それは、東日本大震災から2週間が経った頃のことでした。
盲導犬協会から電話がありました。
あ~。七色の、安否確認ね。( お忘れかもしれませんが、七色は元訓練犬です ) と思って出たら、
「 ななタンは いきてましゅ 」
そうではなく、
それは、昔 我が家で預かったパピーが、盲導犬を引退したとの連絡でした。
その頃、震災の影響で、仙台訓練センターの訓練犬達はみんな神奈川に移動し、センターは機能していない状況でした。
仙台市内でも、まだライフラインが復旧しておらず、ガソリンも手に入らない時でした。
「 仙台はこんな状況ですので、お宅さえ良ければ神奈川で引退犬ボランティアさんを探してもよろしいでしょうか? 」 ということでした。
それは、お宅が希望すれば引退犬を引き取ることもできるけれど、状況が状況ですから、新しい家族を責任もってこちらで探しますのでお任せ下さい。的なそんなカンジでした。
確かに、我が家は状況が状況でした。
震災もさることながら、七色は こんなだし、
「 いぬは みんな てき でしゅ 」 ← 協調性のない犬嫌い。
夫は単身赴任だし、(しかも動物アレルギー)、娘は社会人になるし、私1人で七色だけでも大変なのに、更にもう1頭を守ることなどできようか?・・・・・・ いやできまい。
2週間前の私なら、泣きながら、「 どうか可愛がってくれるボランティアさんの元にお願いします。」 と言ったかもしれません。
家に来るよりも、1犬だけを可愛がってくれる家で、のんびりとした余生を過ごした方が幸せに決まってる。と思って諦めたことでしょう。
でも、私は震災があってから、自分のできること、やるべきことは何なのかずっと考えていました。
そんな時に、まるで時を合わせたかのように、この話が私の元にきたのです。
答えは意外なぐらいすぐに出ました。
れれ 「 ウチで引き取るだべさ 」
家族にも相談せず、私の独断で引き取ることを決めました。
家族に相談したら、こう言われるのがわかっていたからです。
「 ななタンが いるから むりでしゅ 」
そんなこんなありまして、
引退犬を我が家で家族として迎えることになったのです。
その引退犬が、
れれ 「 おらっち だべさ 」
こうして、この度、協会との契約も無事に済ませ、みそぎをして体を清め、
晴れて れれボンは我が家の家族となりましたことを、皆様にご報告申し上げる次第でございます。
れれ 「 おらっち 退職して第2の人生を歩んでいくべさ 」
私がボログで、れれボンはあくまでも預かりです。と言っていましたが、それはウソではなく、
契約的には、盲導犬の引退犬は、引き取るのではなく、預かるという形になるのだそうです。
どうも犬の七色とは違い、れれボンは、一生、預かり犬。ということです。
れれボンが来てから4週間が経ちました。
正直言って、
初めの1週間は、れれボンの脚をなでながら、人知れず毎日泣いていました。
私の中で複雑な思いが溢れ、涙が止まりませんでした。
でも今は違います。前しか向いてないです。
「 くるまの なかでは うしろむきでしゅ 」 れれ 「 うしろむき だべさ 」
久しぶりに訓練センターまで来たのに、もう帰るんスカ? なんならお泊りしてもよかったのに。的な2犬。
今までずっと七色ボログを温かく見守ってくださった皆様、
どうぞこれからも変わらず、七色とれれボンのことを応援して頂けるとありがたいです。
人間も犬も一人っ子しか育てたことがなかった私でしたが、この歳で子どもが増えました。と同時に隊員も増員しました
れれボンは、とにかくいい子です。何をしても憎めない食いしん坊で不器用な男 = パピーの頃と性格は全く変わってないです。
盲導犬としての9年間、どんな生活を送ってきたのか私は全く知りません。でも、変わらないでいてくれたことは人から愛されていた証拠だと思ってます。
これからも末永いご愛顧、よろしくお願いします!
