明澄五術・南華密教ブログ (めいちょうごじゅつ・なんげみっきょうぶろぐ)

明澄五術・南華密教を根幹に据え、禅や道教など中国思想全般について、日本員林学会《東海金》掛川掌瑛が語ります。

星になった李太白(佐藤春夫)に事寄せて 子平洩天機 

2024年08月24日 | 五術

古いブログ記事を復刻しています。

スマホでも、少し読み易くなったかと思います。

 

 

2010.08.24 Tuesday

星になった「李太白」(佐藤春夫)に事寄せて 

 今朝のニュースのなかで、次のようなものが目に留まりました。

死亡は佐藤春夫氏の長男で星槎大学長の方哉さんと判明 新宿転落事故
2010年08月24日10時31分 / 提供:産経新聞

 東京都新宿区の京王線新宿駅で23日夜、電車を待っていた男性が隣にいた男にぶつかられて転落し、入線してきた電車とホームにはさまれて死亡した事故で、警視庁新宿署は24日、亡くなったのは星槎(せいさ)大学学長、佐藤方哉さん(77)=多摩市関戸=と確認した。
 佐藤さんは心理学者で専攻は行動分析学。作家の佐藤春夫さんの長男として知られ、慶応大名誉教授、帝京大教授などを歴任した。平成21年からは北海道に本部がある星槎大の学長を務めていた。



 このご長男については存じ上げませんでしたが、不慮の事故に遭われたもので、ご冥福をお祈りする次第です。

 佐藤春夫といえば、『病める薔薇』(1918年)『田園の憂鬱』(1919年)『殉情詩集』(1921年)『佐藤春夫詩集』(1926年)『晶子曼陀羅』(1954年)などの代表作で、作家、詩人としてよく知られています。

 出世作となったのが『李太白』(1918年)で、我々にも馴染みのある作品です。
 「太白」とは、唐の大詩人李白の字(あざな)で、金星を意味します。
 李白の母親が、夢に太白星(金星)を見て孕んだという伝説があり、後に、酒に酔った李白が水に浮かんだ月を取ろうとして溺れ死んだ、と言われています。

 佐藤春夫の「李太白」の中では、
 揚子江の采石の磯で、月夜に一人舟を浮かべて酒を飲んでいた李白が、水に落ちて錦糸魚という魚に身を変じ、今度は鯨に飲み込まれ、おしまいには天に吹き上げられて星になった、と言います。

 「李太白」は、谷崎潤一郎の推挙を受けて大正七年七月の「中央公論」に掲載され、佐藤春夫の出世作ということになりました。
 
 人が亡くなるのは悲しいもので、特に不慮の事故などに遭うと悲しみは一層増すものですが、星になったのだと思えば、悲しみも癒されることでしょう。

 佐藤春夫と言えば、谷崎潤一郎の妻千代に恋慕し、譲り受けたことでも有名で、谷崎と千代の離婚成立後、三人連名の挨拶状を知人に送り、当時「細君譲渡事件」(1930年)として、センセーショナルに報道されました。

 佐藤春夫の詩の中でも特に有名なものに「秋刀魚の歌」(1922年)があります。
 この詩は、谷崎の妻千代への同情と恋慕を歌い上げたものと言われています。


 秋刀魚の歌

 あはれ
 秋風よ
 情(こころ)あらば
 伝へてよ
 ――男ありて
 今日の夕餉に
 ひとりさんまを食ひて
 思ひにふけると。

 さんま、さんま、
 そが上に青き蜜柑の酸(す)を したたらせて
 さんまを食ふはその男がふる里の ならひなり。
 そのならひを あやしみ なつかしみて女は
 いくたびか青き蜜柑をもぎ来て 夕餉にむかひけむ。
 あはれ、人に捨てられんとする 人妻と
 妻にそむかれたる男と食卓に むかへば、
 愛うすき父を持ちし女の児は
 小さき箸をあやつりなやみつつ
 父ならぬ男に さんまの 腸(はら)をくれむと 言ふにあらずや。

 (中略)

 あはれ 
 秋風よ 
 情あらば伝へてよ、 
 夫を失はざりし妻と 
 父を失はざりし幼児とに伝へてよ 
 ――男ありて 
 今日の夕餉に ひとり 
 さんまを食ひて 
 涙をながす と。 

