新・南大東島・沖縄の旅情・離島での生活・絶海の孤島では 2023年

2023年、11年振りに南大東島を再訪しました。その間、島の社会・生活がどのように変わっていったかを観察しました。

新規開店した居酒屋「串焼にわか」

2023-06-18 13:52:32 | 日記

 2023年に新規に開店した居酒屋は「串焼にわか」である。この店は串焼の販売が主力で、持ち帰り専門店なので居酒屋の分類に入るかどうか疑問である。一応、テーブルが置かれ、椅子が12席用意してあるので、店舗内での飲食は可能である。店舗と言っても屋根があるだけで、ビアガーデンのように壁の無いオープンスペースのため、雨の日や風が強い日などは厳しいかもしれない。在所集落の東の外れに位置していて、以前は惣菜屋の店舗であった。
 オーナーは近所の土木会社に務めている人で、副業で始めたとのこと。このため、本業が忙しいときには休業し、定休日は不定期となっている。店名の「にわか」とは、「にわかに開店する」とか「にわかに休業する」という意味を込めて命名したのだそうである。
 この日、店内で飲食していた人達はオーナーの家族と知人でした。


代替わりした食堂「大東そば」その1

2023-06-16 19:19:46 | 旅行

 南大東島の名物は「大東そば」である。そばと言っても小麦粉を原材料とするうどんであり、南大東島の深海水と灰汁で練り上げてあり、腰が強いのが特徴である、と宣伝していますが。四段目の写真がその大東そばで、塩味の出汁に三枚肉が乗っている。アッサリした食感で、ラーメンのように後を引くような味はなく、毎日食べても飽きないでしょう。だたし、似たようなそばは宮古島、石垣島などにもあり、特に南大東島のそばが美味しいということは無いようです。各島のそばの味は似通っていました。
 大東そばの店舗はホテルよしざとの反対側にあり、南大東島を訪れる観光客は必ずお世話になります。なぜなら、昼食を食べる食堂が他にないからです。ホテルの真ん前なので、観光客は必然的にここを利用せざるを得ないのです。しかし、味が悪いわけでもなく、お値段も手頃なため悪い印象はありません。
 11年前には「冨士食堂」の看板が出ていたのです、今回はそれがありません。その代わり二段目の写真にあるように、「大東そば いちごいちえ」の看板に代わっていました。三段目の写真は11年前の看板で、前に立っているのは先代の女将さんです。
 この看板の変化の理由は、店主の代替わりがあったからです。先代は高齢となったので引退し、親戚の姪に店舗を譲り渡したのです。姪は在所集落の東側で「いちごいちえ」という居酒屋を運営していたのですが、譲渡を機会に旧「いちごいちえ」を閉店し、こちらでそば屋と居酒屋を経営することなりました。地元で大東そばを提供しているのは、ここと光食堂しかありません。
 なお、以前はこの店内でそば(うどんが正しいのだが)を製造していたのですが、現在は那覇にある製麺所から麺を空輸しているようです。那覇にも大東そばを提供する店舗が数店あるようです。

 


