昼食後は路面電車に乗車して、再び宮島口方面へと向かいます。
宮島口の少し手前(広島寄り)で下車して、地御前神社を訪れました。
晴れた秋の午後、参拝の人影もなく、かつては嚴島神社の外宮であった頃の名残を留める社殿が、ひっそりとした佇まいで、静かに迎えてくれました。
<地御前神社>
広島でパスタの昼食をいただいた後、少し街の中をブラブラしてから、今度は路面電車(広電)で、再び宮島口方面を目指します。
広島は、路面電車の路線が発達している街。
地下鉄と違って、歩道から乗り場まで階段を上り下りすることもなく、すぐに電車に乗れるのが嬉しいですね♪
広電宮島線の終点・広電宮島口の3つ手前、地御前(じごぜん)で下車。
乗車した、広島中心部の電停から、45分程を要しました;
途中まで道路上を走行するのと、電停が多くて、想像以上に時間が掛かりました。
広電の地御前電停から更に歩くこと約10分…地御前神社(じごぜんじんじゃ)に到着しました。
地御前神社の創建はいつの頃なのかよく分っていないとのことですが、嚴島神社と同じ位の歴史があると、社伝では伝えられているそうです。
今日では、社殿のすぐ前を道路が横切っているという、特異な境内をしていますが、人影は疎らで、静かで落ち着いた空気に包まれていました。
仁安三年(1168年)の文書に記された様式と一致しているという社殿は、平安時代の雰囲気を今日に伝える貴重な建築物。
その、見事な大屋根を持つ優雅な社殿に、目を見張ります。
社殿から、道路を挟んだ向かいにある鳥居。
鳥居からすぐ海側を、広電宮島線の軌道と国道2号線が通っています。
国道2号線の向こうはもう海で、画像の右端方向に、嚴島神社を擁する宮島(厳島)があります。
鳥居の額には、「嚴島外宮社」とあります。
かつて宮島は、島全体が神域として、人の居住が禁じられていました。
また、技術的にも島へ渡ることは困難であったので、その聖地を対岸から遙拝するために、地御前神社が築かれました。
そのため、嚴島神社と同じ、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を御祭神としています。
社殿の傍らにあった案内によると、明治維新までは、嚴島神社を内宮、地御前神社を外宮と称していたとのことです。
地方(じかた)にあることから、「地ノ御前社」、「地御前神社」と呼ばれるようになりました。
開放的な、社殿の内部。
凝った内装等はありませんが、宝暦十年(1760年)に再建された社殿は、上述のとおり、平安時代の様式を留めているとのことです。
社殿の内部には、祭礼を描いた、幾枚かの画が奉納されていました。
その祭礼の一つである、管絃祭(かんげんさい)の模様を描いているであろうと思しき画。
管絃祭は、旧暦六月十七日に嚴島神社から地御前神社まで御座船が渡り還幸する祭礼です。
嚴島神社の大鳥居の前で、御座船が儀式を行なっています。
流石に神域、自然と姿勢を正す気配のような何かを感じました。
人の気配をほとんど感じない神社の、静けさに満ちた雰囲気の中を、お参りします。
かつては、多くの参詣者がここを訪れ、海越しに宮島を拝んでいったのでしょうね。
午後の日射しを背後の木立で遮って佇む社殿は、そんなかつての賑わいを、静かに思い起こさせてくれます。
地御前神社から、再び広電の地御前電停へ。
広島方面ではなく、一旦宮島口へと出ることにします。
時間が経つ毎に、益々青空が澄んでいくかのような、秋晴れの午後でした。
宮島口でちょっとしたお土産等を物色後、JRで広島へと戻ります。
宮島口から広島まで、JRでは30分弱程の所要時間。
車内も空いていて、ウツラウツラしながら、電車の揺れに身を任せる内に、広島に到着しました。
宮島口の少し手前(広島寄り)で下車して、地御前神社を訪れました。
晴れた秋の午後、参拝の人影もなく、かつては嚴島神社の外宮であった頃の名残を留める社殿が、ひっそりとした佇まいで、静かに迎えてくれました。
<地御前神社>
_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _
