こんばんは。
基本的に皆さん怒ると、疲れると思うんですが如何ですか。
強い不条理に、直面して圧倒されたり、それを認めることが困難な場合、その体験に関する意識の統合が失われ、知覚や記憶、自分が誰であり、どこにいるのかという認識などが意識から切り離されてしまうのです。まぁヒステリーとも言いますが、実際昔のヒステリーの方は、ある決まった形を取るんですよ。
硬直して弓なりにのけぞるっていう。4パターンの行為を決まって取られたものでした。私も実際に見た事があります。
元々怒りが全身運動ですんでね、普通に、怒れば、全身硬直しますね。それでも押さえきれないモノを、ガタガタと足をゆすったり、肩を震わせて、その感情から来るものを外に出しますわな。それでも、処理が出来ないと、モノに当たったり、誰かに聞いてもらいに行ったり、誰かに八つ当たりを言います。まぁ、結局その感情から来るものを自分の中で処理し切れなくて、外に出すって行為には違いないんですけれど。
その頃には肋骨、縮み上がりまくりですけれどね。
で、外に出せない時には、逆に、自分の意識を飛ばして、解離性健忘(かいりせいけんぼう)、解離性遁走(とんそう)、解離性同一性障害、離人症性(りじんしょうせい)等の、意識障害を起こします。
結局、それ程、自身がどうにもならない軋轢と言うのはストレスをかけてくるわけです。元々怒り自体がこういう風に全身を使って、体を使うので、やはり怒っている時はクタクタです。で、身体症状に出るか、意識症状に出るか、どの道、出ている間は、猛烈な不条理をその軋轢に感じているわけです。
それ自体が出ている時に、何が役に立つかと言えば、その感情を感じる自分自身に対し、鈍感にさせることしか現在の医学では出来ません。また、軋轢に関しては、個人差があります。沢山の人にとって大した事ではない事で、物凄くストレスを感じやすい人もいます。また、無論、沢山の人がどうしようもないストレスを同じ時に感じる事もあります。こういうのは、天災が多いんですけれどね。
で、ストレスの元は、自身が過敏である所から、また、どの人間も太刀打ちできない事情から、様々です。そのストレスをうまく解消していかなければ、結局私達は、体を蝕むか、心を蝕んでいくようになります。
エンパスや、霊感霊媒体質も、基本的には、元々はストレスの原因にもなります。他のものとの境界線がない訳ですから、不条理なほどダイレクトに着ます。ですから、ここでは、必死に、そのエンパスである自身、霊感霊媒体質である自身の、悪い面ばかりをターゲットに当てるのではなく、そういう面があって、だけれどそれを反対面に活かして使おうと言うバランスを提案しているわけです。
しかし、そうではない人も、感情に振り回されるのがつらい時には、私はあえて、精神科の薬を飲むのも一手だと思っています。私自身が、ずっとそういう判断をされてきた事があるからではなく、本当にどうしようもないPTSDになりそうな、ストレスを抱えた時、人は眠ることも出来ず、怒りの感情に振り回されます。自身の中に是ほどにまで凄いエネルギーの感情があったのかと言われれば、そうなんです。それに対して、自分が今まで気がつかなかっただけなんです。
「人に投げつけた言葉の悪さ」も、人を「待てない自分」も、「心の闇が自分にはない」と言い切れていたあなたも、本当は、あなただけが、気がつかなかったんです。
あなたに、もし言葉で「待ちなさい」と伝えても、突っ走りたい時のあなたは、制止を振り切って突っ走ってしまいます。その挙句、出た事情に対して、待たされてストレスを感じるのではなく、そうしてしまったんなら、丸ごと自分自身のした行為を自分自身で受け止めるより他には策がないのです。
誰もあなたの人生の責任を取ってくれないのだから、自分を信じて自分がそうだと思うなら、傲慢のままでいけばいい。そして奈落に落ちたとしても、その奈落の尻拭いをきっちり自分で行って、そしてまた上がってくれば何も問題はないんですから。
ただ、世の中は、自分だけが受け止めるのか、自分ばかりがこういう目に遭うのかと思う人もいると思います。ですが、あなた自身が他人にとってストレスになっている場合だってあります。人はそういう大きな意味で、あなたの不条理、私の不条理、どうも「お互い様」なんですよ。
ただ、理由なき不条理を、受け止める行為が素直に出来るまでは、感情をそのまま感じていると痛みで厳しいでしょうから、感情を鈍くする薬でも貰うしかない。ただ、精神科医の薬ってのはそういう使い道があるというだけの事です。ワンタイムでも、眠れればかなり世界は変わります。全身怒りであった時には、とても呼吸していられる場合ではないんでしょうけれど、精神科の薬も結局はね、「リラックス」する為に使うんですよ。だから、どんな方法であっても、リラックスできる、ほんの数分でもあれば、本当に救われる思いなんですよ。