代替わりした食堂「大東そば」その2

2023-06-14 12:41:46 | 旅行

 この日、「大東そば いちごいちえ」の店内はほぼ満席であった。店内はL字形となっていて、奥には畳敷きの和室もあり、公称50席である。村内では一番大きい食堂と言える。入店したお客の大部分は、大東そばと大東すしのセットを注文されてみえた。三段目の写真はこの店のメニューで、料理の種類が少ないことが分かる。「大東そば」「だいとう漬丼」「しょうが焼き」「カレーライス」「大東すし」が主な料理である。「だいとう漬丼」は「大東すし」に使うマグロの醤油漬をご飯に乗せたもの。こう言っては悪いが、調理に手間のかからない簡単な料理が多いようである。代替わりによる業態変更の影響によるもので、これが夕食難民が発生した悲劇の始まりであった。
 先代の女将が「大東そば」である冨士食堂を運営していた時は、店は365日年中無休で、朝食、昼食、夕食の3食を提供していた。料理の種類も多く、複数のおかずを自由に選べる「バイキング」は人気のあるメニューであった。観光客、島に短期派遣された労働者、家族連れには便利な食堂で、島内のファミリーレストランのようなものであった。前代の家族の労力は大変なものであったと推測される。
 代替わりしたことで、新しい女将は「大東そば いちごいちえ」と店名を替え、食堂と居酒屋を兼業することになった。店は、朝食はナシ、昼食は午前11時から午後2時まで、居酒屋は午後5時30分から11時までの営業となった。すると、朝食と夕食は無くなり、島の独身者や出張者が食事できる店が無くなってしまった。独身者であっても地元企業の寮に入っていれば、食事の世話はしてくれるであろう。また、朝食程度であればスーパーでパンなどを買い置きしておけば足りるかもしれない。しかし、夕食となると栄養や種類があって、それなりの量の食事をしたい。島には光食堂もあるが在所集落から少し離れていて不便である。割烹料理の「喜作」は既に休業しており(2023年9月)、居酒屋「ちょうちん」でも食事を提供しているが店主が高齢で不定期に休業している。各種の条件を考慮すると、残ったのは居酒屋ではあるが定食もあり、料理の種類が多い「ろくさん」だけとなる。こうして、島の飲食業界には後発で参入した「ろくさん」に夕食難民が集中し、毎夜「ろくさん」が賑わうことになった。

 


弁当屋「百ちゃん」の開業

2023-06-12 14:54:54 | 旅行

 前述したように「大東そば」は「いちごいちえ」に引き継がれ、店舗はそのままで経営は続けられていた。しかし、経営形態は大きく変わり、昼間は定食を提供しているが、夜間は居酒屋となって酒がメインとなった。夜のメニューにはフライやチャンプルー、丼物もあるが料理の種類が少なくなり、酒のツマミが主流である。すると、今まで夕食を富士食堂の「大東そば」店に頼っていた人達はたちまち夕食難民となった。
 夕食難民は、生存のために夕食を入手できる方法を考える必要が出た。「大東そば」の代わりとなる飲食店を見つけるのが一番なのだが、他の飲食店は皆居酒屋であり、酒のついでに食事を提供しているような業態である。酒を注文せずに食事だけを頼むのであれば店に入り難い。すると、手軽に夕食を楽しむとなれば「弁当」となる。すでに、在所集落では、スーパーミナミ、ケンチャンストア、仲程商店、Aコープで弁当(サンドイッチ、惣菜などもある)を販売している。弁当は、食堂が休業している時や閉店した夜更けなどに小腹を満たしたい人達にとって便利である。これらの商店で販売している弁当は、自店舗内で調理したものではなく、近所の誰かが製造したものである。弁当がどこで製造しているかは確認できなかったが、調理経験者が自宅で製造しているのではないかと推測された(自宅の調理場は保健所の許可を受けているはず)。
 夕食難民はこの弁当で救われることになったが、各商店に並べられている弁当の種類や数量は限られている。お昼の時刻に少し遅れて商店に到着すると、弁当が売れ切れになることもある。このような事情を「商機」と判断したのか、弁当の専門店が開業していた。島の歓楽街の中程にある「百ちゃん」である。店舗の床は左右に細長く、奥行きが狭いもので、土間には細長いカウンターが設置されていた。一目見て、以前はカウンターバーかスナックであったことが理解できる。バーかスナックであった店舗を改造もせず、居抜きで借り上げたようである。これは島特有の「有るものをそのまま使う」という事情からである。島は沖縄本島から遠く離れているので、建築資材を注文して搬送すると運賃が高額になる。このため、家屋、造作などはなるべく手を加えず、そのまま利用することが島の習慣となっている。この弁当屋「百ちゃん」も同じ精神で、設備、造作にはほとんど手を入れずにそのまま転用していた。カウンターには多数の弁当、惣菜が並べられ、ここが飲み屋ではなく、弁当屋であると意思表示をしていた。
 狭い店内では2人の高年女性が忙しく働いていた。ただ、この店内で全てを調理するのではなさそうであった。全ての料理を店内で調理していたなら、これだけ大量の弁当を製造することができない。ご飯は業務用の巨大なガス釜で炊くのだが、おかずは外部から調達しているようであった。即ち、揚げ物、煮物、サラダなどは近所にある協力者から仕入れ、店内では盛りつけをするだけのようであった。島では、手の空いている人が忙しい人を補助し、それぞれが儲けるという助け合いが常識なのである。


