金子敦著句集『音符』
金子敦氏から句集『音符』が送付されて来た。表紙見開きには達筆な毛筆で句集中の一句の染筆をして頂いている。金子敦氏は、FB(フェイスブック)を通じて友人となった俳人であり、偶然にも筆者とは極めて近い所に住まわれている。まだ実際にはお目に掛かった事はないが、FB上に投稿された氏の記事からは、その人柄の良さ、優しさが伝わって来るような人物である。と言う事もあって、句集が手元に届くまで大変楽しみに待っていた。
句集『音符』は、想像していた通り、装丁からも明るい清々しさが感じられる。内容は、2012年から2016年までの5年間405句が年代順に編集されており、2016年作が157句と全体の三分の一強を占める新作に力点が置かれている。全体を読み通して感じたことは、日頃から作者について感じていた通り、その人柄の良さが滲み出るような優しい暖かな感じを受ける句で占められており大変好感が持てる。何れの句も作者の日常や身の回りの事象を詳細に、かつ愛情深く観察して句材にされており、平易な表現でありながら主観の入らない的確で透明感に溢れる詠み方をされている。また、季語の本意を十分に生かした作句も、特に技巧が凝らされている訳でもなく、自然と読者が句の情景の中に引き込まれる様な詠み方である。これは、作者の人柄だけでなく、作句に際して身近な事象に対する自然な向き合い方と経験の積み重ねによる作句力の高さから来るのかも知れない。最近、FB上に限らず、難しい言い回しや珍奇な比喩、難語を使用した目眩らまし的な句を目にすることが多いが、金子敦氏の句は、極めて素直、誰が読んでも美しい詩情を感じることが出来る。また、何れの作品も「景」が良く描写されていて、良く見える。失礼を省みずに言えば、俳句の教科書にでもしたい様な句集である。到底未熟な筆者の及ぶ所ではない。ただ、作者は、猫好きと聞いていたが、猫を句材にものは意外と少ない感じもした。また、作者は多趣味な方と拝察した。音楽(カラオケ)やデッサン等。従って、措辞中にカタカナ文字が目立つことも一つの特徴である。
通読して筆者の共感を呼ぶ好きな句を書き出してみたところ、60句余りに達した。勿論、他の句が良くないと言う訳ではない。無理に選んでと言う事である。これを本稿に全部書き写すことは到底無理なので、更に好きな句を選らばせて頂いた。筆者は、俳人と言うより、法学者であるから、選句、鑑賞の仕方にも自分の本質や癖が影響している事を予めお断りしておく。以下に、大まかで勝手な分類ながら、俳句の主題毎に年代に分けて紹介して見たい。同じ主題による作品でも年毎に微妙に変化している事が分かる。作者は、今後も益々作句力を向上させて行くに違いない、と拝察した。
【少年の心を感じるような句:作者の心情か、ご自分のお子さんか】
(2012年作)
太陽より大きく画かれチューリップ
三拍子で弾んで来たる雀の子
夏休み粘土はどんな形にも
恐竜を組み立ててゐる夜長かな
(2013年作)
泣きじやくりながらバナナ剥いてをり
ピアノ弾くごと指動く昼寝の子
(2014年作)
紙雛にクレヨンの香の残りけり
開きたる絵本の上のバナナかな
ひとすじの涙の跡や昼寝の子
お釣りでしゆといはれ落葉を渡さるる
(2015年作)
ジャグリングのごと筒放る卒業生
をさなごの手によれよれのつくしんぼ
翼めく肩甲骨や水着の子
(2016年作)
縁側に座敷わらしの夏帽子
【猫:作者はかなりの猫好きである】
(2012年作)
恋猫が古き手紙の束を嗅ぐ
(2014年作)
猫のゆく方がすなわち恵方道
にやむにやむと猫の寝言や神の留守
(2016年作)
猫可愛いと言はれ可愛くなる子猫
【音楽:カラオケがご趣味で常時高得点を取られているとか】
(2012年作)
まんさくやト音記号の渦いくつ
(2013年作)
シンバルの連打のような残暑かな
秋薔薇にボサノバの音滲みけり
春を待つ八分音符に小さき羽
(2015年作)
ティンパニを叩けば風の光り出す
カスタネットまでたんぼぼの穂絮飛ぶ
(2016年作)
RとL発音練習ラフランス
【家族:母上は亡くなられている】
※家族に対する愛情に満ちている。
(2012年作)
亡き母のメモの通りに盆支度
(2013年作)
雪の夜や父の部屋より紙の音
(2015年作)
望の夜や父の書棚に吾が句集
半分に割り焼薯の湯気ふたつ (奥さんか?、お子さんか?)
【作者の思想(社会詠):現在の世相に対する作者の心情が詠まれた句は少ない】
※僅かに2句があり、「反戦」の心情が読める。
(2016年作)
焼薯を剥き配給を語る父
雑炊やラジオに流れ反戦歌
上記してはいないが、本句集の題号となっている〈巣箱より出づる音符のやうな鳥〉は、極めて完成度が高い秀句であると思った。確かに、小鳥が巣箱から飛び立つ様子は、音符のように見える。小鳥を「音符」に見立てる等と言うことは、音楽に関わっている俳人でなければ発想出来ないだろう。
本稿は、現在の所、まだ未定稿である。更に、読みを深めてみたいと考えている。こんなにも身近に句材を求めることが出来る事に大変感激した。俳句詠みとしては見習うべき作句姿勢であると、自分の理屈っぽい俳句を反省している。感謝である。
(平成29年5月24日記)
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