジャンルを素材にするかは、重要な要素ではあるが、そのコンテンツの成否を決定づけるものではない。
 例えば将棋や麻雀を素材にした人気コンテンツはたくさんあるが、それらを楽しんでいる人たちのうち、将棋や麻雀を「よく分かっている」のはむしろ少数派だろう。
 そのコンテンツに根本的な底力があれば、扱っている素材やテーマがどんなにマイナーであっても、面白くなる(その筆頭として、かつて少年マガジンで連載していた「哲也」を挙げたい)のだ。

 で、チーコさんの発言は、それを分かった上で「あえてコンピューターのせいにしてみた」のではなく、「何だかよく分からないが、コンピューターのせいのような気がする」という短絡的なものであり、そこに違和感を感じたのだ。

 さて、チーコさんは時折こういう「ちょっと違和感を感じる発言」で周囲を困惑させることがあるのだが、さすがに高校も卒業して、その困惑の振り幅が小さくなってきたようだ。
 今後も多種多様な人間と接することで、周囲から「困惑」ではなく、納得や共感をしてもらえるような発言をできるようになれたら、まあ、いいなと思う。

 明日はチーコさんの初出勤だ。
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