JR日吉駅から山陰本線の普通電車に乗車、京都への帰途に就きます。
<<桂川源流探訪 佐々里峠越え-09>
途中の園部で京都行の電車に乗り換え、園部から「嵯峨野線」の愛称で呼ばれている山陰本線で、京都へと向かいます。
40km程の距離の間に、田園、渓谷、街中…と、目まぐるしく変化して流れていく車窓風景を眺めながら、夕刻近い京都駅へと終着しました。
記事中の画像クリックで、別ウィンドウが開きます。
JR山陰本線の、日吉駅。
この駅から電車で、京都へと戻ります。
乗車したのは、16時3分発の、園部行普通電車。
ホームでは、反対方向へと向かう、福知山行の電車も停車していました。
「かやぶきの里」から、私と同じく京都へと戻る欧米系外国人観光客軍団の皆さん方は、既に園部行に乗車済み。
福知山行の電車には、地元の中高生と思しき皆さん方が多数、乗車していきました。
ここ日吉から、乗車した電車の終点である園部までは、僅かに2駅10分の道程です。
園部で、京都行の普通電車に乗り換えます。
日吉からの電車は、16時13分に園部到着、4分の接続で到着したホーム反対側に停車していた京都行の快速に接続していましたが(当然ながら、日吉着の電車に乗車していた人達の多くが、この快速に乗車)、始発駅からの混雑を避けるのと、ゆとりをもって乗り換えたかったので、快速の後に出発する普通電車に乗車することにしました。
この普通電車は、16時27分に園部を出発します。
山陰本線の京都~園部の区間は、「嵯峨野線」という愛称が付けられています。
出発を待つ、普通電車の車内。
別に、急いで京都に帰る必要もなかったですし、快速を見送って正解でした!
(この画像は、別ウィンドウへのリンクはありません)
結局、この車両には(電車は4両編成)、数人程度が乗車して、園部を出発しました。
園部を出発後、電車は盆地に開けた田園風景の中を、快調に駆け抜けてゆきます♪
黄金色に色付き始めた田んぼが広がる背後に連なる山々や、奔放な感じで空に浮かぶ雲…心和む車窓風景です。
思えば、見えている山の中を、これから電車が向かう保津峡の駅まで、かつてハイキングに出掛けたものでした。
電車の中でブログを見返してみたら、記事の日付が2011年(平成23年)…今(2017年/平成29年)からもう6年も前のこととなっていました;
電車は、八木、亀岡と、沿線の主要駅を中心に乗客を拾っていき、亀岡を出発した時には、車内は立客が出る位にまで混雑していました。
亀岡の次の駅、馬堀(うまほり)を出発すると、電車は亀岡市と京都市とを隔てる山中へと入り、トンネルと橋脚を幾つも走り抜けます。
佐々里峠へその源流を訪ね歩いた桂川が保津川(ほづがわ)と名を変えて、急流となっている流れの上を、通過。
ささやかな湧き水が流れ出していた源流を見てきた後で、急流下りも楽しむことができる大きな流れへと姿を変えている様子を眺めると、感慨もひとしおです!
あと5分も経過すれば、住宅の密集した京都の市街地へと変貌を遂げるとは思えない、山深い景色の中を、走行します、
16時50分、保津峡へ到着。
京都へ向かう嵯峨野線は、この駅から京都市内となります。
緑深い山中に抱かれるような駅の佇まいは、6年前と変わっていません。
保津峡駅や周辺の様子は、6年前の記事をドウゾ!
この保津峡からも、ハイキング帰りと思われるいでたちの、たくさんの人々が乗車してきて、混雑は一段と激しくなりました。
保津峡を出発直後の、車窓風景。
画像の右端に、嵯峨嵐山(トロッコ嵯峨)と馬堀附近(トロッコ亀岡)までの保津峡沿いを走っている、トロッコ列車(嵯峨野観光鉄道)の線路が見えています(トロッコ列車の線路は、山陰本線の旧線です)。
保津川に架かる吊り橋の見えている所が、トロッコ保津峡(旧保津峡)の駅です。
画像右側の奥に聳えている山の頂上附近には、共に紅葉の名所である、嵐山と高雄とを結ぶ道路の「嵐山-高雄パークウェイ」にある、保津峡展望台が見えています。
4分後に到着する、嵐山の玄関口である、次の駅の嵯峨嵐山から先は、もう京都の市街地です。
桂川とも、これで見納めです。
円町(えんまち)を出発直後、高架で西大路通を跨ぎます。
京都市街の中心部の西側を南北に貫いている西大路通の、北の方向を望むと、ほぼ正面の山肌に、五山送り火の1つである、「左大文字」が見えていました。
人家も皆無な山中を走行していた、僅か15分程前の眺めとは、全く異なる都市の景観と変貌した車窓風景です。
電車はこの後、東から南へと向きを変え、終着駅の京都へ向け、ラストスパートに掛かります。
最後の停車駅・丹波口へ到着する直前に、五条通(この辺りでは、国道9号線となっています)を跨ぎます。
道路が狭いイメージのある京都の市街地ですが、この五条通の他に御池(おいけ)通や堀川通等、道幅の広い大通りも、少ないながら存在しています。
東を望んでいる画像を、もう少し進んだ先にある、その堀川通との交差点から、五条通は国道1号線に変わります。
車窓からは、屏風のような、東山の山並みを見渡すことができました。
京都への、電車での行程も、いよいよ大詰め。
京都タワーの姿が、視界へ入ってきました!
