呑舞さんの脳活俳句日記

俳句漬けの毎日。夢の中でも俳句を詠み、昼間は時々カメラを持って外出し、俳句の材料を捜す日々。句会報告や俳論を掲載します。

暴漢と俳句

2019-11-01 17:02:38 | 俳句

昨年の9月に暴漢に襲われてから丸1年を経過したが、以来体調も勝れず作句意欲もかなり落ち込んでいる。この状況を何とか早く脱出したいのだが、最近は足も萎え、眼の状態も余り良くない。

自分史の一部となる俳論『つれづれ俳句雑感』は何とか4校まで進んだ。月末には上梓出来るだろう。一段落して作句意欲も蘇るかも知れない。追って上梓報告を纏めたい。

2019年11月1日記


第一句集上梓しました

2019-05-26 10:06:38 | 俳句

   去る1月下旬、第一句集「航(もやい)」を上梓した。平成29年から選句編集作業を続け、途中結社舞の芭蕉研究「おくのほそ道」等の原稿執筆のため中断していたが、一年をかけて一冊に纏めた。搭載句数400句と、多くの先輩諸氏の句集よりも句数が多くなってしまったが、自分史を兼ねるという編集方針からは妥当な句数ではないかと考えている。

  句集上梓に際しては、結社舞主宰の山西雅子先生から懇切なるご指導と共に、俳句としての表記や仮名遣いについての校正や添削、更には各俳句の並べ方までご指導戴き、完璧な句集に仕上げることが出来た。また、沖まで遠望するカバーの装丁は、喜怒哀楽書房の木戸敦子氏や菅真理子氏のご提案により、これもとても良い形になったものと思う。

  帯文は、舞誌編集長であり、筆者の句友でもある今井とんぼ氏に纏めて戴いた。筆者の心象を的確に言い当てており、句集「航」に相応しいものになった。

  上梓迄に戴いた各氏のご協力に感謝したいと思う。

  現在までに謹呈させて戴いた方からの反応はとても好意的であり、筆者にとっても大変喜ばしいことであった。特に、十数年前の小学校教員時代の教え子からの謝辞は涙がでる程嬉しかった。俳句を遣っていて良かったと思う。今後出来るか否かは別として、次の第二句集編集に繋げる気力にもなった。有り難いことである。

  二年越しのブログ更新が、句集「航」の上梓報告になった。向後暫くの間は、俳論「つれづれ俳句雑感」の編集と、中断していた「東海道吟行記」等、本ブログの記事の更新をしたいと思っている。

2019(令和元)年5月26日

 

 


「舞俳句会」定例句会紹介

2017-09-26 16:42:41 | 俳句

「舞俳句会」舞岡吟行句会(平成29年9月6日)

   横浜市戸塚区所在の「舞岡ふるさと村」は、横浜市指定の二つのふるさと村の一つであり、横浜市の略南東に位置し、千年以上も続く田園地帯である。かっては、徳川家康の旗本蜂谷氏が所領していた場所だが、現在まで殆ど都会化されずに自然が残されている。このふるさと村の奥に続く谷戸田の周辺には七カ所程の水源(湧き水)があり、下れば舞岡川に出て柏尾川へ流れ、更に江ノ島まで続いている。柏尾川は、昭和50年代までは、国道東海道線にある江戸方見附当たりで度々氾濫を起こす暴れ川でもあった。横浜市指定のもう一つのふるさと村は、「寺家ふるさと村」で、横浜市の北西、青葉区に所在し、町田市と多摩川に接している。「舞岡ふるさと村」とは、横浜市中央部を挟んで対象的な位置にある。

   「舞岡ふるさと村」は、結社「舞俳句会」の発祥の土地であり、結社揺籃の時期から吟行地として盛んに訪れていた。また結社の歴史的行事として、毎年9月には必ず舞岡吟行会を予定しており、筆者の筆により時々、舞岡史の紹介文を結社誌にも掲載している。

   今年の舞岡吟行会は、9月6日(金)に実施した。生憎の雨催いではあったが、遠くは東京からの参加者も加えて盛会に行われ、ふるさと村にある「虹の家」で2句投句2句選で句会を行った。当日の成績。

主宰詠:君あらず鵯花の咲けばなほ

主宰特選:草むらを分けて露草脚長し 

(主宰推薦:7句)

  梨売りの娘一人の販売所              

  秋風や水口世々に水守る 

  稔り田の一角を風乱れ舞ひ 

  草の花ことば貧しく老いにけり

  小流れの湧き出す所秋茜      呑舞

  虚栗誰も拾はず見向かれず   呑舞

  ハム燻す桜チップや天高し

  秋雨や鎮守の杜の闇深し

  四阿に昼餉の笑ひ竹の春

  特選句、並選句は省略。

   今回は、2句投句して2句推薦句 (両句とも会員による特選)に入選することができた。地元在住の俳人としては、自慢する程ではないかも知れない。依頼原稿の執筆が多くて、ブログアップが大幅に遅れてしまった。9月は、30日締め切りの原稿が多く、更に、結社の研究会の講師を引き受けているので、時間的に余裕が無いのが残念。

(平成29年9月26日記)

 

 

 


巨星逝く(日野原重明先生追悼)

2017-07-25 08:15:21 | 俳句

日野原重明第一句集『百歳からの俳句創め』

2015年5月横浜みなとみらいでの講演会風景

  筆者の心の師でもあった日野原重明先生が去る7月18日の朝呼吸不全で亡くなられた。つい先日まで、今年10月4日106歳の誕生日を楽しみにしておられたことが夢のように感じられる。先生の医師としての業績は既に周知の事であるが、オームサリン事件の時、救急の陣頭指揮にあたられ、600余の患者の治療に専心された事は、特に有名である。

