こんばんは。
正直言えば、こんなにこのエントリが好評だとは知りませんでした。どんぴしゃだった人もいたようですが、基本的に一つだけ、ある種の法則みたいなものがあるんですよ。長いこと、周りにそういう人たちがいて、そういう人の動向を見て歩いたんですね。
私の学生時代の友人に、やっぱりその当時は「お妾さん」ってのがいらっしゃって、腹違いの兄弟なんだと複雑そうに、言い合う人たちがいたんですね。親事情なんですけれど、まぁ、昭和の半ば頃もそういう人がいるの、普通であるリベラルさがあったんですよ。ユルいって言うんですか。結果的に、2号さんとかお妾さんとか、呼ばれて、正妻と子供の出来を争うんですが、これがやっぱ、正妻の子供の方ができる事が多かったんですよね。
で、正妻さんが亡くなって、お妾さんが家に入れるかって言ったら、そうでもなくて、結局正妻は務まらないので、新たに正妻になれる人を探してきて、正妻になってもらったと。要は、その家の正妻って職がですね、それ程、相手に出自を求める時代ってのがあったんですよ。
その名残を残して、その感覚でいるお姑さんもいらっしゃるんですが、時代は既に変わってしまいました。集団同士の財産を守る為の結婚は、個の恋愛感情にて結婚と言うスタイルに変わったんです。まぁ、もっとも、相変わらず、財産を守る為の結婚を行っているところもありますけれどね。今となっちゃ、少ないですよ。だから、そういう為に、ってのがあったんですね。身上書ですか。私の父も書いた記憶ありますね。主人の父に出していて、後先、随分困ったことになりましたよ。
なんせ、付き合いのない親類にまで、「お宅の親族の娘を貰った」と挨拶に行っちゃったんで、父は相当焦ったようでした。元々、そういう名目で出した訳ではなかったと思います。
さて、そんな結婚もある中で、それでも昭和の昔は、恋愛であろうと、氏素性を尋ねることもありました。その中で見合い結婚の価値と言うものを自分で考えたんです。同じような境遇にて、同じような学校を出て、同じようなものを見て聞いて、そういう生活をしてきたもの同士は、初めから逢わなくても、合うものがあるんですよ。
それが、「価値観」です。
恋愛の時には、恋や愛に燃え上がって見えないもんなのが、価値観です。価値観は、親に対する気持ちもそうですし、教育に関して、仕事に関して、様々な価値観があります。恋愛結婚至上主義のような今において、離婚が多いのは、愛や恋での結婚に、「価値観の相違」を覚えたからだと思うんですね。
昔もそれでも離婚多かったんですよ。リベラルなゆるさの中で、離婚は多く、生んで実家に帰りましたってとこもあるし、跡継ぎなのでよこせって言うところもありました。まぁ、もっとも、何を跡を取るのか、今じゃ、華麗な一族ではないと、跡ほどの財産が残らないかとは思うんですが、前に述べたとおり、夫が妻より先に亡くなると、妻に遺産相続が発生します。そうなると、時と場合によっては、自分達の財産が、全く赤の他人の手に渡ることもあるんですよ。
恐らく姑さんたちが焦って阻止したいのは、そういうもんだと思いますけれどね。赤の他人だと、嫁を思うわけですよ。まぁ、そんなもんです。かと言って、私が先に死ぬと、主人側に皆渡る。すると、母は複雑なものがあるわけですよ。それは、娘のもので、孫にお願いしたいものでございますと。
そういう面で、価値観と言うのは凄く大事なんですね。身上書などで分かるのは、その一族はどういう仕事をしているのかって事なんですね。身元が確かかどうか見るわけですよ。けれど、恋愛における結婚でさえ、これだった昭和の時代、(私は平成2年に結婚式を挙げています)、価値観と言うのは、そうやって測るしか、測りようがなかったんですね。無理もないことだと思います。
けれど、その後、人は恋愛至上主義となり、価値観の相違を見極めず、成田離婚等も勃発したワードでした。そして、手堅い男を選んだ女性は、手堅い男が、浮気をしたり、気が利かなかったり、思うように姑の間で働かなかったりすると、非常に痛手を負います。その次に選ぶ男の前に、法則が発動するので、先日のエントリを見てください。手堅い男に満足しない女性は、必ず、次には、「言葉先は甘い、責任を取らない薄い男の情熱」に騙されます。
これがどうも、本当に、テンプレみたいな法則があるんですよ。だから、実際に必ずこういう人ばかりではないと思うのですが、手堅い男でのリスクを感じた女性は、結局男と言うものは、リスクがあるものであると感じてしまい、それなら、情動が情熱的な人程いいと思いがちなんです。