間もなく電車は、再び進行方向を東へと変えて、東海道本線と合流。
京都駅へと、進入していきます。
17時14分の定刻に、電車は京都へ終着。
園部からは47分、日吉からは1時間11分の所要時間。
「美山町自然文化村 河鹿荘」の近くにある、南丹市の知見口からは、2時間18分で到着しました。
桂川の源流を訪ね、佐々里峠を歩いて越えたプチ旅が、ここに終結。
路線バス、徒歩、電車と、様々な移動手段を組み合わせて辿った総行程は、140km程に及びました。
一風変わった、桂川の源流をこの目で確かめ、佐々里峠を歩いて山越え、里山の原風景に親しんで束の間過ごすことのできた、久々に健康的で心癒される1日を堪能することができました^^
山の幸の美味も、シッカリと味わって楽しめることが分かったので、体力をまた蓄えてw、再び美山の地を訪ねてみたいと思います。
その時は、ゆったり宿泊してもみたいものですね。
<桂川源流探訪 佐々里峠越え 了>
<<桂川源流探訪 佐々里峠越え-09>
途中の園部で京都行の電車に乗り換え、園部から「嵯峨野線」の愛称で呼ばれている山陰本線で、京都へと向かいます。
40km程の距離の間に、田園、渓谷、街中…と、目まぐるしく変化して流れていく車窓風景を眺めながら、夕刻近い京都駅へと終着しました。
記事中の画像クリックで、別ウィンドウが開きます。
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JR山陰本線の、日吉駅。
この駅から電車で、京都へと戻ります。
乗車したのは、16時3分発の、園部行普通電車。
ホームでは、反対方向へと向かう、福知山行の電車も停車していました。
「かやぶきの里」から、私と同じく京都へと戻る欧米系外国人観光客軍団の皆さん方は、既に園部行に乗車済み。
福知山行の電車には、地元の中高生と思しき皆さん方が多数、乗車していきました。
ここ日吉から、乗車した電車の終点である園部までは、僅かに2駅10分の道程です。
園部で、京都行の普通電車に乗り換えます。
日吉からの電車は、16時13分に園部到着、4分の接続で到着したホーム反対側に停車していた京都行の快速に接続していましたが(当然ながら、日吉着の電車に乗車していた人達の多くが、この快速に乗車)、始発駅からの混雑を避けるのと、ゆとりをもって乗り換えたかったので、快速の後に出発する普通電車に乗車することにしました。
この普通電車は、16時27分に園部を出発します。
山陰本線の京都~園部の区間は、「嵯峨野線」という愛称が付けられています。
出発を待つ、普通電車の車内。
別に、急いで京都に帰る必要もなかったですし、快速を見送って正解でした!
(この画像は、別ウィンドウへのリンクはありません)
結局、この車両には(電車は4両編成)、数人程度が乗車して、園部を出発しました。
園部を出発後、電車は盆地に開けた田園風景の中を、快調に駆け抜けてゆきます♪
黄金色に色付き始めた田んぼが広がる背後に連なる山々や、奔放な感じで空に浮かぶ雲…心和む車窓風景です。
思えば、見えている山の中を、これから電車が向かう保津峡の駅まで、かつてハイキングに出掛けたものでした。
電車の中でブログを見返してみたら、記事の日付が2011年(平成23年)…今(2017年/平成29年)からもう6年も前のこととなっていました;
電車は、八木、亀岡と、沿線の主要駅を中心に乗客を拾っていき、亀岡を出発した時には、車内は立客が出る位にまで混雑していました。
亀岡の次の駅、馬堀(うまほり)を出発すると、電車は亀岡市と京都市とを隔てる山中へと入り、トンネルと橋脚を幾つも走り抜けます。
佐々里峠へその源流を訪ね歩いた桂川が保津川(ほづがわ)と名を変えて、急流となっている流れの上を、通過。
ささやかな湧き水が流れ出していた源流を見てきた後で、急流下りも楽しむことができる大きな流れへと姿を変えている様子を眺めると、感慨もひとしおです!
