午前中、なつ&むぎの病院ついでに(なつは膀胱や腎臓の再検査ともしものときのための抗うつ剤貰い、むぎは肛門腺しぼり)、ももちゃんの、五月からお世話になって息を引き取る瞬間まで懸命に治療してくれた病院の先生のところ(B病院)と、赤ちゃんの頃からずっと主治医として面倒を見てくださった先生のところ(A病院)へ、ご挨拶に行ってきました。
B病院の先生は診療中ということもあって、直接お礼を言うことが出来ず、看護婦さんたちにお礼の気持ちの菓子折りを渡して先生にも宜しくお伝えくださいと頭を下げて帰ってきましたが、A病院のほうはなつ&むぎの病院でもあるので、やつらの診察中に先生や看護婦さんたちと、ももちゃんの思い出話で笑うことができました。
まだ最初のワクチン前ですごい毛むくじゃらだった(参考写真)赤ちゃんももを見て、「五匹に一匹いるかいないかの可愛い顔立ち」と言い放ったのはA病院の先生で、おかげで私たち家族は(それまでもこの子ほかの子より随分可愛くね?という認識はあったw)重度の親ばか病にかかり、うちの子はちょっとそこらにはいない美人だからと、あたかも自分が美人であるかのように自慢に思うようになったことや(笑)、
ももが靭帯を切る大怪我をしたとき(お客さんが来て嬉しくてびょんびょん跳ね回った結果、着地に失敗して左足を大きくひねって靭帯を切った…もも十歳)、だいぶ治って歩く様子を見るために先生が、「もも、ちょっと歩いてごらん」って診察台から床に下ろしたら、下ろした瞬間、ちょうどその部屋の片隅で入院患者のための療養食を作っていた奥様のほうへ脇目も振らず一直線に走って行って、奥様の足元にちょこんとお座りして超笑顔で「くださいなビーム」を発射したこと、
乳歯が抜けないまま永久歯が生えて二枚歯になってしまい、永久歯に悪いからということで麻酔手術で乳歯を抜いた時(もも三歳)、先生の心配をよそに(ももの体が特別小さいこともあって、先生はずっと麻酔使用に不安を覚えていらした)、麻酔から目覚めて通常よりかなり早く「ごはんちょうだい!」攻撃を笑顔でしてきたこと(普通は目覚めてからもしばらくはぼーっとしたりで、食欲はそんなすぐには戻らないはずなのにw)、
なつやむぎの診察の時(ももは診察の必要ないのに一緒に病院行くって騒いで、仕方ないから一緒に連れて行っていた)、むぎが唸ったりすると(なつは漬物石になるので声が出ない、唸るのはむぎだけ)、「むぎちゃんがいじめられている!」と思うらしく、怒ったようにわんわん吠えて先生に抗議をしていたこと、
待合室で会う他のわんちゃんねこちゃんの飼い主さんに一言「可愛い!」って言ってもらいたくて(それがももちゃんの喜びだった)、言ってもらえるまで意地でも視線をそらさず、きゅんきゅん甘えていたこと、
私たちの落ち度で、チョコの入ったマドレーヌを一個丸々食べてしまったとき(もも九歳)、胃洗浄をしたほうがいいかと泣き顔で先生に相談する私たちの前で、超満足顔ででかいげっぷとおならをしくさったこと(笑)などなど、
ももちゃんの思い出はどれも可愛く、話していて自然と笑みが溢れるものばかりで、あの子の偉大さ(←ちょっと言葉が違うかなw)をしみじみ感じました。
優しい楽しい思い出をたくさんありがとう、ももちゃん!
