「北極星に願いをこめて」 (右脳のひらめき)

I'm your polar star in the journey of life.

グロい夢

2013年04月02日 18時59分30秒 | 金の鈴(エンパス・予知・直感・夢)

こんばんは。

一番辛い夢とはなにかと聞かれたら、まず一番最初に答えるよ。

加害者になった夢。

 

 

これ、メンタルで一番にくるね。

 

夢のなかで犯罪を犯したいと思う人多いと思うけれど、わたしは、子供の頃から、加害者になった夢も見るし、被害者になる夢も見る。だけれど、加害者が服役している夢を見たのが、一番強烈だったかな。あれは、今も覚えているけれど、全身青の作業着を着て、時々灰色の作業着を着て、じっと、座っている。

 

何をしたのかは詳しくは思い出せないけれど、少なくともあの日、すべての鬱屈が溜まって、激高してしまった。

 

それから、何をしたのかは思い出せないけれど、自分はここに座っている。檻のついた部屋。独房。たった3畳の部屋。

 

 

それ以来、わたしは、激高するときに必ず手加減をするようになった。相手の反応を見つつエスカレートすることもあったけれど、絶対にしないことは、犯罪。わたしは、それ程、夢のなかで見た独房の生活が、怖かった。

 

後にテレビが普及して、そういうドラマが多くなるようになった。ドラマをみてみると、夢で見た生活通りになっているようでもあるし、独房に入った人の手記を読んでみると、なるほど、自分が夢のなかでいたあの部屋の間取りとよく似ている。着ている服も似ているし、わたしは、それを確かめるたびに、決して、自分が被害者になることがあったとしても、加害者にはなるまいと思ったんだ。

 

時折見る加害者になった時の夢は、特に、人を滅多矢鱈叩くとか、打ちのめすとかそういうものではなく、ひたすらレイプである。

 

もう、相手は、既にその状態で、失神している。そりゃ、失神もするだろう、この状態じゃ、なんの援護も得られないと絶望もするだろう。だけれど、その失神している人を叩き起こして、更なる絶望感を味あわせた顔つきを、どうやら、わたしは、加害者の肩越しに眺めている。自分が行うわけではなく、加害者の肩越しに眺めている。

どこかの動画で見たようなアングラなシーンの回顧録ではなく、全く見たことのない女性が、見たことのない国で、絶望的に横たわっている。

何度も殴り、その女性は、何度も懇願するようにわたしを見る。しかし、わたしは、肩越しに眺めているので、なんとかしてやりたいと願ったとしても、止める手段さえもない。出来れば、こんな状態は見ていたくない。見たくない。

ハッとして、起きる。

 

血圧を図ると、そういう時は、既に、200の大台に乗っている事がよくある事に気づいた。

 

加害者として、殴っているときは、加害者の感情がなだれ込んでくる。抑えきれない怒り、鬱屈とした何か、凄くネガティブな感覚、その他が、有り余りすぎて、以前はその感情を受け止めて苦しかったことがあった。そもそも、そこまで怒り尽くすということが、わたしには、なかったし、なんでここまで怒っているのか、飲み込まれることが多かった。

それが、リアル生活で、徹底した被害者になることで、わたしにとって、怒りを覚える瞬間ということについて、よく学ぶこととなった。そして、自分の怒りを落ち着かせるようになったあとは、自分が激高し尽くしているような夢はあまりみない。見るとすると、行なっている人の肩越しに、眺めていることだ。眺めているのは、逆に、被害者の感情がよく分かる。

自分がそうなったら、どう感じるであろうか、それがよく分かる。だからこそ、肩越しに見える世界は、被害者の感情の世界だ。

わたしは、割りと、実生活で被害者であっても、なんとか、精神的には強くあり、最後にはひっくり返すだけの精神力を維持しているので、実は、被害者になる夢に関しては、耐性は割と強い。そもそも、何か、相手とリアルで喧嘩するときには、既に、自分の腕を盾として、自分の肉を切って、相手の骨を断つようなわたしであるので、肉体的にいじめられることに関しては、徹底して強い。

精神的ないじめであろうと、結局、周りは見ているので、何かあれば必ず、上手には、物事を運ぶだけの交渉力も身についたけれど、精神的ないじめを受ける人に関してというよりは、肉体的な破損を行おうとする人の肩越しに、被害者の顔を見ているのは、非常に辛い。

 

最近、少し自分でも、思うようになったことがある。

 

わたしが、少なくとも、少しでも生き延びているのは、きっと、肉体的な虐めにあう人の辛さに出会い、精神的な虐めにあう人の辛さに出会い、そして、それを傍観するしかない立場になって見て、何か知ることがあって、それを、きっと、誰かに伝えたかったのではないかと思うようにもなった。

勿論だが、わたしは、そんな長くは生きない。これは、もう自分でもわかっている。だから、終活という生活を送ることとしている。

だけれど、その中で、最後にまとめるとしたら、きっと、こういう理不尽さをどう切り抜けたらいいのか、そして、あまりに耐えすぎて、キレてしまった状態に人が陥らないように、何かしていけることがあるのではないかと思ったりしたんだ。

無論だが、表立った社会的運動は行わない。淡々と、ここで綴るのみである。それで、何もできないじゃないかと言われるかもしれないけれど、読んでくれる誰かの心に響けば、その人がきっと動く。わたしが動く必要はなく、わたしが死んでも、わたしの意思をいつか引き継いで、世の中がもう少し変わってくれればと、一抹の思いで、綴るのみである。

まぁ、そうやって、過去の偉人も綴ってきて、結局は、痛いことには、わたし達は何も学んじゃいない。痛い目にあって始めて、あぁ、偉人の言うことはもっともだと思う、それだけのつまらない人生である。だけれど、救いの手は、どこにあるのか、何があるのか、まだ、諦めなくてもいいのか、もう少し頑張ってみても悪くはないと、誰かが思ってくれれば、それでいいんだ。

 

というわけで、昨日は、そんな夢を見た。

後味が悪かった。明け方になるまで、怖くて再度眠れなかった。

 

 

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