けれど、情熱的な人は、どこかに欠落しています。手堅い男以上のリスクが、「必ずあります」。「口も雄弁でしかも、まめ」って男に限って、遊んで歩きますし、落ち着くこともないです。借金を繰り返ししたり、過日のピーターパンのように、子供じみたところがあります。殴る人も多いです。
ですから、昔の制度が懐かしいわけではありませんが、身上書と言うものは、結局は、目で分かる相手の価値観の洞察の材料になるんですよ。それを、好きだから、相手のことは何も知らなくていいと思うと、ほんと苦労します。
・・・・・はい。苦労しています。主人の履歴書だけで済まされてしまい、本当に主人とは何でも価値観が良く似ているのですが、姻戚の行動は、全く未だによく分かりません。きっと、私が話をしても、うまく会話が成立しないだろうと、主人も思っています。そうですね。論理的思考で、ネットワークビジネスは展開できませんし、まぁ、却って、そこで、人の弱点を突くのかな。一度、電話されてこられたことがあるんですが、正直意味不明でした。
なので、まぁ、そういうところと切り離せば、主人は得がたい価値観を共有する同志です。ですから、私にしてみたら、こんな得がたい価値観をいつも共有できる人は離婚対象にはならないです。思えば、私も普通と違ってちょっと変なオタク志向もありますし、価値観が常識的ではないです。金銭に関しては庶民的ですが、そうではないところは、至って通常定論理解できなかったりします。ですが、幅広い交流はあります。そういう面で、会話が成立しない人がいるのも、それもまた、縁ですかね。
私は、普通のサラリーマンと結婚したかったんであって、玉の輿に乗りたかった訳でもない。玉の輿の後先の苦労なんて、正妻、お妾、2号、3号を見てきて、正直普通の結婚がしたかった。そして、普通に暮らしたかった。結局、普通に暮らしていますし、家事育児仕事大学、両立して楽しんでいます。時々、神業的な食事を作ってしまい、家族に深く感動される日など、喜びです。
なので、価値観について、結婚される方、している方、よくメリットデメリットを考えて、離婚へと至ってください。簡単に離婚するのは出来ますが、価値観が似ている人は、中々出会うこと自体が難しいんでね。多少の馬鹿も見過ごす程度が必要です。
朋
ちなみに価値観が一緒なので、共同戦線を張ったとき、お互い会話なしで役割分担が出来て、暗黙の了解で勝手に動きあったりします。「ツーカー」の仲と申しますが、「AU」の仲ではございません(ふっ深い笑)。
正直言えば、こんなにこのエントリが好評だとは知りませんでした。どんぴしゃだった人もいたようですが、基本的に一つだけ、ある種の法則みたいなものがあるんですよ。長いこと、周りにそういう人たちがいて、そういう人の動向を見て歩いたんですね。
私の学生時代の友人に、やっぱりその当時は「お妾さん」ってのがいらっしゃって、腹違いの兄弟なんだと複雑そうに、言い合う人たちがいたんですね。親事情なんですけれど、まぁ、昭和の半ば頃もそういう人がいるの、普通であるリベラルさがあったんですよ。ユルいって言うんですか。結果的に、2号さんとかお妾さんとか、呼ばれて、正妻と子供の出来を争うんですが、これがやっぱ、正妻の子供の方ができる事が多かったんですよね。
で、正妻さんが亡くなって、お妾さんが家に入れるかって言ったら、そうでもなくて、結局正妻は務まらないので、新たに正妻になれる人を探してきて、正妻になってもらったと。要は、その家の正妻って職がですね、それ程、相手に出自を求める時代ってのがあったんですよ。
その名残を残して、その感覚でいるお姑さんもいらっしゃるんですが、時代は既に変わってしまいました。集団同士の財産を守る為の結婚は、個の恋愛感情にて結婚と言うスタイルに変わったんです。まぁ、もっとも、相変わらず、財産を守る為の結婚を行っているところもありますけれどね。今となっちゃ、少ないですよ。だから、そういう為に、ってのがあったんですね。身上書ですか。私の父も書いた記憶ありますね。主人の父に出していて、後先、随分困ったことになりましたよ。
なんせ、付き合いのない親類にまで、「お宅の親族の娘を貰った」と挨拶に行っちゃったんで、父は相当焦ったようでした。元々、そういう名目で出した訳ではなかったと思います。
さて、そんな結婚もある中で、それでも昭和の昔は、恋愛であろうと、氏素性を尋ねることもありました。その中で見合い結婚の価値と言うものを自分で考えたんです。同じような境遇にて、同じような学校を出て、同じようなものを見て聞いて、そういう生活をしてきたもの同士は、初めから逢わなくても、合うものがあるんですよ。
それが、「価値観」です。
恋愛の時には、恋や愛に燃え上がって見えないもんなのが、価値観です。価値観は、親に対する気持ちもそうですし、教育に関して、仕事に関して、様々な価値観があります。恋愛結婚至上主義のような今において、離婚が多いのは、愛や恋での結婚に、「価値観の相違」を覚えたからだと思うんですね。
