日にち薬

瀬戸内寂聴さんの言葉をタイトルにいただきました。
以前は「デルタ」をメインテーマに。今後は・・?

泣いてしまった子

2007-07-07 01:59:23 | バド
 約1ヵ月後に迫った大会は、シングルかダブルスかどちらかしか出場できない。

 子どもにとってもどちらに出るのかは結構大きな問題で、保護者からは家族会議をしたという声も聞こえた。
 一応参考までにと希望を聞いた。

 ほとんどの子がダブルスを選んだ。

 うちの少年団はシングルを目指して練習してるんだけど


 希望は聞いたが最終決定は指導者が行う。ペアリングも指導者が決める。
 本日、指導者で相談した内容を子どもに伝えた。文句は言うな、と前置きして。

 誰も文句は言わなかった。
 どうしてこうなったか聞きたい?と問いかけたら誰も首を横に振る。
 なぜだろう?希望どおりではない子もいるのに。信頼されているならうれしいことだけど。

 そして、その出場枠別に子どもたちを振り分け、練習を開始。私はダブルスの子を担当した。
 基本的な技術はシングルもダブルスも同じだが、ローテーションと呼ばれる動きは決定的に違う。そういう意味で、シングルとダブルスでは別なスポーツと例えることもあるくらい。


 そのローテーションの練習をノックをしながらやっていたら、やはりできない子はいる。ダブルス経験の少ない子は特にわからない。

 「そんな打ち方していたら相手にたたかれるよ(スマッシュの意味)」と言ってスマッシュを打ったらその子は泣いてしまった。

 できないことが悔しかったのか、打たれたことが怖かったのか、実は希望通りではないダブルスそのものが不満だったのか。


 大人の涙は、特に仕事における涙であれば、さらに相手が女性であれば「仕事をなめるな!」と厳しくなっていく私。
 男女平等の環境で仕事をしている以上、涙によって、そこで起きている問題が結果的に刷り返られたり後回しにされたりすることが我慢できない。涙を流すくらいなら、流さないで済むような仕事をしろ!とついつい感情的になってしまう。


 でも、子どもの涙は別だ。
 いや、子どもの中には涙によって自分の置かれている状況を変えようとすることもあるだろう。
 でも、そうであっても子どもの涙には大人と異なるメッセージが含まれている気がして、自分としてはどうしても気になってしまう。

 大人でも同じだが、子どもでもいいたいこと、伝えたいことを言えずに内にこもってしまうことは往々にしてある。
 指導者として失格だが、そういう思いを気づいてあげられない事も多い。
 自分の気持ちを言葉にしたとしても、その表現がずれていたり異なっていることも、子どもの場合は多くあるのだろうと思う。そして私はそういう違いに気づかないことが多い。


 デリケートで小さな子どもの心。
 でも確実に言えるのはその心はひたむきで真摯で優しさにあふれている。

 そんな子どもたちを傷つけるような言動はしたくない、と思いつつ、実際のところどうなんでしょ?
 子どもたちは教えてくれないなあ・・・。
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