  また先生は、98歳を過ぎても色々な事に興味を持たれ、俳句やその他の文芸にまで意欲を示されると共に、「新老人の会」作り、各所の会合に出席され、更に毎日メール通信により励ましの言葉を送り続け、多くのシニヤ世代に勇気と希望を与える努力をされて来た。

   駆け巡る新老人会年暮れる

  先生は、常々「創めることを忘れぬ限り、人はいつまでも若い」と言う言葉を使われて来た。この言葉は、元々はマルティン・ブーバーの言葉だが、先生ご自身の実践であったと考えられる。また、何か新しいことを創めるのに遅いと言う事はない、とも言われていた。その証が、俳句創作活動になり、2014年には第一句集を上梓される事に繋がっている。下の写真は、先生が103歳の時に横浜みなとみらいで講演された時のものである。車椅子で入場された先生が壇上では立った姿勢のまま1時間に及ぶ講演をされた事が印象的であった。

  先生が俳句を創めると宣言されたのが、98歳の時であったと記憶している。その時、印象に残った御句は、2008年新年7句として詠まれた、

    初御空我上り坂米寿超え  (米寿は達成目標ではなく関所のひとつ)

    私には余生などないよこれからぞ

と言う二句である。如何にも先生らしい前向きな姿勢が読み取られる。その後、「俳句療法学会」を設立され、医療に俳句を取り入れると言う新しい試みに挑戦された。更に、先生の興味は、若者を凌ぐ広さをお持ちであった。100歳になられた2012年頃には、

    百歳は私の関所ゴールでなく

    早々と晦日前後に作家目指す

等と詠まれ、童謡、童話作家になる決心を述べられている。また、限りない精神的な若さや行動力を維持されており、この頃トンボ帰りのイギリス行きを決行されたり、2013年にはマンハッタンでヘリコプターる搭乗したりされている。

    イギリス行二日スティのとんぼ返り

    ヘリに乗りマンハッタン見下ろす百二歳

  また、ユーモアも人一倍旺盛で、

    露天風呂扇のかなめに股開き(川柳)

    百二歳スピード狂に歳はない

  この句は、富士の裾野にある「富士教育研修所」へ通われていた時のもので、先生は「ドライバーも乗っているが、私もスピード狂で、年50回程東京から東名高速を飛ばして研修所まで行き、医学教育学会主催の中堅医師のためのワークショップの講師を務め」られていた。「スピード狂の私は時速百キロでいつも心が弾む」とも述べられていた。恐れ入った精神力、行動力をお持ちであったことが伺える。

  亡くなられた今、ご自身のお言葉通り、天空の星に成られて我々を見守って頂けるものと思う。心からご冥福をお祈りしたい。合掌

    

   夢追ひし人の逝きけり星涼し    呑舞

 

(平成29年7月25日記)


『俳句』 7月号を読む

2017-06-28 08:29:06 | 俳句

『俳句』 7月号と現代俳人名鑑Ⅲ

   今月号で特に目を惹いた記事は「若手俳人競詠10句」である。22歳~44歳までの若手俳人29名の10句抄が集録されている。年配者には出番が無いことに些かの寂しさを伴うものの、俳句界の次世代を担う若手俳人が育っていく事に頼もしさを感じる。特に、29名の中には筆者と関わりのある若手俳人も数名混じっており、尚更ながら親しみを感じた。その中には筆者所属の結社「舞」に関わる俳人、小川楓子氏、涼野海音氏やFB友達の能美顕之氏も含まれている。何れも日頃から筆者が知るご本人の俳句感が溢れており、夫々の作風の違いも明確である。たかが17文字の世界で、詠者によって此れだけの違いが表現される事に俳句に関わる一人として大変面白さを感じた。小川氏と涼野氏は既に斯界で認められた俳人であり、「現代俳人名鑑」にも10句抄と共に紹介されている。能美氏は、現役の宗教人で西本願寺系のお寺の住職でもある。筆者も西本願寺の教義に少しばかり関わっており、そう言う意味では同門かも知れない。

    また、今月号付録の「現代俳人名鑑Ⅲ」には、筆者の師匠でもある山西雅子氏が10句抄と共に紹介されている。何れの方の句を読んでも筆者との感性の違い、歳の違いを感じさせられる作品が多く、筆者の出番は既に終わったと言う思いである。筆者の好きな句を下記する。

  山西雅子詠(現代俳人名鑑Ⅲより)

    冬空を緋色の靴の落ちくるか   『夏越』

    芋虫にして乳房めく足も見す   『夏越』

    石鹸玉まだ吹けぬ子も中にゐて   『沙羅』

    小満のみるみる涙湧く子かな     『沙羅』

    喜びの米といふありこぼしけり    『舞』

 

  小川楓子詠(競詠10句抄「一輪車」より)

    夏の雨イヤフォンをして昼ごはん

    六月のキリン寂しいかと父は

    ひやうふつと潮風のきて蜘蛛の糸

    夏シャツの乳を授ける日あたりに

    夕涼のくきくきとゆく一輪車

 

  涼野海音氏詠(競泳10句抄「アメリカの地図」より)

    さるぼぼの大きな頭春立ちぬ

    五月来る森の中なる神学部

    山頂に来て蟻地獄ひとつのみ

    アメリカの地図を開いて端居かな

    小鳥来るオリーブ園の坂の上

 

  能美顕之氏詠(競泳10句抄「立夏」より)

