う~ん・・
俺が変なのだろうか
このブログでも、何年も前から度々書いてきた 例の親友のことなんだけど
最初の内は、遺族の方々からも 「忘れないでいてくれてありがとう」なんて言われたり
別にお礼言われる筋合いはないのだけれど
しかし
なんていうのかな、人間というのはどんなに怪我をしても、どんなに傷ついても、長い時間をかけて修復しようとする力があるんだなぁ
よく言えば
ていうか、そうするしかないんだよね 生きていく以上
むしろ、引きづってる方がおかしい、んだよね多分一般的には
遺族の人達からも、連絡こなくなったなぁ 最近は
多分、俺がおかしいんだろうな
でも、タクのことを思い出したら、楽になるんだよ
生きる勇気がでるんだ だから
ひきづってるんじゃないと思う
多分頼ってるんだ
つまらない映画をみていて それでも多くの人は我慢して最後までみようとする
お金がもったいないから?道徳上のルールだから?
彼はあっさり途中で出て行った
えーっと・・あとは
ワープ?みたいな感じかな
かけっこ?確かに出遅れた ビリになってしまった
なにくそ最後の手段、ワープ!
白い紐のゴール の、更にもっと向こうの
更に更にもっともっと向こうのゴールへひとっ飛び
絶対に負けは許されない彼の辞書
彼のプライドはこれで保たれた つまり尊厳死
話も飛躍してひとっ飛び!!!
どっかの誰かが
「死でもって罪を償います」だあ?????
ふざけんじゃねええええええええ!!!!!
死は、罰か?じゃあなにか?死にゆく人はみんな罰を受けてるとでも言うのか
一番辛いのは、生きることなんだよ
だから
‘じ~んせい楽ありゃ、く~もあ~る~さ~’
たまには幸せもあるわけで まっとうに生きてさえいればだけど
罪人には、苦の人生を与えればいい 何故に安楽死させる必要がある
本当に死にたい人には安楽死を認めないくせに
寝たきりの人や 植物人間の人や 不治の病の人や そしてその家族達は
この世にない生き地獄を味わっているというのに
頭ごなしに生きろ生きろと
とにかく生きることが全てとばかりに押し付けて
罪人はあっさり楽にしてやるなんて
こんな不条理があるか
安楽死を認めてごらん 逆に自殺は減る筈、うまくいけば犯罪も減るかもしれない(何がなんでも(何をしてでも)生きなきゃいけないという論理から犯罪は生まれる)
もちろん全員じゃなくていい ある一定の条件を満たした者だけ
本人の意思は勿論だけど、家族の同意や、更には第三者がしっかりと審査して客観的にも認定した場合だけでいい
‘確かにこの人は生き地獄を味わっている’と
今の世の論理では‘死だけは自らコントロールができない’ということになる
自殺を除いてだけど でも、自殺はいけないことなんでしょ?
となれば、ゴールを定めず永遠に生き続けるような感覚で生きろということになる
しかし永遠に生き続けることだけは絶対にない【絶対に】
今の世の中は自殺はいけないと言いながらも、実質それは仕方ないと認めているようなもので(特にそれに対して刑罰はないから 誰かに迷惑かけたなら残された遺族に賠償責任はあるだろうけど)
極端に言い換えれば、死を自由化している訳で
それもどうなの?と逆に思ったりするわけですよ
そこらじゅうで勝手に、時と場所を選ばず、気の向くままに、しかも自己流で死なれたら、時には他人に多大な迷惑をかけることもあるし、それこそ生死倫理に対して示しがつかないんじゃない?それならいっそ、国がしっかり‘死’も管理すべきなんじゃないのか
ある寝たきりの人と話した時 彼はこう言った
「皆、頑張ろうとか、頑張ってとか言うけど これ以上どう頑張れというのだ 周りに迷惑をかけて 異臭をばら撒いて 生き恥さらして いっそ死んでしまいたいが 首から下が動かないから自殺すらできない 私にとって‘頑張れ’とは、ただ‘我慢しろ’という言葉にしか聞こえず 我慢の人生 もはや私は私ではない 生きているのではなく、ただ無理やり生かされている屍 この生き地獄は、もはや天罰だと受け止め 日々、ただひたすら我慢をし 神から許され、迎えが来るのをただひたすら待っている」
何度か首をしめようとしたが 出来なかった やるのはいいが 正直なところ、殺人で捕まりたくない つまり俺は、この人の安楽より、自分の保身をとった
とどのつまり、結局みんな自分が大事 そのために生き地獄を味わってる人が目の前にいる
スイマセン、ごめんなさい、とにかく頑張りましょう、あ、それは言っちゃいけない言葉だった、あ、いや、スイマセン!、とにかくスイマセン!!
