日にち薬

瀬戸内寂聴さんの言葉をタイトルにいただきました。
以前は「デルタ」をメインテーマに。今後は・・?

バドの原点を確認

2007-10-30 01:48:35 | バド
 中学生の結果から離れられない。
 本当にうれしい結果だった。
 3年間何度も対戦しつつ一度も勝てなかった相手に勝ったK。実力で勝ちあがった経験がなく、2回戦敗退が当たり前だったのに今大会でベスト4まで行ったW。

 これらの子達が5年生のときに、私が心を入れ替え本気の少年団活動を目指したのだった。
 この子達はその本気の練習にきちんとついてきて、あっという間に実力を伸ばし、そのうち2名は5年生のうちに地区の4強を占めるまでに至った。
 ここからは大きな壁となる選手が存在し、一度も優勝を経験できていない。決勝に行ってもこれが決勝かという無残な敗退をこれまで繰り返してきたのだ。

 Kがその相手にはじめて勝った。こんなうれしい勝利ってめったにない。

 また、Wに至っては、これまで目立った成績を残せずに、このままの成績ならバドをやめろと今年伝えたのだ。そのWがはじめて実力で表彰台をモノにした。

 二人とも満面の笑みで本当にうれしそうにしていた。いやあ、本当にいい表情だった。


 この中学生は4年生以前に入団している子ばかりだが、本気で始めたのは5年生になる直前の「2005年3月」なのだ。指導者が本気になってようやくこの子達は全力で練習をする場を得たのだった。当時の小学3年生は本気練習を始めてから8ヶ月で初優勝をものにしたが、上級生はやはりそう簡単には優勝をものにすることはできなかった。

 そして今3年目。バドミントンはプレイヤーとして一人前になるのに早くても2年はかかると私は言っているのだが、それも実証した形になる。
 まあ、今回も優勝したわけではないので満足するのはまだまだなのだが。


 2005年は私にとって特別な年なのだ。

 2005年は教え子が亡くなった年。当時16歳だった。

 中学生になっても続けたいと希望した子をあきらめなさいと突き放した3年後に彼女は亡くなった。
 病室で「絶対病気を治してバドミントンやるんだ!」と私に語った姿が忘れられない。思い出すと今でも涙腺が緩んでしまう・・。歳なのかな?

 そして当時の、なぜ続けさせなかったのか、なぜ真剣に子供に対しなかったのか、という後悔の念は今の私の原動力でもある。

 中学生だけが団員ではないが、この中学生たちは私にとって特別すぎるのだ。
 この中学生の活躍によって、私は自分自身をようやく認めてあげられるような気がするのだ。中学生をしっかり指導し本人たちがもういい!というほどバドミントンを好きになってくれることで、バドミントンを楽しんでくれることで、当時の後悔の念を忘れられるような気がしている。

 今の子供たちには悪い表現かもしれないが、「罪滅ぼし」のような気持ちがあるんですなあ。
 
 この子達が無事に3年間バドを努力し楽しんで、中学校3年間は楽しかった!と言って高校生になってもらって、はじめて私は2005年を「過去」にできる気がしている。
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