    職人のリズムに遠き蛙かな

    立ち話終らぬ気配藤の花

    落武者に始まる寺や風五月

    新聞の風にはらりと夏に入る

    よく見れば毛虫にいのちありしこと

   一読語、夫々の方の個性が明確に表れていることに驚き。俳句にも個性が滲み出る。小川氏の句は何れも女性らしさ、若い女性ならではの個性に溢れる。涼野氏の句は、何方かと言うと伝統的な客観写生に近い詠み方である。また、能美氏の句は、下地に宗教者らしい感覚が溢れている。筆者の感想ではあるが、今後も夫々の個性が生かされて独自の俳句道を進まれるものと推察した。

   上記各氏に比べお恥ずかしい拙句。先週の松山俳句ポスト佳作入選作(夏井いつき選)。もう少し修行が必要。法律の論文書きの方が得意なので、仕方がないか。

    白靴を汚さぬやうに歩きけり    呑舞

(平成29年6月28日記)

 

 

 

 


俳句雑誌『草の花』 6月号を読む

2017-05-28 16:56:47 | 俳句

俳句雑誌『草の花』 6月号

    『草の花』は、藤田あけ烏を師系とし、現在、名和未知男先生が主宰をされている。現在、大阪、名古屋、宮崎まで句会を展開し、主宰は満遍なく各地を訪問され、地方の吟行会にも出席されている。筆者は、『草の花』の講読会員に近いが、時折、横浜句会に参加させて頂いている。この2月程は、椎間板ヘルニヤ治療の為、句会には出席できないでいるが、毎月の投句は略継続している。

   【今月のあけ烏句】

   にはとりを撫でて六月二日なり

   梅は実になりて机の狛土鈴

   苗取の水おもしろく捌くなり

 

   【「さねさしの」名和未知男】

   黄心樹の咲き降臨の宮薫る

   花曇り神降り立ちし峰遠き

   知覧てふ名を畏みて一番茶

   放屁一発春風の比企郡

   亡き父の生まれし日なり蝶生まる

   さねさしの相模の風や青き踏む

 

   【今月の拙句】

   (草の実抄:特選)

   啓蟄や一日は本の虫となり

   (草花抄:入選)

   分け入つてまたその先も春の山

   春愁や大空襲の記憶なほ

   深川や三月十日落椿

   亀鳴くを信じて探す谷戸の池

 ※筆者は、東京深川三好町生まれ。3月10日大空襲の被災者である。戦後70年を経て、この記憶を消す事が出来ない。現在の政局は、戦前回帰を企図している様だが、時間を巻き戻すことを容認する事は出来ない。

(平成29年5月28日記)

 


金子敦著句集『音符』を読む

2017-05-24 14:15:08 | 俳句

金子敦著句集『音符』

    金子敦氏から句集『音符』が送付されて来た。表紙見開きには達筆な毛筆で句集中の一句の染筆をして頂いている。金子敦氏は、FB(フェイスブック)を通じて友人となった俳人であり、偶然にも筆者とは極めて近い所に住まわれている。まだ実際にはお目に掛かった事はないが、FB上に投稿された氏の記事からは、その人柄の良さ、優しさが伝わって来るような人物である。と言う事もあって、句集が手元に届くまで大変楽しみに待っていた。

    句集『音符』は、想像していた通り、装丁からも明るい清々しさが感じられる。内容は、2012年から2016年までの5年間405句が年代順に編集されており、2016年作が157句と全体の三分の一強を占める新作に力点が置かれている。全体を読み通して感じたことは、日頃から作者について感じていた通り、その人柄の良さが滲み出るような優しい暖かな感じを受ける句で占められており大変好感が持てる。何れの句も作者の日常や身の回りの事象を詳細に、かつ愛情深く観察して句材にされており、平易な表現でありながら主観の入らない的確で透明感に溢れる詠み方をされている。また、季語の本意を十分に生かした作句も、特に技巧が凝らされている訳でもなく、自然と読者が句の情景の中に引き込まれる様な詠み方である。これは、作者の人柄だけでなく、作句に際して身近な事象に対する自然な向き合い方と経験の積み重ねによる作句力の高さから来るのかも知れない。最近、FB上に限らず、難しい言い回しや珍奇な比喩、難語を使用した目眩らまし的な句を目にすることが多いが、金子敦氏の句は、極めて素直、誰が読んでも美しい詩情を感じることが出来る。また、何れの作品も「景」が良く描写されていて、良く見える。失礼を省みずに言えば、俳句の教科書にでもしたい様な句集である。到底未熟な筆者の及ぶ所ではない。ただ、作者は、猫好きと聞いていたが、猫を句材にものは意外と少ない感じもした。また、作者は多趣味な方と拝察した。音楽(カラオケ)やデッサン等。従って、措辞中にカタカナ文字が目立つことも一つの特徴である。

   通読して筆者の共感を呼ぶ好きな句を書き出してみたところ、60句余りに達した。勿論、他の句が良くないと言う訳ではない。無理に選んでと言う事である。これを本稿に全部書き写すことは到底無理なので、更に好きな句を選らばせて頂いた。筆者は、俳人と言うより、法学者であるから、選句、鑑賞の仕方にも自分の本質や癖が影響している事を予めお断りしておく。以下に、大まかで勝手な分類ながら、俳句の主題毎に年代に分けて紹介して見たい。同じ主題による作品でも年毎に微妙に変化している事が分かる。作者は、今後も益々作句力を向上させて行くに違いない、と拝察した。

  【少年の心を感じるような句:作者の心情か、ご自分のお子さんか】

  (2012年作)