いいんだよ、と彼はいった
人間の尊厳を奪ってまで、どんなに恥を曝しても、とにかく生きろと?
そんなに生きるって正義なのかなぁ?ホントかなぁ????
絶対に解決することのない、膨大なストレス
この人のストレス、想像つきます?
俺はこう思うんだよなぁ
そのシステムがあるだけで、死を身近に意識し、逆に生きようとするのではないか
生き地獄であり、更に自殺をする事も出来ない人にとっては、最後の最後の‘逃げ道’となる
人生には逃げ道が必要なのだ
逃げ道とは、時に‘希望’ともいわれる
この世の獄刑は
半殺し
生き地獄
馬鹿が 未だに死を恐れ、自分達とは無縁だと思ってやがる平和な人達が
死を獄刑だと思ってやがる
死んだこともないくせに
ていうかどうせそのうちみんな死ぬのに
多分、死んだあとに気づくよ
あれ??全然獄刑ちゃうやん!!!???むしろ幸せに導いてるやん!!!あかんやん!!!!
なんて
この世でいうあの世の概念なんて何の根拠もないので
こんな後悔の仕方もあるんだかないんだか
なんだかんだいって俺も死んだことないし
でもどうすんだよ、万が一この世に無いパラダイスが待っていたら
あー死ねて良かったって話になっちゃうだろうが どう責任とんだおい!!?
万一、宅間が悠々自適でパラダイス送ってたらどう責任とんだおい!!!!???
死んだことないんだから、絶対無いとは言い切れないだろ
誰も死んだことなんかないんだから
どんなに科学が進歩しても こればっかりはどんな高学歴な天才秀才でも どんなにお偉い方々でも どんなにいーとこのお坊ちゃまでも
こればっかりはね
‘絶対’に、やった者にしか分からない 【絶対に!!】
だから、救われるんだと思う
どんな蔑みを受ける者も、虐げられし者も
最後の逃げ道がないとね
最後の大逆転がないとね
なんだっけ 何かの映画でみた
‘Eカード’というゲーム
カードは、皇帝、市民、奴隷の三種類
市民は奴隷より当然強い
皇帝はその市民より当然強い
しかし
奴隷はもたざる者、虐げられし者、しかし だがゆえに失うものはなにもない だから
皇帝にだけは、勝つ
そう
奴隷には、最後の手段があるのさ
市民にはとうてい想像もつかないような
だから、ワープして皇帝をもぶっちぎり!!
ってとこだよね、タク
お前は、最後の最後に、最後の手段で 勝った
確かに、勝った
いまごろ、どっかから見て、笑ってるかな
「一也はまだそんなとこをグズグズと走ってるのか のろまだな 勇気がないな」
そうだ
俺は勇気がない
だからいつまでも、同じところをグズグズと走ってる
しかしな、いつか必ず追いつくよ これだけは【絶対に!!】
う~ん、、まあ俺が変なんだろうけどね 市民からみたらね
でも俺は思い出す 一般的には引きづってるともいう
多分、これからもずっと