災害の時等に、私は寝袋を用意したほうがいいと前に書いた事があるんですが、あれはね、プライベートの空間が無くなってしまう避難所で、プライベートの空間を自発的に作れるから、いいグッズなんですよ。そのプライベートの空間にいる間、あなたはリラックスするでしょう?シェルターに避難した時、ほっとするでしょう。そのリラックスが、ほんの一日の間の少しでもあるといいんですよ。それがあれば、怒りに飲み込まれる事無く生きていかれるから。
ただ、もう自分が「私怒ってます」になっちゃったら、こりゃ、私だったら丸ごと受け止めるでいいんですが、怒りって、ホント、「待たない」奴ですわ。
だから、「待てる自分」になる事から先に心がけて生きましょう。その次に、受け入れるとか、許すとか、許さないとか、考えてもいいんじゃないですか。まず、「私怒ってます」から、脱出しましょうよ。
全くお互い様なんですから。
朋
基本的に皆さん怒ると、疲れると思うんですが如何ですか。
強い不条理に、直面して圧倒されたり、それを認めることが困難な場合、その体験に関する意識の統合が失われ、知覚や記憶、自分が誰であり、どこにいるのかという認識などが意識から切り離されてしまうのです。まぁヒステリーとも言いますが、実際昔のヒステリーの方は、ある決まった形を取るんですよ。
硬直して弓なりにのけぞるっていう。4パターンの行為を決まって取られたものでした。私も実際に見た事があります。
元々怒りが全身運動ですんでね、普通に、怒れば、全身硬直しますね。それでも押さえきれないモノを、ガタガタと足をゆすったり、肩を震わせて、その感情から来るものを外に出しますわな。それでも、処理が出来ないと、モノに当たったり、誰かに聞いてもらいに行ったり、誰かに八つ当たりを言います。まぁ、結局その感情から来るものを自分の中で処理し切れなくて、外に出すって行為には違いないんですけれど。
その頃には肋骨、縮み上がりまくりですけれどね。
で、外に出せない時には、逆に、自分の意識を飛ばして、解離性健忘(かいりせいけんぼう)、解離性遁走(とんそう)、解離性同一性障害、離人症性(りじんしょうせい)等の、意識障害を起こします。
結局、それ程、自身がどうにもならない軋轢と言うのはストレスをかけてくるわけです。元々怒り自体がこういう風に全身を使って、体を使うので、やはり怒っている時はクタクタです。で、身体症状に出るか、意識症状に出るか、どの道、出ている間は、猛烈な不条理をその軋轢に感じているわけです。
それ自体が出ている時に、何が役に立つかと言えば、その感情を感じる自分自身に対し、鈍感にさせることしか現在の医学では出来ません。また、軋轢に関しては、個人差があります。沢山の人にとって大した事ではない事で、物凄くストレスを感じやすい人もいます。また、無論、沢山の人がどうしようもないストレスを同じ時に感じる事もあります。こういうのは、天災が多いんですけれどね。
で、ストレスの元は、自身が過敏である所から、また、どの人間も太刀打ちできない事情から、様々です。そのストレスをうまく解消していかなければ、結局私達は、体を蝕むか、心を蝕んでいくようになります。
エンパスや、霊感霊媒体質も、基本的には、元々はストレスの原因にもなります。他のものとの境界線がない訳ですから、不条理なほどダイレクトに着ます。ですから、ここでは、必死に、そのエンパスである自身、霊感霊媒体質である自身の、悪い面ばかりをターゲットに当てるのではなく、そういう面があって、だけれどそれを反対面に活かして使おうと言うバランスを提案しているわけです。
しかし、そうではない人も、感情に振り回されるのがつらい時には、私はあえて、精神科の薬を飲むのも一手だと思っています。私自身が、ずっとそういう判断をされてきた事があるからではなく、本当にどうしようもないPTSDになりそうな、ストレスを抱えた時、人は眠ることも出来ず、怒りの感情に振り回されます。自身の中に是ほどにまで凄いエネルギーの感情があったのかと言われれば、そうなんです。それに対して、自分が今まで気がつかなかっただけなんです。
「人に投げつけた言葉の悪さ」も、人を「待てない自分」も、「心の闇が自分にはない」と言い切れていたあなたも、本当は、あなただけが、気がつかなかったんです。
あなたに、もし言葉で「待ちなさい」と伝えても、突っ走りたい時のあなたは、制止を振り切って突っ走ってしまいます。その挙句、出た事情に対して、待たされてストレスを感じるのではなく、そうしてしまったんなら、丸ごと自分自身のした行為を自分自身で受け止めるより他には策がないのです。
誰もあなたの人生の責任を取ってくれないのだから、自分を信じて自分がそうだと思うなら、傲慢のままでいけばいい。そして奈落に落ちたとしても、その奈落の尻拭いをきっちり自分で行って、そしてまた上がってくれば何も問題はないんですから。
