グラバー園内に建つ、西洋風の住宅巡りを続けます。
旧グラバー住宅から旧リンガー住宅へ、続いてそのお隣に建つ、旧オルト住宅へ。
元々このグラバー園の敷地に建てられた3住宅を巡ってから、旧三菱第2ドックハウスを訪れ、グラバー園探訪を切り上げました。
旧グラバー住宅を後にして、旧リンガー住宅へと向かう途中にあった、「日本最初のアスファルト道路」だというアスファルトらしき残片。
今では既に当たり前すぎて意識の端にも登らないアスファルト舗装が、ここから始まった訳ですか。。。
因みにこの残片、現在は園内の舗装からは砂利によって隔てられていて、孤立しています。
説明板にあるように、トーマス・グラバーの息子トミー・グラバーは、「倉場富三郎」という日本名だったのですね。
旧リンガー住宅。
広々とした芝生の庭を持つ、公式サイトによれば木骨石造という、珍しい建築構造をしているとのこと。
旧グラバー住宅同様、周囲にベランダを配したバンガロー風の開放的な住宅です。
イギリス人実業家フレデリック・リンガー(Frederick Ringer)の邸宅として、明治2年(1869年)に完成、昭和41年(1966年)に国の重要文化財に指定されました。
直接関係ありませんが、ちゃんぽん店等のチェーンを展開するリンガーハットの社名は、彼の名に因んでいるそうです。
旧リンガー住宅の居間の一室。
天井の模様やシャンデリア等は、旧グラバー住宅のそれとほとんど同じに見えます。
日本における最も初期の西洋風住宅で、建築技術的にも住宅によって個性を出す上での制約があったのでしょうね。
別室で、やはり居間です。
窓というか、扉がこうもたくさんあると、何か落ち着きません…;
これだけ開放的な構造では、いくら九州とはいえ冬の寒さもきつかったのでしょう、立派な暖炉がありました。
旧リンガー住宅に続いて、隣接する旧オルト住宅に来ました。
切り妻のポーチを備えた、堂々たる雰囲気の、大きな邸宅です。
列柱のような柱が、やはりベランダまでを覆う屋根を支えています。
グラバー園は、元々は、旧グラバー住宅、旧リンガー住宅とこの旧オルト住宅の3邸が建てられていた敷地であったようです。
その後、長崎市内各所にあった洋館等をこの敷地へ移築して、現在に至っています。
旧オルト住宅は、イギリス人実業家ウィリアム・ジョン・オルト(William John Alt)邸として、慶応元年(1865年)に建てられました。
3住宅中で最大規模の住宅です。
昭和47年(1972年)に国の重要文化財に指定されました。
張り出した切り妻のポーチの正面には、車寄せの噴水があります。
居間の様子。
これまで見て回った3住宅の中で、天井も最も高いように感じました。
時計の両脇に置かれた、インテリアの大きな壷は、いつからあるのでしょうね…。
広い部屋で天井も高いので、当然この住宅も冬は寒かったと思います。
この当時の住宅では、暖炉は必須の暖房であったのでしょうね。
珍しく(^^;)、外へ出られる扉ではなく、窓の付いていた部屋。
何故かは分かりませんが、こちらの方が落ち着きます。
「浴室」となっていた部屋ですが、バスタブはなく、ご覧のとおり、湯水を浴びるスペースがあるのみでした。
シャワーも付いてないので、手杓で浴びていたのでしょうか。
とにかく、これ以外には何もない、立派な居間等と比べて、あまりにも殺風景とさえいえる部屋でした。
浴室へ続いていた部屋です。
脱衣したり、入浴後にちょっと寛いだりするための部屋なのでしょうか。
暖炉もあります…湯冷め防止でしょうか(^^;
籐で作ったような、素敵なテーブルと椅子のセットが置いてありました。
寝室か客間のような部屋。
ベッド脇のエアコンは、もちろん見学者や施設維持のためのものでしょうw
当然のことながら、表の庭に面する側には居間等家主のための部屋が並び、反対側となる裏手には、使用人の部屋等が配置されていました。
三者三様の洋風住宅巡りは、それぞれの個性の差を窺い知ることができて、とても興味深く、当時の生活を想像しながら楽しく見て回ることができました!