  太陽より大きく画かれチューリップ

  三拍子で弾んで来たる雀の子

  夏休み粘土はどんな形にも

  恐竜を組み立ててゐる夜長かな

  (2013年作)

  泣きじやくりながらバナナ剥いてをり

  ピアノ弾くごと指動く昼寝の子

  (2014年作)

  紙雛にクレヨンの香の残りけり

  開きたる絵本の上のバナナかな

  ひとすじの涙の跡や昼寝の子

  お釣りでしゆといはれ落葉を渡さるる

  (2015年作)

  ジャグリングのごと筒放る卒業生

  をさなごの手によれよれのつくしんぼ

  翼めく肩甲骨や水着の子

  (2016年作)

  縁側に座敷わらしの夏帽子

 

  【猫:作者はかなりの猫好きである】

  (2012年作)

  恋猫が古き手紙の束を嗅ぐ

  (2014年作)

  猫のゆく方がすなわち恵方道

  にやむにやむと猫の寝言や神の留守

  (2016年作)

  猫可愛いと言はれ可愛くなる子猫

 

  【音楽:カラオケがご趣味で常時高得点を取られているとか】

  (2012年作)

  まんさくやト音記号の渦いくつ

  (2013年作)

  シンバルの連打のような残暑かな

  秋薔薇にボサノバの音滲みけり

  春を待つ八分音符に小さき羽

  (2015年作)

  ティンパニを叩けば風の光り出す

  カスタネットまでたんぼぼの穂絮飛ぶ

  (2016年作)

  RとL発音練習ラフランス

 

  【家族:母上は亡くなられている】

  ※家族に対する愛情に満ちている。

  (2012年作)

  亡き母のメモの通りに盆支度

  (2013年作)

  雪の夜や父の部屋より紙の音

  (2015年作)

  望の夜や父の書棚に吾が句集

  半分に割り焼薯の湯気ふたつ  (奥さんか?、お子さんか?)

 

  【作者の思想(社会詠):現在の世相に対する作者の心情が詠まれた句は少ない】

  ※僅かに2句があり、「反戦」の心情が読める。

  (2016年作)

  焼薯を剥き配給を語る父

  雑炊やラジオに流れ反戦歌

 

   上記してはいないが、本句集の題号となっている〈巣箱より出づる音符のやうな鳥〉は、極めて完成度が高い秀句であると思った。確かに、小鳥が巣箱から飛び立つ様子は、音符のように見える。小鳥を「音符」に見立てる等と言うことは、音楽に関わっている俳人でなければ発想出来ないだろう。  

  本稿は、現在の所、まだ未定稿である。更に、読みを深めてみたいと考えている。こんなにも身近に句材を求めることが出来る事に大変感激した。俳句詠みとしては見習うべき作句姿勢であると、自分の理屈っぽい俳句を反省している。感謝である。

(平成29年5月24日記)

 

 

 

 

 

 


会津太郎著『わが福島』を読む

2017-05-06 09:25:03 | 俳句

会津太郎著『わが福島』

   FB友達の会津太郎氏から氏の著作『わが福島』をご恵贈戴いた。氏は、神奈川県秦野市に在住する詩人であるが、福島県会津美里町出身との事で、故郷「福島」に対しては一入思い入れの深い土地であるように思われる。

   2011年3月11に福島の原発事故が発生してから既に6年を経過している。今や人々の記憶の中からは、過去の出来事として消え去ろうとしている。たった6年前の出来事である。しかも、事故原発の後始末は、まだ緒についたばかりであり、この先何十年も続く日本国民全体にとっての大きな負債でもある。このような状況下で、政治は福島原発事故が恰も無かったかのように、各地で原発再稼働に向けた無責任な動きを始めている。日本人の健忘症や無反省な行動には呆れてしまうが、何処かで誰かが声を上げていく必要性を強く感じる。会津氏も述べているように、「福島原発事故はもはや日本だけの問題ではなくて、世界共通の普遍的な問題」でもある。会津氏は、本著作を日本語だけでなく、英語、フランス語でも記述し、世界に発信されている。氏の俳句  〈瓦礫から水仙の茎生まれけり〉  は、極めて印象的である。震災からの時間経過の速さを物語っている。

   『わが福島(My Fukushima)』は、3.11事故以前(福島の四季)と以後の福島変貌の姿を5行詩と3行詩及び俳句、俳文等で編集されている。永年俳句のみに親しんで来た者にとっては、詩型の目新しさと共に、5-7-5の短詩型では伝えにくい情感を十分に読み込むことが出来る詩型に魅了された。特に感動を受けた詩を下記する。なお、本ブログへの転載については、会津氏よりお許しを戴いている。

            「すみれ」

     おじいさんとおばあさんが

        道端にしゃがんで

       すみれを眺めながら

        おしゃべりしている

            春の朝

        

            「滝桜」

       何本もの添え木に

       支えられながらも

         樹齢約千年

       今うすくれないの

          三春滝桜

 

           「3.11以後」

             2011年

            3月10日

          私の福島が

      片仮名のフクシマに

         突然変わった

 

              「同上」

     「避難しろ」と言われても

          自分の老後を

           自分の村で

        平和に過ごしたい

         フクシマの老人

 

     (祈り)

              「滝桜」

           これから千年

           あの滝桜が

         三春の土地に

           毎年毎年

      咲き続けますように

    

           「子供の未来」

         福島だけではなく

     チェルノブイリの子供達も

          素朴な遺伝子を

           セシウムに

       汚されませんように

 

      (俳句:会津太郎氏詠)

     あの津波  何だったのか  春の海

     墓石が  横たわっている  夏日かな

     セシウムが  ようやく減りし  米の粒

     降る雪や  街をうろつく  牛の群れ

     瓦礫から  水仙の茎  生まれけり

  

