こんばんは。
そんなことはないと言われるかもしれませんが、麻薬犯罪者は、再度繰り返します。
覚せい剤ってのは、今まで、勉強が凄く嫌だった人が、逃げて逃げて逃げまくって、机の前に座り、そして読もうと思っても頭の中に入らない本を読み広げ、何とか苦戦していく内に、試験期間となり、その試験期間だけ、猛ダッシュしてきた時のその猛ダッシュピーク期間を、定常的に薬でその状態に維持するんです。
普通、そんなにやると、学生は大体翌月倒れるように、バイトで肉体労働しか役に立たない感じになるんですが、普通の脳内は、バランスを取って管理します。ですが、薬では、定常に猛ピーク時を、「時」ではなく、「帯」で自分に期待するので、寝食惜しんでやった結果、何事も成し遂げられず、どんどんお粗末になっていきます。身体耐性はすぐつくので、すぐに量が増え、そして最後は身体的依存の虚脱感とフラッシュバック逃れに、廃人同様になるまで打ち続けます。ですから、「作られた」猛ピークです。人工猛ダッシュが、自然猛ダッシュに敵わないのは、適切な加減がない事と、適切なコントロールがない事です。
普通にそこまで行ったら、人は体が酷使されてボロボロです。人体は、兼ね合いで、バランスを取ろうとしますから、うまく脳が働かないようになり、休んだりします。ですから、試験明けの時に、学生が「あっ俺、もう役に立たないから。」とか「半分死人」などと揶揄するのは、体内管理ではごく自然な事です。
ここで、ひとつだけ専門用語を出しておくと、猛ダッシュというのは、交感神経優位を、人工で作るのです。手軽に、目の前の嫌な事が忘れられると囁く前に、その薬は万能感(何をやっても何でもできるような気がする超人感)をもたらします。余りの冴えわたりに、多幸感が押し寄せ、何でもできる気になります。(実際は、本人のできる事以上の事を超えられないんで、お粗末です)
ですが、初回のインパクトはでかいでしょうけれど、二度目三度目、段々耐性がつき、次第に、並みな量では効かなくなります。そして、毛髪診断で使用履歴が分かるということで、何らかの身体的依存がないと言われてきた覚せい剤ですが、身体的依存症状としては、虚脱感・フラッシュバック、脳内物質コントロールの破壊、人格破綻が上げられます。
万能感の後の虚脱感は、人工で作っただけに、上がって降りての差が激しく、人はとても目の前の事が、前より我慢が出来なくなり、嫌になります。元々、嫌な目の前を越えて行こうと思って使ったのに、何を好き好んで、目の前が更に一層暗くなる事が好きな人はいないでしょう。画して、シャブは、一回打てば後は喜んで、本人がやってくると言われるのは、それだけ激しいんです。ついでに、心臓に凄く負荷をかけます。ですが、自然体で得るのなら、ランナーズハイとか、そういう点でクリアできます。寝食惜しんで脳内のドーパミンを出して、今だ、膨大な計算式を解いている退官後の教授もいます。
私自身は、誠に情けないんですが、天然で超絶交感神経優位と副交感神経優位がドラスティックに現れます。専門書を読み出す時、頭には要らない時があります。ですが、子供の相手をしながら、10分で専門書を読んで、全部丸覚えして頭に入る状態の時があります。何冊でもイケます。そりゃ、凄まじい面白さです。
ですが、残念ながら、そういう時は、自分がテンパっている状態なので、殆ど眠れないです。前に、クライアントに、あなたはそれでも狂わないのかと言われたんですが、そうですね、不安定になった事はありますが、狂った事はないですね。論理的思考が維持できるんですから。昔も今も、どんどん読みふけって行っくと、体はもはや悲鳴を上げるんです。で、ブレーキを引いても間にあわなくて、もはや好奇心の大暴走をしてね。昔の教授職と言うのがこんなもんでしたから、父もそうだったんですが、今じゃ、そういう家系だと思っています。
