こんにちは。
私は基本的に、人を拝見しただけで、ビジュアル的に見えるモノってのがあります。けれど、全く浮かばない時もあります。
ひとつは、大体自分でも察しているのですが、観察眼が異様に良くてですね。人の瞳孔の開き具合から、持ち物から、癖まで、何でもフィルターにかけてしまいます。人を拝見する中には、コールドリーディングってのと、ホットリーディングもありますけれど、私の場合は、自分で考えているのは、自分には随分、相手への見た目一発目で受け取る情報が多いんだと思っております。
すなわち、よく当たる占い師程、自分の中に、相手を見極める「条件文」というパラメータがよくあります。基本的に、自分では、ごく普通に、イエスとノーでスクリーニングにかけています。これがイエスで、これがノーだから、どこへ飛ぶとか、そういう占いのあーゆう質問節に似たもののを自分で持っています。
なので、お尋ねしなくても、あなたの事は、日常生活まで大概察しが着きます。様々な世界を渡り歩いて、色々な人を見ているのですが、ほんと、人間ってテンプレってのが一応あります。けれど、そのテンプレでルーチンワークしていたら、当たるも当たらなくなります。私は常に、条件でスクリーニングしていくその条件節でさえ変えています。これは、教えようと思っても、中々教えられないです。
まず、そういう条件を思い浮かぶ、無いところから新しいものを作り出していく人間であることは、私自身、自分には認めています。ですので、条件節をいたずらに増やして、自分の精度を上げることもありますし、増やしすぎたおかげで、「なんだか分からなくなった」って事もあります。
まず、その条件を自分で考え付く事をどう教えていいのかは、分かりません。恐らく、自分の人生経験に基づくんだと思うんです。そもそも、私と主人、全く同じような人間なんですけれど、全く実は違います。彼は、私のアイディアを統合的にまとめて、大きく出してしまう。誰のアイディアでも、口から出ようもんなら、彼にパクられます。けれど、彼は、口から出なきゃ、全く察しが着かないのでね。結局アイディアが枯渇してしまわないように本を読むそうです。だから、自分で今の生活、パクって頂いて構いませんと申します。どこまで、パクれるかの方が、逆に、見ものです。
自分でも、自分の内部のスクリーンに、何が写るのかと思うことがあります。恐らく、見た感じでさっと出てくる瞬時の答えが、自分には画像になったり、様々な形になって出て来るんだと思っています。ですから、全く、この人は何をして欲しいのか、分からない時もあります。パラメーター値を超えた人の事が判らないのは、成程納得です。
さて、ところで、見ることで得られる情報はある訳ですが、見ない所まで何で視えるのかは、オカルトだと思います。自分に関係ない場所で、起きた出来事の時間まで合っていることは、自身にとってオカルトだと思っています。サイコメトリーと言うには、あまりに手がかりが無い事を、逆に、自分で知っていたりします。遭ったかどうか、証明できない時は、黙っています。証明できても、あんまり言いません。そうですねえ、見えること自体、そのまま受け止めていくしかないですもんね。
感受性を強めれば、能動性が欠けてきます。基本的に、人間、バランスですから、トータルの量を増やすってのは、早々は出来ません。けれど、私も能動性を深めると、殆ど視えなくなっちゃいます。交感神経優位の時は、比較的見えやすいんです。ところが、副交感優位だと、殆ど視えなくなっちゃいます。遠くで何かが起きていることをキャッチするって時は、副交感ですかね。まぁ、もっとも、そういう時は、結構なDQNさんなので、話してても、「あれが、あれでねぇ。」等、示しがつかないようなしゃべり方しちゃいます。
まぁ、透視ってオカルトだね。
そういう面で、私が人に見方で教えられる部分は少ないと思います。恐らく条件節の作り方の上手な人であれば、一通りマスターできると思いますが、条件節以外の人を相手にしなければならない時には、用心ですね。
まぁ、もっともオカルト分野のその先は、人にどう教えていいかも分かりませんね。こればっかりは、どうしてこの人は、無茶苦茶籤運がいいのに、こっちの人は駄目なんですか?って問いに、「銭下馬が憑いているからです」(笑)と答える訳にも行かんじゃないですか。「銭下馬から考えられる想像力の範囲で、大枠、言いたい意味が分かる?」って感じですか。時々、ほんと、理解不能な事を言い出すこともあって、自分でも冷や冷やしているけれど、周囲に温かく見守られていると自分でも思いますね。
ありがとう。
朋
つうか、当たり前に視える人は、逆に見えない人が何で見えないんだか分からないんだと思う。時々、人が歯がゆいと思う人がいらっしゃる。銀河の署名でも読んどけばOKかなとも時々思う。
