心について考える、言葉にする、遣り繰りするプロセスは、結果的に自分の周りに雲を作る様なものであって、ありのままが見えなくなり、うまくいかなくなる。また、考えることの根底には何かしかのこうなりたいとの欲求があるが、心は自然の一部であって雨の日に無理に快晴にすることはできない。
一方で感じること、いまここを生きることは、満月も雲も(良いも悪いも)全てを受け入れている。雲(嫌な感情)は一旦受け入れていくこと、無くなることを求めないでいることで、初めて自然に去っていくんじゃないかと思う
それでは考える、言葉にすることが良くないかといえばそうではなく、周りの人のためになる、役に立つための考える、言葉にすることは、自我をおいてけぼりにした状態で、他者の為に動くことであり、気がつくと自然に周りの雲が消えている。
一番いいのは、感じてすぐに動く、その間の考える、言葉にするプロセスは最小限になるのが理想
その為に日々感じを高めていく。チューニングしていく。
感じを高めていくには、節制、規律、…
フランクリン13徳や孔子の論語やコビー博士(真北の原則)が言っていることを素直に実践していけばよい。そこには、これまでの賢人の知恵が詰まっている
瞑想や掃除もそこに至るプロセスの一つだ
感じてすーっと動く。その為の感度、コンディションを究極まで高める。具体的には節制、規律、誠実、感謝、礼儀、清潔、純潔、中庸、倹約、沈黙、情報断捨離、などの基本的な実践、小さく始めて習慣化していくことが最短でそこに至る道
人間性の向上って、その感度を高めることと同義かもしれない。
先入観ゼロ
感じを究極まで高めて身軽にすーっと動く。
愛、喜び、調和の中を生きるために
本当の自分を生きるために