
小樽運河の見物を終えて、小樽駅へと向かいます。
小樽駅までの道中は、かつて小樽が北海道開拓の拠点として繁栄を謳歌した当時の、歴史的建造物を眺めながらの散策となりました。
<小樽運河→小樽駅>
<グランドパーク小樽→小樽運河→小樽駅>

小樽運河から小樽駅へ引き返してすぐの所に、「旧日本郵船(株)小樽支店」が建っていました。
明治39年(1906年)に建築された、石造りのルネサンス様式の建物です。
時間の関係で、中には入りませんでしたが、内部も建築当初の姿に復元されているとのことです。

右から、「日本郵船會社」とあるのが読めますね。
堂々としていて、気品のある洋館です。

歴史的建造物ではありませんが、通りを歩いていて目に入った、モスクのような建物。
「イスラミックセンター」と壁面に銘打ってありました。
アラビア語らしき文字、屋根には三日月…と、イスラムの象徴が目を引きます。
このような施設が存在するということは、小樽の街にもイスラム教徒が相当程度住んでいるということなのでしょうね。

街中の通りも、すっかり雪に覆われてしまっています;
車道にも轍が出来る程の大雪…3月になってからドカッと降ったとのことで、北海道でも異常気象です。。。

そろそろ、かつて「北のウォール街」と呼ばれたエリアへ入ってきました。
明治になって小樽にはいち早く鉄道と港湾が整備され、道内各地からの物資の集積地として経済が急速に発達し、日本銀行はじめ数多くの銀行の支店が小樽に開設されました。
大正時代のピーク時には、札幌を凌ぐ銀行数を誇った、北海道最大の商業都市となっていました。
この建物も、かつての安田銀行(旧日本商業銀行)の小樽支店(明治29年 / 1896年建築)のものであったそうです。

こちらは、旧三井銀行小樽支店。
昭和2年(1927年)の建築です。
平成14年(2002年)までは、三井住友銀行小樽支店として営業を続け、その後「白い恋人」のメーカーの所有となっているとのことです。

旧日本銀行小樽支店の建物。
流石に、数あるかつての銀行の支店群の中でも、ひときわ大きく、どっしりと構えた佇まいをしています!
明治45年(1912年)の建築で、東京駅丸の内駅舎の設計にも携わった、辰野金吾らの設計によるものです。
そういえば、窓周辺の壁面の意匠等、東京駅のそれと通じるものがありますね。
日本銀行小樽支店は平成14年(2002年)に札幌支店と統合して廃止、翌平成15年(2003年)に「日本銀行旧小樽支店金融資料館」として再オープンしました。

この大雪で、屋根の上にも分厚い雪の塊が;
こうした大きな建物でも、雪下ろしは人海戦術なのですね…。

小樽は、北海道鉄道発祥の地。
道内初の路線で、明治13年(1880年)に開業して昭和60年(1985年)に廃止された、手宮線(てみやせん)の廃線跡が残っています。
この通りと交差する場所には、踏切の警報器も残っていました!
このあたりでは、残されている線路に並行して散策路も設けられているはずなのですが…;;
旧色内(いろない)駅を模した休憩スペースが、半ば雪に埋もれています。。。

この正面奥までずっと、手宮線の廃線跡で、標識を挟んで、左に線路が、右に散策路が、互いに並行してあるはずです(^^;)
積雪は、優に1mを超えていて、廃線跡の散策など、端から無理であるのは明らか…残念です(ToT)

旧日本銀行小樽支店前からの通りは、その名も「日銀通り」。
標識によれば、この大きなアーケード(サンモール一番街)の先が、小樽でも寿司店のひしめく「寿司屋通り」である模様。
…小樽の人は、直接的なネーミングを好むようですね^^

残念ながら、寿司屋通りとは反対方向への別のアーケード、「都通り」を歩きます。
こちらも、道幅も広くて歩きやすいアーケード街でした。
この日は雨もぱらつくあいにくの空模様、こうした天候時には、アーケードが本当に助かります♪
都通りのアーケードを抜けた先は中央通り、小樽駅のすぐ正面です。
天気は悪かったですが、雪の積もった小樽市街の、赴きある散策を楽しむことができました。
小樽駅までの道中は、かつて小樽が北海道開拓の拠点として繁栄を謳歌した当時の、歴史的建造物を眺めながらの散策となりました。
<小樽運河→小樽駅>
<グランドパーク小樽→小樽運河→小樽駅>
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小樽運河から小樽駅へ引き返してすぐの所に、「旧日本郵船(株)小樽支店」が建っていました。
明治39年(1906年)に建築された、石造りのルネサンス様式の建物です。
時間の関係で、中には入りませんでしたが、内部も建築当初の姿に復元されているとのことです。

