呑舞さんの脳活俳句日記

俳句漬けの毎日。夢の中でも俳句を詠み、昼間は時々カメラを持って外出し、俳句の材料を捜す日々。句会報告や俳論を掲載します。

奈良、柿、子規の庭

2016-09-24 14:14:00 | 俳句

俳句つれづれ帖(子規の庭)

   「子規の庭」は、奈良東大寺の北西、東大寺旧西大門跡付近から国道369号線沿いに国宝転害門方向へ徒歩で15分程にある日本料理店・天平倶楽部(奈良市雑仕町)に隣接して策定されている。同店は、江戸末期から明治・大正にかけて奈良を代表する老舗旅館(旅籠)として有名であった「對山楼・角定」の跡地に所在している。この對山楼は、明治時代には、伊藤博文、山県有朋、岡倉天心、滝廉太郎、宮澤賢治など、著名な政府要人や学者、文人などが止宿した名旅館であり、もと「角定」としていた旅館名を山岡鉄舟が「對山楼」と命名したと伝えられている。

   正岡子規も松山から東京への帰路、明治28年10月26日から4日間滞在し、この近辺を散策しながら多くの句を遺している。思えば、奈良との奇しき縁であった。同年、日清戦争の従軍記者として戦地に赴いた子規は、帰国の船中で喀血し、神戸の病院で小康を得た後、当時松山中学の英語教師をしていた漱石の下宿(愚陀佛庵)に50日程滞在し、俳句三昧の日々を共にする。子規にとって最後の旅行となった奈良の旅は、親友の漱石から貰った選別の10円によって実現したものと言われ、この運命の10円によって、子規の俳句の中で最も有名な「柿食へば鐘がなるなり法隆寺」と言う句が遺された。

   「子規の庭」は、子規の23歳の折りの随筆『筆まかせ(明治23年)』の中に、「書斎及び庭園」と題して自らの理想の庭を記述し、簡単な設計図まで描いていた。「子規の庭」は、それに基づいて、子規の妹・律の孫である造園家(樹木医)、正岡明氏によって平成18年に作庭されたものであり、子規が理想とした「秋の野草を植ゑ、皆野生の有様にて乱れたるを最上とすべし。すべて日本風の雅趣を存すべし」と言うデザインコンセプトが見事に活かされいる。また、「子規の庭」の中心部には、子規も見たであろうトヨカ柿の古木が現存しており、この古木越しに見える東大寺大仏殿や若草山が借景となり、時代を超えて今も変わらぬ奈良の風情を感じると共に、「子規の庭」に見る子規の詩情や俳句感の一端を知ることも出来る。

   子規は、無類の柿好きであったと伝えられる。「柿食へば鐘がなるなり法隆寺」の句は、「法隆寺の茶店に憩ひて」との前書があるが、對山楼滞在中にそのヒントを得ていたのではないだろうか。子規の随筆『くだもの(明治34年)』には、その折りの「御所柿を食いしこと」と題した一篇が収められている。

   「柿などといふものは従来詩人にも歌よみにも見離されてをるもので、殊に奈良に柿を配合するといふ様な事は思ひもよらなかった事である。余は此新しい配合を見つけ出して非常に嬉しかった」と、新しい発見の喜びを述べた上で、待望の柿を賞味する。10年程、御所柿を食べていなかった子規が宿の女中に所望すると、大鉢に溢れんばかりの御所柿を持ってきて剥いてくれる。

   この時の印象を、「柿も旨い、場所もいい。余はうっとりとしてゐるとボーンといふ釣鐘の音が一つ聞こえた。彼女は、オヤ初夜(そや)が鳴るといふて尚柿をむきつゞけている。余は此初夜といふのが非常に珍らしく面白かったのである。あれはどこの鐘かと聞くと、東大寺の大釣鐘が初夜を打つのであるといふ」と述べている。

   このような情感が法隆寺参詣の折りに結実したのではないだろうか。

   子規の庭への想いと柿への愛着を具現した「子規の庭」の句碑には、直筆の書体で次の句が刻まれている。

        秋暮るる奈良の旅籠や柿の味       子規

(追記)

