昨日2月28日、お台場Zepp Tokyoに俺という人間は存在していた。
amazarashiのライブを観るためだ。
結果から言うと、昨日の日記で書いたように、感無量だった。
今回の日記では、ライブで行われた楽曲個別の感想を書いていく。
まずはセットリスト。
1.コンビニ傘
2.タクシードライバー
3.季節は次々死んでいく
4.ワンルーム叙事詩
5.性善説
6.百年経ったら
7.雨男
8.夏を待っていました
9.ラブソング
10.スピードと摩擦
11.エンディングテーマ
12.しらふ
13.美しき思い出
14.収束
15.多数決
16.スターライト
17.ライフイズビューティフル
ED.花は誰かの死体に咲く
まず最初は「コンビニ傘」からライブは始まった。
「毎秒3kmで飛び去る弾道ミサイル」の部分の、幕が上がっていくような高揚感のあるメロディラインとコード進行。
そしてアウトロで秋田ひろむが即興のポエトリーを紡ぎ、「2016年2月28日Zepp Tokyo、青森から来ました!amazarashiです!」と宣言し、2曲目の「タクシードライバー」へつないでいく。
非常に素晴らしい。ゾクゾクする。
2曲目の「タクシードライバー」
これも非常に好きだ。今回のアルバム「世界収束二一一六」で、今のところ一番好きな曲かもしれない。
将来も未来も視界不良の道半ばで
けど、不安に人生を明け渡せる訳はねえ
この長いトンネルは一体いつ抜けるんですかね?
どうぞ行ける所まで行ってくれて構わねえ
タクシードライバー 夜の向こうへ連れてって
―amazarashi「タクシードライバー」
今回のアルバムでは不安の正体を明らかにするというコンセプトが含まれているが、そういう不安に人生を覆い尽くされたくないという抗いも込められていると、自分は考えている。
上記に部分はまさに、その抗いを表す歌詞ではないだろうか。
次に来たのは「季節は次々死んでいく」
千夜一夜公演や昨年のCDJでも聴いた名曲だ。
最後に「季節は次々生き返る」というセリフで締める部分が特に印象的で好き。
なお、映像はMVではなく、ライブ用の映像だった。
確かにMVはショッキングな部分もあるので、こちらの方で良かったような気もする。
そして4曲目には「ワンルーム叙事詩」
自分がamazarashiを好きになるキッカケになった思い出深い曲。
まさかライブで聴ける日が来るとは。もうこの時点で感無量である。
雨にも負けて 風にも負けて 雪にも夏の暑さにも負けて
それでも 人生って奴には 負けるわけにはいかない
一人 立ち尽くす そこはまるで焼け野原
―amazarashi「ワンルーム叙事詩」より
宮沢賢治の『雨ニモマケズ』のオマージュを使い、自分のダメな部分を認めつつ、自分の人生を挫折と失望で終わらせたくないという強い意志を感じる。
次に来たのは「性善説」
綺麗なメロディの中に性善説の欺瞞を歌うという、非常に尖った曲。
汚いものを歌う時、綺麗なメロディにのせていくとより印象的なものになる。
そして、最後のこの一節がこの曲で一番好きな部分。
ねえママ あなたの言う通り
自分を善だと信じて疑わないときは
他方からは悪だと思われてるものよ
あなただけが私の善なのよ
―amazarashi「性善説」より
ラストの「あなただけが私の善なのよ」という所が、この救いようのないような性善説の世界を救うような部分だと思う。
次は新譜から「百年経ったら」だ。
これまでのセトリを観る限りでは「名前」だったので、この曲は意外で嬉しい。
この町が燃え尽きて 百年経ったら起こして
土には還れぬもの達と添い遂げて
裏庭の堅い実が 真っ赤になったら教えて
この夏の訪れを そよ風に言付けて
空を超え
―amazarashi「百年経ったら」より
この世界に対する諦観のような曲で、そこに描かれる世界は荒廃しているように感じる。
そして、自然の成り行きに身を任せたいという想いも垣間見える気がした。
「タクシードライバー」「ワンルーム叙事詩」のような抗いを見せる曲がある一方で、それでも万事うまくいくわけもなく、世の中に対する厭世的な諦観も同居する。
