グラバー園内散策を再開、まずは、園の名前にもなっている、旧グラバー住宅へと歩を向けました。
来年(平成24年/2013年)に築150年を迎える洋館は、決して派手ではないけれど、どこか南国風な解放感を漂わせる雰囲気で、落ち着いていて肩肘も張ることなく、この日も訪問者を気さくに迎え入れているようでした。
グラバー園で、恐らくメインの建築物といってもいいであろう、旧グラバー住宅へのアプローチ。
石造りのアーチをくぐって少し歩けば、アーチ越しに見えている、旧グラバー住宅です。
旧グラバー住宅。
明治維新前後の日本の近代化に大きな役割を果たした、トーマス・ブレーク・グラバー(Thomas Blake Glover)の邸宅として、幕末の文久3年(1863年)に建築された、日本最古の木造西洋風建築です。
昭和36年(1961年)に、国の重要文化財に指定されました。
広い庭を備えた邸宅は、屋根を大きく張り出させた回廊を巡らせた、バンガロー風の造りで、開放的な雰囲気が感じられます。
この旧グラバー住宅、正面玄関がない構造、とのことです。
造りは洋風でありながらも、どことなく和のテイストを感じるのは、瓦、でしょうか?
その瓦屋根の部分をアップ。
巴のような紋様が洋館の屋根を飾り、異彩を放っています。
飾り瓦には、鬼瓦ならぬ、ユーモラスな巾着瓦?!(^^;
やはり、幕末の頃には、流石に洋風の瓦までは調達できなかったのでしょうね。。。
邸宅の設計は、グラバーさんご自身がなさったそうですから、日本にあった瓦でグラバーさんの気に入られたものを採用したのでしょう…と、想像してみました^^
絶妙な!とすら思える和洋折衷の外観でしたが、室内へ入ると、そこは完全なる「洋」の世界。
今となってはすっかりレトロな雰囲気といった感じですが、建築当時はきっとハイカラという言葉がピッタリな、お洒落な寛ぎの空間であったのでしょう。
臙脂のカーペットが、ゴージャスです。
食堂には、当時の食卓が再現されていました!(もちろん料理は実物ではありません)
傍らに立てられていた説明のボードには、「150年前の西洋料理」として、当時の文献等から再現したものとのことです。
ここでも、「西洋料理」の中にあって、椀のような「和」の食器が、これまた洋風で大きな皿の上で、ミョーに存在感を主張して(浮き立って)いましたw
その説明ボードにあった、150年前の西洋料理たち。
聞き慣れない料理名が列挙されています。
1 ブラートルエンゲホーゲル : 鴨の丸煮
2 ハルトベースト : 鹿の股の丸焼き、からし酢かけ
3 カルマナーチ : 猪(ブタ)の塩胡椒摺り込み焼き
4 ケレヒトソップ : えびがね(伊勢海老)のスープ
5 ロストルヒス : 浜(塩)焼き鯛
6 コテレット : 鶏・胡椒・肉豆冠の花(ナツメグ)・葱の紅毛紙包み焼き
7 ラーグー : 鶏・椎茸・葱の煮込み
8 スペナーン : ホウレン草をみじん切りにし、「ボートル」(バター)で揚げ、四つ切り卵を付ける
9 スートアップル : リンゴの赤ワイン煮
10 ポーフルチス : 窪んだフライパンで焼いたパンケーキ
11 スペレッツ : 卵と小麦粉を水で練りまぜ引き伸ばして、縄のようにねじり油で揚げたお菓子
12 タルタ : 野菜(かぼちゃ、にんじん等)のタルト
料理の名前は、オランダ語でしょうか…幕末の頃なので、オランダ由来なのかもしれません。
7のラーグーと12のタルタの位置が、展示と逆になっていますね。
展示は見本とはいえ、150年前の西洋料理ということで、興味は津々(^-、^)
説明文にも、食い入るように見入っていましたw
こうした再現の展示は、翌日にも別所にて目にすることとなりました。
再現展示されていた料理たちが、実際に作られていたであろう、厨房。
150年前に建てられた建築ということを、最も実感できた区画でした。
栓がない蛇口の付いた、巨大な石造りの流し。
こうした厨房で、先程見てきた豪華な料理を作り上げていた当時の料理人の方々の偉大な腕前には、脱帽です!
馬屋。
掲げられていた説明板によれば、この時代の門から母屋まではかなりの距離があったため、母屋のそばに馬屋が建てられた、とのことです。
厨房の流しの横にあった勝手口のような出入り口を出てすぐ正面に建っていました。
格子状に組まれた木材が描く紋様がとても美しくて印象的だった、アーケードのように大きく屋根が張り出して旧グラバー住宅をぐるりと囲む外周縁部。
アーケード状になっている屋根の張り出しを支える柱と柱の間に架けられたアーチも格子状に組まれていて、その格子から差し込む光線の美しさが、屋内からの眺めを素晴らしいものにしていました!
軽快にお洒落な、素敵なセンスをしています^^
母屋には、温室のような空間も併設していました。
庭からは、長崎の街と、海や稲佐山をはじめとする山々とを、全てが一望のもとに見渡すことができます!