   本書を読んでいてとても切なくなる。福島原発事故の後始末が終わるまでを見極めることが出来ない世代として、これからの子供たちに託さなければならない負の遺産の重さを感じる。

     (3月10日呑舞詠)   

    福島の児等の嘆きや春愁ふ

    奥州の空避けゆくや鳥帰る

    鎮魂の祷を乗せて鳥帰る 

    芽吹きけり主今無き狭庭にも

  現世の悩み尽きせぬ身なれども明日の我が身は弥陀に委ねん   呑舞

 

(平成29年5月6日記)


東海道吟行記(大磯~二宮)其の二

2017-03-27 14:45:45 | 俳句

「大磯虎ケ雨」歌川広重作東海道五十三次より

  大磯小余綾を後に東海道を道なりに20分程歩くと前方右側に旧三井別邸跡がある城山(じょうやま)が見えて来る。東海道を挟んでこの城山の南側に旧吉田茂邸地区がある。吉田茂邸は、三井別邸よりも やや狭いが、周辺を林に囲まれ、吉田茂首相が晩年を過ごした美しい邸宅である。この邸宅は平成21年に火災で焼失したが、平成26年から大磯町によって整備再建が進められ、ようやく復旧されたもので、残念ながら公開前で内部を見ることは出来なかった。内部公開は、平成29年4月1日から始まることに成っている。

  吉田邸は、東海道道筋から少し奥まっており、入口の兜門を潜ると邸内の景観が一望に現れる。この兜門は、内側から屋根の部分をみると屋根の両側にしろこ部分が現れるよう円形に切り欠かれた珍しい形状になっている。

(吉田邸の母屋を正面から見た状態:手前に心字池に建つ石塔が見える)

(前庭前の心字池の全容)

  兜門を入った左側にある中池のそばに大正天皇行幸碑がある。かって大正天皇も見た庭園でもある。庭園の南側の丘に七賢堂が建てられており、岩倉具視、大久保利通、三条実美、木戸孝允、伊藤博文、西園寺公望、吉田茂の写真が祀られていたと言う。

(七賢堂)

  この丘を上り切ると相模湾を一望できる頂上に至る。この眺望の良い場所に吉田茂の銅像がサンフランシスコに向いて立てられている。第二次世界大戦を終結させた「サンフランシスコ条約」の締結に携わった功績を讃えたものであろう。

  今回は、旧三井別邸に立ち寄る時間が無かったが、神奈川県立城山(じようやま)公園は、両者を含めた総称として指定されている。大磯の小余綾から城山までの間には、幕末から明治に至る、時代を象徴する人物が別邸を構えている。後藤象二郎邸、村井吉兵衛邸を初め徳川邸、伊藤邸(滄浪閣)、沖邸、陸奥邸、鍋島邸、大隈邸、西園寺邸、池田邸、清水邸、伊達邸等の旧邸跡が残されている。大磯は和歌の時代からの文化的色彩に加え、政治とも縁の深い土地柄であったとも言える。

  大磯八景碑として残された歌碑は、次のようなものである。

  いさり火の照ケ崎までつづく見ゆいかつり船や今帰るらん (照ケ崎の帰帆)

  さやけくも古にし石文照すなり鴫立沢の秋の代の月 (鴫立沢の秋月)

  小松原けむるみどりに打ちはれて見わたし遠く小余綾の浦  (小余綾の晴風)

  くれそめて紫匂ふ雪の色をみはらかすなり富士見橋の辺 (富士山の慕雪)

  霜結ぶ枯葉の葦におちて行く雁の音寒し唐が原 (唐ケ原の落雁)

  高麗山に入るかと見えし夕日影花水橋にはえて残れり (花水橋の夕照)

  さらぬたに物思はるる夕間暮きくぞ悲しき山寺の鐘 (高麗山の晩鐘)

  雨の夜は静けかりけり化粧坂松のしづくの音ばかりして (化粧坂の夜雨)

  大磯は、比較的狭い町ではあるが、色々な意味で、歴史的、文化的、政治的に名勝と言われるに相応しい土地であると言えるのではないかと考えられる。

(平成29年3月27記)

 

 

 


東海道吟行記(大磯~二宮)其の一

2017-03-25 10:22:05 | 俳句

大磯付近の東海道松並木

   大磯駅を出て相模湾側へ5分程歩いた東海道の道沿いに日本三大俳諧道場(京都落柿舎、滋賀無名庵と並ぶ)として有名な「鴫立庵」がある。鴫立庵は、寛文4(1664)年の頃、小田原の崇雪が石仏の五智如来像をこの地に運んで草庵を結び、初めて鴫立庵と名付けた事に始まる。当初は、五智如来を本尊とする西行寺を作ることが目的であったが、その後元禄8(1695)年に紀行家、俳諧師として有名であった大淀三千風が庵を再興して入庵し、第一世の庵主となったものである。

   鴫立庵は、通常の民家よりもやや広い程度の敷地内に、歴代庵主の住居として使用されてきた鴫立庵室と、これに並ぶ俳諧道場、三千風が建てた円位堂(西行座像が安置されている)、法虎堂(有髪僧体の虎御前の木像が安置されている)、観音堂等があり、五智如来像や西行歌碑、歴代庵主の句碑等が配置されている。芭蕉の句碑もある。

   鴫立庵の門前には鴫立沢と呼ばれる谷川が流れ、海へ向かって沢となり、砂地に吸い込まれて消えている。この辺りの浜を小余綾(こよろぎ)の浜と呼び、歌枕として多くの和歌に詠まれている。西行もこの辺りの海辺を吟遊して、三夕の歌として有名になった和歌、

