呑舞さんの脳活俳句日記

俳句漬けの毎日。夢の中でも俳句を詠み、昼間は時々カメラを持って外出し、俳句の材料を捜す日々。句会報告や俳論を掲載します。

俳句雑誌『草の花』 6月号を読む

2017-05-28 16:56:47 | 俳句

俳句雑誌『草の花』 6月号

    『草の花』は、藤田あけ烏を師系とし、現在、名和未知男先生が主宰をされている。現在、大阪、名古屋、宮崎まで句会を展開し、主宰は満遍なく各地を訪問され、地方の吟行会にも出席されている。筆者は、『草の花』の講読会員に近いが、時折、横浜句会に参加させて頂いている。この2月程は、椎間板ヘルニヤ治療の為、句会には出席できないでいるが、毎月の投句は略継続している。

   【今月のあけ烏句】

   にはとりを撫でて六月二日なり

   梅は実になりて机の狛土鈴

   苗取の水おもしろく捌くなり

 

   【「さねさしの」名和未知男】

   黄心樹の咲き降臨の宮薫る

   花曇り神降り立ちし峰遠き

   知覧てふ名を畏みて一番茶

   放屁一発春風の比企郡

   亡き父の生まれし日なり蝶生まる

   さねさしの相模の風や青き踏む

 

   【今月の拙句】

   (草の実抄:特選)

   啓蟄や一日は本の虫となり

   (草花抄:入選)

   分け入つてまたその先も春の山

   春愁や大空襲の記憶なほ

   深川や三月十日落椿

   亀鳴くを信じて探す谷戸の池

 ※筆者は、東京深川三好町生まれ。3月10日大空襲の被災者である。戦後70年を経て、この記憶を消す事が出来ない。現在の政局は、戦前回帰を企図している様だが、時間を巻き戻すことを容認する事は出来ない。

(平成29年5月28日記)

 


金子敦著句集『音符』を読む

2017-05-24 14:15:08 | 俳句

金子敦著句集『音符』

    金子敦氏から句集『音符』が送付されて来た。表紙見開きには達筆な毛筆で句集中の一句の染筆をして頂いている。金子敦氏は、FB(フェイスブック)を通じて友人となった俳人であり、偶然にも筆者とは極めて近い所に住まわれている。まだ実際にはお目に掛かった事はないが、FB上に投稿された氏の記事からは、その人柄の良さ、優しさが伝わって来るような人物である。と言う事もあって、句集が手元に届くまで大変楽しみに待っていた。

    句集『音符』は、想像していた通り、装丁からも明るい清々しさが感じられる。内容は、2012年から2016年までの5年間405句が年代順に編集されており、2016年作が157句と全体の三分の一強を占める新作に力点が置かれている。全体を読み通して感じたことは、日頃から作者について感じていた通り、その人柄の良さが滲み出るような優しい暖かな感じを受ける句で占められており大変好感が持てる。何れの句も作者の日常や身の回りの事象を詳細に、かつ愛情深く観察して句材にされており、平易な表現でありながら主観の入らない的確で透明感に溢れる詠み方をされている。また、季語の本意を十分に生かした作句も、特に技巧が凝らされている訳でもなく、自然と読者が句の情景の中に引き込まれる様な詠み方である。これは、作者の人柄だけでなく、作句に際して身近な事象に対する自然な向き合い方と経験の積み重ねによる作句力の高さから来るのかも知れない。最近、FB上に限らず、難しい言い回しや珍奇な比喩、難語を使用した目眩らまし的な句を目にすることが多いが、金子敦氏の句は、極めて素直、誰が読んでも美しい詩情を感じることが出来る。また、何れの作品も「景」が良く描写されていて、良く見える。失礼を省みずに言えば、俳句の教科書にでもしたい様な句集である。到底未熟な筆者の及ぶ所ではない。ただ、作者は、猫好きと聞いていたが、猫を句材にものは意外と少ない感じもした。また、作者は多趣味な方と拝察した。音楽(カラオケ)やデッサン等。従って、措辞中にカタカナ文字が目立つことも一つの特徴である。

   通読して筆者の共感を呼ぶ好きな句を書き出してみたところ、60句余りに達した。勿論、他の句が良くないと言う訳ではない。無理に選んでと言う事である。これを本稿に全部書き写すことは到底無理なので、更に好きな句を選らばせて頂いた。筆者は、俳人と言うより、法学者であるから、選句、鑑賞の仕方にも自分の本質や癖が影響している事を予めお断りしておく。以下に、大まかで勝手な分類ながら、俳句の主題毎に年代に分けて紹介して見たい。同じ主題による作品でも年毎に微妙に変化している事が分かる。作者は、今後も益々作句力を向上させて行くに違いない、と拝察した。

  【少年の心を感じるような句:作者の心情か、ご自分のお子さんか】

  (2012年作)

  太陽より大きく画かれチューリップ

  三拍子で弾んで来たる雀の子

  夏休み粘土はどんな形にも

  恐竜を組み立ててゐる夜長かな

  (2013年作)

  泣きじやくりながらバナナ剥いてをり

  ピアノ弾くごと指動く昼寝の子

  (2014年作)

  紙雛にクレヨンの香の残りけり

  開きたる絵本の上のバナナかな

  ひとすじの涙の跡や昼寝の子

  お釣りでしゆといはれ落葉を渡さるる

  (2015年作)

  ジャグリングのごと筒放る卒業生

  をさなごの手によれよれのつくしんぼ

  翼めく肩甲骨や水着の子

  (2016年作)

  縁側に座敷わらしの夏帽子

 