このバランスの良さが、僕がamazarashiを好きな要素の一つでもある。
その次の曲は「雨男」
アルバム「夕日信仰ヒガシズム」からの曲だ。
がむしゃらに駆けた無謀な日々を 懐かしむだけの飾りにするな
恥さらしのしくじった過去と 地続きの今日を無駄となじるな
心が潰れた土砂降りの日に すがるものはそれ程多くない
だからあえて言わせてくれよ 未来は僕らの手の中
―amazarashi「雨男」より
夕日信仰ヒガシズム公演の時もこの曲を聴いたのだが、ライブで歌われる「雨男」の「未来は僕らの手の中」という一節は、CD音源とは違うメロディで歌われる。
ブルーハーツの「未来は僕らの手の中」をリスペクトしたかのようなメロディで本当に好きだ。
その後「夏を待っていました」「ラブソング」「スピードと摩擦」というアップテンポな曲が3連発で叩き込まれる。
「夏を待っていました」と「ラブソング」はこれまでのライブでも聴いてきた名曲だ。
前者の曲では少年時代から大人になり嫌でも移り変わる世の中の無常観が歌われ、ラブソングでは商業主義で虚無的なラブソングを皮肉る様な悲壮感のある曲だ。
そして、「スピードと摩擦」
トイレで狂乱のダンスが繰り広げられるMVと共に歌われるこの曲は、江戸川乱歩の様な閉塞感の中での狂気と焦燥感が漂っていると感じた。
この3曲の後にテンションをおさめるかのように歌われたのは「エンディングテーマ」だ。
この曲は本当に僕は弱い。
MVでもポロッと来てしまったし、ライブで実際観た時もウルウルっと来てしまう。
また、ライブではMVではなくエンドロールの様な形で名前が流れていた。
歌詞のように、お世話になった人たちの名前がずらっと並んでいるような風景だ。
こういう演出も、かなり心揺さぶられるものがあって非常に素晴らしい。
そして「エンディングテーマ」でしんみりした空気の中、「しらふ」という現実感・焦燥感・悲壮感むき出しの尖った言葉が叩き込まれる。
老いも若きも酔っ払いの三千世界で
我こそが純粋なる全うな素面で
痛み真っ向から食らい歌う酩酊いらずで
青年は詩を書く 離れた陰気な群れ
属する場所がないって場所にはぬけぬけと属して
舐め合う傷跡は蜜のように甘え
―amazarashi「しらふ」より
この部分が特に印象的だ。
「属する場所がないって場所にはぬけぬけと属して」
まさにその通りだと思う。
そして、本編もいよいよ佳境。
「美しき思い出」では秋田ひろむの過去が語られ、「収束」で彼が描く最悪の結末、人類の滅亡が歌われる。
荒廃したとは人の言い様だ ここにはもう人類は居ないのだから
―amazarashi「収束」より
「美しき思い出」も「収束」も悲観的ではあるのだが、そこに哀しみの様なものはなく、ただただ物事は移り変わるのだという感じに受け取れる。
人類が滅んでも、この宇宙は特に変わることはないのだろう。
そんな気分になった。
「収束」後に歌われたのは「多数決」
様々な価値観に分岐した世界が多数決の欺瞞によって一つの形に収束してしまうという皮肉めいた歌詞。
罪悪も合法も 多数決で決まるなら
もしかしたら百年後は もう全員罪人かもな
もういいよ いいよ この世界は壊れすぎた
白紙から描き直すには丁度いいかもしれない
賛成か 反対か 是非を問う 挙手を願う
―amazarashi「多数決」より
世界収束のこの上ない理由となるような歌だと改めて感じた。
そして、「多数決」が収束へと誘う歌なら、次の「スターライト」は分岐へと誘う歌だと思う。
終わりがどこにあるかなんて 考えるのはもう止めた つまり
言い換えれば全部が 僕次第
―amazarashi「スターライト」より
「世界収束二一一六」で最後に語られるのは人類の滅亡だ。
世界はいつか終わる。人類もいつか終わる。人生もいつか終わる。
それは明らかだったとしても、「それでも」と言いながら前に進んでいこうじゃないかというのが、秋田ひろむの言いたい事だと思う。
そして最後に歌われたのは「ライフイズビューティフル」
こんな時間か そろそろ帰るか?