   「子規の庭」を訪れたのは、丁度秋の暮方、秋時雨の中での観賞であった。正に、掲記写真の情景が子規の句にぴったりするような日であった。下記は、呑舞の旅吟から、「子規の庭」にて。

       借景の若草山や秋時雨               呑舞

       御所柿の高見に聳ゆ三笠山         呑舞

 

平成28年9月24日記


俳句指導

2016-09-18 18:33:48 | 俳句

地域俳句会の指導

   地域俳句会、特に地域自治会等が主催する俳句会は、単に会員の俳句の作句力の向上を目指すものではない。近年、高齢化が進み、引きこもり老人が増える中、少しでも、老人達に外出の機会を与え、老化防止に役立てると共に、地域の活性化や文化レベルの向上を目指すためものである。筆者が指導している俳句会も、その線に添うものであるが、5年近く指導を続けていると、会員の作句力は格段に向上し、人前に紹介できるレベルに達する。ただ、句会の運営や句会報の作成等、指導者に掛かる負担は増大し、自分の作句時間を割かれることは謂うまでもない。しかし、これも同じ地域に居住する俳人の一人としての地域サービスの一端と心得ている。

   句会は、毎月兼題2区、当季雑詠1区で当日出句の形で実施しているが、会員の最近の投句には、一般の結社俳句会の投句にも劣らないものも沢山出てくる。勿論、旧かな、季重なり等、神経質に拘れば問題句も多く投句されるが、句座を囲んでのお互いの意見交換等、和やかな雰囲気で句会を行う事が出来るだけでなく、筆者が掲げる「脳活俳句活動」にも貢献し得る。ただ、指導者に掛かる色々な負担は免れない。

   先月、8月句会の成績は以下の通りになっている(第58回句会報からの佳句)。

     秋澄むや明鏡止水てふ言葉あり     泰生

     星月夜戸締りの手を止めさせる      清子

     友ありてそれぞれの道花野かな      袈津子

     塾帰り急ぎし子等に星月夜            洋子

     星月夜すぎし我が身をふり返り        昇

     サイホンの湯気しろじろと秋澄めり   つる子

     あからひく谷戸の実りや秋澄める     和男

   兼題は、「星月夜」と「秋澄む」。いずれも、一般句会に投句しても見劣りのしない句に成っている。なかなか、全員がと言う訳にはいかないが、5年間の積み上げは、無駄に成っていないのが嬉しい。全国区の句会に参加するのも一つの方法であろう。しかし、地域に根ざした文化活動としての俳句の果たす役割も大きいと思う。

(平成28年9月19日記) 敬老の日     


句文集『セレネッラ』第九号

2016-09-18 10:25:16 | 俳句

句文集『セレネッラ』第九号上梓

  俳句大学の俳友、金子敦氏、中山奈々氏、中島葱男氏の3氏による句文集『セレネッラ』第九号が平成28年9月20日付けで上梓された。B4表面カラー刷りの簡素な文集だが、3氏ともベテランの俳人であり、それぞれ現役で俳句活動をされている。本誌は、コンビニのネットコピーで入手することが出来、極めて手軽に発行し、登録番号さえ教えて貰えれば、全国各地で入手可能になっている。

  伝統的な俳句結社が発行する句会誌は、結社に入会し、所定の会費を払わなければ入手する事が出来ない仕組みになっているが、このような手軽な方法でミニ句会報を発行することが出来るのは、インターネット社会の恩恵かもしれない。勿論、伝統的句会誌のような分厚い内容を盛ることは出来ないが、少人数で地域の枠を超えて交流する手段としては、ネットは便利なツールとして、俳句の世界でも広がるのではないだろうか。面白い試みである。俳句も従来のような句座を囲む必要も無くなるかもしれない。また、既存の俳句結社でも、インターネットやメールを媒体として全国ネットを構築している所もある。

  本誌は、上記3氏と言う限定的なグループによるものであるが、もう少し人数を増やすことは可能だろう。これからも地域の枠を超えてご活躍を祈りたい。

  本誌に投句された句は、「秋の章」として、各人6句ずつ投稿されている。また、特集となる「俳友客演」には、今回第一回として、杉山久子氏が投稿されている。小スペースの投稿欄に「新詠6句」と「季語考」が掲載されている。こじんまりした編集だが、纏まりの良い誌面に成っていて好感が持てる。