あと5分も経過すれば、住宅の密集した京都の市街地へと変貌を遂げるとは思えない、山深い景色の中を、走行します、
16時50分、保津峡へ到着。
京都へ向かう嵯峨野線は、この駅から京都市内となります。
緑深い山中に抱かれるような駅の佇まいは、6年前と変わっていません。
保津峡駅や周辺の様子は、6年前の記事をドウゾ!
この保津峡からも、ハイキング帰りと思われるいでたちの、たくさんの人々が乗車してきて、混雑は一段と激しくなりました。
保津峡を出発直後の、車窓風景。
画像の右端に、嵯峨嵐山(トロッコ嵯峨)と馬堀附近(トロッコ亀岡)までの保津峡沿いを走っている、トロッコ列車(嵯峨野観光鉄道)の線路が見えています(トロッコ列車の線路は、山陰本線の旧線です)。
保津川に架かる吊り橋の見えている所が、トロッコ保津峡(旧保津峡)の駅です。
画像右側の奥に聳えている山の頂上附近には、共に紅葉の名所である、嵐山と高雄とを結ぶ道路の「嵐山-高雄パークウェイ」にある、保津峡展望台が見えています。
4分後に到着する、嵐山の玄関口である、次の駅の嵯峨嵐山から先は、もう京都の市街地です。
桂川とも、これで見納めです。
円町(えんまち)を出発直後、高架で西大路通を跨ぎます。
京都市街の中心部の西側を南北に貫いている西大路通の、北の方向を望むと、ほぼ正面の山肌に、五山送り火の1つである、「左大文字」が見えていました。
人家も皆無な山中を走行していた、僅か15分程前の眺めとは、全く異なる都市の景観と変貌した車窓風景です。
電車はこの後、東から南へと向きを変え、終着駅の京都へ向け、ラストスパートに掛かります。
最後の停車駅・丹波口へ到着する直前に、五条通(この辺りでは、国道9号線となっています)を跨ぎます。
道路が狭いイメージのある京都の市街地ですが、この五条通の他に御池(おいけ)通や堀川通等、道幅の広い大通りも、少ないながら存在しています。
東を望んでいる画像を、もう少し進んだ先にある、その堀川通との交差点から、五条通は国道1号線に変わります。
車窓からは、屏風のような、東山の山並みを見渡すことができました。
京都への、電車での行程も、いよいよ大詰め。
京都タワーの姿が、視界へ入ってきました!
間もなく電車は、再び進行方向を東へと変えて、東海道本線と合流。
京都駅へと、進入していきます。
17時14分の定刻に、電車は京都へ終着。
園部からは47分、日吉からは1時間11分の所要時間。
「美山町自然文化村 河鹿荘」の近くにある、南丹市の知見口からは、2時間18分で到着しました。
桂川の源流を訪ね、佐々里峠を歩いて越えたプチ旅が、ここに終結。
路線バス、徒歩、電車と、様々な移動手段を組み合わせて辿った総行程は、140km程に及びました。
一風変わった、桂川の源流をこの目で確かめ、佐々里峠を歩いて山越え、里山の原風景に親しんで束の間過ごすことのできた、久々に健康的で心癒される1日を堪能することができました^^
山の幸の美味も、シッカリと味わって楽しめることが分かったので、体力をまた蓄えてw、再び美山の地を訪ねてみたいと思います。
その時は、ゆったり宿泊してもみたいものですね。
<桂川源流探訪 佐々里峠越え 了>
戦争で爆撃を受けなかった京都にも、意外と広い道路がありますね。
国道9号線が通っている辺りは、その昔長閑な田園風景が広がっていたのでしょうか。
私もいつかのんびり数日かけて京都の山々を歩いてみたいです。
他都市と比べて、京都は空襲の被害も少なかった(小規模な空襲は受けていて、死者も出ています)のですが、空襲による延焼対策として、建物の疎開(撤去)が戦時中に行われ、記事で述べた3つの通りは、この時できた防火帯用地を戦後転用して、拡幅されました。
京都の街を堪能したら、ぜひ市街地周辺の豊かな自然にも、触れていただきたいです!