なんだ帰りたくないって まぁ わいも同じだが
不安は多いが 進むべきだ 情熱一つで何でもできるはずさ
―amazarashi「ライフイズビューティフル」より
まだライブが続いてほしい。まだ歌ってほしい曲は沢山あるんだ。
そんな僕の我儘な想いに対して諭すような歌詞だ。
悔し涙振りほどいて叫んだ歌 大事なものは二度と離さないよ
振り向くな後ろには花も咲かねぇ
人生は美しい
じゃあなまたな身体には気をつけろよ
しっかり歩けよふらついてるぜ
見ろよもう朝日が昇ってきた
人生は美しい
人生は美しい
―amazarashi「ライフイズビューティフル」より
このライブを観に来てくれた観客に対しての、amazarashiの送り言葉の様な歌。
ライブの最後に相応しい素晴らしい曲だった。
そして、EDのSEに「花は誰かの死体に咲く」が流れる。
綺麗でも何でもねえ 命が今日も笑えば
人の傲慢の肯定 逃れられぬ命を 逃げるように生きてよ
笑い合えたこの日々も 失くした日の痛みも なんとか死に切れそうなこんな人生も
一つ残らず土に還るのだ
花は誰かの死体に咲く
―amazarashi「花は誰かの死体に咲く」より
どんなに辛いことがあろうとも生き続けること。
綺麗でも何でもないが生きた先にはその人それぞれの生が確かに存在し、最後は土に還る。
世界はとどまることなく変わり続け、廻り続ける。
無常観ともいうべき世界観がその歌にはあった。
終幕後、嫁に声をかけられるまでにボーっとしてしまった。
感動が極まって他の事に反応する余裕すらなかったというべきか、まさに感無量だったのだ。
今回のライブも、本当に素晴らしい内容だった。
あと、途中で秋田ひろむのMCがあったのだが、相変わらずのたどたどしいMCで、観ていて安心感がある。
「アルバムを頑張って作って空っぽになってしまうけど、またツアーをやっていく中で色々な人に会って、また次作ろうと頑張れる。ありがとうございます。」というような趣旨のMCだったと思うが、ありがとうと言いたいのはこちらの方だ。
今作も本当に素晴らしい作品だったと思う。
以上のような感じだった。
何度も言うが、感無量だった。
夕日信仰ヒガシズム公演や千夜一夜公演も素晴らしく、それに匹敵するライブなんか来るんだろうかと不安でもあったが、しっかりそれに匹敵するくらいのライブだった。
帰り際にカミさんも「来てよかった」と言って貰えるくらい好評だったし、本当に良かった。
明日からまた頑張って生きようと、改めて思えるライブだ。
amazarashiのライブを観るためだ。
結果から言うと、昨日の日記で書いたように、感無量だった。
今回の日記では、ライブで行われた楽曲個別の感想を書いていく。
まずはセットリスト。
1.コンビニ傘
2.タクシードライバー
3.季節は次々死んでいく
4.ワンルーム叙事詩
5.性善説
6.百年経ったら
7.雨男
8.夏を待っていました
9.ラブソング
10.スピードと摩擦
11.エンディングテーマ
12.しらふ
13.美しき思い出
14.収束
15.多数決
16.スターライト
17.ライフイズビューティフル
ED.花は誰かの死体に咲く
まず最初は「コンビニ傘」からライブは始まった。
「毎秒3kmで飛び去る弾道ミサイル」の部分の、幕が上がっていくような高揚感のあるメロディラインとコード進行。
そしてアウトロで秋田ひろむが即興のポエトリーを紡ぎ、「2016年2月28日Zepp Tokyo、青森から来ました!amazarashiです!」と宣言し、2曲目の「タクシードライバー」へつないでいく。
非常に素晴らしい。ゾクゾクする。
2曲目の「タクシードライバー」
これも非常に好きだ。今回のアルバム「世界収束二一一六」で、今のところ一番好きな曲かもしれない。
将来も未来も視界不良の道半ばで
けど、不安に人生を明け渡せる訳はねえ
この長いトンネルは一体いつ抜けるんですかね?