  【猫:作者はかなりの猫好きである】

  (2012年作)

  恋猫が古き手紙の束を嗅ぐ

  (2014年作)

  猫のゆく方がすなわち恵方道

  にやむにやむと猫の寝言や神の留守

  (2016年作)

  猫可愛いと言はれ可愛くなる子猫

 

  【音楽:カラオケがご趣味で常時高得点を取られているとか】

  (2012年作)

  まんさくやト音記号の渦いくつ

  (2013年作)

  シンバルの連打のような残暑かな

  秋薔薇にボサノバの音滲みけり

  春を待つ八分音符に小さき羽

  (2015年作)

  ティンパニを叩けば風の光り出す

  カスタネットまでたんぼぼの穂絮飛ぶ

  (2016年作)

  RとL発音練習ラフランス

 

  【家族:母上は亡くなられている】

  ※家族に対する愛情に満ちている。

  (2012年作)

  亡き母のメモの通りに盆支度

  (2013年作)

  雪の夜や父の部屋より紙の音

  (2015年作)

  望の夜や父の書棚に吾が句集

  半分に割り焼薯の湯気ふたつ  (奥さんか?、お子さんか?)

 

  【作者の思想(社会詠):現在の世相に対する作者の心情が詠まれた句は少ない】

  ※僅かに2句があり、「反戦」の心情が読める。

  (2016年作)

  焼薯を剥き配給を語る父

  雑炊やラジオに流れ反戦歌

 

   上記してはいないが、本句集の題号となっている〈巣箱より出づる音符のやうな鳥〉は、極めて完成度が高い秀句であると思った。確かに、小鳥が巣箱から飛び立つ様子は、音符のように見える。小鳥を「音符」に見立てる等と言うことは、音楽に関わっている俳人でなければ発想出来ないだろう。  

  本稿は、現在の所、まだ未定稿である。更に、読みを深めてみたいと考えている。こんなにも身近に句材を求めることが出来る事に大変感激した。俳句詠みとしては見習うべき作句姿勢であると、自分の理屈っぽい俳句を反省している。感謝である。

(平成29年5月24日記)

 

 

 

 

 

 


会津太郎著『わが福島』を読む

2017-05-06 09:25:03 | 俳句

会津太郎著『わが福島』

   FB友達の会津太郎氏から氏の著作『わが福島』をご恵贈戴いた。氏は、神奈川県秦野市に在住する詩人であるが、福島県会津美里町出身との事で、故郷「福島」に対しては一入思い入れの深い土地であるように思われる。

   2011年3月11に福島の原発事故が発生してから既に6年を経過している。今や人々の記憶の中からは、過去の出来事として消え去ろうとしている。たった6年前の出来事である。しかも、事故原発の後始末は、まだ緒についたばかりであり、この先何十年も続く日本国民全体にとっての大きな負債でもある。このような状況下で、政治は福島原発事故が恰も無かったかのように、各地で原発再稼働に向けた無責任な動きを始めている。日本人の健忘症や無反省な行動には呆れてしまうが、何処かで誰かが声を上げていく必要性を強く感じる。会津氏も述べているように、「福島原発事故はもはや日本だけの問題ではなくて、世界共通の普遍的な問題」でもある。会津氏は、本著作を日本語だけでなく、英語、フランス語でも記述し、世界に発信されている。氏の俳句  〈瓦礫から水仙の茎生まれけり〉  は、極めて印象的である。震災からの時間経過の速さを物語っている。

   『わが福島(My Fukushima)』は、3.11事故以前(福島の四季)と以後の福島変貌の姿を5行詩と3行詩及び俳句、俳文等で編集されている。永年俳句のみに親しんで来た者にとっては、詩型の目新しさと共に、5-7-5の短詩型では伝えにくい情感を十分に読み込むことが出来る詩型に魅了された。特に感動を受けた詩を下記する。なお、本ブログへの転載については、会津氏よりお許しを戴いている。

            「すみれ」

     おじいさんとおばあさんが

        道端にしゃがんで

       すみれを眺めながら

        おしゃべりしている

            春の朝

        

            「滝桜」

       何本もの添え木に

       支えられながらも

         樹齢約千年

       今うすくれないの

          三春滝桜

 

           「3.11以後」

             2011年

            3月10日

          私の福島が

      片仮名のフクシマに

         突然変わった

 

              「同上」

     「避難しろ」と言われても

          自分の老後を

           自分の村で

        平和に過ごしたい

         フクシマの老人

 

     (祈り)

              「滝桜」

           これから千年

           あの滝桜が

         三春の土地に

           毎年毎年

      咲き続けますように

    

           「子供の未来」

         福島だけではなく

     チェルノブイリの子供達も

          素朴な遺伝子を

           セシウムに

       汚されませんように

 

      (俳句:会津太郎氏詠)

     あの津波  何だったのか  春の海

     墓石が  横たわっている  夏日かな

     セシウムが  ようやく減りし  米の粒

     降る雪や  街をうろつく  牛の群れ

     瓦礫から  水仙の茎  生まれけり

  

   本書を読んでいてとても切なくなる。福島原発事故の後始末が終わるまでを見極めることが出来ない世代として、これからの子供たちに託さなければならない負の遺産の重さを感じる。

     (3月10日呑舞詠)   

    福島の児等の嘆きや春愁ふ

    奥州の空避けゆくや鳥帰る

    鎮魂の祷を乗せて鳥帰る 

    芽吹きけり主今無き狭庭にも

  現世の悩み尽きせぬ身なれども明日の我が身は弥陀に委ねん   呑舞

 

(平成29年5月6日記)