コロナのおかげで社会の中で遅れている(取り残されている)部分が様々出てきているが、教育の分野でもその遅れは著しい。ネットを利用したオンライン授業をやろうにも、そもそもタブレットを渡されていなかったりネット環境が整っていない生徒の方が圧倒的に多いのだ。可能なのは全国的に見て5パーセントしかないという悲しさ。それなのに、戦闘機を買う金はあるようだ。
20-5-11
続き。教育に触れたら切りなくなるが、大事なことだけを繰り返し書いておきたい。住んでいる人たちの集団としての国を守るために必要なものはふたつ。それは食料と教育。他からの影響を受けずに自立するためにはこのふたつは必要不可欠。命をつなぐ食料と自分で考え行動し創造できる力をしっかり持っていれば、国を何とか維持できるし立て直しもできる。しかし、・・・。
20-5-12
おしゃれとは無縁なのに髪の毛の襟足の伸びが気になり、いつもの床屋に行ってきた。来月まで待つのは長すぎる。普段より2週間遅くなっただけでもこうだから、おしゃれな人ならもっと短くても辛いに違いない。やっているのを確認してから、散歩をかねて久々の街に歩いて向かった。散髪すると気持ちも軽くなり、スッキリした襟足に風を受け、帰りも歩いて2時間半の散歩に。
20-5-13
ついに今年の開催をあきらめた。個展のために1月から頑張って描いてきた作品を展示できず、観てもらえないのはとても残念だがそうせざる得ない状況が続いている。多分無理だろうなと思いながらもこれまで決められなかったのは、高まっている創作意欲を途切れさせたくない気持ちのせいだった。できるなら、中止した個展までの間は制作に打ち込みたいものだがどうなるか。
20-5-14
続く。個展の中止を決断した理由は他にもある。これまで収束に対する自分の予測がことごとく外れてきた点も影響している。そうすると6月末も怪しくなってくるのだ。今から1ヶ月半後のことだけど、コロナの収束と考えればとても短い期間のように感じてしまう。同じ期間であっても何に対するかで長くもなり、短くもなる。今はただ通常の長さに戻ってくれるのを願うのみ。
20-5-15
新緑がまぶしく、風も爽やかで、水ぬるむ季節になり、一年のなかでもっとも過ごしやすい時季を迎えたはずなのに、それを素直に受け止められない心が悲しい。大きな問題を抱えているとそんな環境も、慰めにはなってくれても癒しにはつながらない。もちろん、いっときの安らぎでもあった方がいいのは当然ではあるけれど、せっかくのこのときがもったいなく思えてしまうのだ。
20-5-16
また日曜日がやってきた。先週は床屋に行くという変化はあったものの、他には特別な出来事も用事もなく1週間を振り返っても床屋以外は曜日と結びつくものはひとつもない。こんな状態だから日曜日がまたたく間にきたように感じる。これまでは個展の準備期間として捉えていて目標もはっきりしていたので緊張感も保てたが、中止となった今は曜日だけでなく日にちも消えそう。
20-5-17
「◯◯ちゃんだけ特別扱いするのはダメだと思うけど」「それはクラスの代表が決めたことだからいいんだよ」「どうしてみんなで話し合いをしないの」「え、話し合いってなんのこと。今までもそうやって決めてきたでしょ。だからこれでいいの」「でも・・・」。たとえ小学校のなかでもこんなやり取りはないはず。それを国会でやるとは。子供たちには反面教師として学んでほしい。
20-5-18
安春川の遊歩道を散歩していたら、今年初めてのカモの親子に出会った。親に付いていこうとする懸命な姿がとてもかわいい。数えてみたら6羽もいる。ヒナがこんなにたくさんなら守っていくのも大変に違いない。ここにはカラスもたくさんいるから落ち着かないはずだ。ところで、親が卵を抱いてるところは一度も見たことがないので、どこで生まれているのか少し気になる。
20-5-19
もっと先かと思っていたコロナの特別定額給付金の申請書が昨日届いた。住所や氏名などはすでに印字されていて給付金の振込先を書き署名して印鑑を押すだけだった。あとは本人確認の免許証と通帳をコピーして終了。考えていたよりずっと簡単な手間で済んだ。ただ、プリンタがあるからすぐにコピーできるけど家にない人は少し面倒かも。さっそく投函。あとは待つのみ。
20-5-20