で、これがまた、面白いんですが、そんな時にふと葬式をしている家の前を通りがかって重苦しい気を拾ってしまう。すると、今度は、副交感神経に傾きましてね。天秤ひっくり返しで、もはや、秤なんてないんじゃないのと思う程、傾いて行きます。で、私はその行き帰りが激しくて、若い頃は精神的に悩みましたし、人格障害と言われる事もありましたが、どうもそういう投薬もなしに治ったのは、自分がコントロール術を考えなければと思い始めたからだと思います。
ちなみに、副交感の時は、そうですね、尿量が一日普通で4リットルを行くんですね。だから、シーソーゲームのように傾くんですよ。そりゃ、精神だって悲鳴を上げます。でも、私は残念ながら、何で狂わなかったのは、本当は分からないです。脳内処理が追いついた事もあると思います。普通の万能感では、思考障害になる程、なにをやっても中途半端になるんです。でも、私は、何やっても最後までやり遂げるんで、逆に体に負担が来ます。違う意味で、クレイジーであるのは認識しています(涙)。クレイジーというか、マッドかな。
で、統合失調症が、麻薬のなれの果てと同症状になるんですが、麻薬は統合失調症の「陽」症状を人工で作り上げたものです。ですから、慣れない勉強や、頭に入らない本を読む「苦痛」というものを味わう前に、シャブ打って、本開いたら即、理解って事になります(実際は理解した気になっているだけです)。ですから、普通の人の「苦しみ」をすっ飛ばすので、現実逃避したい人には止められないモノとなります。ちなみに、私の若い頃の知り合いは、結構そういうのが好きな人が多かったんです。ただ、私は自身が天然なので、そういうものには理解がなかった。徹底的に嫌っていた。ちなみに、その当時の友人は、相変わらず繰り返しているか、既に鬼籍です。覚せい剤は、出所しても、売人が追いかけてくる。それとフラッシュバックが起きると、身体症状の凄さから、手を出してしまいます。だから、止められない。売人ネットワークは凄いもんです。手を切ったと絶対に信用は出来ません。一生の内のいつフラッシュバックが起きるか分かりません。
ですが、ダウンよりアッパーの方が確実にインパクトはあるわけですし、エネルギーを凄く消耗しても時として届かないのですから、人は惹かれます。ですが、それは確実に人工手段であり、手軽だけれど、陽症状を行い続ければ、人は破滅の道を辿ります。バランスですから、陽が強ければ、陰になった時、凄まじい希死念慮も起きるでしょう。
天然成分ではなかったら、その反動はもっと大きいでしょう。そして、一生の中で、また何か苦痛があったら、あなたの頭には、それを苦労して乗り越えるのではなく、「シャブでお手軽システム」として導入してしまうと思います。ですから、足を洗うと言うのは非常に難しいです。
私は、何故友人らがはまったのか、昔の疑問の理由を問いたくて、昨年大学で、犯罪心理学を取った時、衝撃的な事を精神科医である講師達から聞くのです。そして、その後も教えを請いながら、その更生法についていかに無力であるか、理解をしました。ろくな施設もないし、ろくなお金もない。
世の中、正直に言えば、レイキは、まだましかなとおもいますが、レイキと名を打ってのカルトや、カルト霊能者やカルト宗教は、様々な薬剤を飲ませて、その万能感で、奇跡体験を作ります。だけれど、本人は凄いと思うんだそうですが、どう足掻いてもその時の本人の能力や経験を遥かに越える動きは脳はしないんじゃないですか。どうなんですかね。奇跡ってそんな作り方しなくても、意外とできるけれど、そういう依存傾向の強い人の場合には、その方法しかないんでしょうか。依存傾向の強い人は、欲求も人一倍強くて、「もっともっと」って請求します。今の現状に満足する事をしないんで、すぐ廃人です。最も、ドーパミンがもたらす多幸感の凄さは、そこに山があるから登る以上の凄さですよ。でも、山登りの方が相対的に健全ですね。