それにしても、当初は広大な丘の一角を僅か3邸で占有するという、当時でも贅沢と言えたであろう贅沢な土地の利用が現実的に実感できず、このような眺めを見るだけでも溜め息が出てしまいます。。。
落ち着いた、心安らぐ佇まいです^^
旧オルト住宅の見学を終えて、旧三菱第2ドックハウスの前までやって来ると、そこでは、なわばりの主然としたニャンコ様が、畏れ多くも?ガキども子どもたちがナデナデすることをお許しになっていましたw
恰幅も良くて、撫でられることにすっかり慣れてお寛ぎのご様子。
グラバー園で最も高い位置にある、旧三菱第2ドックハウス。
明治29年(1896年)に三菱重工業長崎造船所第2ドックの附近に建築された、船が造船所へドック入りしている間の乗組員の宿泊施設(ドックハウス)です。
ドックは当然海に面していますから、この洋館は後の時代に、ここグラバー園へ移築されたことになります。
ベランダ付きの洋館です。
ベランダからは、長崎市街から稲佐山までが一望の下に見渡せますが、ここまでの上り坂の連続と暑さで、気力体力共に限界…(爆)
建物内も混雑していて、眺めは旧グラバー住宅の庭から見たからもういいか…と、ベランダ入りはパス;
まだまだ明るいですが、既に時刻は17時近く…お腹の虫も目覚めた模様なので、そろそろグラバー園に別れを告げて、長崎の街へと戻ることにしました。
旧グラバー住宅から旧リンガー住宅へ、続いてそのお隣に建つ、旧オルト住宅へ。
元々このグラバー園の敷地に建てられた3住宅を巡ってから、旧三菱第2ドックハウスを訪れ、グラバー園探訪を切り上げました。
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旧グラバー住宅を後にして、旧リンガー住宅へと向かう途中にあった、「日本最初のアスファルト道路」だというアスファルトらしき残片。
今では既に当たり前すぎて意識の端にも登らないアスファルト舗装が、ここから始まった訳ですか。。。
因みにこの残片、現在は園内の舗装からは砂利によって隔てられていて、孤立しています。
説明板にあるように、トーマス・グラバーの息子トミー・グラバーは、「倉場富三郎」という日本名だったのですね。
旧リンガー住宅。
広々とした芝生の庭を持つ、公式サイトによれば木骨石造という、珍しい建築構造をしているとのこと。
旧グラバー住宅同様、周囲にベランダを配したバンガロー風の開放的な住宅です。
イギリス人実業家フレデリック・リンガー(Frederick Ringer)の邸宅として、明治2年(1869年)に完成、昭和41年(1966年)に国の重要文化財に指定されました。
直接関係ありませんが、ちゃんぽん店等のチェーンを展開するリンガーハットの社名は、彼の名に因んでいるそうです。
旧リンガー住宅の居間の一室。
天井の模様やシャンデリア等は、旧グラバー住宅のそれとほとんど同じに見えます。
日本における最も初期の西洋風住宅で、建築技術的にも住宅によって個性を出す上での制約があったのでしょうね。
別室で、やはり居間です。
窓というか、扉がこうもたくさんあると、何か落ち着きません…;
これだけ開放的な構造では、いくら九州とはいえ冬の寒さもきつかったのでしょう、立派な暖炉がありました。
旧リンガー住宅に続いて、隣接する旧オルト住宅に来ました。
切り妻のポーチを備えた、堂々たる雰囲気の、大きな邸宅です。
列柱のような柱が、やはりベランダまでを覆う屋根を支えています。
グラバー園は、元々は、旧グラバー住宅、旧リンガー住宅とこの旧オルト住宅の3邸が建てられていた敷地であったようです。
その後、長崎市内各所にあった洋館等をこの敷地へ移築して、現在に至っています。
旧オルト住宅は、イギリス人実業家ウィリアム・ジョン・オルト(William John Alt)邸として、慶応元年(1865年)に建てられました。
3住宅中で最大規模の住宅です。
昭和47年(1972年)に国の重要文化財に指定されました。
張り出した切り妻のポーチの正面には、車寄せの噴水があります。
居間の様子。
これまで見て回った3住宅の中で、天井も最も高いように感じました。
時計の両脇に置かれた、インテリアの大きな壷は、いつからあるのでしょうね…。
広い部屋で天井も高いので、当然この住宅も冬は寒かったと思います。
この当時の住宅では、暖炉は必須の暖房であったのでしょうね。
珍しく(^^;)、外へ出られる扉ではなく、窓の付いていた部屋。
何故かは分かりませんが、こちらの方が落ち着きます。
「浴室」となっていた部屋ですが、バスタブはなく、ご覧のとおり、湯水を浴びるスペースがあるのみでした。
シャワーも付いてないので、手杓で浴びていたのでしょうか。
とにかく、これ以外には何もない、立派な居間等と比べて、あまりにも殺風景とさえいえる部屋でした。
浴室へ続いていた部屋です。
脱衣したり、入浴後にちょっと寛いだりするための部屋なのでしょうか。
暖炉もあります…湯冷め防止でしょうか(^^;
籐で作ったような、素敵なテーブルと椅子のセットが置いてありました。
寝室か客間のような部屋。
ベッド脇のエアコンは、もちろん見学者や施設維持のためのものでしょうw
当然のことながら、表の庭に面する側には居間等家主のための部屋が並び、反対側となる裏手には、使用人の部屋等が配置されていました。
三者三様の洋風住宅巡りは、それぞれの個性の差を窺い知ることができて、とても興味深く、当時の生活を想像しながら楽しく見て回ることができました!