どうぞ行ける所まで行ってくれて構わねえ
タクシードライバー 夜の向こうへ連れてって
―amazarashi「タクシードライバー」
今回のアルバムでは不安の正体を明らかにするというコンセプトが含まれているが、そういう不安に人生を覆い尽くされたくないという抗いも込められていると、自分は考えている。
上記に部分はまさに、その抗いを表す歌詞ではないだろうか。
次に来たのは「季節は次々死んでいく」
千夜一夜公演や昨年のCDJでも聴いた名曲だ。
最後に「季節は次々生き返る」というセリフで締める部分が特に印象的で好き。
なお、映像はMVではなく、ライブ用の映像だった。
確かにMVはショッキングな部分もあるので、こちらの方で良かったような気もする。
そして4曲目には「ワンルーム叙事詩」
自分がamazarashiを好きになるキッカケになった思い出深い曲。
まさかライブで聴ける日が来るとは。もうこの時点で感無量である。
雨にも負けて 風にも負けて 雪にも夏の暑さにも負けて
それでも 人生って奴には 負けるわけにはいかない
一人 立ち尽くす そこはまるで焼け野原
―amazarashi「ワンルーム叙事詩」より
宮沢賢治の『雨ニモマケズ』のオマージュを使い、自分のダメな部分を認めつつ、自分の人生を挫折と失望で終わらせたくないという強い意志を感じる。
次に来たのは「性善説」
綺麗なメロディの中に性善説の欺瞞を歌うという、非常に尖った曲。
汚いものを歌う時、綺麗なメロディにのせていくとより印象的なものになる。
そして、最後のこの一節がこの曲で一番好きな部分。
ねえママ あなたの言う通り
自分を善だと信じて疑わないときは
他方からは悪だと思われてるものよ
あなただけが私の善なのよ
―amazarashi「性善説」より
ラストの「あなただけが私の善なのよ」という所が、この救いようのないような性善説の世界を救うような部分だと思う。
次は新譜から「百年経ったら」だ。
これまでのセトリを観る限りでは「名前」だったので、この曲は意外で嬉しい。
この町が燃え尽きて 百年経ったら起こして
土には還れぬもの達と添い遂げて
裏庭の堅い実が 真っ赤になったら教えて
この夏の訪れを そよ風に言付けて
空を超え
―amazarashi「百年経ったら」より
この世界に対する諦観のような曲で、そこに描かれる世界は荒廃しているように感じる。
そして、自然の成り行きに身を任せたいという想いも垣間見える気がした。
「タクシードライバー」「ワンルーム叙事詩」のような抗いを見せる曲がある一方で、それでも万事うまくいくわけもなく、世の中に対する厭世的な諦観も同居する。
このバランスの良さが、僕がamazarashiを好きな要素の一つでもある。
その次の曲は「雨男」
アルバム「夕日信仰ヒガシズム」からの曲だ。
がむしゃらに駆けた無謀な日々を 懐かしむだけの飾りにするな
恥さらしのしくじった過去と 地続きの今日を無駄となじるな
心が潰れた土砂降りの日に すがるものはそれ程多くない
だからあえて言わせてくれよ 未来は僕らの手の中
―amazarashi「雨男」より
夕日信仰ヒガシズム公演の時もこの曲を聴いたのだが、ライブで歌われる「雨男」の「未来は僕らの手の中」という一節は、CD音源とは違うメロディで歌われる。
ブルーハーツの「未来は僕らの手の中」をリスペクトしたかのようなメロディで本当に好きだ。
その後「夏を待っていました」「ラブソング」「スピードと摩擦」というアップテンポな曲が3連発で叩き込まれる。
「夏を待っていました」と「ラブソング」はこれまでのライブでも聴いてきた名曲だ。
前者の曲では少年時代から大人になり嫌でも移り変わる世の中の無常観が歌われ、ラブソングでは商業主義で虚無的なラブソングを皮肉る様な悲壮感のある曲だ。
そして、「スピードと摩擦」
トイレで狂乱のダンスが繰り広げられるMVと共に歌われるこの曲は、江戸川乱歩の様な閉塞感の中での狂気と焦燥感が漂っていると感じた。
この3曲の後にテンションをおさめるかのように歌われたのは「エンディングテーマ」だ。
この曲は本当に僕は弱い。
MVでもポロッと来てしまったし、ライブで実際観た時もウルウルっと来てしまう。
また、ライブではMVではなくエンドロールの様な形で名前が流れていた。
歌詞のように、お世話になった人たちの名前がずらっと並んでいるような風景だ。
こういう演出も、かなり心揺さぶられるものがあって非常に素晴らしい。
そして「エンディングテーマ」でしんみりした空気の中、「しらふ」という現実感・焦燥感・悲壮感むき出しの尖った言葉が叩き込まれる。
