小さな船着き場から、再び散策のスタート地点であるサリ入り江(Uvala Sali)へ戻るべく、海沿いを歩いて来た遊歩道から続く一本道が導く高台へと向かいます。
急な上り坂を登り切ると、眩しい午後の日差しの下、午睡にまどろんでいるかの如く静かに佇む家並みが、サリ(Sali)の港がある入り江まで続いていました。
______________________________________________
紺碧の海から一旦離れ、船着き場からの一本道を登っていきます。
一本道は、船着き場から少し進むとすぐに急な上り坂となって、一路高台を目指します。
坂を数分も登ると、振り返っても既に海は見えなくなっています。
道の左側はかなり深い谷となって落ち込んでいて、むしろ山の中にいるような、とても海の近くにいるとは思えないような景色です。
更に歩を進めてカーブを曲がると、再び海が望めるようになりました。
数分のうちに目まぐるしく風景が変化します。
坂を登り切った高台で最初に目についた建物が、この聖マリア教会(Crkva sv. Marije)でした。
素朴な石造りの教会で、糸杉が印象的でした。
鐘楼には、これまた素朴な石を彫って作った教会のレリーフが掲げてありました。
信者の方が彫って寄進したのでしょうか…地元の方々の篤い信仰心と、この教会に対する愛着を感じました。
聖マリア教会のそばの空き地に、何故か消防車が止まっていました。
丸みを帯びた、レトロなデザインです。
実際、長年大切に使用してきたのでしょう。
一見して古い車両らしいことが分かりますが、大切に整備されているようで、綺麗な車体でした!
消防車のドアにあった、誇らしげなマーク^^
どうやら、自発的な消防組織のもののようです。
直訳すると、「サリ・ボランティア消防団」といった感じでしょうか!?
屋根には、ちゃんと放水ホース等の消防器具が搭載されています(当たり前か(^^;)
それにしても、町外れのようなこの空き地が常駐場所なんでしょうか…?
高台を歩いていると、時たま家並みの間から海が見渡せます。
青い海、帆船、海鳥…つかの間垣間見える、良い眺めです♪
細い路地には、人っ子一人出歩いていません。
本当にのんびりとした、静かな昼下がりです。
先程の聖マリア教会から歩いて10分もしない所に、また可愛らしい小さな教会が建っていました。
聖ロカ教会(Crkva sv. Roka)です。
小さな建物に不釣合いな大きさの鐘と時計が、ユーモラスな教会です。
現在14時35分頃なのですが、時計の時刻…狂っていませんか??
聖ロカ教会の正面の公園にあった、これまでの散策の、のどかな雰囲気とは明らかに異質な像。
片手には銃らしきものを握った、兵士の像と思われます。
台座にあった文字(SLAVA PALIM BORCIMA 1941-1945、「栄光ある戦死者 1941-1945」のような意味)から、どうやら第二次世界大戦での戦没兵を称える像のようです。
現在は、私もこうして安心して観光に訪れている平和なクロアチア(Hrvatska)ですが、この地もまた戦乱に翻弄された長い歴史を閲しているということを、改めて思い起こさせられました。
聖ロカ教会のあたりから、路地はサリ入り江に向かって下り始め、階段が入り江に至るまで続きます。
散策を始めた直後に通った、入り江に面している建物や、チャペル(Kapelica)が建っていた岬(Rt)の手前で小さな埠頭に繋がれていた小舟が、小さく見えています。
この階段を下る最中に、この散策で初めて人とすれ違いました。
年格好からすると、中学生位の女の子の2人組で、気さくに挨拶を交わしてくれ(クロアチアに来てクロアチア語を(と言っても「こんにちは(Dobar dan !)」のひと言ですが;)しゃべったのはこの時が初めてだったような気がします…)、ドゥギ島に対する好感度が益々アップしましたw
長い階段を下ること約5分、ようやくサリ入り江の一番奥の部分が、建物の向こうに顔を覗かせました。
水溜まりのように見える所も、れっきとした海なのです。
サリ入り江に戻って来ました!
散策に出発してから、大体1時間30分程でサリの町を一回りしたことになります。
のんびり歩いても、これ位の時間で戻れるので、町(というより村の方が近いかも知れませんが便宜上「町」としておきます)の大きさが大体理解できると思います。
それでも、海あり坂ありで変化に富む景色を楽しめ、素朴な教会を眺めながら迷路のような路地をのんびり彷徨えた、素敵な散策でした^^
急な上り坂を登り切ると、眩しい午後の日差しの下、午睡にまどろんでいるかの如く静かに佇む家並みが、サリ(Sali)の港がある入り江まで続いていました。
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紺碧の海から一旦離れ、船着き場からの一本道を登っていきます。
一本道は、船着き場から少し進むとすぐに急な上り坂となって、一路高台を目指します。
坂を数分も登ると、振り返っても既に海は見えなくなっています。
道の左側はかなり深い谷となって落ち込んでいて、むしろ山の中にいるような、とても海の近くにいるとは思えないような景色です。
更に歩を進めてカーブを曲がると、再び海が望めるようになりました。
数分のうちに目まぐるしく風景が変化します。
坂を登り切った高台で最初に目についた建物が、この聖マリア教会(Crkva sv. Marije)でした。
素朴な石造りの教会で、糸杉が印象的でした。
鐘楼には、これまた素朴な石を彫って作った教会のレリーフが掲げてありました。
信者の方が彫って寄進したのでしょうか…地元の方々の篤い信仰心と、この教会に対する愛着を感じました。
聖マリア教会のそばの空き地に、何故か消防車が止まっていました。
丸みを帯びた、レトロなデザインです。
実際、長年大切に使用してきたのでしょう。
一見して古い車両らしいことが分かりますが、大切に整備されているようで、綺麗な車体でした!