で、ステロイドの飲み薬だって、似たような状態を作りますし、エフェドリンが入った麻黄等は、漢方にありますが、飲めば似たような感じになるでしょう。E社のB液って昔は流行りました。ただ、ステロイドの場合には、もっと深刻な症状が身体症状として体に出ます。過剰投与のエフェドリンは、心臓に致命打を与えます。世の中、別に覚せい剤だけが、ひどいんじゃなく、危険な薬は、他にはモルヒネや、麻酔剤もあります(PS:すいません、私は覚せい剤をアンフェタミン、メタフェタミンと考える癖がありました。幅広い意味では、麻酔薬も麻薬管理法で管理されるので同じですね。)。でも、本当の疼痛患者には、それと引き換えにしても、必要なものです。
私の父は末期癌で、最後はモルヒネでした。昼夜を間違えた彼は、本当に自分自身の理性が薬で飛んでしまったと思い、痛恨の念に駆られていました。私は、疼痛がある時がありますが、実はこういう薬が好きではないので、余程ひどい疼痛で眠れない日が続いても、要らない。何の解決策にも繋がらないんだから。
今や、薬売人は、ピザ屋の配達より早く来るそうです。目の前の現実逃避は、簡単な電話一本で済むそうです。ですが、している事のちぐはぐさは、万能感がある時には、客観性が欠けるので、理解できていないだけに裸の王様です。
乱用しない程度というのも、犯罪です。認識を持ってください。ですが、何度かやる人間はもはや、その人の環境の、どこかが麻痺しています。一線をキープし続けてください。
朋
ちなみに、私が中学生の頃から既に友人たちは、染まって、染まったらいなくなって、全員、やった人は消息不明になった。だけれど、どうも今だに、その友人らの残党が残っていると聞いて、唖然とした。
それより、大学の隣の席の女性が、「そうそう、簡単に呼べるのよぉ。携帯一本よ。」って仰った時の方がもっとびっくりした。どう呼べるのか、知りたかったが、危険すぎて踏み込めなかった。もっとも、その方は、本当にメジャーではない地方である(私にとってはその瞬間で、その地名がメジャーになったのは言うまでもないが)。その地方への確実な染まり具合に、息子らと一緒に食事をしながら、唖然とした。
そんなことはないと言われるかもしれませんが、麻薬犯罪者は、再度繰り返します。
覚せい剤ってのは、今まで、勉強が凄く嫌だった人が、逃げて逃げて逃げまくって、机の前に座り、そして読もうと思っても頭の中に入らない本を読み広げ、何とか苦戦していく内に、試験期間となり、その試験期間だけ、猛ダッシュしてきた時のその猛ダッシュピーク期間を、定常的に薬でその状態に維持するんです。
普通、そんなにやると、学生は大体翌月倒れるように、バイトで肉体労働しか役に立たない感じになるんですが、普通の脳内は、バランスを取って管理します。ですが、薬では、定常に猛ピーク時を、「時」ではなく、「帯」で自分に期待するので、寝食惜しんでやった結果、何事も成し遂げられず、どんどんお粗末になっていきます。身体耐性はすぐつくので、すぐに量が増え、そして最後は身体的依存の虚脱感とフラッシュバック逃れに、廃人同様になるまで打ち続けます。ですから、「作られた」猛ピークです。人工猛ダッシュが、自然猛ダッシュに敵わないのは、適切な加減がない事と、適切なコントロールがない事です。
普通にそこまで行ったら、人は体が酷使されてボロボロです。人体は、兼ね合いで、バランスを取ろうとしますから、うまく脳が働かないようになり、休んだりします。ですから、試験明けの時に、学生が「あっ俺、もう役に立たないから。」とか「半分死人」などと揶揄するのは、体内管理ではごく自然な事です。
ここで、ひとつだけ専門用語を出しておくと、猛ダッシュというのは、交感神経優位を、人工で作るのです。手軽に、目の前の嫌な事が忘れられると囁く前に、その薬は万能感(何をやっても何でもできるような気がする超人感)をもたらします。余りの冴えわたりに、多幸感が押し寄せ、何でもできる気になります。(実際は、本人のできる事以上の事を超えられないんで、お粗末です)