一方、姉ちゃんは昨日も、昔ももがローカルテレビに地域のアイドル犬として出演した際のDVDを一晩中繰り返し見て泣いていたそうです。仕事行きたくない、ご飯食べたくない、義兄ちゃんが視界に入るのも嫌と朝メールが来ていて、どうしたものかとちょっとため息。まあ、時間薬に任せるしかないのだけど。
A病院の先生にも今日、ももが亡くなったことを知らせた時、開口三番目か四番目に、「お姉さん、大丈夫?」と聞かれました(苦笑)
自分では立てないくらい泣き崩れてましたと答えたら、先生も神妙な顔で苦笑いしてました。
ももは姉ちゃんが欲しくて欲しくてうちに迎えた子で、ずっと家にいなかった私と違って、姉ちゃんは二、三年前までずっと家でももと一緒に暮らしていたし、とにかく姉ちゃんがももにかける愛情はすごくて、だからももがいなくなったとき、姉ちゃんやばいだろうなっていうのは前々から予想出来ていたんだよね。
私はヒメのことがあって失う辛さや無力さへの歯がゆさやらを身にしみて知って、だからももちゃんを溺愛する姉ちゃんに、ヒメを溺愛してた自分を重ねて、「いつかはお別れがくるんだから、覚悟だけはしとかなきゃだめだよ」って何回も言っていたんだけど、そのたび「いいや、ももは死なないもん!」と怒ったように言い返していた人だからなあ。
うん。まあ、全部全部、時間薬がなんとかしてくれるよね。
ももちゃん、姉ちゃんを守ってあげてね。ごめんね、手が掛かる飼い主で。
ちなみに母は、四九日までももの遺骨と寝起きを一緒にすると決めたようで、朝も夜もももといます。でも、私と笑って思い出話できるので、あの人は大丈夫。
父は結局病院にもお葬式(火葬場)にも顔を出さなかったけど、昨日夜帰ってきて、ももの出迎えがないのは、なんか変な感じだなとは言ってました。あの人をどんな時でもきゅんきゅん大喜びで迎えてくれるのは、ももだけだったからね。ありがとうね、もも。
さっき母が出かけて一人になって、本当、うちはももがいないと火が消えたように静かだなあとしんみりしてたら、なつが「静かで寂しい? あたしに任せて!」といわんばかりに、盛大にゲボしてくれました。
ありがとうよ、なつ……。
(ちなみに検査の結果、膀胱にも腎臓にも異変はありませんでした。よかったね、なっちゃん)
B病院の先生は診療中ということもあって、直接お礼を言うことが出来ず、看護婦さんたちにお礼の気持ちの菓子折りを渡して先生にも宜しくお伝えくださいと頭を下げて帰ってきましたが、A病院のほうはなつ&むぎの病院でもあるので、やつらの診察中に先生や看護婦さんたちと、ももちゃんの思い出話で笑うことができました。
まだ最初のワクチン前ですごい毛むくじゃらだった(参考写真)赤ちゃんももを見て、「五匹に一匹いるかいないかの可愛い顔立ち」と言い放ったのはA病院の先生で、おかげで私たち家族は(それまでもこの子ほかの子より随分可愛くね?という認識はあったw)重度の親ばか病にかかり、うちの子はちょっとそこらにはいない美人だからと、あたかも自分が美人であるかのように自慢に思うようになったことや(笑)、
ももが靭帯を切る大怪我をしたとき(お客さんが来て嬉しくてびょんびょん跳ね回った結果、着地に失敗して左足を大きくひねって靭帯を切った…もも十歳)、だいぶ治って歩く様子を見るために先生が、「もも、ちょっと歩いてごらん」って診察台から床に下ろしたら、下ろした瞬間、ちょうどその部屋の片隅で入院患者のための療養食を作っていた奥様のほうへ脇目も振らず一直線に走って行って、奥様の足元にちょこんとお座りして超笑顔で「くださいなビーム」を発射したこと、
乳歯が抜けないまま永久歯が生えて二枚歯になってしまい、永久歯に悪いからということで麻酔手術で乳歯を抜いた時(もも三歳)、先生の心配をよそに(ももの体が特別小さいこともあって、先生はずっと麻酔使用に不安を覚えていらした)、麻酔から目覚めて通常よりかなり早く「ごはんちょうだい!」攻撃を笑顔でしてきたこと(普通は目覚めてからもしばらくはぼーっとしたりで、食欲はそんなすぐには戻らないはずなのにw)、
なつやむぎの診察の時(ももは診察の必要ないのに一緒に病院行くって騒いで、仕方ないから一緒に連れて行っていた)、むぎが唸ったりすると(なつは漬物石になるので声が出ない、唸るのはむぎだけ)、「むぎちゃんがいじめられている!」と思うらしく、怒ったようにわんわん吠えて先生に抗議をしていたこと、
待合室で会う他のわんちゃんねこちゃんの飼い主さんに一言「可愛い!」って言ってもらいたくて(それがももちゃんの喜びだった)、言ってもらえるまで意地でも視線をそらさず、きゅんきゅん甘えていたこと、
私たちの落ち度で、チョコの入ったマドレーヌを一個丸々食べてしまったとき(もも九歳)、胃洗浄をしたほうがいいかと泣き顔で先生に相談する私たちの前で、超満足顔ででかいげっぷとおならをしくさったこと(笑)などなど、
ももちゃんの思い出はどれも可愛く、話していて自然と笑みが溢れるものばかりで、あの子の偉大さ(←ちょっと言葉が違うかなw)をしみじみ感じました。
優しい楽しい思い出をたくさんありがとう、ももちゃん!
