「僕がビルを買ったワケ」blog

現・「新宿44ファンタジータワー」支配人のブログです。
blogは支配人になるもっと昔から 2007年スタート

弱虫

2012-01-28 11:52:18 | Weblog
弱い虫と書いて、弱虫か
随分な言われようだなあ 

弱虫

いや、なんとなくね
そんな言葉もあったなあと
既に一つの言語として定着してるから
当たり前のように認知されているけど
実は凄く蔑んだ、余程そうなってはいけないという想いが込められた呼び名?いや違うか、侮辱?いや、そうなってほしくないという想いが込められた戒め?しっかりしろという激励?

ちなみに弱虫の逆は

強虫?いや、ここでいう強いは、尊敬に値するわけだから、虫ではないね 人か
強い、人

細かい事例を挙げ出したらきりがないから
とりあえず、一生懸命生きている人は、みんな、強い としよう
それについては誰も文句は無いよね
問題はその逆

死ぬ人は弱い


たまたま何かで見かけた
頭が繋がった双子
奇形児
二十台にして、老婆のように老ける難病
ミステリーアンドサイエンスとかなんとかいうドキュメンタリーだった
これほどの問題提起する以上は、余程の覚悟があってのことなんだろうな?
もちろん、見る側も

どう思う
どんな言葉をかけることができる
頑張ってくださいなんて無責任に言えるか
お気の毒になんてもってのほかだ
恐らく
ただただ悲観するだけの無神経な人種や
好奇や差別で見る心無い精神異常者は論外として
普通の人なら
言葉を失うだろう
当たり前だ
当事者にしか分からない その苦しみ痛み
何一つ分かってやれないし、助けることも出来ないからだ
仮にその方々が死を選択したとしても
誰も責める事は出来ない


この世の生きているみんな
みんな、強い
きちんと、自分の心をコントロールして
きちんと、色々自分に言い聞かせ
きちんと、生きている
何があろうと、生きている

自分を戒め、傷つき、立ち直れないのなら
それはしないほうがいいのかもしれない

やはり、自分の都合のよい方に考えて
少々無理があても、とにかく自分の都合で考えて
自分は悪くない
まいっか、大丈夫、なんとかなるさ、明日はいいことあるさ
自分は悪くない
そうやって生きるのが正解だ
傷つかないように、しっかりと自分を保護してね

なにがなんでも生きたいなら

それが強い人達

弱虫は
自分が悪い
くよくよし続けて 最後は死ぬ
自分が悪い

本当の強さ とは

本当の、弱虫は

無になる

2012-01-21 13:34:46 | Weblog
生まれてすぐ死んだ妹は雪子というんだ

当たり前だけど、0歳の彼女には、死ぬという概念はない

それどころか、いわゆるこの世の社会でいうところの概念はなにもない
苦しみも喜びも幸せも不幸も、なにもない
そりゃ、0歳なりの本能はあるだろうけど
お腹が空いたとか、眠いとか、痛いとか
しかし、そんな0歳時の記憶は、大人になって覚えてる人はまずいない
すぐに消えてしまう、その程度の人生

仮に、あの世が存在するとして
じゃ、彼女は、あの世でも0歳のままか

例えば100歳で死んだ年寄りは、自分が若く一番良かった頃に戻るなんて都合の良い説もあるが

じゃ、0歳の雪子はどうなるんだよ?
逆に、あの世では20歳くらいに成長するとでも言うのか?

この世の価値観だけで話さないでほしいなホントに

人間は、どんだけ自分に都合がいいんだよ

この世の記憶や思考を死んだあとも引き継ぐ世界があるなんて考えは
たとえ死んでからも幸せが待ってると言いたい思いたいだけのことであって
どちらかといえば“めでたい”奴らの考え ビビリな奴らの考えであって
今が幸せな人は、今を失うのが怖くてそう考え
今が不幸な人は、あの世に救いを求めてそう考え

あのね

死ねば、“無”になるんだよ
今の記憶なんてないんだよ 今の生活なんて引き継げないんだ
この世の価値観なんて全く関係の無い
“無”だから
幸せも無ければ、不幸も無いんだ
ていうか、それを感じる思考が無いんだ
つまりなにもないんだよ
臆病な人は、怖いと思うだろう?
そりゃ、天国があってすばらしい転生があると信じたいよね
俺だってそう できることなら

“無”

認めたくは無いだろう?
そんなに怖い?
だよね、俺だって怖い

でもね・・

“だから、救われるんだよ”

金持ちも貧乏も、大統領も庶民も、社長も平社員も、健常者も障害者も、天才もバカも、主役も脇役も、イケメンもブサイクも
なにもかも関係ない
みんな、同じ“無”になる
みな、同じ
ある意味
平等

長生きは素晴らしい、長生きこそ正義、そんなこの世の概念も関係ない
だって“無”なのだから
“無”に対して、長生きだったから勲章を、早死にしたからお悔やみを
そんな価値観も無い
0歳で死のうが、100歳で死のうが
“無”は“無”だ
誰かが、偉いですねと褒めてもくれない
誰かに、悪いですねと非難もされない
あるのは“無”だ
何も無い

だから、雪子は0歳のままでもないし
20歳に成長なんかもしないし

ただ
“無”になった

俺もいつか必ず“無”になる
皆、いつか必ず“無”になる

雪子は0歳でい無くなり
母親は50歳でい無くなり
親友は33歳でい無くなり

俺は今40か
まずまずかな
無に早いも遅いも関係ない

0歳は悲しい、何て不憫な・・50歳ならちょい早い?気の毒に・・じゃ100歳ならめでたしめでたし?
それがこの世の価値観か
は?
不憫だなんて言ってくれるな!
気の毒だ?ふざけんな!
まるで惨めな不幸人みたいに言うな!
侮辱してんのか馬鹿やろう!