広島でパスタの昼食をいただいた後、少し街の中をブラブラしてから、今度は路面電車(広電)で、再び宮島口方面を目指します。
広島は、路面電車の路線が発達している街。
地下鉄と違って、歩道から乗り場まで階段を上り下りすることもなく、すぐに電車に乗れるのが嬉しいですね♪
広電宮島線の終点・広電宮島口の3つ手前、地御前(じごぜん)で下車。
乗車した、広島中心部の電停から、45分程を要しました;
途中まで道路上を走行するのと、電停が多くて、想像以上に時間が掛かりました。
広電の地御前電停から更に歩くこと約10分…地御前神社(じごぜんじんじゃ)に到着しました。
地御前神社の創建はいつの頃なのかよく分っていないとのことですが、嚴島神社と同じ位の歴史があると、社伝では伝えられているそうです。
今日では、社殿のすぐ前を道路が横切っているという、特異な境内をしていますが、人影は疎らで、静かで落ち着いた空気に包まれていました。
仁安三年(1168年)の文書に記された様式と一致しているという社殿は、平安時代の雰囲気を今日に伝える貴重な建築物。
その、見事な大屋根を持つ優雅な社殿に、目を見張ります。
社殿から、道路を挟んだ向かいにある鳥居。
鳥居からすぐ海側を、広電宮島線の軌道と国道2号線が通っています。
国道2号線の向こうはもう海で、画像の右端方向に、嚴島神社を擁する宮島(厳島)があります。
鳥居の額には、「嚴島外宮社」とあります。
かつて宮島は、島全体が神域として、人の居住が禁じられていました。
また、技術的にも島へ渡ることは困難であったので、その聖地を対岸から遙拝するために、地御前神社が築かれました。
そのため、嚴島神社と同じ、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を御祭神としています。
社殿の傍らにあった案内によると、明治維新までは、嚴島神社を内宮、地御前神社を外宮と称していたとのことです。
地方(じかた)にあることから、「地ノ御前社」、「地御前神社」と呼ばれるようになりました。
開放的な、社殿の内部。
凝った内装等はありませんが、宝暦十年(1760年)に再建された社殿は、上述のとおり、平安時代の様式を留めているとのことです。
社殿の内部には、祭礼を描いた、幾枚かの画が奉納されていました。
その祭礼の一つである、管絃祭(かんげんさい)の模様を描いているであろうと思しき画。
管絃祭は、旧暦六月十七日に嚴島神社から地御前神社まで御座船が渡り還幸する祭礼です。
嚴島神社の大鳥居の前で、御座船が儀式を行なっています。
流石に神域、自然と姿勢を正す気配のような何かを感じました。
人の気配をほとんど感じない神社の、静けさに満ちた雰囲気の中を、お参りします。
かつては、多くの参詣者がここを訪れ、海越しに宮島を拝んでいったのでしょうね。
午後の日射しを背後の木立で遮って佇む社殿は、そんなかつての賑わいを、静かに思い起こさせてくれます。
地御前神社から、再び広電の地御前電停へ。
広島方面ではなく、一旦宮島口へと出ることにします。
時間が経つ毎に、益々青空が澄んでいくかのような、秋晴れの午後でした。
宮島口でちょっとしたお土産等を物色後、JRで広島へと戻ります。
宮島口から広島まで、JRでは30分弱程の所要時間。
車内も空いていて、ウツラウツラしながら、電車の揺れに身を任せる内に、広島に到着しました。
でも、時間の余裕がない急ぎ足の旅人にはちょっと無理ですね。
厳島神社の外宮があるということすら知りませんでした。
厳島神社にはあれだけの人が集まるのに、その存在を知っている人は殆どいないのでしょうね。
本当に歴史を感じさせる見事な造りですが、本堂と鳥居の間に道路を通してしまったなんて実に残念。
地御前神社は、私も、テレビの旅番組で知って、たまたま午後の時間が空いたので、寄ってみました。
社殿と鳥居の間に道路が通ったり…と、風情に欠けるところもありますが、平安期の様式を伝える貴重な社殿や、人気も疎らな、静かな佇まいは、厳島神社とはまた違う雰囲気に触れることのできる神社です。
宮島再訪の折には、不思議な静寂を感じに、是非訪れてみてください^^