原爆による被害や建物の高層化や臨海部の埋立て等、様々な事情によって、景観は150年前とはかなり変わっていると思いますが、長崎のエキゾチックな魅力は150年前も今も不変だと思うので、きっと当時のグラバーさんも、この庭からの眺めに心癒されたのではないでしょうか。
旧グラバー住宅は、庭にも南国的な雰囲気が漂います。
グラバーさんはスコットランド人、温暖な南国への憧憬も抱いておられたのでしょうね。
庭からは、新緑の木立に囲まれるような、大浦天主堂の鐘楼も眺めることができました。
大浦天主堂の向こうの丘は、頂上までビッシリと住宅で埋め尽くされています…;
平地に乏しい長崎の宿命ですが、坂の上り下り、車があるにしてもやはり大変だと思います;;
バンガロー風の個性的な旧グラバー住宅、和洋折衷の妙と文明開化の芳香を放つ正当派の西洋風スタイルがセンス良く同居した、母国から遥か離れた新天地に快適な居を構えるにあたって自ら設計に携わったグラバーさんの意気込みが、ひしひしと感じられた、私でもとても居心地の良さを感じた洋館でした♪
できることなら、このままここに住んでもみたいとさえ思えた邸宅は去り難かったのですが(^^;)、時間は容赦なく過ぎていきます><
後ろ髪を引かれる思いで、旧グラバー住宅を後にして、次の施設へ向かいました。
来年(平成24年/2013年)に築150年を迎える洋館は、決して派手ではないけれど、どこか南国風な解放感を漂わせる雰囲気で、落ち着いていて肩肘も張ることなく、この日も訪問者を気さくに迎え入れているようでした。
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グラバー園で、恐らくメインの建築物といってもいいであろう、旧グラバー住宅へのアプローチ。
石造りのアーチをくぐって少し歩けば、アーチ越しに見えている、旧グラバー住宅です。
旧グラバー住宅。
明治維新前後の日本の近代化に大きな役割を果たした、トーマス・ブレーク・グラバー(Thomas Blake Glover)の邸宅として、幕末の文久3年(1863年)に建築された、日本最古の木造西洋風建築です。
昭和36年(1961年)に、国の重要文化財に指定されました。
広い庭を備えた邸宅は、屋根を大きく張り出させた回廊を巡らせた、バンガロー風の造りで、開放的な雰囲気が感じられます。
この旧グラバー住宅、正面玄関がない構造、とのことです。
造りは洋風でありながらも、どことなく和のテイストを感じるのは、瓦、でしょうか?
その瓦屋根の部分をアップ。
巴のような紋様が洋館の屋根を飾り、異彩を放っています。
飾り瓦には、鬼瓦ならぬ、ユーモラスな巾着瓦?!(^^;
やはり、幕末の頃には、流石に洋風の瓦までは調達できなかったのでしょうね。。。
邸宅の設計は、グラバーさんご自身がなさったそうですから、日本にあった瓦でグラバーさんの気に入られたものを採用したのでしょう…と、想像してみました^^
絶妙な!とすら思える和洋折衷の外観でしたが、室内へ入ると、そこは完全なる「洋」の世界。
今となってはすっかりレトロな雰囲気といった感じですが、建築当時はきっとハイカラという言葉がピッタリな、お洒落な寛ぎの空間であったのでしょう。
臙脂のカーペットが、ゴージャスです。
食堂には、当時の食卓が再現されていました!(もちろん料理は実物ではありません)
傍らに立てられていた説明のボードには、「150年前の西洋料理」として、当時の文献等から再現したものとのことです。
ここでも、「西洋料理」の中にあって、椀のような「和」の食器が、これまた洋風で大きな皿の上で、ミョーに存在感を主張して(浮き立って)いましたw
その説明ボードにあった、150年前の西洋料理たち。
聞き慣れない料理名が列挙されています。
1 ブラートルエンゲホーゲル : 鴨の丸煮
2 ハルトベースト : 鹿の股の丸焼き、からし酢かけ
3 カルマナーチ : 猪(ブタ)の塩胡椒摺り込み焼き
4 ケレヒトソップ : えびがね(伊勢海老)のスープ
5 ロストルヒス : 浜(塩)焼き鯛
6 コテレット : 鶏・胡椒・肉豆冠の花(ナツメグ)・葱の紅毛紙包み焼き
7 ラーグー : 鶏・椎茸・葱の煮込み
8 スペナーン : ホウレン草をみじん切りにし、「ボートル」(バター)で揚げ、四つ切り卵を付ける
9 スートアップル : リンゴの赤ワイン煮
10 ポーフルチス : 窪んだフライパンで焼いたパンケーキ
11 スペレッツ : 卵と小麦粉を水で練りまぜ引き伸ばして、縄のようにねじり油で揚げたお菓子
12 タルタ : 野菜(かぼちゃ、にんじん等)のタルト
料理の名前は、オランダ語でしょうか…幕末の頃なので、オランダ由来なのかもしれません。
7のラーグーと12のタルタの位置が、展示と逆になっていますね。
展示は見本とはいえ、150年前の西洋料理ということで、興味は津々(^-、^)
説明文にも、食い入るように見入っていましたw
こうした再現の展示は、翌日にも別所にて目にすることとなりました。
再現展示されていた料理たちが、実際に作られていたであろう、厨房。
150年前に建てられた建築ということを、最も実感できた区画でした。
栓がない蛇口の付いた、巨大な石造りの流し。
こうした厨房で、先程見てきた豪華な料理を作り上げていた当時の料理人の方々の偉大な腕前には、脱帽です!
