最近やっと、蝉の鳴き声が賑わってきましたが、やはり夏を感じさせるのは昼下がりの暑い頃、蝉の声が時雨のように聞こえる時ですね。
夏の思い出を呼び覚ますのもそんな時ですよね。
現世にたとえて空蝉という言葉がありますが、これは万葉集の現人(うつしおみ)という言葉が訛って
空蝉(うつせみ)となった言葉です。
空蝉(うつせみ)となった言葉です。
空蝉とはセミの抜け殻のことをも言いますが、古来から日本人はもののあわれみとか、はかなさとか、そういうものを蝉の抜け殻に譬えて表現してきました。蝉は、7年の間、地中にいてそれからやっと地上に出てきたかと思ったら、その命は一週間ほどで尽き果ててしまいます。抜け殻にはそんな思いも投影されるのでしょうか。
私事ですが、今、私のベランダに直径50センチ、深さ50センチほどの大きな鉢植えがありますが、以前、会社の先輩で普段は友達のようなつき合いをしている人がいて、僕が一人でマンション住まいをしていることに
心配したのか、ガーデニングを突然すすめられ、いろいろ買い集めて、何故ピーナッツだったか定かではないがピーナッツの栽培をしたことがありました。その時のその大きな鉢植えの草に蝉の抜け殻が、しがみついていました。その後、迷い込んだような蝉が草陰でバタバタしていなくなりました。僕はその時、独りになってもう7年も過ぎたんだっていう思が沸き起こりました。
心配したのか、ガーデニングを突然すすめられ、いろいろ買い集めて、何故ピーナッツだったか定かではないがピーナッツの栽培をしたことがありました。その時のその大きな鉢植えの草に蝉の抜け殻が、しがみついていました。その後、迷い込んだような蝉が草陰でバタバタしていなくなりました。僕はその時、独りになってもう7年も過ぎたんだっていう思が沸き起こりました。