島の居酒屋・スナックの変遷

2023-06-10 19:27:40 | 旅行

 南大東島にはこれと言った娯楽施設は無く、住民にとっての楽しみは飲むことに集束される。居酒屋、スナックなどは住民同士の交流の場でもあるが、砂糖きび収穫のために来島した短期労働者にとっては息抜きの場となっている。1959年の「南大東村勢要覧」によれば、当時は飲食店が10軒、料亭が7軒があったと記録されている。時代は下って1970年に琉球政府が実施した「事業所基本調査調査票」によれば、料亭を含む飲食店は13軒が営業していたという。ここで飲食店とあるのは単に食事を提供するだけではなく、酒類を提供する居酒屋、スナックであると考えて良いであろう。このように、多くの飲食店が開業していたが、これは沖縄の離島に共通する社会慣習である。
 今回旅行した2023年には、飲食店、居酒屋、スナックなどの飲食、飲酒を提供するサービス業は十数店舗が確認できた。2022年3月現在で島の人口は1190人であることから、人口比率にしたら百人に1軒の割合である。2021年に総理府統計局は、「人口千人当たりの飲食店数」を発表していて、全国平均は4.09店であった。同時に、人口千人当たりにある飲食店数が多い地域を市町村別にランキングしている。この発表によれば、東京都千代田区では人口千人当たりの飲食店数は45.4店となっていて全国トップである。続いて二位以下には京都市東山区、大阪府中央区などの都市部が続いている。上位を占める地域は大都会であり、これらの地域には周辺の地域から商用や観光で流入してくる人達が多いためであろう。南大東村における当該の比率は14.01店であり、全国1917市町村の内で第25位にランクされている。南大東村は観光地でもなく都会でもなく、島の飲食店を利用するのは地元の住民が殆どである。島の飲食店数が如何に多いかを理解できる(総理府統計局が指す飲食店とは、食品衛生法で保健所で認可した店舗を意味するものと思われる)。
 さて、前回の旅行から11年の間に島の飲食店がどの様に変化していったか、を考察することにした。参考にしたのは2012年の電話帳、2016年に観光協会が発行した観光案内のパンフレット、2020年に商工会が発行した観光案内のパンフレット、2023年に観光協会が発行した観光案内のパンフレットである。別表に店名を記入した一覧表を作成したが、入手した資料が限られるので、どこまで正確に再現できているのかは自信が無いが、ほぼ正しいと思われる。なお、表の中で「○」とあるのはパンフレットに店名が掲載されていた店舗で、「-」とあるのは掲載されていない店舗である。しかし、実際に営業しているかどうかとは別であり、「-」と記入してあっても営業している場合もあるため注意する必要がある。なお、地元の商工会、観光協会ではしばしば飲食店のパンフレットを制作するが、営業している店舗を掲載してなかったり、廃業した店舗を掲載していてあまり正確ではない。また、観光協会では飲食店を紹介するホームページを開設しているが、これが誠にいい加減で、古いデータのホームページと新しデータのホームページが両立していた。古いデータのホームページを削除してから新しいホームページを立ち上げなければならないのを怠ってしまったからである。或る面からするといい加減なことであるが、ノンビリした離島ではこのようないい加減さが通用してしまうようだ。私が2012年と2023年に歓楽街を観察したのが現調(現地調査)と表示してあり、聞き込みにより情報の正確性を補強した。ネットに開設された「食べロク」「楽天グルナビ」や旅行者が開設したブログなども検索し、営業しているかいないかを判断する参考にした。
 調査してみて驚いたのは、観光パンフレットには店舗の電話番号が掲載されているのだが、電話帳には掲載されていないことを見つけたことだった。「富士食堂の大東そば」「ちょうちん」「なすび」などは電話帳に電話番号が記載されていなかった。詳しく説明すると、電話帳に記載された固定電話の電話番号は経営者の個人名で登録されているのもあった。「すずめの学校」の電話番号は三島商事という企業名で掲載されていた。固定電話の基本料金が個人と法人とでは相違するため、料金を安くするためかと思われた。
