昨日、仕事先でY氏という方から、面白い話を聞いて脳内妄想が爆発して、帰ってきてから、色んな資料本読んで、分からないところはネットに頼って、ひたすら頭の整理をしていたのだけど。
Y氏の話を聞いた時は、完全に「分かった!」みたいな気持ちになったのに、家に帰って一人じっくり考えていたら、「ん?」から始まって、「あれ?」「おかしくない?」になって、「ちょ、待て待て、もう一回」を頭の中で繰り返した挙句、「やっぱ、おかしくね?」という結果になってしまい、結局まとまらない……(苦笑)。
でも、私の場合、書くことで考えをまとめる癖があるので、ちょっと書いてみます。
皆さんは、日本古代史において、ある意味神話にされてしまった倭国の邪馬台国と、神話上からもある意味消されてしまった古代出雲王国(王国と書くと何かと反発を招きそうですが、一番分かりやすい言葉だと思うので…)について、どのようにお考えでしょうか。
まず、実在した、しなかったで、意見が分かれるでしょう。
そして実在したと答えた方の中で、今度は、その場所や真の王をどうするかで、大きく意見が分かれるでしょう。
最初に断っておきますが、私は考古学や歴史を専攻していたわけではないし、ド素人による「下手の横好き」の典型です。興味があって好きだから、その道を追求されている学者さんなどが執筆された本や論文なんかを多少読みかじってはいるけれど、何せ頭の出来があまり良くないもので(恥を晒しますが、私はこの生涯において、オールアヒルちゃんという通知表を手にしたことがあります。勉強してなかったわけでなく、勉強しててそれだったんです。どれだけ出来が良くないか分かるでしょ?)、学者さん達が真に伝えたかったことを読み違えていることもあるだろうし、読み間違え以前に理解にさえ届いてないことも多々あると思います。
それでも、好きだから知りたいと思うし、自分なりの考えを持つことは、たとえそれがどんなに馬鹿馬鹿しい論であったとしても、個人の自由でしょう? そう思わせてやってください(笑)。
そして、ここは学会ではなく、私の個人的なブログです。ここで私が何を書こうと、よほど倫理に外れることでない限りは、誰にも咎められないはずです。読む権利も読まない権利も、皆さんにはあるわけだし、それを承知で読んだ後で、馬鹿馬鹿しい、くだらない、時間の無駄だったと憤慨されたとしても、私には何の責任もないと言い切ります。
前置きが長くなりましたが、何故ここまで長い前置きをするかといいますと。
今からお話しすることが、個人HPや個人ブログなどを炎上させる原因となっているのを過去に何度か目にしてきたからです…。
と言っても、このブログはそんな一日に何万人の人がアクセスするような大それたものではないですし、それだけに要点を置いたブログでもないし、大丈夫だろうとは思いますが(笑)。一応、念のため。
私の見解では、
邪馬台国は、俗に言う「倭国連合」の一つで、漢書などによると一世紀半ばらへんから台頭し、二世紀後半に起きた「倭国大乱」の混乱の際、邪馬台国の卑弥呼を女王として共立することでそれを静めたという話が魏志倭人伝に記されていることからみても、その当時の倭国連合の中で強い勢力を持っていた国と考えられます。
一方、古代出雲王国は、現代の島根県の西部や東部、またはその周辺の広い地域(範囲としては現在の石川県から山口県まで及んだかもしれない)にて、恐らく、一世紀初頭頃からはじまり、卑弥呼が没する248年頃にはもう、何かしら集団としての文化を歴史として持っていた民族が暮らしていた、これもまたいくつかの国(国邑)からなる「連合国」だと考えています。
そして、仮説ですが。(いいですか? 仮説ですよ?)
邪馬台国を含む倭国連合の主な国々は九州北部に点在しており、そして、古代出雲王国の王は、後の世で「オオクニヌシ」と呼ばれた人物へと続く血筋の者であったのではないかと思います。間違っても、スサノオはここでは関係ありません。彼は、神話上では、オオクニヌシの一族の始祖みたいに書かれていますが、彼は歴史上の人物に置き換えると、古代出雲王国においてオオクニヌシ一族とは真反対の立場の人間、つまり侵略者の王かそれに匹敵する存在だったと思います。
今からお話しするのは、古代に起きた邪馬台国と狗奴国の戦争とその王達の行方、神武天皇とその東征神話の謎、古代出雲王国の史実上の削除の理由とその実在性、そこから大和王権へと繋がっていく古代史に対するひとつの仮説です。いいですか? あくまで、仮説ですからね。なんなら、妄想と言ってもいいですが、同じような仮説を述べていらっしゃるその道のプロの方もいらっしゃるので、一概に全て妄想と言ってしまうとその方に失礼な気がするので、あえて、仮説とします。
私が邪馬台国の場所を九州と述べたことで、近畿説を信奉されてる方の中には「その証拠を述べよ」みたいなことを思う方もいるかもしれません。そう思う理由は沢山あるのですが、確証は持てませんし、証拠などどこにもありません。あくまで「私はそう思う」のであって、「絶対そう!それ以外ない!」と言っているわけではないことをご理解くださいませ。また、古代出雲王国の件に関しても同じです。どうか、広い心でお納めくださいますようお願い致します。
という話をしていこうと思うんですが、どうやら、時間切れの模様。←オイ。
とりあえず最初は、卑弥呼が女王として立つ前の倭国連合のお話から始めたい所存。
考えをきちんと分かりやすくまとめられたらいいのだけど……。