ただ、世の中は、自分だけが受け止めるのか、自分ばかりがこういう目に遭うのかと思う人もいると思います。ですが、あなた自身が他人にとってストレスになっている場合だってあります。人はそういう大きな意味で、あなたの不条理、私の不条理、どうも「お互い様」なんですよ。
ただ、理由なき不条理を、受け止める行為が素直に出来るまでは、感情をそのまま感じていると痛みで厳しいでしょうから、感情を鈍くする薬でも貰うしかない。ただ、精神科医の薬ってのはそういう使い道があるというだけの事です。ワンタイムでも、眠れればかなり世界は変わります。全身怒りであった時には、とても呼吸していられる場合ではないんでしょうけれど、精神科の薬も結局はね、「リラックス」する為に使うんですよ。だから、どんな方法であっても、リラックスできる、ほんの数分でもあれば、本当に救われる思いなんですよ。
災害の時等に、私は寝袋を用意したほうがいいと前に書いた事があるんですが、あれはね、プライベートの空間が無くなってしまう避難所で、プライベートの空間を自発的に作れるから、いいグッズなんですよ。そのプライベートの空間にいる間、あなたはリラックスするでしょう?シェルターに避難した時、ほっとするでしょう。そのリラックスが、ほんの一日の間の少しでもあるといいんですよ。それがあれば、怒りに飲み込まれる事無く生きていかれるから。
ただ、もう自分が「私怒ってます」になっちゃったら、こりゃ、私だったら丸ごと受け止めるでいいんですが、怒りって、ホント、「待たない」奴ですわ。
だから、「待てる自分」になる事から先に心がけて生きましょう。その次に、受け入れるとか、許すとか、許さないとか、考えてもいいんじゃないですか。まず、「私怒ってます」から、脱出しましょうよ。
全くお互い様なんですから。
朋
いやもう,怒りって,本当に。
自分のも,人様のも。
怒りは待たないというより,待てない子状態が怒りを生むような感じがします。
要は赤ん坊ですね。
一足飛びに大人とは言わずとも,聞き分けのできる子にまずはなりたいです。
怒りに振り回されているように感じることもあり、言葉もキツイです。いろいろ事態は悪化してしまい、疲れ果ててます。
朋さんのお話で、とっても気持ちが楽になれました。いっぱいいっぱいで。ホント、自分の良からぬ部分、たぶん10年続いている念だか生霊だかの苦労の発端にもそれが関係していたか可能性が高いです。「受け入れがたい不条理に接した時の自分の怒り」をどう抑えるかが私が成長してゆくのに必要な課題なのかも!とヒシヒシと感じています。
なんでみんなこんなに簡単に怒るの?人に迷惑かけるのが怖くないの?って不思議に思ったりします。
○ィズニーアニメを観ながらクッキーを焼くのがいま一番効くストレス解消法です(笑)
若干逃避入ってますが。。
いつも考えさせられるお話ばかりでためになります。
ありがとうございます。
何かが起きると全部私のせいみたいな言い方ばかりされて・・・。
とにかく瞬間湯沸かし器なみに右見て左みたら怒ってる人なんですよね。
怒りや憎しみなんかのエネルギーってとっても強大でしょうね。その矛先がどうしていつも私なのか分りませんが・・・。
言い返しても余計に荒立てるので、いつも黙ってます。それが余計にいけないんでしょうね。
怒ってる人の血管がブチ切れるってよく言いますが、実は怒鳴られてる人の脳の血管の方が切れてるそうです。だからなのか、怒鳴られた後はいつも倦怠感と頭痛です。
災害用でなくても、寝袋買っとこうかな。(笑)
お初です。
待てない人は、自身の不安に対する許容量が少ないんですよ。片手でギブアップ位な勢いです。ただ、これは訓練次第で増やしていけますので、気長に頑張りましょう。
ほしさま
不条理に自身だけ抑えていたら、爆発いたします。それ故のバランスを取るという提唱です。自身の許容量も増やし、しかしながら、爆発も小出しにする。ボンバーマンで行きましょう。
asukaさま
怒りになる前にそのモノを恐怖として捉え、外に出せないんでしょうか。解離してしまう程自身を追い詰める前に、小出しにリラックスしていきましょう。リラックス法も順次挙げていきます。
Qさま
セーフティーゾーンは、日常生活の中では、工夫次第で作れますの。ですから、モノに縛られるのはお止めください。そうなると、それがないと眠れないようになり、依存してしまいます。大人は、お気に入りの毛布がなくても、さしあたって、どんな毛布でも使って寝る事ができます。それが柔軟性です。
また、安全基地を工夫次第で作り上げれば、私達は最強の女性になれるのですから。
みなさま、コメントありがとうございます。個人的には、こういうエントリにコメントが多いのは、非常に身近な問題だからだと思っています。