  投句全12句の内、筆者として印象に残り、推薦(好きな句)できる句を挙げると、

  秋薔薇や銀糸を紡ぐやうな雨           金子   敦(数式)

  独り占めか一人ぼつちか大花野       金子   敦(数式)

  靴下のかかと上擦る秋の風             中山奈々(靴)

  合ふ靴なし会うひとのなし昼の月      中山奈々(靴)

  野天湯や月詠む月をお迎えし          中島葱男(島時間)

  秋の蝉昭和の少し固くなり              中島葱男(島時間)

  俳人仲間の句、しかも句会ではないので句評は避けよう。ただ、各氏の句は、それぞれ秋らしい情景が詠み込まれていて好感の持てる句である。而も、詠み方に厭味がなく素直で読み易しい措辞の使い方が良い。俳句初心者が読んでも十分理解できる詠み方である。

(平成28年9月18日記) 

追記:挿絵の岸恵子さん、懐かしいな。などと書くと、筆者の歳がわかるかも。

 

 


中秋の名月

2016-09-15 17:15:11 | 俳句

中秋の名月

  平成28年9月15日(旧暦8月15日)、今日は中秋の名月の日です。残念ながら、今日の横浜の天気は、曇り。多分、晴間は出ないでしょう。中秋の名月は、感覚的には10月というイメージが強いせいか、余り、ピンとは来ませんが、これも中秋の名月を旧暦の8月15日と定めていることに起因しています。新暦による中秋の名月は、大体の目安として、9月中旬から10月の上旬に巡ってきますが、「十五夜」という呼び方は、旧暦の8月15日を指すことによる呼び方です。何か、とてもややこしい。これも現在我々の生活の中に旧暦と新暦が混在しているからだと考えられます。俳人にとっては、一応重要な季節感だとは思いますが。

   しかし、今年の「中秋の名月」は、満月の日を意味していません。平成28年の中秋の名月が満月になるのは、9月17日(土曜日)の午前4時5分です。中秋の名月が満月になるというのは極めて特別な日と言うことになります。中秋の名月が満月であった年は、平成25(2013)年で、この次は、2021年になる計算です。それまでは、中秋の名月の月齢は、満月の日の1日前だったり、1日後だったりします。中秋の名月を俳句に詠むためにも大変な苦労があります。

   中秋の名月の夜には、「お月見」として、月を観賞する風習が古来からありますが、もともとは、中国の風習を平安時代に日本に取り入れられ、平安貴族達が宴会を開いたり、歌を詠んだりした習慣が一般化したものであると言われています。俳句の世界も例外ではなく、名句が沢山あります。

  名月や池をめぐりて夜もすがら      芭蕉

  名月や北国日和定めなき            芭蕉

  三井寺の門たたかばやけふの月   芭蕉

  むら雲や今宵の月を乗せて行く     凡兆 

  名月をとってくれろと泣く子かな     一茶

等限りがありません。肝心の12日句会の結果については、明日、続きとして追記する予定。

平成28年9月15日記 

 


舞岡吟行句会

2016-09-10 16:21:00 | 俳句

「舞岡公園」吟行句会

  9月7日(水)舞俳句会本部企画の吟行会を横浜市戸塚区内所在の「舞岡公園」を中心にして実施した。朝方から少し台風の影響による小雨模様であったが、吟行を始める前から薄日もさし、少々蒸し暑く成ったが、主宰以下総員17名が参加した。

  舞岡公園と言っても、神奈川近郊に居住していない人間にとっては余り著名な場所とは言えないが、横浜を中心に多くの俳句結社の俳人達が毎日のように吟行に訪れている。舞岡公園は、横浜市内にあって田園風景を昔のまま残して公園化した市としても肝入りの公園である。公園内には、多くの谷戸や田畑が残り、江ノ島まで続く柏尾川に合流する舞岡川の源流地でもある。

