弱い虫と書いて、弱虫か
随分な言われようだなあ
弱虫
いや、なんとなくね
そんな言葉もあったなあと
既に一つの言語として定着してるから
当たり前のように認知されているけど
実は凄く蔑んだ、余程そうなってはいけないという想いが込められた呼び名?いや違うか、侮辱?いや、そうなってほしくないという想いが込められた戒め?しっかりしろという激励?
ちなみに弱虫の逆は
強虫?いや、ここでいう強いは、尊敬に値するわけだから、虫ではないね 人か
強い、人
細かい事例を挙げ出したらきりがないから
とりあえず、一生懸命生きている人は、みんな、強い としよう
それについては誰も文句は無いよね
問題はその逆
死ぬ人は弱い
たまたま何かで見かけた
頭が繋がった双子
奇形児
二十台にして、老婆のように老ける難病
ミステリーアンドサイエンスとかなんとかいうドキュメンタリーだった
これほどの問題提起する以上は、余程の覚悟があってのことなんだろうな?
もちろん、見る側も
どう思う
どんな言葉をかけることができる
頑張ってくださいなんて無責任に言えるか
お気の毒になんてもってのほかだ
恐らく
ただただ悲観するだけの無神経な人種や
好奇や差別で見る心無い精神異常者は論外として
普通の人なら
言葉を失うだろう
当たり前だ
当事者にしか分からない その苦しみ痛み
何一つ分かってやれないし、助けることも出来ないからだ
仮にその方々が死を選択したとしても
誰も責める事は出来ない
この世の生きているみんな
みんな、強い
きちんと、自分の心をコントロールして
きちんと、色々自分に言い聞かせ
きちんと、生きている
何があろうと、生きている
自分を戒め、傷つき、立ち直れないのなら
それはしないほうがいいのかもしれない
やはり、自分の都合のよい方に考えて
少々無理があても、とにかく自分の都合で考えて
自分は悪くない
まいっか、大丈夫、なんとかなるさ、明日はいいことあるさ
自分は悪くない
そうやって生きるのが正解だ
傷つかないように、しっかりと自分を保護してね
なにがなんでも生きたいなら
それが強い人達
弱虫は
自分が悪い
くよくよし続けて 最後は死ぬ
自分が悪い
本当の強さ とは
本当の、弱虫は
随分な言われようだなあ
弱虫
いや、なんとなくね
そんな言葉もあったなあと
既に一つの言語として定着してるから
当たり前のように認知されているけど
実は凄く蔑んだ、余程そうなってはいけないという想いが込められた呼び名?いや違うか、侮辱?いや、そうなってほしくないという想いが込められた戒め?しっかりしろという激励?
ちなみに弱虫の逆は
強虫?いや、ここでいう強いは、尊敬に値するわけだから、虫ではないね 人か
強い、人
細かい事例を挙げ出したらきりがないから
とりあえず、一生懸命生きている人は、みんな、強い としよう
それについては誰も文句は無いよね
問題はその逆
死ぬ人は弱い
たまたま何かで見かけた
頭が繋がった双子
奇形児
二十台にして、老婆のように老ける難病
ミステリーアンドサイエンスとかなんとかいうドキュメンタリーだった
これほどの問題提起する以上は、余程の覚悟があってのことなんだろうな?
もちろん、見る側も
どう思う
どんな言葉をかけることができる
頑張ってくださいなんて無責任に言えるか
お気の毒になんてもってのほかだ
恐らく
ただただ悲観するだけの無神経な人種や
好奇や差別で見る心無い精神異常者は論外として
普通の人なら
言葉を失うだろう
当たり前だ
当事者にしか分からない その苦しみ痛み
何一つ分かってやれないし、助けることも出来ないからだ
仮にその方々が死を選択したとしても
誰も責める事は出来ない
この世の生きているみんな
みんな、強い
きちんと、自分の心をコントロールして
きちんと、色々自分に言い聞かせ
きちんと、生きている
何があろうと、生きている
自分を戒め、傷つき、立ち直れないのなら
それはしないほうがいいのかもしれない
やはり、自分の都合のよい方に考えて
少々無理があても、とにかく自分の都合で考えて
自分は悪くない
まいっか、大丈夫、なんとかなるさ、明日はいいことあるさ
自分は悪くない
そうやって生きるのが正解だ
傷つかないように、しっかりと自分を保護してね
なにがなんでも生きたいなら
それが強い人達
弱虫は
自分が悪い
くよくよし続けて 最後は死ぬ
自分が悪い
本当の強さ とは
本当の、弱虫は