ですが、初回のインパクトはでかいでしょうけれど、二度目三度目、段々耐性がつき、次第に、並みな量では効かなくなります。そして、毛髪診断で使用履歴が分かるということで、何らかの身体的依存がないと言われてきた覚せい剤ですが、身体的依存症状としては、虚脱感・フラッシュバック、脳内物質コントロールの破壊、人格破綻が上げられます。
万能感の後の虚脱感は、人工で作っただけに、上がって降りての差が激しく、人はとても目の前の事が、前より我慢が出来なくなり、嫌になります。元々、嫌な目の前を越えて行こうと思って使ったのに、何を好き好んで、目の前が更に一層暗くなる事が好きな人はいないでしょう。画して、シャブは、一回打てば後は喜んで、本人がやってくると言われるのは、それだけ激しいんです。ついでに、心臓に凄く負荷をかけます。ですが、自然体で得るのなら、ランナーズハイとか、そういう点でクリアできます。寝食惜しんで脳内のドーパミンを出して、今だ、膨大な計算式を解いている退官後の教授もいます。
私自身は、誠に情けないんですが、天然で超絶交感神経優位と副交感神経優位がドラスティックに現れます。専門書を読み出す時、頭には要らない時があります。ですが、子供の相手をしながら、10分で専門書を読んで、全部丸覚えして頭に入る状態の時があります。何冊でもイケます。そりゃ、凄まじい面白さです。
ですが、残念ながら、そういう時は、自分がテンパっている状態なので、殆ど眠れないです。前に、クライアントに、あなたはそれでも狂わないのかと言われたんですが、そうですね、不安定になった事はありますが、狂った事はないですね。論理的思考が維持できるんですから。昔も今も、どんどん読みふけって行っくと、体はもはや悲鳴を上げるんです。で、ブレーキを引いても間にあわなくて、もはや好奇心の大暴走をしてね。昔の教授職と言うのがこんなもんでしたから、父もそうだったんですが、今じゃ、そういう家系だと思っています。
で、これがまた、面白いんですが、そんな時にふと葬式をしている家の前を通りがかって重苦しい気を拾ってしまう。すると、今度は、副交感神経に傾きましてね。天秤ひっくり返しで、もはや、秤なんてないんじゃないのと思う程、傾いて行きます。で、私はその行き帰りが激しくて、若い頃は精神的に悩みましたし、人格障害と言われる事もありましたが、どうもそういう投薬もなしに治ったのは、自分がコントロール術を考えなければと思い始めたからだと思います。
ちなみに、副交感の時は、そうですね、尿量が一日普通で4リットルを行くんですね。だから、シーソーゲームのように傾くんですよ。そりゃ、精神だって悲鳴を上げます。でも、私は残念ながら、何で狂わなかったのは、本当は分からないです。脳内処理が追いついた事もあると思います。普通の万能感では、思考障害になる程、なにをやっても中途半端になるんです。でも、私は、何やっても最後までやり遂げるんで、逆に体に負担が来ます。違う意味で、クレイジーであるのは認識しています(涙)。クレイジーというか、マッドかな。
で、統合失調症が、麻薬のなれの果てと同症状になるんですが、麻薬は統合失調症の「陽」症状を人工で作り上げたものです。ですから、慣れない勉強や、頭に入らない本を読む「苦痛」というものを味わう前に、シャブ打って、本開いたら即、理解って事になります(実際は理解した気になっているだけです)。ですから、普通の人の「苦しみ」をすっ飛ばすので、現実逃避したい人には止められないモノとなります。ちなみに、私の若い頃の知り合いは、結構そういうのが好きな人が多かったんです。ただ、私は自身が天然なので、そういうものには理解がなかった。徹底的に嫌っていた。ちなみに、その当時の友人は、相変わらず繰り返しているか、既に鬼籍です。覚せい剤は、出所しても、売人が追いかけてくる。それとフラッシュバックが起きると、身体症状の凄さから、手を出してしまいます。だから、止められない。売人ネットワークは凄いもんです。手を切ったと絶対に信用は出来ません。一生の内のいつフラッシュバックが起きるか分かりません。