私は基本的に、人を拝見しただけで、ビジュアル的に見えるモノってのがあります。けれど、全く浮かばない時もあります。
ひとつは、大体自分でも察しているのですが、観察眼が異様に良くてですね。人の瞳孔の開き具合から、持ち物から、癖まで、何でもフィルターにかけてしまいます。人を拝見する中には、コールドリーディングってのと、ホットリーディングもありますけれど、私の場合は、自分で考えているのは、自分には随分、相手への見た目一発目で受け取る情報が多いんだと思っております。
すなわち、よく当たる占い師程、自分の中に、相手を見極める「条件文」というパラメータがよくあります。基本的に、自分では、ごく普通に、イエスとノーでスクリーニングにかけています。これがイエスで、これがノーだから、どこへ飛ぶとか、そういう占いのあーゆう質問節に似たもののを自分で持っています。
なので、お尋ねしなくても、あなたの事は、日常生活まで大概察しが着きます。様々な世界を渡り歩いて、色々な人を見ているのですが、ほんと、人間ってテンプレってのが一応あります。けれど、そのテンプレでルーチンワークしていたら、当たるも当たらなくなります。私は常に、条件でスクリーニングしていくその条件節でさえ変えています。これは、教えようと思っても、中々教えられないです。
まず、そういう条件を思い浮かぶ、無いところから新しいものを作り出していく人間であることは、私自身、自分には認めています。ですので、条件節をいたずらに増やして、自分の精度を上げることもありますし、増やしすぎたおかげで、「なんだか分からなくなった」って事もあります。
まず、その条件を自分で考え付く事をどう教えていいのかは、分かりません。恐らく、自分の人生経験に基づくんだと思うんです。そもそも、私と主人、全く同じような人間なんですけれど、全く実は違います。彼は、私のアイディアを統合的にまとめて、大きく出してしまう。誰のアイディアでも、口から出ようもんなら、彼にパクられます。けれど、彼は、口から出なきゃ、全く察しが着かないのでね。結局アイディアが枯渇してしまわないように本を読むそうです。だから、自分で今の生活、パクって頂いて構いませんと申します。どこまで、パクれるかの方が、逆に、見ものです。
自分でも、自分の内部のスクリーンに、何が写るのかと思うことがあります。恐らく、見た感じでさっと出てくる瞬時の答えが、自分には画像になったり、様々な形になって出て来るんだと思っています。ですから、全く、この人は何をして欲しいのか、分からない時もあります。パラメーター値を超えた人の事が判らないのは、成程納得です。
さて、ところで、見ることで得られる情報はある訳ですが、見ない所まで何で視えるのかは、オカルトだと思います。自分に関係ない場所で、起きた出来事の時間まで合っていることは、自身にとってオカルトだと思っています。サイコメトリーと言うには、あまりに手がかりが無い事を、逆に、自分で知っていたりします。遭ったかどうか、証明できない時は、黙っています。証明できても、あんまり言いません。そうですねえ、見えること自体、そのまま受け止めていくしかないですもんね。
感受性を強めれば、能動性が欠けてきます。基本的に、人間、バランスですから、トータルの量を増やすってのは、早々は出来ません。けれど、私も能動性を深めると、殆ど視えなくなっちゃいます。交感神経優位の時は、比較的見えやすいんです。ところが、副交感優位だと、殆ど視えなくなっちゃいます。遠くで何かが起きていることをキャッチするって時は、副交感ですかね。まぁ、もっとも、そういう時は、結構なDQNさんなので、話してても、「あれが、あれでねぇ。」等、示しがつかないようなしゃべり方しちゃいます。
まぁ、透視ってオカルトだね。
そういう面で、私が人に見方で教えられる部分は少ないと思います。恐らく条件節の作り方の上手な人であれば、一通りマスターできると思いますが、条件節以外の人を相手にしなければならない時には、用心ですね。
まぁ、もっともオカルト分野のその先は、人にどう教えていいかも分かりませんね。こればっかりは、どうしてこの人は、無茶苦茶籤運がいいのに、こっちの人は駄目なんですか?って問いに、「銭下馬が憑いているからです」(笑)と答える訳にも行かんじゃないですか。「銭下馬から考えられる想像力の範囲で、大枠、言いたい意味が分かる?」って感じですか。時々、ほんと、理解不能な事を言い出すこともあって、自分でも冷や冷やしているけれど、周囲に温かく見守られていると自分でも思いますね。
ありがとう。
朋
つうか、当たり前に視える人は、逆に見えない人が何で見えないんだか分からないんだと思う。時々、人が歯がゆいと思う人がいらっしゃる。銀河の署名でも読んどけばOKかなとも時々思う。