朝のシャワーが復活して元の日常に戻ったような気にもなるのだが、外に出るとそうでない現実を見せつけられる。ほとんどの人がマスクをしているのだ。ただ、これだけ長い期間マスク姿に慣らされるとこちらも日常風景になってしまう。マスクが異常に思えて初めて正常に戻ったと言えるのかもしれない。これからさらに暑くなっていくなか、マスクの弊害も問題視されている。
20-6-11
ついに古いモニターが我が家から消えた。いくつかの手続きを経て、ゆうパックで回収してもらった。そのための簡単な梱包をするときに20年の長さを改めて感じさせられた。とにかく驚くほどの重さで簡単なはずの作業も手間取るほどだった。かつては重量感が売りの時代もあったけど今は軽さが求められている。もうひとつの重さの理由は20年前との体力差ということか。
20-6-12
学校におけるオンライン授業の実施率はわずか5%のみ。それに対して文科省が危機感を持ったらしいが何を言っているのだと呆れる。これまでそんなことさえ把握せずに何をしていたのだ。やるべき仕事をせずに放置しておいたうえに他人事のように捉えている。さらに、「やれるところからやってほしい」との無責任な言動に怒りさえ覚える。教育差別を自ら認めているわけだ。
20-6-13
袋入りガムの最後の1個を取ったあとにまだ何か入っている。それを取り出すと1㎝×1.5㎝位の四角で厚さは2㎜ほど。乾燥剤ではなさそうなので、いったい何だろうと疑問に思った。しかし、それがめくれることがわかってようやく理解した。小さな小さなメモ用紙のようなものはガムを捨てるときに包むための紙なのだ。いい心配りに感激。でも最後になって気付くとは。
20-6-14
4月6日以来の2ヶ月振りの卓球でたっぷり汗を流す。ここで何度も触れているけれど、やっぱり運動で流す汗は気持ちいい。歩いているときのじわーっとかく汗とは違って玉のまま流れ落ちる。新陳代謝が盛んに行われている感じでとにかく心身ともにスッキリする。2ヶ月もたまっていた毒素を吐き出すような爽快感もある。今夜はいつにも増して熟睡できるに違いない。
20-6-15
最近は夜10時就寝、朝5時起床というのがすっかり定着。体内時計はかなり正確で7時間後にはしっかり目が覚める。たとえずれたとしても15分以内に収まる。決まった時刻に目覚めるのがはっきりしたので外での仕事のある日でも目覚ましはまったく使わなくなった。そのときには9時頃家を出るのだが、5時からだと余裕の4時間もある。早起きにして本当によかったと思う。
20-6-16
爪切り。まだいいかなと思いながらも、いざ切り始めると結構伸びていたことに気づく。切って短くなったのとまだ切ってない隣を見比べるとまだのがやけに長く見えてしまうのだ。全部が同じように伸びていればわからなくても比較の対象が現れると急に現状が正しく見えてくる。他の場面でもこれが言えて、比べるものがないときは平気でも違いがわかると気になってしまう。
20-6-17
これまでほんの一部だったテーブル上の対面との仕切り板がすべてのテーブルに設置されたため、市役所地下食堂の風景が一変した。乳白のアクリル板で向かいの人の存在が何となくわかる程度なので、視界が遮られ閉塞感もある。多くの人が目に入る広々とした解放的な空間で食事をするゆったり感と楽しさが奪われてしまった。隣の席も空き、まるで個食のような寂しさ。
20-6-18
地下通路では『ソーシャルディスタンスにご協力をお願いします』という放送がしきりに流されている。そのあとに『ソーシャルディスタンスとは・・・』と続くのだが、これには呆れる。直訳すれば『社会的距離』だろうが、なぜ最初から『人との間隔を取るようご協力をお願いします』と言わないのだろう。最初に外国語で言ってそれを翻訳する必要性がどうしても理解できない。
20-6-19
続く。新聞にこんな文を見つけた。『アイドルの鑑(かがみ)のような存在だった。美しいルックス、観客を魅了するパフォーマンス。何よりストイックな頑張り屋だ』いずれこれは『アイドルのモデルのようなビーイングだった。プリティなルックス、オーディエンスをチャームするパフォーマンス。何よりストイックなハードパーソンだ』となるのか。肩書きは作家となっている。
20-6-20