     こころなき身にもあわれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮   西行

という名歌を残した。大淀三千風は、〈鴫立し沢辺の庵をふきかえてこゝろなき身のおもひ出にせん  鴫たってなきものを何よぶことり〉の和歌を残した。現在は、22世の庵主鍵和田柚子(俳人)氏が在庵している。

     円位忌の波の無限を見てをりぬ    柚子

  鴫立庵で詠んだ拙句(3月25日西行祭に際して献納句)

     小余綾の磯の香りや西行忌    呑舞

     小余綾に松風鳴くや西行忌     呑舞

鴫立庵正面と鴫立沢

   東海道沿いに西下すると道沿いに名門同志社大学創立者の新島襄終焉碑がある。新島は、晩年大磯で病気の療養を続け、京都に帰ることなくこの地で亡くなっている。

    更に、東海道を西下すると東海道の山側に旧島崎藤村邸(静の草屋)がある。藤村は、昭和16年1月13日に湯河原への休養旅行の途中、友人に誘われた大磯 での左義長見物が契機となって大磯に住む決意をしたと言われている。敷地面積145坪に建つ長屋は24坪で、近年の庶民住宅と余り変わらない広さの住居である。当初は家賃を毎月27円支払う借家住まいであったが、翌年には、当時のサラリーマンの約30年分の給料に相当する1万円で買い取り、終の棲家にした。近所には、作家の菊地重三郎、画家の安田靫彦、画家の有島生馬等が住んでおり、交遊を深めたと言われる。

   住居は、小さいながらも素朴な冠木門を潜り、割竹垣に囲まれた小庭、わずか三間、8畳、6畳、床の間付きの4.5畳と、最近の庶民の住宅よりも質素である。藤村は、静子夫人に宛てた書簡で「萬事閑居簡素不自由なし」と表現している。

   藤村夫妻は、この居宅から800m程度東京寄りに離れた地福寺の本堂前、梅の名所になっている古木(100~200年)に囲まれた墓所に眠っている。

   大磯は、磯の香りと共に、文化的な色彩の濃い隠れた名所であると想像される。(続く)


舞俳句会「平成28年度舞賞」授賞紹介

2016-12-06 14:40:41 | 俳句

平成28年度舞賞授賞作品

授賞者:影山恵氏(右)、左は山西雅子主宰

記念集合写真(撮影:前田和男)

   第2回目となる平成28年度「舞賞」は、若手の"影山恵"氏が受賞した。影山氏は、舞俳句会発足時代からの会員で、現在、結社誌「舞」の製作スタッフとしても活躍している。受賞発表は、7月10日発行の舞誌「夏期特別号」で紹介され、8月4日の本部句会日に記念品等の授与がされた。上記合同写真は、本部句会に参加した全員を撮影したものである。当然の事ながら、筆者は寫っていない。

   受賞作品について、神野紗希氏が、「影山 恵論   ジャングルジムから見る世界」と言う一文を寄稿され、「影山氏の句は比喩や発想が独特だ。それはつまり世界の見方が独特ということである」と評されている。

(影山  恵受賞作品)

    さへづりや練り歯磨きに小さき尾

    いぢわるを言つてしまひぬ犬ふぐり

    顔ぢゆうで猫あくびをす子猫もす

    春昼の垣根に猫と尾と消ゆる

    たましひに尾あり震へて蝌蚪となる

    首夏の日蝕あふぎて埴輪めく我ら

    ロボットの乳房の尖り梅雨曇り

    ゴスロリ少女の磁気めく肌や街薄着

    白南風や大魚の放つ晻の声

    迷いこむ書庫のごとくに青葉谷

    したたりしたたるしろがね色ふふみ

    芝に寝まる裸の男背に獵

    ほほづきを吹きあにあねに遅れたる

    切除せし乳房やや惜し桃を食ぶ

    鶏頭の首に種あり痒からう

    秋空に電線くちびるにビアス

    天上天下唯我毒毒毒茸

    堰口に揉みあふひかり冬近し

    冬木の芽チヨコレイトと階のぼる

    プリンター「賀「賀「賀「賀「賀「賀と賀状書く

    (以上20句)

   神野氏が指摘されているように、全体を通して理解困難な比喩や発想に満ちている。此処の句についての解釈をするには作者の解説を聴く必要もあるように感じられる。読み解くのが難しい。俳句は、投句した時点で読者の解釈にまかされる、と言う原則に則り自由に読解して頂きたい。

 

(平成28年12月6日記) 

 


舞俳句会「舞賞」の設立

2016-11-28 12:59:10 | 俳句

舞俳句会五周年記念句会・祝賀会(第一回「舞賞」授賞者発表)

「舞」各賞授賞楯

舞賞第一回授賞者:小川楓子氏の授賞風景

記念句会風景 

祝賀会風景

   舞俳句会は、昨年創刊5周年を迎え、7月10日に横浜東口所在の崎陽軒で記念句会及び祝賀会を開催した。記念句会・祝賀会には全国から60名近くの会員が参集し、盛大に行われた。

   第一回の舞賞は、若手女流俳人の小川楓子氏(「舞」、「海程」所属)が栄えある授賞に輝き、記念コンクール部門では、第一席「空の幅」榊原弘子、第二席「手のひらの跡」川瀬朋子、第三席「冬菜花」中村草馬の各氏が授賞した。

(小川楓子氏の授賞作品20句)