 島の住人からすれば、電話帳に店名が登録されていなくても別に困ることはない。飲食や飲酒をしたくなったらその店にまで出かければ良いのである。何かの都合で休業していたり満員だったりしたら別の店に入ればいいだけのことである。狭い島のことであるから、予約などという面倒な作業は必要はないのである。
 前回の旅行から11年が経過して、経営者が高齢になったため廃業した店舗もあれば、経営が行き詰まってしまった店舗もある。島の人口は年々減少していて、マーケットは縮小している。そんな環境の下で飲食店を継続させるのは、本州で店舗を運営するよりも難しいかもしれない。
 以下、各店舗について、私が気付いた点を説明する。
 「居酒屋詠ちゃん」
  大詠商店が運営していた食堂と居酒屋を兼ねた店であった。県道から在所集落に入る四つ辻の角にあったスーパーの「大盛商店」は買収されて「大詠商店」に店名が変わった。それまで倉庫として使っていたスーパーと大東そばの間にある建物を改造して飲食店を開業したようだ。大詠商店の「詠」を取って「詠ちゃん」と名付けたようだ。しかし、大詠商店が2020年に買収され、店名がスーパーミナミに変わった時に閉店した。
 「サロン喜多」
  この店は歓楽街の通りに面しておらず、個人宅の庭のような細い路地を入った建物の2階にあった。通りには小さな看板が吊らされているだけなので、私は気がつかなかったので2回の旅行でも入店しなかった。店の造作は不明であるが、沖縄焼酎や泡盛を飲ませるスナックらしい。お店の歴史は長いようである。
 「喫茶ソロ」
  スロット店の2階にあった喫茶店である。前回の旅行の時には一応は看板は掲げられていたが既に休業状態であった。今回の旅行では看板も無くなり、廃業したことが明白になった。そもそも、人口の少ない離島で喫茶店が運営できるのか問題である。
 「なすび」
  スナック「ジャンジャン」の2階にある居酒屋なのだが、開業しているのかいないのか、私には認識できない店であった。「食べログ」などには入店したという投稿があるため、営業は続いているらしい。
 「NOMO」
  前回の旅行の時にはこの看板であったが、2018年頃に居抜きで譲渡され「のら」という店名に変更されていた。今回の旅行の時、入店しようとしたが、お祭りの期間中は休業するとのことで利用できなかった。2024年末に廃業するという情報が入った。
 「乱美」
  Aコープの建物に寄り添うように設置されたビアホールである。この店の歴史は古いようで、2011年の旅行者のブログには入店した、という投稿がある。前回の旅行の時には営業していたはずなのだが、存在が分からなかった。前回の旅行の際に入手した観光案内パンフレットには、この店名掲載されていなかったからである。JAおきなわの建物に接近して建てられていることからJAとは関係があるのかもしれない。パンフレットにある店の電話番号を検索すると、「JAおきなわ多目的ホール」という名称が抽出された。
 「金海」
 2019年12月に開業した居酒屋で、2020年の観光案内パンフレットには掲載されている。食べログなどでは2020年に入店した、という旅行者の投稿があったが、今回の旅行では確認できず、2021年頃には閉店したようである。
 「VIP.ROOM」
 2020年の観光案内パンフレットには「島唯一のダーツバー」と宣伝していたが、今回の旅行では見つけることができなかった。席数が17の小さなバーのようで、どうもスナックウエーブの建物の裏にあったらしい。本州で流行っているダーツバーを島で流行らせようとしたのだが、住人には関心を持たれなかったようで、早々と廃業したようだ。
 「チャンプルー亭」
  スーパーミナミの反対側にあった居酒屋である。前回の旅行の時は既に廃業していて、日に焼けた看板が掲げられていた。今回の旅行では「あがりじま」の店名で、沖縄民謡をライブする居酒屋として営業していた。SNSの「X」には自店のアカウントがあり、2014年に別の場所で開業していたのだが、2018年にここに移転したという。常時開業しているのではなさそうで、休業している日も多いようだ。
 なお、「金海」「VIP.ROOM」「のら」は短期間で撤退したが、これらの飲食店は2018年か19年に開業していた。そのため、2020年に発生したコロナウイルスの感染拡大の影響をもろに受け、営業の自粛をすることになった。休業保証金の支援もあったのだろうが、来店者が減少して経営的に成り立たなくなったのではないかと推測される。運が悪かった、と言わざると得ない。