右から、「日本郵船會社」とあるのが読めますね。
堂々としていて、気品のある洋館です。

歴史的建造物ではありませんが、通りを歩いていて目に入った、モスクのような建物。
「イスラミックセンター」と壁面に銘打ってありました。
アラビア語らしき文字、屋根には三日月…と、イスラムの象徴が目を引きます。
このような施設が存在するということは、小樽の街にもイスラム教徒が相当程度住んでいるということなのでしょうね。

街中の通りも、すっかり雪に覆われてしまっています;
車道にも轍が出来る程の大雪…3月になってからドカッと降ったとのことで、北海道でも異常気象です。。。

そろそろ、かつて「北のウォール街」と呼ばれたエリアへ入ってきました。
明治になって小樽にはいち早く鉄道と港湾が整備され、道内各地からの物資の集積地として経済が急速に発達し、日本銀行はじめ数多くの銀行の支店が小樽に開設されました。
大正時代のピーク時には、札幌を凌ぐ銀行数を誇った、北海道最大の商業都市となっていました。
この建物も、かつての安田銀行(旧日本商業銀行)の小樽支店(明治29年 / 1896年建築)のものであったそうです。

こちらは、旧三井銀行小樽支店。
昭和2年(1927年)の建築です。
平成14年(2002年)までは、三井住友銀行小樽支店として営業を続け、その後「白い恋人」のメーカーの所有となっているとのことです。

旧日本銀行小樽支店の建物。
流石に、数あるかつての銀行の支店群の中でも、ひときわ大きく、どっしりと構えた佇まいをしています!
明治45年(1912年)の建築で、東京駅丸の内駅舎の設計にも携わった、辰野金吾らの設計によるものです。
そういえば、窓周辺の壁面の意匠等、東京駅のそれと通じるものがありますね。
日本銀行小樽支店は平成14年(2002年)に札幌支店と統合して廃止、翌平成15年(2003年)に「日本銀行旧小樽支店金融資料館」として再オープンしました。

この大雪で、屋根の上にも分厚い雪の塊が;
こうした大きな建物でも、雪下ろしは人海戦術なのですね…。

小樽は、北海道鉄道発祥の地。
道内初の路線で、明治13年(1880年)に開業して昭和60年(1985年)に廃止された、手宮線(てみやせん)の廃線跡が残っています。
この通りと交差する場所には、踏切の警報器も残っていました!
このあたりでは、残されている線路に並行して散策路も設けられているはずなのですが…;;
旧色内(いろない)駅を模した休憩スペースが、半ば雪に埋もれています。。。

この正面奥までずっと、手宮線の廃線跡で、標識を挟んで、左に線路が、右に散策路が、互いに並行してあるはずです(^^;)
積雪は、優に1mを超えていて、廃線跡の散策など、端から無理であるのは明らか…残念です(ToT)

旧日本銀行小樽支店前からの通りは、その名も「日銀通り」。
標識によれば、この大きなアーケード(サンモール一番街)の先が、小樽でも寿司店のひしめく「寿司屋通り」である模様。
…小樽の人は、直接的なネーミングを好むようですね^^

残念ながら、寿司屋通りとは反対方向への別のアーケード、「都通り」を歩きます。
こちらも、道幅も広くて歩きやすいアーケード街でした。
この日は雨もぱらつくあいにくの空模様、こうした天候時には、アーケードが本当に助かります♪
都通りのアーケードを抜けた先は中央通り、小樽駅のすぐ正面です。
天気は悪かったですが、雪の積もった小樽市街の、赴きある散策を楽しむことができました。
丁寧に作られてるから、今のはめ込み式建造物よりもずっと丈夫そうだし、石造りだから断熱効果、夏は涼しく、冬は熱を逃がさない作りなのでしょうね。
これらの歴史的建造物が、いつまでも良い状態で保存されるといいですね。
北海道鉄道の発祥は札幌か函館なのかと思っていましたが小樽だったんですね。
雪の日でも安心して買い物ができるアーケードは、元気なお寿司屋さんたちのおかげで、シャッター通りとなる運命からはどうにか逃れられそうですね。
その心意気で、手抜きなんてもっての外、材料も吟味されているのだろうと思います!
こうした歴史的建造物は、今や小樽の貴重な文化財、厳しい気候の中で美しい姿を保ち続ける地元の努力には、頭が下がります。
今日でこそ、小樽と札幌では明らかに後者があらゆる面で圧倒的に優位ですが、当時は小樽が北海道経済の中心で、物資輸送の必要性が自ずと小樽を北海道鉄道発祥の地としたのでしょうね。
スケジュールの都合で寿司屋通り訪問は叶いませんでしたが、寿司屋さんが並び立つ壮観な様子をいつの日か目にしてみたいです♪
寿司屋通り、気になるわぁ~。
建築に携わった方々の情熱も宿っているに違いありません^^
寿司屋通りは、例によって宿題となりました;
地図を見ても寿司屋が林立しているようで、全く先へ進めないまま、財布がスッカラカンになりそうです(^^;)