「中体連」
wikiによると
財団法人日本中学校体育連盟(にほんちゅうがっこうたいいくれんめい)は、日本の中学スポーツを統括する財団法人である。略称は中体連(ちゅうたいれん)。
自分が学生の時は全く気にもしなかった。中体連があり、高体連があり・・・。
ちなみに高体連はwikiでは
全国高等学校体育連盟(ぜんこくこうとうがっこうたいいくれんめい)は、日本の高校スポーツを統括する財団法人である。略称は全国高体連(ぜんこくこうたいれん)または高体連(こうたいれん)。
どちらにしても「財団法人」
この財団法人が、中学生の各種競技における最高レベルの大会として君臨しているわけだ。
私のバドミントンにおいてはこの地域の中体連は当然ながら中学校の教師が仕切っている。まあ当然なのだろう。
だが、疑問もわく。
財団法人がなぜ中学校のスポーツ大会を仕切っているのだ?と。その財源は?構成員は?教育委員会はどのように絡んでいるんだ?文部省の所管なんだよな?
バドミントンでいえば北海道バドミントン協会があり、今年の中体連の全道大会は「北海道中学生バドミントン大会」という名称になっている。主管は開催地のバドミントン協会。
昨年の大会では「中学校体育大会」というサブタイトルがあり、主管は開催地の「中学校体育連盟」だった。
どのような意味と意図があるのだろう?
私が中学校体育連盟の存在を否定するわけではない。日本という国レベルの中央に存在することも不思議ではないが、どのようにしてその存在や目的が末端の学校の先生にまで理解を及ぼしているかがよく理解できないのだ。
教育大の講義の中にそういう科目もあるのだろうか。体育連盟は中学校におけるすべての競技を統括する・・・・とか。
中学校体育連盟が主催する競技はそのすべての競技において、「中学校」単位での出場となる。たとえば少年団に所属する中学生としての出場は認められない(らしい)。私の地元でも少年団の名前で出場できる大会はほぼ、ない。よって同じ少年団内にて活動をしていることを出場校皆が知っていても、学校が異なっていれば別のチームとして取り扱われる。私から見ると身内によるつぶし合いもトーナメントの中では存在している。
部活動は学校教育の一環ではないのだろうか。部活動による練習は学校教育の一環だが、大会については学校教育を離れて「中学校体育連盟」の所管となるのだろうか。だとしたら、学校教育において大会成績というのは関係のないこと、となるのだろうか。
大会も教育の一環との位置付けならば、なおさら「中学校体育連盟」の存在が分からない。
財団法人日本中学校体育連盟
教員ではない私は「外部コーチ」の登録をして初めて、「団体戦」のみコーチ席に座ることが許される。
個人戦の場合は、コーチ席に座ることは許されず、一人の観客として試合を見るしかない。当然アドバイスなどもできない。
試合において、コーチは「そこに居る」ことが大事で、アドバイスが大事なわけではない。励まし、怒り、なだめ、褒める。
一言二言の言葉に最大限の思いを込めて言葉をかける。場合によっては、声すらかけずにアイコンタクトだけでも十分なのだ。
本人が「ピンチだ、やばい」と思っていても余裕の表情でコーチが存在していればいいのだ。本人が手抜きをしていたような場合には怒りの表情を見せればいいのだ。
財団法人日本中学校体育連盟
小難しい屁理屈をうだうだ言うことが目的ではない。
教員ではない私でも監督会議に出席させてほしい。試合のときには教え子の試合に座らせてほしい。
外部コーチが選手とともに試合に参加できるのが「団体戦のみ」しか許されていないのはなぜ?
組み合わせを決める会議に出席できないのはなぜ?