 さんま、さんま、 
 さんま苦いか塩つぱいか。 
 そが上に熱き涙をしたたらせて 
 さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
 あはれ 
 げにそは問はまほしくをかし。 

 また、佐藤春夫の詩集に「車塵集」(1929年)というものがあり、これは漢詩の訳詩を集めたものです。
 「車塵集」の中にも、「秋刀魚の歌」のように、千代への恋慕の情を歌い上げたかと思えるような、しかも非常にセクシーな詩が残されています。


 乳房をうたひて

湯あがりを
うれしき人になぶられて
露にじむ時
むらさきの葡萄の玉ぞ



 この詩の原詩は、趙鸞鸞 という、魚玄機 などと並び称される唐代の女流詩人によるもので、「平康名妓」と言いますから、長安の北側にあった有名な色街の「妓」、つまり芸者か遊女であったということです。


 
 酥乳  趙鸞鸞

粉香汗濕瑤琴軫
春逗酥融白鳳膏
浴罷檀郎捫弄處
露華凉沁紫葡萄


 起・承の句は「文字の美を去ってその意を伝えても無意味に近いからこの二句の訳は企てなかった」と言う注釈があり、転・結の句だけで訳詩にしています。

 まず、題の「酥乳」は、「やわらかい乳」と、訳されています。
 「酥」には、形容詞として「やわらかい」という意味がありますが、本来は名詞で乳製品を意味し、現代で言うと、カッテージチーズにあたるものとされます。
 「乳」は、乳房の意味もありますが、勿論飲料としての乳の意味もあり、「酥乳」が「やわらかい乳房」の意味とは限りません。


 佐藤春夫が訳さなかった、起・承句を読み下してみましょう。

読み下しと言うと、古文の表現に拘る人が居ますが、非常に馬鹿馬鹿しいことで、張明澄先生は常々「日本人は、読み下しのお陰で、漢文が読めなくなった。日本古文の表現を使っても、漢文の語感や音感とは全く関係がない。せめて現代語に近い読み方をすれば、もう少しマシなのに」と仰り、古文に拘らない読み下しを励行しておられました。

例えば、漢詩の中でも、日本人に最もよく知られていると思われる、杜甫の五言律詩「春望」の第一句は、

 国破山河在     

 国破れて山河在り

と、訓読されてきました。
これは、古語の表現で、「て」は逆接の接助詞ですから、もちろん間違いでは無いのですが、現代日本人の感覚からすると、「どうして国が滅びると山河があるのだろう」、という事になってしまいます。
 最も良く知られた漢詩がこの有様です。古文法に拘った「読み下し」こそ、日本人の漢文離れを促進した元凶に違いありません。
 もちろんそれには事情があり、「詩吟」を吟詠するとき、今までどおりの古語でないと、語句がうまく曲に乗らないところが出てきてしまいます。しかし「詩吟」という文化を保存するために、かえって漢文学に親しむ人が減ってしまうのは不幸なことです。
 そこで、これをほんのちょっと現代語風に変えてみましょう。

 国破れても山河在り

 どうでしょうか、吟詠に乗るかどうかは分かりませんが、これなら誰が読んでも、「国が荒廃しても、ふるさとの山河は我々と共にあるではないか」、という意味が理解できるのではないでしょうか。
 我々もこれに倣います。
 

粉香汗濕瑤琴軫
粉香の汗が瑤琴の軫(ことじ)を濕らし
おしろいの香りの汗が、美しい琴の琴柱を濡らしています。


非常にセクシーな意味で、どうやら、瑶琴は女性器、琴柱は陰核を指すもののようですから、佐藤春夫が訳さなかったのも無理もありません。昭和4年ごろなら、発禁か伏字になってしまいます。



春逗酥融白鳳膏
春逗(とど)まりて白鳳の膏(あぶら)を酥(やわら)かく融かす
又は
春は酥の融けるを逗(うな)がして白鳳の膏(あぶら)

「酥」を名詞と見るか、形容詞と見るかで、多少意味が変わりますが、「白鳳の膏」というのは、白い乳房の意味で間違いないでしょう。
 すると「やわらかく乳房を融かす」よりは、「チーズが融けたような乳房」のほうがピッタリ来るような気もします。
 
