土曜日の大会を終えた。
目標としていた全道大会出場はかなわず、それどころか、勝てると見込んでいた相手に敗退する始末。
悔しさが先立ってしまう結果であった。
本日、保護者の皆さんの計らいで、打ち上げというかねぎらいの場を設けてもらった。
私自身、涙は流さなかったが、限りなくそれに近い状況だった。
ここに指導者としてあいさつしたことを記載したい。
「保護者の皆さん、ありがとうございました。本日このような席を設けていただいて、さらには中学生の活動に深いご理解とご協力をたまわったことを改めてお礼を申し上げます。
3年生の皆さん、お疲れ様でした。
2年前の4月に皆さんが『バドミントンを続ける』と言ってくれたおかげで今の少年団があります。
皆さんは今回の大会結果には満足していないでしょうが、小学生にとって下級生にとっての憧れであり、大きな壁として君臨した存在でした。君たちがいてくれたおかげで、次の世代につながって行きましたし、指導者も夢というか目標を持つことができました。
ありがとう。
2年生の皆さん、入団してくれてありがとう。
君たちが入ってくれたおかげで、団体戦の出場資格を得ることができた。とりわけ、硬直しがちな人間関係を君たちの存在で融和にすることができました。ありがとう。
1年生の皆さん、入団してくれてありがとう。
君たちが入ってきてくれたおかげで、団体戦で『勝とう』という気持ちになれた。君たちのおかげで全道大会出場という夢を目標にすることができました。ありがとう。」
「ありがとう」という言葉を意識して使って挨拶をした。
中学生は照れ臭かっただろう。普段そんな言葉を口にする指導者ではないからなあ。
でも、今日のこの場でしかいうチャンスはないと思った。
ねぎらいの場を設けてくれた保護者に感謝するほかない。
この後、3年生一人一人から挨拶をしてもらったが、みんな「ありがとうございました」と口にした。
社交辞令でもいいのだ。
言うべき時に言うべきセリフがある。
春の中体連は3年生のための大会なのだ。たとえ、1年生が優勝したりしたとしても、春の中体連は3年生のための大会。
2年3か月頑張ってきた結果を、たった1日の間に発揮しなければならない、厳しい1日なのだ。
あわよくば大会に出場する機会がない子もいるだろうが、出場する選手はそういう子たちの思いも背負って出場するのだ。
勝てば良し、というわけではない。
人生に時折訪れる、「節目」を勉強する機会なのだ。
あの子たちに今後訪れる、卒業であったり、就職であったり、異動であったり、結婚であったり、出産であったり、新築であったり、葬儀であったり、果てはわが子の入学であったり、と。
自分が人に思いを託したりすることもあれば、人から託されることもある。
こういう大会は、託したり託されたりすることを経験する場なのだ。
だからこそ、皆、一生懸命であるし、見ていても美しさを感じる。
負けたからといって、怒ったり注意したりする気になれない。
出てくるのは
「頑張ったね」
この一言だ。
全力でやり遂げた人に、かけられる言葉などそう多くはない。
いや、言葉で表現できる場合のほうが少ないかもしれない。
それでも、ともに頑張ってきた仲間や指導者や後輩や仲間であるなら伝わるはずだ。
そして、あの子たちがそういう人を見届ける立場になったとき、今後、見届けてもらう立場になったとき、出てくるセリフがある。
その言葉は今回私が口にした言葉と同じ言葉となるはずだ。
「頑張ったね、ありがとう」
気障な言い方のようだが、人間として生きていく上での根幹に存在する思いだと思う。
そして、本当に、私は思っている。
ありがとう、と。
目標としていた全道大会出場はかなわず、それどころか、勝てると見込んでいた相手に敗退する始末。
悔しさが先立ってしまう結果であった。
本日、保護者の皆さんの計らいで、打ち上げというかねぎらいの場を設けてもらった。
私自身、涙は流さなかったが、限りなくそれに近い状況だった。
ここに指導者としてあいさつしたことを記載したい。
「保護者の皆さん、ありがとうございました。本日このような席を設けていただいて、さらには中学生の活動に深いご理解とご協力をたまわったことを改めてお礼を申し上げます。
3年生の皆さん、お疲れ様でした。
2年前の4月に皆さんが『バドミントンを続ける』と言ってくれたおかげで今の少年団があります。
皆さんは今回の大会結果には満足していないでしょうが、小学生にとって下級生にとっての憧れであり、大きな壁として君臨した存在でした。君たちがいてくれたおかげで、次の世代につながって行きましたし、指導者も夢というか目標を持つことができました。
ありがとう。
2年生の皆さん、入団してくれてありがとう。
君たちが入ってくれたおかげで、団体戦の出場資格を得ることができた。とりわけ、硬直しがちな人間関係を君たちの存在で融和にすることができました。ありがとう。
1年生の皆さん、入団してくれてありがとう。
君たちが入ってきてくれたおかげで、団体戦で『勝とう』という気持ちになれた。君たちのおかげで全道大会出場という夢を目標にすることができました。ありがとう。」
「ありがとう」という言葉を意識して使って挨拶をした。
中学生は照れ臭かっただろう。普段そんな言葉を口にする指導者ではないからなあ。
でも、今日のこの場でしかいうチャンスはないと思った。
ねぎらいの場を設けてくれた保護者に感謝するほかない。
この後、3年生一人一人から挨拶をしてもらったが、みんな「ありがとうございました」と口にした。
社交辞令でもいいのだ。
言うべき時に言うべきセリフがある。
春の中体連は3年生のための大会なのだ。たとえ、1年生が優勝したりしたとしても、春の中体連は3年生のための大会。
2年3か月頑張ってきた結果を、たった1日の間に発揮しなければならない、厳しい1日なのだ。
あわよくば大会に出場する機会がない子もいるだろうが、出場する選手はそういう子たちの思いも背負って出場するのだ。
勝てば良し、というわけではない。
人生に時折訪れる、「節目」を勉強する機会なのだ。
あの子たちに今後訪れる、卒業であったり、就職であったり、異動であったり、結婚であったり、出産であったり、新築であったり、葬儀であったり、果てはわが子の入学であったり、と。
自分が人に思いを託したりすることもあれば、人から託されることもある。
こういう大会は、託したり託されたりすることを経験する場なのだ。
だからこそ、皆、一生懸命であるし、見ていても美しさを感じる。
負けたからといって、怒ったり注意したりする気になれない。
出てくるのは
「頑張ったね」
この一言だ。
全力でやり遂げた人に、かけられる言葉などそう多くはない。
いや、言葉で表現できる場合のほうが少ないかもしれない。
それでも、ともに頑張ってきた仲間や指導者や後輩や仲間であるなら伝わるはずだ。
そして、あの子たちがそういう人を見届ける立場になったとき、今後、見届けてもらう立場になったとき、出てくるセリフがある。
その言葉は今回私が口にした言葉と同じ言葉となるはずだ。
「頑張ったね、ありがとう」
気障な言い方のようだが、人間として生きていく上での根幹に存在する思いだと思う。
そして、本当に、私は思っている。
ありがとう、と。
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