それにしても、当初は広大な丘の一角を僅か3邸で占有するという、当時でも贅沢と言えたであろう贅沢な土地の利用が現実的に実感できず、このような眺めを見るだけでも溜め息が出てしまいます。。。
落ち着いた、心安らぐ佇まいです^^
旧オルト住宅の見学を終えて、旧三菱第2ドックハウスの前までやって来ると、そこでは、なわばりの主然としたニャンコ様が、畏れ多くも?
恰幅も良くて、撫でられることにすっかり慣れてお寛ぎのご様子。
グラバー園で最も高い位置にある、旧三菱第2ドックハウス。
明治29年(1896年)に三菱重工業長崎造船所第2ドックの附近に建築された、船が造船所へドック入りしている間の乗組員の宿泊施設(ドックハウス)です。
ドックは当然海に面していますから、この洋館は後の時代に、ここグラバー園へ移築されたことになります。
ベランダ付きの洋館です。
ベランダからは、長崎市街から稲佐山までが一望の下に見渡せますが、ここまでの上り坂の連続と暑さで、気力体力共に限界…(爆)
建物内も混雑していて、眺めは旧グラバー住宅の庭から見たからもういいか…と、ベランダ入りはパス;
まだまだ明るいですが、既に時刻は17時近く…お腹の虫も目覚めた模様なので、そろそろグラバー園に別れを告げて、長崎の街へと戻ることにしました。
ニャンコ様、丸々とお太りのご様子。西洋料理を召し上がりすぎたのではないかと、おもわず我が身をふりかえってしまいました。
男はやはり見てくれを気にして、女性は実質的な生活の質を重視、といったところでしょうか、まぁ、これもお互いに得意分野を自然に分担しているようにも思えます^^
こうした個性の違いが必ず出ているので、他の方の家を訪ねる時には、何故かウキウキしたり、好奇心が疼いたりするのかもしれませんねw
グラバー園を自分のシマにしているようなお猫様でした(^^;
もしかしたら、旧自由亭で美味しいもの三昧という、人間顔負けのグルメ生活を満喫なさっているのかもしれませんw
どちらの邸宅もイギリスの古い家を思わせる内装ですね。
確かに部屋に外からの出入り口が多いと、個の生活を大事にする日本人としては、いつ何時人が入ってくるか分からず、落ち着かないかもしれませんね。
立派な居間と比較して、浴室がお粗末なことから、富裕層でも入浴がリラックスタイムではなかったことがわかりますね。
こんな贅沢な空間を我が物顔で歩き回るお猫様、狭い空間でひしめき合って暮らす人間よりもずっと贅沢な環境で羨ましい限り。
最初に見た旧グラバー住宅を含めて、バンガロー風の開放的な構造ながら、落ち着いた佇まいを感じたのは、最初の住人がイングランド人やスコットランド人であったのと無関係ではないと思います。
外国の住宅には、玄関を入るといきなり居間になっているような構造が、TVや映画を見ていても多いように思えて、廊下のある家に馴染んだ身としては、どうにも落ち着けません;
浴室がこんなに貧相だとさっさと上がって居心地の良い居間へ早く行きたく思うでしょうし、益々浴室の設計は軽視され、居間は逆に手の込んだ設計になるような気がします。
このお猫様は、絶対にグラバー園を縄張りにしているでしょうねw
外国でも宮殿等に住みついている猫は、良く目にしました。
豪邸住まい?で、仰るとおり、現代においては、彼等こそ究極の勝ち組に思えてきました(^^;