   人を恋ふ刧暑の昼はおろおろと

   たれのか知らぬ失せものを手に鬼灯市

   笹の露こぼせり仔馬眠るほど

   ジュリエットいつしか目覚め草の絮

   あさがほを摘みぬくわたくし消えぬため

   うねりたる砂の手ざはりなる茸

   小鳥来る夜に番地のありにけり

   神さまはわたしを熊と思ふらし

   太鼓むずむずメタセイコイアも冬木

   ぴと言って雨を降らせていたちぐさ

   手は骨を探してゐたり蛍舟

   木瓜の実に枝のめり込む小暑かな

   母は白夜のわたしは昼の匙のまへ

   泣きがほのあたまの重さ天の川

   聖骸布いくたび広げ花芒

   鯛焼や雨の端から晴れてゆく

   走ること息をすること冬木の芽

   硝子ペン陽炎は手に冷たからむ

   月光と土筆そろふる電車かな

   バースデイ春の嵐とともにあれ

   コンクール授賞作品は省略する。因みに拙句は、自選五句とミニエッセイ「俳句について思うこと」として他の投稿者と共に掲載された。上記授賞句20句についての評論は読者にお任せする。

   平成28年度「舞賞」については、項を改めて掲載の予定。

 

(平成28年11月28日記)                                                                                                  

 


俳句とインターネット

2016-10-20 08:36:40 | 俳句

マサチューセッツの渓谷の秋                    アメリカの友人から近況が届いた。アメリカでも今、秋真っ盛りであるとの添え書きがある。遠く離れた外国の今を知る事が出来る。拙宅別荘より広い。

   便利な世の中に成ったものだ。好きな時に何時でも情報を手に入れたり、外国の友人に近況を伝えたり、インターネットを利用して多くの友人と繋がることが出来る。今や、ネット環境無しでは十分な情報を手に入れることが出来ない。逆に言えば、ネット環境を利用して多くの情報を手に入れることが出来る世の中に成ったと言うべきかも知れない。ただ、その便利さの陰で色々な不都合が発生している事も否めない。俳句の世界においても事情は同じでは無いだろう。単純に一期一会と言うような狭い考え方では成り立たない様な俳句の世界が形成されつつあるように感じられる。以下は、結社誌に最近投稿した筆者の文章である。主宰がどのように感じられるのかは氣になる所である。

   「最近、インターネットを利用して俳句を投句して互選をしたり、主催者(主宰)からの選評も頂ける様なホームページやフェイスブックを使った句会が増えている。ネット環境(パソコンに限らず、スマホや通信機能搭載のタブレットでも良い)さえ構築できれば、全国規模で俳句を楽しむ事が出来る。勿論、結社に参加して実際の句会を体験する事の必要性を否定するものでは無いが、結社の枠を超えて多くの俳人に接し、また、多くの人に自分の作品(俳句)を読んで貰える機会が増える事は、俳句に対する視野を広げる事にも繋がるような気がする。

   また、従来の結社が独自のネット句会を運営する例も増えている。ただ、結社内のネット句会では(多くの場合、非会員の投句を認める場合が多い様ではあるが)、やはり結社の枠内に留まる事となり、余り参加範囲が広がらない様である。経験的に言えば、超結社で運営するネット句会が一番効果的かつ刺激的であると思う。インターネットの発達によって俳句の世界も様変わりしつつある様に感じられる。」

   ただ、付言すれば、ネット句会の甘えや馴れ合いも些か目には付く。特にフェイスブック句会等では、選句に際しての匿名性が担保されず、特定の個人同士の遣り取りのような状況が発生する。句会の本来の狙いは、選句の匿名性と選句理由や感想を明確にする所から、自分の投句に対する他人の客観的な評価を知る事が出来る点にあるのでは無いだろうか。匿名性を前提にする句会は、大変な手間が掛かることは否めない。現在、投句数の多いネット句会としては、投句の整理や選句結果、講評等についての手際の良い現代俳句協会のネット句会に勝るものは無い様である。千句を超える投句の中から五選する方法だが、読むだけで大変ではある。

   投句資格が45歳未満とか、俳句経験が5年未満とか、若年層に視点を当てた既存誌への投稿は、若い俳人を育てるための手段かも知れないが、現在の俳句人口の多くを占めるシニア世代の俳人に対する配慮を感じる事が出来ない。人生経験や年代によって醸される情緒や感性を詠んだ佳句は多い。既存誌も従来の枠を超えても良い時期では無いだろうか。ネット句会には、このような縛りが無いことが大いに評価される。

      (秋日:呑舞近詠)

      採る者の影なき里の熟柿かな

      演習地隠るる楯の花芒

      藪中に赤き一点烏瓜

      フレームに収まり切れぬ紅葉山

      長袖を一枚増やし秋の旅

      円窓や一幅掛の花紅葉

      一冊が二冊に増える夜長かな

      四阿囲む落葉の海に漂へり

     手元だけ氣になるスマホ木守柿

     親の歳超えて生きゐる秋思かな

     (最近、ネット句会で特選、秀句に選ばれた句)

     (特選)

     尺取りや己の尺を測り得ず

     夏衣乳房の張りの清やかなる

     (秀逸)

     地獄へと続くやうなり蟻の穴

 

 

(平成28年10月20日記)

 

 

 

 


「舞俳句会」定例句会紹介

2016-10-14 16:00:58 | 俳句

喜怒哀楽書房発行「喜怒哀楽10-11月号Vol:88」

舞俳句会8月6日(土)定例句会紹介記事

当日の句会風景

 「舞」句会誌

 少し旧聞になるが、今日、喜怒哀楽書房から文芸誌「喜怒哀楽10-11Vol.88」が届いた。この句会は、8月6日(土)、かながわ労働プラザにおいて実施した「舞俳句会」の本部句会・勉強会が取材されたものであり、当日飛び入りで参加されたいつき組の黒岩徳将さんを含めて28人という大人数で行われ、会場も少し狭い感じがした。