 また、「春逗酥融」には、「春」が「逗まって」(逗留の逗でとどまるの意)、「酥が融ける」ことを刺激する、促す、というニュアンスが含まれており、「逗」を「うながす」と読むことが可能です。
 つまり「春」が直接「酥を融かす(融酥)」のではなく、「春」は「酥が融ける(酥融)」のを促すだけ、というのが「春逗酥融」という語句なのです。 
 「春逗まりて酥を融かし」と読む方がずっと簡単ですが、それでは、詩の深い意味や語感が伝わりません。
 ここで言う「春」とは、単に季節としての春ではありません、

 

浴罷檀郎捫弄處
浴み罷(おわ)りて檀郎が捫(さわ)って弄(もてあそ)ぶ處(ところ)

ここは、「湯あがりを、うれしき人になぶられて」という佐藤春夫の訳がマッチしているところですが、どこを「なぶられて」いるのでしょうか、「處」に対する訳がありません。

「檀郎」は、一般的に、女性が男性を呼ぶときの呼称で、日本で言う「あなた」に相当します。
 その由来は、中国史上第一位の美男子とされる、晋の潘安(3世紀)の幼名が「檀奴」だったところから来ているもので、「美男子さん」といったニュアンスがあります。




露華凉沁紫葡萄
露の華が凉しく紫の葡萄に沁みる

 佐藤訳は「露にじむ時、むらさきの葡萄の玉ぞ」となっていますが、これでは意味が判りません。
 しかし、非常にセクシーな詩の一節ですから、思い切りセクシーに解釈すべきです。つまり「露華」は「瑤琴」と同じ、「紫葡萄」は「軫」と同じと見ることができるでしょう。要するに女性器と陰核を意味します。
 また、転句は「捫弄處」で終わっており、結句には、その「處」がどこであるかを示しているはずです。


 このように、現代でもなかなか表記が難しいものですが、昭和4年の詩集では、検閲もあって、相当に表現が制限されたでしょうから、あまり曖昧だなどと文句を言ってはいけません。


この詩には、異本があり、次のように変化します。

 

粉香汗涇瑶琴軫
春逗酥融綿雨膏
浴罷檀郎捫弄處
靈華凉沁紫葡萄


こちらの詩には、故張明澄先生の読み下しと訳が残されています。

粉の香に汗 瑶(たま)の琴の軫(ことじ)に涇(わ)き
春 酥融を逗(いど)みて綿雨の膏(こう)
浴(あ)み罷(おわ)りて檀郎が捫(さわ)って弄(もてあそ)ぶ處(ところ)
靈華凉しく紫の葡萄に沁みる

おしろいの香をした汗のような泉が美しい琴の柱(ことじ)のところから流れ、
春に刺激されてチーズが融けたような粘液が梅雨のように出てきます。
湯浴みを終わってあなたがいじっているところ、
神秘的な花は涼しさが紫の葡萄に沁み渡ります。


 起句の「濕」は、単に「濡れる」ことですが、「涇」に変わって「湧き出て流れる」意味になり、

 承句の「白鳳膏」は乳房の意味のようでしたが、「綿雨膏」では乳房とは取れず、「チーズが溶けた梅雨のようなあぶら」ですから、むしろ女性の体液の意味になるでしょう。
 そうなると、「白鳳膏」も、非常に粘りのある白い体液の意味だったかもしれません。

 また、「逗」は「いどみて」という読み方で、そのニュアンスをうまく表しています。つまり、「春に刺激されてチーズが融けた」のです。
 さすがに張明澄先生は、「春逗まりて酥を融かす」のような、安易な読み方をされません。

 また、「春酥融を逗みて」を「春酥 融を逗みて」と、読み間違える人がいるらしいので、ここでは、「春 酥融を逗みて」と、分かりやすく表記しております。
もともと、漢詩の語句は、七言であれば、必ず「2・2・3」、つまり、この詩では「春逗・酥融・綿雨膏」と、区切られるべきであり、「春酥 融を逗みて」などという誤読はあり得ません。