馬屋。
掲げられていた説明板によれば、この時代の門から母屋まではかなりの距離があったため、母屋のそばに馬屋が建てられた、とのことです。
厨房の流しの横にあった勝手口のような出入り口を出てすぐ正面に建っていました。
格子状に組まれた木材が描く紋様がとても美しくて印象的だった、アーケードのように大きく屋根が張り出して旧グラバー住宅をぐるりと囲む外周縁部。
アーケード状になっている屋根の張り出しを支える柱と柱の間に架けられたアーチも格子状に組まれていて、その格子から差し込む光線の美しさが、屋内からの眺めを素晴らしいものにしていました!
軽快にお洒落な、素敵なセンスをしています^^
母屋には、温室のような空間も併設していました。
庭からは、長崎の街と、海や稲佐山をはじめとする山々とを、全てが一望のもとに見渡すことができます!
原爆による被害や建物の高層化や臨海部の埋立て等、様々な事情によって、景観は150年前とはかなり変わっていると思いますが、長崎のエキゾチックな魅力は150年前も今も不変だと思うので、きっと当時のグラバーさんも、この庭からの眺めに心癒されたのではないでしょうか。
旧グラバー住宅は、庭にも南国的な雰囲気が漂います。
グラバーさんはスコットランド人、温暖な南国への憧憬も抱いておられたのでしょうね。
庭からは、新緑の木立に囲まれるような、大浦天主堂の鐘楼も眺めることができました。
大浦天主堂の向こうの丘は、頂上までビッシリと住宅で埋め尽くされています…;
平地に乏しい長崎の宿命ですが、坂の上り下り、車があるにしてもやはり大変だと思います;;
バンガロー風の個性的な旧グラバー住宅、和洋折衷の妙と文明開化の芳香を放つ正当派の西洋風スタイルがセンス良く同居した、母国から遥か離れた新天地に快適な居を構えるにあたって自ら設計に携わったグラバーさんの意気込みが、ひしひしと感じられた、私でもとても居心地の良さを感じた洋館でした♪
できることなら、このままここに住んでもみたいとさえ思えた邸宅は去り難かったのですが(^^;)、時間は容赦なく過ぎていきます><
後ろ髪を引かれる思いで、旧グラバー住宅を後にして、次の施設へ向かいました。
旧グラバー住宅は完全なる洋館でもなく、かと言って和風でもなく何だかかわいい感じの住宅ですね。
今さらながら長崎駅はどこかと調べてみると雲仙のお向かいなのですね。佐世保方面は行った事があるのですが長崎駅の方面は行った事が無いので是非行ってみたいです。博多から特急でも行けるようですね。
異文化を受け入れて自分流にアレンジするのは、日本の十八番、今日確固とした評判を勝ち得ている洋食の美味しさに裏打ちされたプライドから、150年前の料理人の方々の情熱を感じることができると思います^^
旧グラバー住宅、基本的には洋館ですが、やはり最初期なので、資材や大工さん等も試行錯誤しながら建築されたであろうことが偲ばれる、見事な和洋折衷といった風の外観でした!
長崎市のある長崎県南部は、3つの半島を繋ぎ合わせたような、複雑な地形ですね。
博多から特急かもめで、有明海や雲仙の車窓風景を楽しみながら2時間前後で行けますよ♪
鴨や鹿など、ジビエに入るお肉が普通に登場しているのは、その頃まだ肉食が珍しく、食用の家畜が少なかったせいなのでしょうね。
火力の調節が難しい薪の調理器具で作る料理、さぞ大変だったでしょうね。
こんなに見晴らしの良い庭に腰を下ろし、温かい太陽の光を受けながらのんびり午後の一時を過ごす。
現代人が忘れてしまった、最高の贅沢ですね。
確かに、この頃に牛や豚等を食用に飼育していたという話は、聞いたことがありません(^^;
そう考えると、100年と少しの間に確立された洋食のレパートリーや、日本各地のブランド肉の充実ぶりは、実に驚異的なペースであった訳ですねw
かつては世界中、王侯貴族の、現在より遥かに贅を尽くしたご馳走が、こうした薪を使った厨房でこしらえられてきたところから、料理人の職人魂が培われてきたのでしょうね^^
旧グラバー住宅の不思議な居心地の良さは、特筆モノでした!
気持ちの良い庭と、サンルーム然としていた温室とで、充実のガーデンライフ…本当に羨ましい限りです!