ですが、ダウンよりアッパーの方が確実にインパクトはあるわけですし、エネルギーを凄く消耗しても時として届かないのですから、人は惹かれます。ですが、それは確実に人工手段であり、手軽だけれど、陽症状を行い続ければ、人は破滅の道を辿ります。バランスですから、陽が強ければ、陰になった時、凄まじい希死念慮も起きるでしょう。
天然成分ではなかったら、その反動はもっと大きいでしょう。そして、一生の中で、また何か苦痛があったら、あなたの頭には、それを苦労して乗り越えるのではなく、「シャブでお手軽システム」として導入してしまうと思います。ですから、足を洗うと言うのは非常に難しいです。
私は、何故友人らがはまったのか、昔の疑問の理由を問いたくて、昨年大学で、犯罪心理学を取った時、衝撃的な事を精神科医である講師達から聞くのです。そして、その後も教えを請いながら、その更生法についていかに無力であるか、理解をしました。ろくな施設もないし、ろくなお金もない。
世の中、正直に言えば、レイキは、まだましかなとおもいますが、レイキと名を打ってのカルトや、カルト霊能者やカルト宗教は、様々な薬剤を飲ませて、その万能感で、奇跡体験を作ります。だけれど、本人は凄いと思うんだそうですが、どう足掻いてもその時の本人の能力や経験を遥かに越える動きは脳はしないんじゃないですか。どうなんですかね。奇跡ってそんな作り方しなくても、意外とできるけれど、そういう依存傾向の強い人の場合には、その方法しかないんでしょうか。依存傾向の強い人は、欲求も人一倍強くて、「もっともっと」って請求します。今の現状に満足する事をしないんで、すぐ廃人です。最も、ドーパミンがもたらす多幸感の凄さは、そこに山があるから登る以上の凄さですよ。でも、山登りの方が相対的に健全ですね。
で、ステロイドの飲み薬だって、似たような状態を作りますし、エフェドリンが入った麻黄等は、漢方にありますが、飲めば似たような感じになるでしょう。E社のB液って昔は流行りました。ただ、ステロイドの場合には、もっと深刻な症状が身体症状として体に出ます。過剰投与のエフェドリンは、心臓に致命打を与えます。世の中、別に覚せい剤だけが、ひどいんじゃなく、危険な薬は、他にはモルヒネや、麻酔剤もあります(PS:すいません、私は覚せい剤をアンフェタミン、メタフェタミンと考える癖がありました。幅広い意味では、麻酔薬も麻薬管理法で管理されるので同じですね。)。でも、本当の疼痛患者には、それと引き換えにしても、必要なものです。
私の父は末期癌で、最後はモルヒネでした。昼夜を間違えた彼は、本当に自分自身の理性が薬で飛んでしまったと思い、痛恨の念に駆られていました。私は、疼痛がある時がありますが、実はこういう薬が好きではないので、余程ひどい疼痛で眠れない日が続いても、要らない。何の解決策にも繋がらないんだから。
今や、薬売人は、ピザ屋の配達より早く来るそうです。目の前の現実逃避は、簡単な電話一本で済むそうです。ですが、している事のちぐはぐさは、万能感がある時には、客観性が欠けるので、理解できていないだけに裸の王様です。
乱用しない程度というのも、犯罪です。認識を持ってください。ですが、何度かやる人間はもはや、その人の環境の、どこかが麻痺しています。一線をキープし続けてください。
朋
ちなみに、私が中学生の頃から既に友人たちは、染まって、染まったらいなくなって、全員、やった人は消息不明になった。だけれど、どうも今だに、その友人らの残党が残っていると聞いて、唖然とした。
それより、大学の隣の席の女性が、「そうそう、簡単に呼べるのよぉ。携帯一本よ。」って仰った時の方がもっとびっくりした。どう呼べるのか、知りたかったが、危険すぎて踏み込めなかった。もっとも、その方は、本当にメジャーではない地方である(私にとってはその瞬間で、その地名がメジャーになったのは言うまでもないが)。その地方への確実な染まり具合に、息子らと一緒に食事をしながら、唖然とした。