消防車のドアにあった、誇らしげなマーク^^
どうやら、自発的な消防組織のもののようです。
直訳すると、「サリ・ボランティア消防団」といった感じでしょうか!?
屋根には、ちゃんと放水ホース等の消防器具が搭載されています(当たり前か(^^;)
それにしても、町外れのようなこの空き地が常駐場所なんでしょうか…?
高台を歩いていると、時たま家並みの間から海が見渡せます。
青い海、帆船、海鳥…つかの間垣間見える、良い眺めです♪
細い路地には、人っ子一人出歩いていません。
本当にのんびりとした、静かな昼下がりです。
先程の聖マリア教会から歩いて10分もしない所に、また可愛らしい小さな教会が建っていました。
聖ロカ教会(Crkva sv. Roka)です。
小さな建物に不釣合いな大きさの鐘と時計が、ユーモラスな教会です。
現在14時35分頃なのですが、時計の時刻…狂っていませんか??
聖ロカ教会の正面の公園にあった、これまでの散策の、のどかな雰囲気とは明らかに異質な像。
片手には銃らしきものを握った、兵士の像と思われます。
台座にあった文字(SLAVA PALIM BORCIMA 1941-1945、「栄光ある戦死者 1941-1945」のような意味)から、どうやら第二次世界大戦での戦没兵を称える像のようです。
現在は、私もこうして安心して観光に訪れている平和なクロアチア(Hrvatska)ですが、この地もまた戦乱に翻弄された長い歴史を閲しているということを、改めて思い起こさせられました。
聖ロカ教会のあたりから、路地はサリ入り江に向かって下り始め、階段が入り江に至るまで続きます。
散策を始めた直後に通った、入り江に面している建物や、チャペル(Kapelica)が建っていた岬(Rt)の手前で小さな埠頭に繋がれていた小舟が、小さく見えています。
この階段を下る最中に、この散策で初めて人とすれ違いました。
年格好からすると、中学生位の女の子の2人組で、気さくに挨拶を交わしてくれ(クロアチアに来てクロアチア語を(と言っても「こんにちは(Dobar dan !)」のひと言ですが;)しゃべったのはこの時が初めてだったような気がします…)、ドゥギ島に対する好感度が益々アップしましたw
長い階段を下ること約5分、ようやくサリ入り江の一番奥の部分が、建物の向こうに顔を覗かせました。
水溜まりのように見える所も、れっきとした海なのです。
サリ入り江に戻って来ました!
散策に出発してから、大体1時間30分程でサリの町を一回りしたことになります。
のんびり歩いても、これ位の時間で戻れるので、町(というより村の方が近いかも知れませんが便宜上「町」としておきます)の大きさが大体理解できると思います。
それでも、海あり坂ありで変化に富む景色を楽しめ、素朴な教会を眺めながら迷路のような路地をのんびり彷徨えた、素敵な散策でした^^
紀元後1000年ぐらいからヴェネツィアが頭角を現す最大の理由としてクロアチア沿岸部に頻繁に出てきた海賊を押えつけたことがあげられていました。
そして1080年代にアドリアナ海からコンスタンノープルを攻めようとしたノルマン人を負かしたためコンスタンノープルから貿易の際の様々な恩典を与えられそれによって世界で最も富める国と言われたヴェネツィア共和国の礎を築いたと、その本には書いてありました。
確かに複雑な地形を持ったクロアチア沿岸部は海賊にとって絶好の場所のような気がします。
アドリア海から東の一帯は、ビザンチンのテリトリーで、バルカンはちょうどローマとビザンチン(後にはオスマントルコも)がせめぎ合う境界地帯ということが、今日に至る複雑で過酷な歴史からも窺える気がします。
アドリア海のクロアチア側は島影も多い地形で、船が風待ちをするのにちょうど良く、イタリア側に比べて古くから航路が発達したと、何かの本で読みました。
それらの貿易船を狙う海賊も、自ずと集まってきたのでしょう。
アドリア海が海賊を取り締まったヴェネチアの海となるのも道理で、歴史を紐解き思いを馳せる楽しさを堪能できる地域ですよね^^