「僕がビルを買ったワケ」blog

現・「新宿44ファンタジータワー」支配人のブログです。
blogは支配人になるもっと昔から 2007年スタート

のぞみの中で

2009-10-13 16:53:57 | Weblog


行きの中で

これだけ世間では禁煙ブームだというのに、新幹線に喫煙席があるのは不思議だ
そして、更に不思議なのはホームにまで喫煙所があった事 JR東日本は全面禁煙にしたんじゃなかったか 何故、新幹線と新幹線のホームにだけ?
僕は普段は新幹線は禁煙席と決めている さすがに愛煙家の私でも、あの煙に曇った狭い空間が嫌いだから 特に匂いが しかし、どこに行っても禁煙の今となっては、電車で煙草が吸えることは凄く貴重な気がして、思わず喫煙席を選んでしまった 電車で煙草が吸える感覚は何だか不思議だし、今となっては不自然で違和感があるくらいだ
駅弁はどれも千円以上
散々悩んだ挙げ句、駅弁には手が出なかった 結局コンビニ弁当に落ち着いた 
あまり旨そうとはお世辞にも言えないコンビニ弁当 こんな時くらい千円の弁当食ってもいいのにねぇ
でもそんな自分は案外嫌いではない コンビニ弁当でも十分気分はでた あまり美味しくはなかったけど

基本的には墓参りなんて僕はあまり好きではない
気持ちの問題だと思うから
常に部屋には母の遺影を飾り そして母親はいつも僕の心の中にいる いつも心で会話してる 墓参りしないと会えないなんてありえない 
だから墓参りは初めて
死んで10年 一度も墓参りしてないからといって、じゃあ10年母親に会ってないかといえばそうじゃないと僕は信じてる 
でも 今回だけは 俗世間の風習に則ってみようと思った 
ひょっとしたら 万が一僕の考え方が間違っていたら、、僕は10年母親に会っていないことになる
 絶対にそんな筈はない
でも、行ってみよう
横浜を出たあたりで弁当を食べ終わって
違和感を感じながら煙草を吸って
その後、僕は声を出さずに泣いた
残念ながら窓際の席ではないけれど、青い空と横浜の海が僅かに見えた

帰りの中で

僕はスパゲッティグラタンが大好物だ でも意外と置いているレストランは少ない
帰りの新大阪で、一息入れようとして入った喫茶店でスパゲッティグラタンを見つけ注文した いくらなんでも、もう少しマシに作れるだろうと思うような代物だったが、サラダと(何故か)コーヒーゼリーと飲み物がついて900円なのだから文句は言えないか
喫茶店でアメージンググレイスが流れていた 狭い空間に敷き詰められた客が騒がしく殆ど聞こえなかったし、実際誰も聞いてはいない
でも、僕はその聞こえるか聞こえないかくらいのBGMにせつなさを覚え、黄昏た
僕もよくは知らないけど、きっと海外の名曲なのだろう でも、僕は本田美奈子を連想してしまう 白血病(だっけ?)で亡くなった本田美奈子が熱唱してるのを、亡くなった後に何かで見かけた 今日は墓参りに来たせいかな そんな事を想いながら、店を出た後も一人でアメージンググレイスのメロディを口ぐさんでいた

 今日は親戚のおじさんに案内してもらった おかげで終始気を遣うはめになった
でも、おじさんは本当にいい人だ おじさんにお墓を任せきりにしてしまったことを詫び、お墓代の足しにと気持ちだけ包んだ もちろんおじさんは遠慮したが、強引に置いてきた
母親が亡くなって、後を追うように祖母も亡くなった
なのでその墓には、母と祖母が眠っている おじさんには少し外してもらって、母と会話をした
帰りに、僅かな資産ではあるが親戚で分配するよう祖母の遺言があった旨説明を受けた 遺言には僕の名前もあったようで、話によると200万程受け取ってほしいとのこと もちろん放棄した それはおじさんと、おばさんの為に使ってくださいと伝えた
おばさんとは、母親のお姉さんで、今一人暮らしをしている もう20年くらい前に脳溢血で倒れ、痴呆症ではあるが、生活保護やデイサービスなどを受けながら何とか生活をしている 僕の事も殆ど覚えてはいないだろう でも僕はよく覚えている
生まれて一年弱で亡くなった僕の妹が生まれた時、母は生まれながらに病気の妹に付きっきりで、僕は長期にわたりそのおばさんに預けられた その時に凄くお世話になった おばさんは会う度にオモチャを買ってくれるから、僕はおばさんが大好きだった おばさんには夫も子供もいないから老後が不安だったんだろう おばさんの口癖は、一也、大きくなったらおばさんの面倒も見てくれる?だった
もちろん子供だった僕はあまり深く考えず、その都度自信満々に必ず面倒をみると約束した
でも、結局約束は守らなかった

帰りの新幹線は幸い快適で、窓際がとれた
母親には、虫のいい話なのは百も承知だが、どうか助けてほしいと泣き付いた
もし、天国で僕のことを見ているなら、さぞ最低な面が多々ある俺を嘆いているだろう でも、唯一、母親の教えを守ってることがある
誰にも頼らず自立すること 責任あるべきものに対して必ず責任をとること
希望的観測だが、恐らく最低限それらを守ってきたから、僕の最低な面はかなり大目にみてくれて、今まで僕を守ってくれていたのだと思う
母に改めてそれを誓い、とはいえ俺が犯してきた罪を詫びた
墓に行かずとも、母は必ず俺をみてる 今、俺がおかれている状況は知ってのとおりだよお母さん これからどうなるのかはお母さんに任せる もしも、ここで大きな挫折を味わうとすれば、それはお母さんの望んだことだろう?お母さんはいつも厳しかったもんな 俺が天狗になったら、必ず鼻をへし折る 寒空に追い出し、どんなに泣き叫んでも中には入れてくれなかったよな とことんまで俺を懲らしめ、最後の最後でほんの少し救いをくれる それが母のやり方
でも、逆に考えたら、とことん苦しめば必ずその後に救いが待ってる そう信じてる
母親は本当に厳しい人だった 厳しすぎて憎かった時期もある 反抗期には酷いことも言った でも、死ぬほど溺愛されていた自信はいつもあった だから一番信じてる
お墓に行って、墓の前で気付いたことがある
雪子だ
ここには雪子がいない
もちろん母には俺がいるが、一応親戚のおじさん達もいる 雪子には俺しかいない
俺が雪子を忘れたら、誰も雪子を思い出さない 雪子の骨を探そう 一応へその尾は僕が持っている でも骨はない 写真もない 一応母の遺影は飾ってあるが、雪子は写真さえもないから、何もしていない 当然墓もない 雪子を探そう
母と僕と妹 母の望むことは分かる
母の辛かった想いと、雪子の短い人生を、俺が決して忘れてはいけないんだ
墓に行って気が付いた もしも雪子を見つけることができたら 
もしも、お墓とう概念が正しいと仮定するならば 雪子は母のそばにおいてやるべきだ
お母さん、スマン!こんな息子で
そして雪子もゴメン!こんなお兄ちゃんで
お墓に来てみてよかった でも早く東京に帰ろう
そしてずっと読めずにしまっていた、母の遺書を読もう
 
俺は俺がやるべきことをしよう

いつだったか、母に最後に会った時、のぞみという新しい新幹線ができたばかりだった
僕はのぞみに乗って来たよと言った
母は、のぞみに乗って一也が帰って来たと皆に自慢した
今日は、敢えてのぞみを選んだ訳ではないけれど、偶然、行きも帰りものぞみだった
今回も、のぞみに乗って帰ってきたよ お母さん