昔もそれでも離婚多かったんですよ。リベラルなゆるさの中で、離婚は多く、生んで実家に帰りましたってとこもあるし、跡継ぎなのでよこせって言うところもありました。まぁ、もっとも、何を跡を取るのか、今じゃ、華麗な一族ではないと、跡ほどの財産が残らないかとは思うんですが、前に述べたとおり、夫が妻より先に亡くなると、妻に遺産相続が発生します。そうなると、時と場合によっては、自分達の財産が、全く赤の他人の手に渡ることもあるんですよ。
恐らく姑さんたちが焦って阻止したいのは、そういうもんだと思いますけれどね。赤の他人だと、嫁を思うわけですよ。まぁ、そんなもんです。かと言って、私が先に死ぬと、主人側に皆渡る。すると、母は複雑なものがあるわけですよ。それは、娘のもので、孫にお願いしたいものでございますと。
そういう面で、価値観と言うのは凄く大事なんですね。身上書などで分かるのは、その一族はどういう仕事をしているのかって事なんですね。身元が確かかどうか見るわけですよ。けれど、恋愛における結婚でさえ、これだった昭和の時代、(私は平成2年に結婚式を挙げています)、価値観と言うのは、そうやって測るしか、測りようがなかったんですね。無理もないことだと思います。
けれど、その後、人は恋愛至上主義となり、価値観の相違を見極めず、成田離婚等も勃発したワードでした。そして、手堅い男を選んだ女性は、手堅い男が、浮気をしたり、気が利かなかったり、思うように姑の間で働かなかったりすると、非常に痛手を負います。その次に選ぶ男の前に、法則が発動するので、先日のエントリを見てください。手堅い男に満足しない女性は、必ず、次には、「言葉先は甘い、責任を取らない薄い男の情熱」に騙されます。
これがどうも、本当に、テンプレみたいな法則があるんですよ。だから、実際に必ずこういう人ばかりではないと思うのですが、手堅い男でのリスクを感じた女性は、結局男と言うものは、リスクがあるものであると感じてしまい、それなら、情動が情熱的な人程いいと思いがちなんです。
けれど、情熱的な人は、どこかに欠落しています。手堅い男以上のリスクが、「必ずあります」。「口も雄弁でしかも、まめ」って男に限って、遊んで歩きますし、落ち着くこともないです。借金を繰り返ししたり、過日のピーターパンのように、子供じみたところがあります。殴る人も多いです。
ですから、昔の制度が懐かしいわけではありませんが、身上書と言うものは、結局は、目で分かる相手の価値観の洞察の材料になるんですよ。それを、好きだから、相手のことは何も知らなくていいと思うと、ほんと苦労します。
・・・・・はい。苦労しています。主人の履歴書だけで済まされてしまい、本当に主人とは何でも価値観が良く似ているのですが、姻戚の行動は、全く未だによく分かりません。きっと、私が話をしても、うまく会話が成立しないだろうと、主人も思っています。そうですね。論理的思考で、ネットワークビジネスは展開できませんし、まぁ、却って、そこで、人の弱点を突くのかな。一度、電話されてこられたことがあるんですが、正直意味不明でした。
なので、まぁ、そういうところと切り離せば、主人は得がたい価値観を共有する同志です。ですから、私にしてみたら、こんな得がたい価値観をいつも共有できる人は離婚対象にはならないです。思えば、私も普通と違ってちょっと変なオタク志向もありますし、価値観が常識的ではないです。金銭に関しては庶民的ですが、そうではないところは、至って通常定論理解できなかったりします。ですが、幅広い交流はあります。そういう面で、会話が成立しない人がいるのも、それもまた、縁ですかね。
私は、普通のサラリーマンと結婚したかったんであって、玉の輿に乗りたかった訳でもない。玉の輿の後先の苦労なんて、正妻、お妾、2号、3号を見てきて、正直普通の結婚がしたかった。そして、普通に暮らしたかった。結局、普通に暮らしていますし、家事育児仕事大学、両立して楽しんでいます。時々、神業的な食事を作ってしまい、家族に深く感動される日など、喜びです。
なので、価値観について、結婚される方、している方、よくメリットデメリットを考えて、離婚へと至ってください。簡単に離婚するのは出来ますが、価値観が似ている人は、中々出会うこと自体が難しいんでね。多少の馬鹿も見過ごす程度が必要です。
朋
ちなみに価値観が一緒なので、共同戦線を張ったとき、お互い会話なしで役割分担が出来て、暗黙の了解で勝手に動きあったりします。「ツーカー」の仲と申しますが、「AU」の仲ではございません(ふっ深い笑)。