「春酥融を逗みて」は、誰が読んでも「春 酥融を逗みて」であり、少しでも日本古文の素養がある人なら、つまり、中学卒業程度の国語力があれば、絶対に読み間違える筈のないところですが、日本民族の劣化がさらに進行していることを表現する、実に情けない話です。
 やはり、「読み下し文」は古文に拘らず、より現代文に近づけないと、現代の日本人には意味が通じないケースが多々有り得るのです。

 個人的には、先に挙げたように、
「春は酥の融けるを逗(うな)がして綿雨の膏」とすれば、わかりやすく、誰が読んでも誤読も避けられるのではないかと思います。

 承句の「白鳳膏」が「綿雨膏」に変わったことは、
転句の「檀郎が捫って弄ぶ處」の「ところ」が、乳房である可能性は全く無くなり、女性器と確定します。

 結句の「露華」は、女性器を表す「露のしたたる花」でしたが、ここでは「霊華」すなわち「霊なる花」、つまり「神秘的な花」の意味であり、女性器を表すことには変わりありません。つまり、「白鳳膏」を「綿雨膏」に変えたので、「露華」という直截的な表現を、「霊華」という少し上品な言い方に改めたと見ることができます。

 さらに重要なことは、「露華」を「霊華」と読み換えることが可能だと言うことは、「霊」と「華」を切り離すような読み方はあり得ないことになります。
 もともと、漢詩の語句は、七言であれば、必ず「2・2・3」、と区切られるものですから当然のことですが、この詩で言うと、「霊華・涼沁・紫葡萄」と、区切られるべきです。


 故張明澄先生は、常々「漢文を読むには“ジルバ式リズム”を知らなければならない」と仰っていました。
 「ジルバ式リズム」というのは、例えば、「トントン・トントン・タントントン」とか、「タントン・タントン・トンタンタン」などのようなリズムで、漢字二文字を組み合わせた語句が連続するものを言います。
 戦国時代以降の中国語は「ジルバ式リズム」が定着しており、何でも漢字二文字で表現しようとする傾向が明らかです。
 例えば、「霊」というのは、形容詞としては「神秘的」という意味ですが、一字で使われることは余り無く、「霊華」のように、他の名詞と組んで使われるばかりか、「霊妙」のように、わざわわざ殆ど同じ意味の「妙」という漢字を組み合わせて使われます。
「危険」「恐怖」「保護」「安逸」「凶悪」「巨大」なども同様で、「ジルバ式リズム」の為に、わざわざ同じ意味の漢字を組み合わせて使われます。
 日本の漢学者の中には、この「ジルバ式リズム」を知らないために、しばしば区切りを間違え、誤読・誤訳しているケースが見られます。
 その誤訳ぶりは、『誤訳・愚訳 漢文の読めない漢学者たち』(張明澄著 久保書店1967)『間違いだらけの漢文』(同1971)などに指摘されており、特に岩波の「唐詩選」の間違いぶりが顕著なのですが、いまだに訂正もなければ、反論もありません。
 どうやら、日本の漢学者など当てにするのは愚かな事かもしれません。
 

 また「沁みる」を「沁む」などと日本の古語で読んでも、中国語である「漢詩」の語感・音感・ニュアンスなどとはまるで無関係であり、「読み下し」で「古文法」に拘る人たちには「死語の世界の住人」とでも言ってあげましょう。
 それにしても、「読み下しは古文法でなくてはならない」などと言う人に限って、満足に日本語が読めないのですね。


 最後の「紫葡萄」が「軫」と同じ意味なのは既述の通りです。

 「葡萄」だから「乳首」の意味ではありませんか?、という質問もありそうですが、今更「乳首」では、話が後退してしまうのです。
 と言うのも、この詩は『洩天機』の中で、喜神の戊、体神の丁、忌神の癸、という組み合わせの命式を持つ女性のために選ばれたもので、
折角、丁の隣に真神の戊があって護っているのに、癸が来れば台無しで無駄になってしまいます。
 つまりこの詩の教訓は、セックスするのにちょうど良い濡れ具合があるように、事を起こすときに、燃やしたいのに雨が降るような時を選んではいけない、性交の前の様に、良い準備をするべき、というところにあるのです。

 「紫葡萄」だから「乳首」などと想像してしまう人は、よほど女性の気持ちを知らない人、セックスが下手な男性、ということかも知れませんね。

 

 

 

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