老いも若きも酔っ払いの三千世界で
我こそが純粋なる全うな素面で
痛み真っ向から食らい歌う酩酊いらずで
青年は詩を書く 離れた陰気な群れ
属する場所がないって場所にはぬけぬけと属して
舐め合う傷跡は蜜のように甘え
―amazarashi「しらふ」より
この部分が特に印象的だ。
「属する場所がないって場所にはぬけぬけと属して」
まさにその通りだと思う。
そして、本編もいよいよ佳境。
「美しき思い出」では秋田ひろむの過去が語られ、「収束」で彼が描く最悪の結末、人類の滅亡が歌われる。
荒廃したとは人の言い様だ ここにはもう人類は居ないのだから
―amazarashi「収束」より
「美しき思い出」も「収束」も悲観的ではあるのだが、そこに哀しみの様なものはなく、ただただ物事は移り変わるのだという感じに受け取れる。
人類が滅んでも、この宇宙は特に変わることはないのだろう。
そんな気分になった。
「収束」後に歌われたのは「多数決」
様々な価値観に分岐した世界が多数決の欺瞞によって一つの形に収束してしまうという皮肉めいた歌詞。
罪悪も合法も 多数決で決まるなら
もしかしたら百年後は もう全員罪人かもな
もういいよ いいよ この世界は壊れすぎた
白紙から描き直すには丁度いいかもしれない
賛成か 反対か 是非を問う 挙手を願う
―amazarashi「多数決」より
世界収束のこの上ない理由となるような歌だと改めて感じた。
そして、「多数決」が収束へと誘う歌なら、次の「スターライト」は分岐へと誘う歌だと思う。
終わりがどこにあるかなんて 考えるのはもう止めた つまり
言い換えれば全部が 僕次第
―amazarashi「スターライト」より
「世界収束二一一六」で最後に語られるのは人類の滅亡だ。
世界はいつか終わる。人類もいつか終わる。人生もいつか終わる。
それは明らかだったとしても、「それでも」と言いながら前に進んでいこうじゃないかというのが、秋田ひろむの言いたい事だと思う。
そして最後に歌われたのは「ライフイズビューティフル」
こんな時間か そろそろ帰るか?
なんだ帰りたくないって まぁ わいも同じだが
不安は多いが 進むべきだ 情熱一つで何でもできるはずさ
―amazarashi「ライフイズビューティフル」より
まだライブが続いてほしい。まだ歌ってほしい曲は沢山あるんだ。
そんな僕の我儘な想いに対して諭すような歌詞だ。
悔し涙振りほどいて叫んだ歌 大事なものは二度と離さないよ
振り向くな後ろには花も咲かねぇ
人生は美しい
じゃあなまたな身体には気をつけろよ
しっかり歩けよふらついてるぜ
見ろよもう朝日が昇ってきた
人生は美しい
人生は美しい
―amazarashi「ライフイズビューティフル」より
このライブを観に来てくれた観客に対しての、amazarashiの送り言葉の様な歌。
ライブの最後に相応しい素晴らしい曲だった。
そして、EDのSEに「花は誰かの死体に咲く」が流れる。
綺麗でも何でもねえ 命が今日も笑えば
人の傲慢の肯定 逃れられぬ命を 逃げるように生きてよ
笑い合えたこの日々も 失くした日の痛みも なんとか死に切れそうなこんな人生も
一つ残らず土に還るのだ
花は誰かの死体に咲く
―amazarashi「花は誰かの死体に咲く」より
どんなに辛いことがあろうとも生き続けること。
綺麗でも何でもないが生きた先にはその人それぞれの生が確かに存在し、最後は土に還る。
世界はとどまることなく変わり続け、廻り続ける。
無常観ともいうべき世界観がその歌にはあった。
終幕後、嫁に声をかけられるまでにボーっとしてしまった。
感動が極まって他の事に反応する余裕すらなかったというべきか、まさに感無量だったのだ。
今回のライブも、本当に素晴らしい内容だった。
あと、途中で秋田ひろむのMCがあったのだが、相変わらずのたどたどしいMCで、観ていて安心感がある。
「アルバムを頑張って作って空っぽになってしまうけど、またツアーをやっていく中で色々な人に会って、また次作ろうと頑張れる。ありがとうございます。」というような趣旨のMCだったと思うが、ありがとうと言いたいのはこちらの方だ。
今作も本当に素晴らしい作品だったと思う。
以上のような感じだった。
何度も言うが、感無量だった。
夕日信仰ヒガシズム公演や千夜一夜公演も素晴らしく、それに匹敵するライブなんか来るんだろうかと不安でもあったが、しっかりそれに匹敵するくらいのライブだった。
帰り際にカミさんも「来てよかった」と言って貰えるくらい好評だったし、本当に良かった。
明日からまた頑張って生きようと、改めて思えるライブだ。