一方、姉ちゃんは昨日も、昔ももがローカルテレビに地域のアイドル犬として出演した際のDVDを一晩中繰り返し見て泣いていたそうです。仕事行きたくない、ご飯食べたくない、義兄ちゃんが視界に入るのも嫌と朝メールが来ていて、どうしたものかとちょっとため息。まあ、時間薬に任せるしかないのだけど。
A病院の先生にも今日、ももが亡くなったことを知らせた時、開口三番目か四番目に、「お姉さん、大丈夫?」と聞かれました(苦笑)
自分では立てないくらい泣き崩れてましたと答えたら、先生も神妙な顔で苦笑いしてました。
ももは姉ちゃんが欲しくて欲しくてうちに迎えた子で、ずっと家にいなかった私と違って、姉ちゃんは二、三年前までずっと家でももと一緒に暮らしていたし、とにかく姉ちゃんがももにかける愛情はすごくて、だからももがいなくなったとき、姉ちゃんやばいだろうなっていうのは前々から予想出来ていたんだよね。
私はヒメのことがあって失う辛さや無力さへの歯がゆさやらを身にしみて知って、だからももちゃんを溺愛する姉ちゃんに、ヒメを溺愛してた自分を重ねて、「いつかはお別れがくるんだから、覚悟だけはしとかなきゃだめだよ」って何回も言っていたんだけど、そのたび「いいや、ももは死なないもん!」と怒ったように言い返していた人だからなあ。
うん。まあ、全部全部、時間薬がなんとかしてくれるよね。
ももちゃん、姉ちゃんを守ってあげてね。ごめんね、手が掛かる飼い主で。
ちなみに母は、四九日までももの遺骨と寝起きを一緒にすると決めたようで、朝も夜もももといます。でも、私と笑って思い出話できるので、あの人は大丈夫。
父は結局病院にもお葬式(火葬場)にも顔を出さなかったけど、昨日夜帰ってきて、ももの出迎えがないのは、なんか変な感じだなとは言ってました。あの人をどんな時でもきゅんきゅん大喜びで迎えてくれるのは、ももだけだったからね。ありがとうね、もも。
さっき母が出かけて一人になって、本当、うちはももがいないと火が消えたように静かだなあとしんみりしてたら、なつが「静かで寂しい? あたしに任せて!」といわんばかりに、盛大にゲボしてくれました。
ありがとうよ、なつ……。
(ちなみに検査の結果、膀胱にも腎臓にも異変はありませんでした。よかったね、なっちゃん)
ふわふわで、小さくて、持ち主に幸せを呼ぶ。うっわ、そのままじゃん! そっか、ももちゃんケサランパサランだったのか!←マテw
赤猫さんちの毛のないケセランパサランちゃんは、私の萌えを満たしてくれる大事な存在です。どうしてウーパーってあんなに可愛いの(´・_・`)謎。
うちの黄色と茶色のケセランパサランは、さっきまたたびをあげたから、満足そうに酔っ払っておりますw
話変わりますが、私ちょっと例の土器のことが気になって、今日川原寺のことを調べたりしてました。やっぱりいろいろ不思議ですね~。妄想だらけですがそのうち記事にするかもしれません。むふふ。