引っ越しによって生まれた生活の変化はいくつもある。部屋数は減ったが、その分寒い部屋がなくなり随分過ごしやすくなった。大きな絵を描く場所としても重宝した台所は居間の中になって暖かくテレビを見ながらも立てるのが嬉しい。2階がなくなり夜中に起きてのトイレも楽チンに。これで階段を転げ落ちる心配もない。部屋数は減ったとはいえ車庫は2部屋分はある。続く。
20-12-11
引っ越しのときにも大活躍してくれたがこれは大正解だった。これまでの家も日当たりは良かったがさらに良くなり、見晴らしの良さが最大の変化。眼下に公園があり遠くには手稲山が見えるのだ。これも3階のおかげ。しかし、難点は3階まで外階段を上り下りしなければならないこと。特に厳冬期は怖いだろうし気を付けねばならない。でもそれはわずかな時間の注意で済む。
20-12-12
続き。この南に面した窓からは人の目が気になる窓は遥か彼方にしかなく、レースのカーテンも必要ないので風景はなおさらスッキリしている。3階なのにまるでタワーマンションの最上階に住んでるような気分をちょっぴり味わえる。西の窓の下には◯◯◯と◯◯の大きな駐車場が広がり、こちらも視界を遮るものはなく、幹線道路のその先には◯◯◯◯斎場が鎮座する。
20-12-13
先月の9日以来の卓球を楽しむ。たまたまこちらの引越し作業の忙しさといつもの相手の体調不良が重なりしばらくできないでいた。午前中にその人からの誘いを受け、喜んで体育館へ向かった。家もそれなりに整い、落ち着いてきたところなので絶妙のタイミングだった。荷物運びで歩いていたとはいえ、全身運動とは訳が違う。なんといってもラリーの楽しさは代え難い。
20-12-14
つい先日、座っているのに一瞬フラーッとしてめまいかと不安になった。もしかしてと居間の灯のヒモを見ると揺れていたのでホッとする。子供の時からこの仕草は条件反射のようになっている。揺れているのは自分でなく大地だった。最近は壁のスイッチが多くヒモ付きの灯は少ないから、何で確認するのかなと思ったが多分スマホでするのだろう。自分はテレビで再確認。
20-12-15
朝、地下鉄への階段を下りたところで手袋が落ちているのを見つけ、前を歩いていた人に声を掛けるとやはりその人のものだった。そして夕方、スーパーでの買い物を終え、手袋を履こうとしたら片方がないのだ。店内の通ったルートを探したがない。カウンターにも届いてないという。少し待ってから再び聞くがないとのこと。朝の人と同じ失敗をしても、こっちは戻らず残念。
20-12-16
日本から言葉がどんどん失われていく悲しさ。特に自分の言葉がなくなっている。これも美しい国が目指した結果が現れているのだろう。その信奉者であり擁護者であった菅首相が答弁するときの目線は下を向いたままで一切心を込めず作られた文章を淡々と読むだけ。これなら字を読める人なら誰でも代われそう。何より信じ難いのはこの非常事態に『エビデンス』とは何なんだ。
20-12-17
本格的な引っ越しから半月以上経ち、ほとんどの物を梱包から取り出したというのに見つからない物がある。それは60㎝と45㎝の直定規。それほど小さな物ではないので何かに紛れることはないと思うのだが出てこない。定規は他にもあるから差し迫って困りはしないけど気になってしまう。探すところがある間は比較的呑気に構えていたが今はそうではない。どこにあるのか。
20-12-18
なんとか25日までには投函したいので年賀状の準備に取り掛かる。これまではその年に発表した作品から選んだ作品の写真を載せていたけれど、今年はコロナのせいで個展もグループ展も中止になり、個展に出すつもりだった未発表のものになった。これまでの45年に渡る制作活動の中で外での発表のない年は初めて。そんな意味でも残念で悲しい年になってしまった。
20-12-19
今日で365日。ちょうど1年が過ぎた。そう、このブログを開いてから1年が経ったのだ。19歳の時のデッサンの掲載が10月末で、それまでずっとブログに深く関わってきたせいもあって、このための1年だったような気もする。コロナがなく個展もしていたら作品紹介はここまで進んでいなかったかもしれない。時間があったからできたとも言えそうだ。そして、2年目に続く。
20-12-20