結局、昔から連綿と続く古き慣習が続いているだけなんだろうと思う。
そして、
財団法人日本中学校体育連盟
この組織は中学校の競技が、学校の先生の特権であるという事実を如実に語っている。
wikiによると
財団法人日本中学校体育連盟(にほんちゅうがっこうたいいくれんめい)は、日本の中学スポーツを統括する財団法人である。略称は中体連(ちゅうたいれん)。
自分が学生の時は全く気にもしなかった。中体連があり、高体連があり・・・。
ちなみに高体連はwikiでは
全国高等学校体育連盟(ぜんこくこうとうがっこうたいいくれんめい)は、日本の高校スポーツを統括する財団法人である。略称は全国高体連(ぜんこくこうたいれん)または高体連(こうたいれん)。
どちらにしても「財団法人」
この財団法人が、中学生の各種競技における最高レベルの大会として君臨しているわけだ。
私のバドミントンにおいてはこの地域の中体連は当然ながら中学校の教師が仕切っている。まあ当然なのだろう。
だが、疑問もわく。
財団法人がなぜ中学校のスポーツ大会を仕切っているのだ?と。その財源は?構成員は?教育委員会はどのように絡んでいるんだ?文部省の所管なんだよな?
バドミントンでいえば北海道バドミントン協会があり、今年の中体連の全道大会は「北海道中学生バドミントン大会」という名称になっている。主管は開催地のバドミントン協会。
昨年の大会では「中学校体育大会」というサブタイトルがあり、主管は開催地の「中学校体育連盟」だった。
どのような意味と意図があるのだろう?
私が中学校体育連盟の存在を否定するわけではない。日本という国レベルの中央に存在することも不思議ではないが、どのようにしてその存在や目的が末端の学校の先生にまで理解を及ぼしているかがよく理解できないのだ。
教育大の講義の中にそういう科目もあるのだろうか。体育連盟は中学校におけるすべての競技を統括する・・・・とか。
中学校体育連盟が主催する競技はそのすべての競技において、「中学校」単位での出場となる。たとえば少年団に所属する中学生としての出場は認められない(らしい)。私の地元でも少年団の名前で出場できる大会はほぼ、ない。よって同じ少年団内にて活動をしていることを出場校皆が知っていても、学校が異なっていれば別のチームとして取り扱われる。私から見ると身内によるつぶし合いもトーナメントの中では存在している。
部活動は学校教育の一環ではないのだろうか。部活動による練習は学校教育の一環だが、大会については学校教育を離れて「中学校体育連盟」の所管となるのだろうか。だとしたら、学校教育において大会成績というのは関係のないこと、となるのだろうか。
大会も教育の一環との位置付けならば、なおさら「中学校体育連盟」の存在が分からない。
財団法人日本中学校体育連盟
教員ではない私は「外部コーチ」の登録をして初めて、「団体戦」のみコーチ席に座ることが許される。
個人戦の場合は、コーチ席に座ることは許されず、一人の観客として試合を見るしかない。当然アドバイスなどもできない。
試合において、コーチは「そこに居る」ことが大事で、アドバイスが大事なわけではない。励まし、怒り、なだめ、褒める。
一言二言の言葉に最大限の思いを込めて言葉をかける。場合によっては、声すらかけずにアイコンタクトだけでも十分なのだ。
本人が「ピンチだ、やばい」と思っていても余裕の表情でコーチが存在していればいいのだ。本人が手抜きをしていたような場合には怒りの表情を見せればいいのだ。
財団法人日本中学校体育連盟
小難しい屁理屈をうだうだ言うことが目的ではない。
教員ではない私でも監督会議に出席させてほしい。試合のときには教え子の試合に座らせてほしい。
外部コーチが選手とともに試合に参加できるのが「団体戦のみ」しか許されていないのはなぜ?
組み合わせを決める会議に出席できないのはなぜ?
結局、昔から連綿と続く古き慣習が続いているだけなんだろうと思う。
そして、
財団法人日本中学校体育連盟
この組織は中学校の競技が、学校の先生の特権であるという事実を如実に語っている。
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