「北極星に願いをこめて」 (右脳のひらめき)

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多指症 

2013年06月27日 20時38分12秒 | 精神哲学 ~魂の筋力をつける朋塾~

こんばんは。

うちの父は、私が生まれた時、まずはじめに確認したのは、手足の指の数だった。

なんでかって言うと、うちは、父のところも血が濃くて、母方も血が濃くて、そのせいか、割りと多指症ってのが多かったらしい。無論だが、単眼症もいて、それはそれなりに、割りと危機感溢れる家系なので、必死で、遠距離より優秀な人を見つけてはせっせと縁組をするという風習があった。

豊臣秀吉が、多指症であったという噂があり、そういう体つきからあだ名があったようである。

現在は、無論だが、多指症は、整形で意外と簡単に、指が少なくなるようになっている。なんか、損した気分にはなると思うんだが、どうなんだろう。

まぁ、そんなんで、体の作りってのは、別に指が5本あることが正しいのではなくて、なんとなく、皆の好みで、指が5本になって、足の指もご一緒に揃えておきましょうってノリで、足なんて別に二本でも三本でもいいのだが、男だけは3本でいきましょうとか、そんなノリで、わたし達の肢体ってのが決まっている。

別に正しくもないし、こうであるべきってこともない。

子供の中には、色々変化した子供も出てきて、歯も変わった子供が出てきて、恐らく、これもひとつの進化なのだろうと思うが、まぁ、恐らく、ピテカントロプスの時代には、指が多くても、何も問題がなかったと思われる。

今の時代は、他者と違うだけで、協調性がないと言われるので、危険なのであるがね。

 

わたしなんかも、昔からよく言われるが、小顔である。

小顔がもてはやされたのは、結構最近であり、小さな頃は、貧弱そのものだった。

 

なので、よく思うが、時代とともに、色々なものの評価は変わりゆく。諸行無常であり、常に絶対的にこれが正しいのだよという物は何もない。

 

時代に上手に沿って行くことだけのみ、意識していく事が一番いいのだろう。

 

何十年か後には、結構、3つ目があったほうがいいとか、そんなになったりしてな。意外と、人間って変な考えを持つから、目がない人は、眉間削って、義眼入れたりしてな。変だよな。考えが。

見た目って言うけれど、多指症は見た目的には別にどうってことないだろ。まぁ、強いて言えば、キャッチボールの時とか、手袋が困るくらいだな。

むしろ、わたしのように手が小さすぎて、ハンドボールをシュートできないような手の小ささの方が、不便で、困ると思うんだぜ。

 

 

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