 句会の冒頭で継続勉強会「芭蕉研究」の第1回から第3回までを担当している秋津寺彦氏によって第2回目となる研究発表があり、続いて句会を行った。句会は当期雑詠55句について、各自披講した作品について意見を述べたあと、山西主宰から講評を頂くと言う形式で行い、55句投句の中から主宰特選2句の発表があった。

(主宰特選2句)

  ざりがにを捕る子にばら色のかかと   さをり

  解体ビルに鉄筋のひげ夏の雲        恵

(当日高得点句2句)

  あめんぼう水面の雲横切れり

  脚見せて幕引く黒子夏芝居

(呑舞詠)

  青芒風に生死の区別あり   呑舞

 呑舞詠は、会員特選1点と言う得点で、捗々しい結果ではなかった。山西主宰からは、「風死す」と言う季語もあり、風には生死の区別があるとした着眼点がおもしろい。「風に生死の区別あり」も「風に生と死」くらいに減らして、もう少し季語の青芒のことを言えば、具体物に重心が移り、その中に抽象が入ってもっといい句になる、との講評を頂いた。呑舞には、少し難しい注文に聞こえた。

 因みに、上記「喜怒哀楽」誌には出席者全員の一句抄が掲載されている。また、この記事については、香川在住の俳人涼野海音氏のブログでも紹介して頂いている。

  喜怒哀楽書房HPは、http://www.eseihon.com/kukai/kukai-74931

(平成28年10月14日記)

 


結社「舞」第六回研修会

2016-10-11 15:09:21 | 俳句

結社「舞」第六回研修会(記念句会)実施

横浜球場前の公園(今日の会場となる「横浜情報文化センター」に近い)

句会風景

  平成28年10月2日(日)横浜情報文化センターで結社「舞」の研究会及び記念句会を実施した。 結社としての研究会は、今年で第六回目になる。会場は、横浜球場から5分、市営地下鉄「みなとみらい線」から3分という便利な所にあるが、当日はこの秋最後となる猛暑日であった。

   13時に開会、最初に今年の「舞賞」の授賞式があり、第二回目となる今年は、中堅の「影山恵氏」が授賞した。続いて主宰による「岡井省二の明野(句集名)」について講演があった。岡井省二(1925年11月26日~2001年9月23日)は、内科医のかたわら句作をはじめ、加藤楸邨や森澄雄に師事し、1968年に「寒雷」入会、1970年に「杉」創刊に参加している。俳人としては、比較的遅い出発であったと言える。1991年に「槐」を創刊し、主宰となっている。門下に児玉輝代、菅原鬨也、小山森生、山西雅子、加藤かな文等がいる。句集「明野」は、岡井省二の第一句集で1976年に上梓されたものである。

  岡井省二の作風は、人間探求、生死、身、感覚等、平常態かつ三人称的表出に主眼を置き、はるかなものの声を聞きとめ、言い止めようとしているようである(山西主宰の講話から)。句集「明野」は、1968年から1976年位までの作品が中心となっている。印象に残っている句を二三紹介すると、

       曼珠沙華松の林を笑い出て

      安楽死乞はれ篷野踏みしめをり

     冬構しかと残して父死せり

     身心に太き首のる芋の秋

等、岡井らしさが読み取れる句が多い。また、鳰、こゑ、光を主題 にした句も多い。

  山西主宰の講演後に、事前投句した2句(当季雑詠及び兼題「虫」)投句一覧表について事前選句した40句について、各自選句趣旨の説明や主宰からの講評があり、主宰特選2句の発表があった。本日の特選句は、

     柩板切りたる真夜のちちろかな (兼題句)              写俳亭みの

     えごの実のひとつをつまみ処暑の池 (当季雑詠句)  花田由子

最高得点句(3句)

     鈴虫や土間に置かるる薪の束 (兼題句)               笹原孝子

     邯鄲や夜更けて覗く母の部屋 (兼題句)                関波対子

     先生の先生がゐて水澄めり (当季雑詠)                関波対子

主宰選秀逸句(9句)

     鈴虫の玄関に靴脱ぎっぱなし (兼題句)                 矢嶋なほ子

     ちちろ鳴く半球夜へ入るところ (兼題句)                 影山恵

     すず虫やコンビナートの灯の清ら (兼題句)              藤田かをる

     特攻の機影の消えて草雲雀 (兼題句)                    吉澤美楯

     先生の先生のゐて水澄めり (当季雑詠句)               関波対子

     終戦日二人の母のその日聴く (当季雑詠句)             戸部さおり

     街中が這いつくばりて野分中 (当季雑詠句)              小西澄子

     十念の日毎薄るる法師蝉 (当季雑詠句)                  前田和男(呑舞)

     浮塵子来て鴨長明の浮世かな (当季雑詠句)            吉澤美楯

  主宰選の秀逸句には残ることが出来たが、得点は2点であった。あまり良い成績を残すことが出来ない句会だった。主宰の講演中から句会終了までと、中間で集合写真の撮影作業等の雑用を任され、忙しい句会であった。句会は、やはりゆったりした気持ちで参加したいと言うのが感想である。

 

(平成28年10月11日記)

追記:呑舞は、岡井省二の孫弟子に当たるのかな?

10月12日:早々に「舞誌」29年新年特別号用の投句(10句)を主宰宛送信した。今月から一部メール投句に変更された。