仮説だらけの長い話になりそうですが、ゆーっくり更新する予定ですので、もし興味ある方がいたら、気長にお付き合いくださいな。
Y氏の話を聞いた時は、完全に「分かった!」みたいな気持ちになったのに、家に帰って一人じっくり考えていたら、「ん?」から始まって、「あれ?」「おかしくない?」になって、「ちょ、待て待て、もう一回」を頭の中で繰り返した挙句、「やっぱ、おかしくね?」という結果になってしまい、結局まとまらない……(苦笑)。
でも、私の場合、書くことで考えをまとめる癖があるので、ちょっと書いてみます。
皆さんは、日本古代史において、ある意味神話にされてしまった倭国の邪馬台国と、神話上からもある意味消されてしまった古代出雲王国(王国と書くと何かと反発を招きそうですが、一番分かりやすい言葉だと思うので…)について、どのようにお考えでしょうか。
まず、実在した、しなかったで、意見が分かれるでしょう。
そして実在したと答えた方の中で、今度は、その場所や真の王をどうするかで、大きく意見が分かれるでしょう。
最初に断っておきますが、私は考古学や歴史を専攻していたわけではないし、ド素人による「下手の横好き」の典型です。興味があって好きだから、その道を追求されている学者さんなどが執筆された本や論文なんかを多少読みかじってはいるけれど、何せ頭の出来があまり良くないもので(恥を晒しますが、私はこの生涯において、オールアヒルちゃんという通知表を手にしたことがあります。勉強してなかったわけでなく、勉強しててそれだったんです。どれだけ出来が良くないか分かるでしょ?)、学者さん達が真に伝えたかったことを読み違えていることもあるだろうし、読み間違え以前に理解にさえ届いてないことも多々あると思います。
それでも、好きだから知りたいと思うし、自分なりの考えを持つことは、たとえそれがどんなに馬鹿馬鹿しい論であったとしても、個人の自由でしょう? そう思わせてやってください(笑)。
そして、ここは学会ではなく、私の個人的なブログです。ここで私が何を書こうと、よほど倫理に外れることでない限りは、誰にも咎められないはずです。読む権利も読まない権利も、皆さんにはあるわけだし、それを承知で読んだ後で、馬鹿馬鹿しい、くだらない、時間の無駄だったと憤慨されたとしても、私には何の責任もないと言い切ります。
前置きが長くなりましたが、何故ここまで長い前置きをするかといいますと。
今からお話しすることが、個人HPや個人ブログなどを炎上させる原因となっているのを過去に何度か目にしてきたからです…。
と言っても、このブログはそんな一日に何万人の人がアクセスするような大それたものではないですし、それだけに要点を置いたブログでもないし、大丈夫だろうとは思いますが(笑)。一応、念のため。
私の見解では、
邪馬台国は、俗に言う「倭国連合」の一つで、漢書などによると一世紀半ばらへんから台頭し、二世紀後半に起きた「倭国大乱」の混乱の際、邪馬台国の卑弥呼を女王として共立することでそれを静めたという話が魏志倭人伝に記されていることからみても、その当時の倭国連合の中で強い勢力を持っていた国と考えられます。
一方、古代出雲王国は、現代の島根県の西部や東部、またはその周辺の広い地域(範囲としては現在の石川県から山口県まで及んだかもしれない)にて、恐らく、一世紀初頭頃からはじまり、卑弥呼が没する248年頃にはもう、何かしら集団としての文化を歴史として持っていた民族が暮らしていた、これもまたいくつかの国(国邑)からなる「連合国」だと考えています。
そして、仮説ですが。(いいですか? 仮説ですよ?)
邪馬台国を含む倭国連合の主な国々は九州北部に点在しており、そして、古代出雲王国の王は、後の世で「オオクニヌシ」と呼ばれた人物へと続く血筋の者であったのではないかと思います。間違っても、スサノオはここでは関係ありません。彼は、神話上では、オオクニヌシの一族の始祖みたいに書かれていますが、彼は歴史上の人物に置き換えると、古代出雲王国においてオオクニヌシ一族とは真反対の立場の人間、つまり侵略者の王かそれに匹敵する存在だったと思います。
今からお話しするのは、古代に起きた邪馬台国と狗奴国の戦争とその王達の行方、神武天皇とその東征神話の謎、古代出雲王国の史実上の削除の理由とその実在性、そこから大和王権へと繋がっていく古代史に対するひとつの仮説です。いいですか? あくまで、仮説ですからね。なんなら、妄想と言ってもいいですが、同じような仮説を述べていらっしゃるその道のプロの方もいらっしゃるので、一概に全て妄想と言ってしまうとその方に失礼な気がするので、あえて、仮説とします。
私が邪馬台国の場所を九州と述べたことで、近畿説を信奉されてる方の中には「その証拠を述べよ」みたいなことを思う方もいるかもしれません。そう思う理由は沢山あるのですが、確証は持てませんし、証拠などどこにもありません。あくまで「私はそう思う」のであって、「絶対そう!それ以外ない!」と言っているわけではないことをご理解くださいませ。また、古代出雲王国の件に関しても同じです。どうか、広い心でお納めくださいますようお願い致します。
という話をしていこうと思うんですが、どうやら、時間切れの模様。←オイ。
とりあえず最初は、卑弥呼が女王として立つ前の倭国連合のお話から始めたい所存。
考えをきちんと分かりやすくまとめられたらいいのだけど……。
仮説だらけの長い話になりそうですが、ゆーっくり更新する予定ですので、もし興味ある方がいたら、気長にお付き合いくださいな。