島の西港の上側には村営墓地がある。この墓地は、1902年に建設工事の事故で亡くなった製糖工場の従業員を弔うことから利用が始まった。玉置半右衛門が南大東島の開拓のために上陸したのが1900年であることから、この墓地は意外にも歴史の古いものである。
一段目の写真は現在の墓地で、二段目の写真は11年前の墓地である。以前は墓地全体に白い砂(さんご礁による石灰岩)が敷かれ、荒涼たる侘しい風景であった。その後に墓地は整備されたようで、一面に芝生が敷かれ、内地と同じような明るい墓苑となっていた。墓地の整備と同時に古い墓石は建て直したようで、新しくなった墓石が並んでいた。
二段目の写真で奥の方にある建物は旧火葬場(現在は使われていない)で、1981年に設置された。それ以前は薪の上に棺を置いで焼却する火葬であり、本当の野辺の送りであったらしい。火葬場の奥にある煙突のある建物は、ゴミ焼却場である。
墓地にある墓石の形状は、八丈島出身者による石塔式と沖縄出身者による家形破風式が混在している。三段目の写真で右側が大和式であり、左側は沖縄式である。