  また、歴史的には、徳川家康の旗本で、関が原の合戦でも生き残った三河出身の蜂屋七兵衛定頼の知行地として幕末まで220年間続いた土地柄でもあり、歴史的雰囲気と共に、横浜でも数少ない田園風景が残された公園として愛されている。年間を通して東京などの近郊から、鳥や植物の写真を撮りに来る写真家も多い。

  句会は、午後1時から17名の3句投句3句選、内1句特選の形で実施。それぞれ、舞岡の特徴を上手く詠み込んだ投句がされた。

(高得点句)

      道の辺を白一列に韮の花

      露草の茎起ち上がる二の鳥居

      残暑なお二の腕を刺す草の丈 

      社へと風の通へる稲田かな         呑舞

      苦瓜や垣根に黄花ちりばめて    

      ぎんやんまついと止まりて白昼夢

      英霊殿栗の実ひとつふたつ置き

      蜩の返歌は畑の向ふより

      蜻蛉の三度戻りし草の先

(本日の主宰特選句)

      花落ちてのつぺらぼうのカンナの葉

      蜻蛉の三度戻りし草の先

(上記1句の他、呑舞投句)

      ご領主の墓碑覆ひたる秋思かな

      ああでもないかうでもないと秋の風(主宰選)

  最後の「ああでもないかうでもないと秋の風    呑舞」は、主宰の選には残ったが、今回の特選には至らなかった。2句目は、季語「秋思」の使い方がまずかったと思う。「秋思」は、主観的な感情表現であり、上五+中七(基底部)は、客観的情景である。その対比が上手く読み手に伝わらなかった。これは、残念ながら無得点。

 

平成28年9月10日記

 

 

 

 

 

 

 

 

 


舞戸塚(まゆ)句会

2016-09-06 09:39:27 | 俳句

「舞」戸塚(まゆ)句会句会報 

   「舞」戸塚(まゆ)句会は、「舞」俳句会(主宰:山西雅子、俳人協会幹事)の戸塚支部として活動しており、今年で4年目になる。会員は、舞俳句会の本部会員でもあるが、活動拠点を主として横浜市戸塚区に置き、独自の句会や吟行会を行い、会員相互の親睦を図っている。毎月の定例句会には、主宰も出席し、会員の身近で個々の投句に対して詳細な句評を聞かせて戴いている。総勢12人の句座は、毎回和気あいあいの雰囲気に満ち、内容の有る句会運営をしている。

   句会の大きさは、参加者の人数では無いようである。句座の運営として適切な規模は、10~15人程度のようである。本部の句会は、総勢30人を超え、投句数も予め制限しても毎回60~70句に及ぶ。これでは十分な観賞も評価も出来ないのが現状である。本部があっての支部ではあるが、毎回句会報も発行し、現在独自の合同句集の編集も進めている。

   今回、合同句集の編集を任され、師匠である山西先生の膨大な作品の中から15句抄の選句を任された。先生は、「季語」を大切にされ、四季折々の身近な景を作品にされる、所謂伝統俳句の系列(師系:岡井省二)に属しており、四季別、ジャンル別に15句抄を作るのは、大変な作業であった。先生の15句抄の中の珍しい季語を使った作品を紹介しよう。山西先生の作句姿勢は、「易しい言葉で、深い心を詠む」ことを目指されているが、この句は、先生らしからぬ、技巧的な句である。角川俳句大歳時記にも例句は、1句のみ。将来的には、例句に加えられるのではないかと考えられる。句意は極めてシンプルである。

       喜びの米といふありこぼしけり   雅子

   季語は、「米(よね)こぼす」。新年の季語である。「米こぼす」とは、正月三が日に泣くことを、めでたいものである「米」の語を使って表したものであり、先生の句の句意は「悲しみの涙だけでなく、喜びの涙というものもある。それを三が日に流したことよ」ということであろう。この季語は、現在まであまり使われてはいない、所謂「古季語」に属するものである。歳時記の例句には、たむらちせい「雨飾」詠、

       燦々と老皇后が米こぼす    ちせい 

があるのみ。

   句会報や句集を編集していると、このような、珍しい「季語」にお目に掛かれて、大変勉強になる。

      会報に明け暮れてもう秋の風    呑舞

平成28年9月6日記