死を敗北としか思えないこの世の人達

俺はこうだ

皆、大したもんだ
いさぎよい、スカッとした人生
無になるお手本を示してくれた
君達に囲まれてることが
いつかは必ずくる無を
受け入れて
恐れない

心から
尊敬し、誇りに思う
100歳で大往生のめでたし人生と同じくらい
0歳なんて凄いじゃないか!
100歳よりも難しいぞ
0だぞ!0!
誰も真似なんか出来っこない

0歳にして、100歳分、いや、それ以上を成し遂げた
兄ちゃんなんか、逆立ちしても勝てないなぁ
大したもんだなぁ
凄いなぁ雪子は

違和感

2012-01-21 11:57:53 | Weblog
違和感

前に、死んだ親友の話は書いた

タクという男
今年で何年になるだろう
もう忘れた

死ぬことで親友になった
なんとも奇妙な仲だ

死ぬ直前に、女に愛の告白をするならまだしも
男に、実はお前は親友でしたなんて告白するかフツー

誇り高い男だった
だから、誇りを貫く為、彼は逝った


違和感

去年一杯でやめたが
約4年ほど不動産投資もしていた

その中のあるアパートで、ホームレスを3人ほど助けた
彼らは、生活保護を需給して、そりゃ裕福ではないが(であっては困るが)それなりに平和に暮らしている

去年一杯で、そのアパートは転売した
年明けに、そのホームレスだった一人が電話してきて
競輪で大当たりを出し、今スナックで豪遊してると言った
大金を儲けたこと、役所にバレたらどうしよう、なんて言ってる

なんだそりゃ

違和感


タクだって、その気になれば
なにがなんでも生きるすべはあった筈だ

その恥知らずなホームレスのように、生き恥曝してでも、生きることは出来たはずだ
プライドを捨てて、行政に頭を下げ、生活保護を需給することだって出来たはずだ

もしも、なんでもありでも よければ

彼は、誇り高い男だった

そんなことをするわけがない
そんなことをしていたら、俺も 親友はおろか、軽蔑し絶交していただろう

彼は、最低限の誇りを貫く為に逝った

確かに

お前はかっこいい


なんでもありじゃないよな


死ねない人間は、何が何でも生きようとする
たとえゴミ箱を漁ってでも
たとえ人に物乞いをしてでも
それも一つの価値観だろう
別に否定はしない

だが、タクの価値観も否定はできないだろう


俺も、今はまだ死ねない人間

この世で、違和感を感じた時に

必ずタクを思い出す

そう、タクのような生き方もある


救われる







最後の男になるから

2012-01-20 01:53:33 | Weblog
母親が瀕死の状態の時

枕元で言った



母親は、3回結婚して、三回離婚した

俺は、最初の旦那の子供だ
中川さんという人だ

最終的に一人ぼっちになった母親は、こう言った

今、思えば、中川さんが、一番男気のある人だったと

俺にとって、どれだけ励みになる言葉だったか

話によると中川さんは、それなりにいいとこの家柄だったんだそうな

なのに、在日韓国人である母と、周囲の反対を押し切って
親と勘当してまで、結婚したのだそうな



確か
小学生、低学年だったと思う

布団の中で 母親が唐突に聞いた

「お父さんに会いたい?」

俺は、何も言えず
ただ、しくしくと泣いた

母親は、謝りながら俺を抱きしめた



母親が瀕死の状態の時
枕元で言った

あんたはつくづく男運がない

「俺が、最後の男になるから」



それでええやろ?

だれにも言えない

2012-01-17 19:53:01 | Weblog
唯一、一枚だけ残ってる、幼少時代の写真

白黒の、保育園の卒業記念写真

ジャングルジムのような遊技に群がる子供達の中で
一番控えめに写ってる

大袈裟でなく
本当に、一番、控えめに

ベスト?当時はチョッキと呼んだか そんなものを着てる

確かに、淡い記憶が、ある
確かによく着ていた
袖のない、チョッキ

その、チョッキ
俺に着せたんだろうな

チョッキを着せて、毎朝朝ごはん食べさせて
送って行ったんだろうな
保育園に

毎日夜間保育で
迎えはいつも最後だったけど

必ず迎えに来てくれた

あの時、あの迎えの自転車が、僕にとって全てだった



考えないようにしてる

これが、俺の道だから


良いか、悪いかなんて関係ない

やるべきことは、縁だから

選ぶんじゃない 与えられるんだ

だから、考えない

何かを考えたとしても

誰にも言えない



大体いつも最後の迎え
分かってたから、大体諦めていたけど

ごくたまに、一人でも先に帰れたら
凄く嬉しかった
優越感で、誇らしく自転車へ向かった

今思えば

我ながら何て浅はかな

他の家とは違う
母親しかいないのだから

本当は

そのことを誇りに思わねばならなかったのに



何かの運と縁とタイミングで

今、俺は、ここにいる

でも、誰にも言えない