民主主義の基本は、情報開示にあります。
民主主義の基本の考え方は、自分のことを自分で決める権利にあるからです。だれか間違いをしない賢人がいて決定を代行するのではなく、間違ってもよいから自分たちで決めるという考え方です。自分たちで決め、結果は自分たちで責任をもつ。
であれば、だれか賢人がいて、必要な情報だけを開示し、あとは知らなくてもよいというものではありません。すべての情報を開示すればパニックになるから、本当のことは隠しておくという考えは、民主主義の根本に反しています。賢人思想です。
愚かな人たちが自分を賢人だと考えて、情報を隠し、自分たちでものごとを決定しようとするのは最悪です。
そういえば、昔は、がんを患者に告知するべきかどうか社会をあげた議論になっていた時期があります。いまは、医者は家族をふくめて患者にがんを告知するのがふつうになっています。
わたしたちは、原発の状況がかりにがんの告知にもにた状況であったとしても、ただしく現状を知る権利があります。
情報の開示は、民主主義の基本です。
へんな情報操作は、かえって不安と不信を拡大するだけでしょう。
民主主義の基本の考え方は、自分のことを自分で決める権利にあるからです。だれか間違いをしない賢人がいて決定を代行するのではなく、間違ってもよいから自分たちで決めるという考え方です。自分たちで決め、結果は自分たちで責任をもつ。
であれば、だれか賢人がいて、必要な情報だけを開示し、あとは知らなくてもよいというものではありません。すべての情報を開示すればパニックになるから、本当のことは隠しておくという考えは、民主主義の根本に反しています。賢人思想です。
愚かな人たちが自分を賢人だと考えて、情報を隠し、自分たちでものごとを決定しようとするのは最悪です。
そういえば、昔は、がんを患者に告知するべきかどうか社会をあげた議論になっていた時期があります。いまは、医者は家族をふくめて患者にがんを告知するのがふつうになっています。
わたしたちは、原発の状況がかりにがんの告知にもにた状況であったとしても、ただしく現状を知る権利があります。
情報の開示は、民主主義の基本です。
へんな情報操作は、かえって不安と不信を拡大するだけでしょう。
少し似ているかもしれませんが、わたしは、つぎの5つに分類して考えています。
データ
情報
知識
学問、科学
哲学
情報に対応するキーワードは「検索」であり、知識に対応するキーワードは、「創出と共有」「共有=教育・学習」であるかもしれません。体系化された「学問・科学」は、「研究」にもとづきます。
やはり、すべての根底に哲学があるでしょう。
東北震災から福島原発事故は本当に憂鬱です。
痛感するのはご指摘の通り、「情報とことば」の問題。
国内向けと同時に海外に向けての広報(英語力)。
又、情報をどう開示するか。と、同時に開示された
情報をどう解釈するか、が極めて重要です。
直前には、私は「鴎外が語るInformation」を書きました。
http://www.eigokyoikunews.com/columns/global_business/2011/03/28information.html
ここで鴎外は「データ・数値」を「所変」とし、それに付加価値を
考慮して「能変」と説明してます。それが情報Intelligence。
後日、ある専門家から教えて頂いたのですが、この所変と能変は「唯識」という仏教用語で、「現象」と「心の中の理解」ということだそうです。
卑近な例で、止まったエスカレータを歩いて上がる時の違和感。
視覚では明らかに止まってるのに、脳の中では「経験に基づく思い込み」から
体(足)に指令し、違和感を感じるのだそうです。
開示された放射能数値を巡って、侃侃諤々の議論が沸騰する現状を
目の当たりにして、興味深い情報論だと感心します。
教養深い岸田さまのお気に召せば、嬉しいことです。