にほんブログ村
盲導犬協会から電話がありました。
あ~。七色の、安否確認ね。( お忘れかもしれませんが、七色は元訓練犬です ) と思って出たら、
「 ななタンは いきてましゅ 」
そうではなく、
それは、昔 我が家で預かったパピーが、盲導犬を引退したとの連絡でした。
その頃、震災の影響で、仙台訓練センターの訓練犬達はみんな神奈川に移動し、センターは機能していない状況でした。
仙台市内でも、まだライフラインが復旧しておらず、ガソリンも手に入らない時でした。
「 仙台はこんな状況ですので、お宅さえ良ければ神奈川で引退犬ボランティアさんを探してもよろしいでしょうか? 」 ということでした。
それは、お宅が希望すれば引退犬を引き取ることもできるけれど、状況が状況ですから、新しい家族を責任もってこちらで探しますのでお任せ下さい。的なそんなカンジでした。
確かに、我が家は状況が状況でした。
震災もさることながら、七色は こんなだし、
「 いぬは みんな てき でしゅ 」 ← 協調性のない犬嫌い。
夫は単身赴任だし、(しかも動物アレルギー)、娘は社会人になるし、私1人で七色だけでも大変なのに、更にもう1頭を守ることなどできようか?・・・・・・ いやできまい。
2週間前の私なら、泣きながら、「 どうか可愛がってくれるボランティアさんの元にお願いします。」 と言ったかもしれません。
家に来るよりも、1犬だけを可愛がってくれる家で、のんびりとした余生を過ごした方が幸せに決まってる。と思って諦めたことでしょう。
でも、私は震災があってから、自分のできること、やるべきことは何なのかずっと考えていました。
そんな時に、まるで時を合わせたかのように、この話が私の元にきたのです。
答えは意外なぐらいすぐに出ました。
れれ 「 ウチで引き取るだべさ 」
家族にも相談せず、私の独断で引き取ることを決めました。
家族に相談したら、こう言われるのがわかっていたからです。
「 ななタンが いるから むりでしゅ 」
そんなこんなありまして、
引退犬を我が家で家族として迎えることになったのです。
その引退犬が、
れれ 「 おらっち だべさ 」
こうして、この度、協会との契約も無事に済ませ、みそぎをして体を清め、
晴れて れれボンは我が家の家族となりましたことを、皆様にご報告申し上げる次第でございます。
れれ 「 おらっち 退職して第2の人生を歩んでいくべさ 」
私がボログで、れれボンはあくまでも預かりです。と言っていましたが、それはウソではなく、
契約的には、盲導犬の引退犬は、引き取るのではなく、預かるという形になるのだそうです。
どうも犬の七色とは違い、れれボンは、一生、預かり犬。ということです。
れれボンが来てから4週間が経ちました。
正直言って、
初めの1週間は、れれボンの脚をなでながら、人知れず毎日泣いていました。
私の中で複雑な思いが溢れ、涙が止まりませんでした。
でも今は違います。前しか向いてないです。
「 くるまの なかでは うしろむきでしゅ 」 れれ 「 うしろむき だべさ 」
久しぶりに訓練センターまで来たのに、もう帰るんスカ? なんならお泊りしてもよかったのに。的な2犬。
今までずっと七色ボログを温かく見守ってくださった皆様、
どうぞこれからも変わらず、七色とれれボンのことを応援して頂けるとありがたいです。
人間も犬も一人っ子しか育てたことがなかった私でしたが、この歳で子どもが増えました。と同時に隊員も増員しました
れれボンは、とにかくいい子です。何をしても憎めない食いしん坊で不器用な男 = パピーの頃と性格は全く変わってないです。
盲導犬としての9年間、どんな生活を送ってきたのか私は全く知りません。でも、変わらないでいてくれたことは人から愛されていた証拠だと思ってます。
これからも末永いご愛顧、よろしくお願いします!
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